Author: ijichi

  • 北海道滞在記(後半)

    朝遅めに起きてダラダラした後、歩きたくないという御一行のご意見によりタクシーでサッポロビール園へ。

    最初の一時間ぐらいで思う存分食べ、後はその辺にいた方々との交流へ。楽しかったです。

    帰りは残った数名で徒歩で札幌方面へ移動。そのまま居残ってチコリンさんと台湾勢を囲む会に参加した。一旦ホテルに戻って狸小路をうろうろしているとトニーさんに出会ったので、近くにいたおーのさんも誘って二次会へ。

    翌16日は朝にBrianがホテルを出発して帰国の途へ着くことになっていたので見送りへ。

    昼飯はPatrickとColinと狸小路のスープカレー屋にした。一旦解散してから夕方にまた合流して、札幌駅北口の居酒屋ふるさとへ。前日のチコリン会と同じ系列の別店舗である。一昨年だったか自分が北海道に来た際にチコリンさんと飲みに行ったのも札幌駅北口のふるさとである。ここは美味い。

    17日、Patrickが4時半頃にホテルを出発して空港へ向かうことになっていたのでお見送りへ。その後、Colinも9時のバスで空港へ向かうことになっていたのでこちらもお見送り。Colinの見送りにはMayとDindoも出てきたので、そのままこの二人とコメダで朝飯へ。

    この二人も11時半に空港へ向かうお迎えが来ていたので見送って、これで全員撤収。ちょっと早いが自分も輪行で空港へ向かった。20時30分のフライトだったのでだいぶ早かったのだが、空港で時間を潰していたらカウンターに呼び出され、自転車が破損しましたという報告を受けた。最後の最後に事件が発生し、どんよりした気分で帰宅した。はーやれやれ。

  • Japan Grandonnee 北海道1200km 納沙布岬

    12k_2025 | ajhokk_3rd

    一言で言うと大変楽しかった。

    今回は元々RUSAの面々と走るつもりだったので、宿を自分で取るということはせず、全てオーバーナイトコントロールを使うことにした。北見、別海、清水で宿泊するという行程になり、とにかく毎日オーバーナイトコントロールまで走ればよいだけで、いろいろとプランを考える必要なかった。一人だったらサクサク進みそうなコースであるが、旅は道連れの精神でわいわいと走ってきた。

    Day 1

    6時スタートなので4時過ぎにはホテルを出ただろうか。PtrickやBrianはフィリピンのサポート隊に頼んでスタート地点まで運んでもらったそうだが、自分とColinは自走でスタート地点へ向かった。

    初日は北見までの345km。6時スタートの最後尾で出発。当別を過ぎたあたりからおーのさんが韓国勢を率いて先頭に出たので、その後ろに長蛇の列が形成された。35km/hぐらいのいいペースで進んでいたので、日本人勢やフィリピンのMayやDindoと「いいトレインだな!ハハ!」と無賃乗車をさせていただいた。

    最終的には前のウェーブでスタートしていたColinやBrianも吸収して吉野公園に到着。

    吉野公園からは集団も解散となり各自のペースで進む。PC2では結構いろいろな人に追いついた。すでに横になって寝ていたトニーさんとか。

    PC2を出てしばらくしてトニーさんが追いついて来たので世間話をしながら進む。途中、トニーさんがいなくなったなと思ったら脚を攣っていたらしい。暑かったですもんね。そしてPC3へ。コンビニコントロール、後ろのスタートだと飯がないな。かろうじて残っていたものを買って補給した。

    この後は遠軽までコントロールはないので適当にコンビニに止まろうと思って出発。そして愛別のセコマでPatrickに追いついた。Patrickとはここからゴールまでほぼ同行することとなる。さらに上川のコンビニで北見峠前の休憩を入れる。他にも大勢の方が休憩していたし、巡回車のスタッフのみなさんもいてワイワイガヤガヤのコンビニになっていた。

    北見峠は各自のペースで淡々と。峠の石碑でフィリピン勢や韓国勢が写真を撮っていたが、あれは工事で亡くなられた方々の碑なんだよな。この石碑でいいのだろうかと思って一応説明はしたが。

