カンボジアの記録(後編)

ゴール後の11月4日。ゴールしてホテルに戻って寝ていたら、7時頃にSadaからの電話で叩き起こされた。表彰式をやるのですぐにMinistry of Tourismまで来いとのこと。

自転車で行くのは面倒なのでトゥクトゥクを捕まえて現地へ。

観光省がバックアップしているらしく、大臣からメダルをもらった。

Sadaやその他の参加者の方にも礼を言って表彰式から撤収。ホテルで自転車のパッキングをしていると、Ooiさんがひょっこり現れた。同じホテルに泊まっているので昼飯でも行こうぜと。

Ooiさんの定宿なので全部お任せで近くのタイ料理屋へ行く。Ooiさんによると、カンボジアとタイの国境付近で紛争をやっていて死者も出ているので、カンボジア国民のタイに対する感情は決してよくないらしく、タイ料理屋は昼飯時なのにガラガラであった。そもそも今回の1000kmも元々はタイ国境すれすれまで行って国境沿いに北上するコースだったのだが、「日本の外務省が渡航警戒レベルを引き上げてるし今の状況やったらワシは行かんぞ」と言ったらコースが変更になって国境まで行かないことになったのである。Sadaによると他の参加者からも同様の懸念を伝えられたらしい。しばらくしてOoiさんのカンボジアの友人も合流した。

ホテルに戻ってチェックアウトの準備。いいホテルだった。

そしてそのカンボジアの方の車で空港まで送ってもらった。ありがたい。

彼は不動産ディベロッパーをされているそうで、最近のプノンペンの開発事情を話してくれた。自分が泊まっていたようなエリアは最近どんどん開発が進み、日本円で億レベルの物件も増えてきているそうだ。この10年ぐらいでガラリと街の景色が変わったとのことであった。仕事柄、経済指標などはよく見る方だけど、カンボジアといえば国の平均的な所得は東南アジアで最低レベルである。プノンペンだけではそうは思えないが、プノンペンと地方部の格差が大きく、地方はまだ電気も十分に使えない状況だそうだ。空港に迎えにきてもらたった際にSadaから聞いたが、「プノンペンでは最近はBYDのEVも増えてきているが、地方ではEVなんて使えないと思う」とのことであったし。その他の生活水準もプノンペンと地方ではまったく異なる。それは走ってみて実感した。

一仕事終えたOoiさんも空港へ到着し、しばしカフェで雑談。Ooiさんはマレーシアには戻らず、そのままタイへ移動して仕事だそうな。カンボジアの前は日本に出張していたというし、忙しい人だな。自分は香港経由で帰国へ。

翌5日の6時半頃に成田へ到着。大急ぎで成田エクスプレスに飛び乗り、9時過ぎに武蔵小杉へ到着。タクシーで自宅に戻ってすぐに仕事を開始した。

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