    峠からの下りで、おや見たことある後ろ姿だぞと思ったら岡田さんであった。4時スタートなので追いつくことはないなーと思っていたが、LELからの強行軍であまり調子はよさそうではなかった。遠軽に着く頃には日も暮れて真っ暗。BrianやColinとは離れちゃったので、Patrickとともに淡々と進んでいく。

    北見には23時過ぎに到着。いいタイミングで到着したようで、寝床は別棟になった。別棟にはまだ誰もおらず、一番奥で電源も近いところを割り当てられた。人の出入りもあまりなく静かでとてもよい寝床であった。Patrickと明日の出発時刻を相談し、遅れているBrianとColinにも「5時過ぎには出発しよう」とメッセージを送ってから就寝。

    Day 2

    二日目は北見から別海経由で納沙布岬まで行って、折り返して別海まで戻ってくる295km。

    ぞろぞろと起床してきて朝飯を食べ、PatrickやBrian、Colinとともに出発。美幌の町中でコンビニ休憩を入れ、補給食を調達しておく。次は弟子屈まで何もないしな。

    美幌峠は長いけどきつい登りではないので、近くを走っている方々と雑談しつつ登頂。天気にも恵まれ、なかなかよい眺めであった。

    で、弟子屈まで気持ちのいいダウンヒルをやりましてセイコーマートへ。フィリピン勢や他のRUSA勢も集まってきて一大休憩スポットになっていた。

    弟子屈を出発すると道東の平坦でまっすぐな道を延々と進むことになる。別海町の町境を越えたのにまだ別海市街地まで30kmとか表示された時はマジかと思った。この辺は北海道のスケールである。別海の少し手前のセコマでPatrickが眠さと暑さで休憩したいというので一旦停止。別海のコントロールに向かう途中では急な雨にも降られた。まぁ暑かったのでちょうどいいぐらい。

    別海のPCでPatrickが少し寝ていくというのでここからは一人で先へ進む。一人になって自分のペースで気分よく進んでいると厚床を過ぎたところで別海を先に出て行ったmomさんをキャッチ。自分的にはノリノリで進んでいたので一顧だにせずぶち抜いたら後ろの方から「速いよーーー!!!」という声が聞こえてきた。すまんの。

    納沙布岬へは北側のルートで。

    納沙布岬のPCに着いてお菓子などをつまみつつスタッフの面々と喋っていたらPatrickも追いついてきたので納沙布岬の灯台へ。日が暮れる前に到着できてよかったですな。

    帰りは暗くなるので一人で走るのもアレだし、Patrickがいるのはとても心強い。根室市街地の少し手前で先に納沙布岬を折り返して行ったmomさんに追いついたので、「この後は一緒に行きますか」と提案し、同盟が結成されたので、まずはmomさんとPatrickと根室のすき家で腹ごしらえ。厚床にコンビニはあるが別海まではノンストップになる見込み。

    というわけで、根室で飯を食った後はmomさんとPatrickの三人で別海までノンストップで進んだ。一人だったらダラダラ走ることになっていたと思うけど、シャキシャキと走れたので快調であった。

    23時前には到着した。思ってたよりちょっと早いぐらい。やはり夜は一人でダラダラ走るより部隊を組んだ方がよい。

    Day 3

    別海から美幌峠を越えて北見へ戻り、清水まで向かう330km。あまり早く出る必要はないのではと思っていたけど、Patrickが4時というのでそれに合わせて準備をする。Brian、Colinも一緒にスタート。momさんも岡田さんも一緒である。momさんとはこの先札幌まで一緒に行くんだなという雰囲気なので、自分が先頭で100w固定で進んでいく。

    西春別のセブンイレブンで休憩。ここで自分の後輪のエアが抜けていることに気づく。いろいろいじってたらリムの隙間から空気が漏れ出したので、諦めてチューブを入れた。こういう時にメカニック岡田がいるのは大変心強い。

    Patrickの背中についているのは私があげたおにやんま君のパチモン。出走ガイドを読んで、「900kmもホースフライに苦しめられるのか!」とか言ってたので、RUSA勢用に調達していったもの。自分はアブで苦しめられた印象がないので、Brian、Colin、Patrick、Noah、Claireに渡した。

    美幌峠まではまたまた各自のペースで。自分はmomさんとともに登頂。

    杉浦さんも追いついてきて、その場にいた一同全員がチタンフレームに乗っているというチームチタンが結成された。熊笹ソフトなどを食べ、まったりした空気感。三日目で特に時間に追われているわけでもないし。

    美幌のコンビニで氷休憩を入れ、北見のPCへ。ここでドロップバッグ用に送っておいた箱にいらないものを全部ぶち込んだ。ほぼ空みたいな箱を送っておいたので、ドロップバッグというよりかは不要なもの送り返す用の箱である。サドルバッグが軽くなって楽になった。

    北見のPCを出てからは暑さとの戦いであったが、時間帯的に日陰がなくなるし、津別から陸別へは南へ向かうのでなかなか日陰がなく難儀した。ひたすら100wを意識して走る。

    で、陸別のセコマで休憩。このセコマは去年の襟裳岬1000でも立ち寄ったところである。岡田さん、Patrick、momsさんの部隊で本別へ。道が荒れてて走りにくい区間であった。まぁ下り基調なのでその点は気が楽であるが。

    本別のPCで休憩していると、どうもこの先で雨が降っているとの情報が。しかも士幌までアップダウンが続くのでなかなか面倒な区間になりそうだ。発狂したmomさんがすごい勢いで加速して登って行った(そしてタレた)。momさんは士幌で宿を取っているそうなので、ここで離脱。また明日の朝合流しましょうと言って見送った。士幌のコンビニで岡田さんとPatrickと休憩した後、清水町へ向けてもうひと頑張り。が、ここも結構長くダラダラ登るんですな。地図だとそういうイメージがわかなかったので思っていたより疲弊した。

    0時頃に清水町のPCに到着。

    Day 4

    清水から札幌までの235km。初っ端に狩勝峠を登ることになるが、それさえ終われば消化試合みたいなものである。

    5時には出ようかとPatrickが言っていたが、momさんを待つことにした。同じタイミングで士幌を出たっきぃさんの情報を参考にひたすら待つ。6時にmomさんを交えて清水を出発。岡田さんもPatrickも同じタイミングで。

    狩勝峠の前にコンビニで補給食を買い、霧の狩勝峠を登る。なるほどこれが狩勝峠か。かとうさんも合流。

    これをやっつけてしまうと後はもう余程のトラブルがない限りは大丈夫であろう。一同もそういう空気になっている。狩勝峠を下ったところのコンビニで休憩し、さらに富良野の藤森商店でメロン休憩を入れ、上富良野のPCへ。

    上富良野のPCを出て、国道38号に合流すれば、自分的には去年走った襟裳岬1000kmと同じルートなので安心感がある。

    上砂川のPCでColinを待って最後の平坦区間へ。どうしてもColinが遅れがちにはなるが、最後は平坦なのでColinを待ってみんなで一緒に行こうというので合意。Colinの1200初完走も見届けたいし。さらに言えば、砂川からは何もない吹き曝しの区間になるので集団で進みたい区間である。

    まぁそういうわけで上砂川を出発して自分が前で100wで引いていたんだが、わざわざ前に出てきて疲れたら脚を止めるシュワルツ兄弟にペースを乱され一悶着あった区間であったが、Patrickと相談してペースを上げて彼らを千切り捨てて平穏を取り戻し、新篠津のPCに到着。ここまで来れば後はウイニングラン。

    21時過ぎに丘珠へ帰ってきた。Colinは69歳で初の1200kmの完走である。偉業だと思う。

    天気が崩れることもなかったし、暑くはあったが夜に寒すぎるということもなくで、なかなか条件のよい1200kmであった。外国から参加された方々も楽しそうに走っていたので、参加者側から見れば大成功と言っていい1200kmだったんじゃなかろうか。またこの大会が開催されることを願いたい。

  • 北海道滞在記(前半)

    9日から17日まで北海道に行っていたのでその前半のメモ。

    9日の午後の便で北海道入りへ。羽田のラウンジで座ってぼーっとしていると愛媛の米田夫妻に声をかけられた。乗り継ぎで同じタイミングで羽田にいたようだ。

    新千歳からは輪行で札幌駅へ。自転車を組み立てて狸小路のホテルへ。今回の北海道1200に向けてRUSAの面々のWhatsAppグループチャットに入っていたのでホテルも同じところにした。自転車をそのまま持ち込むことも可で外国人のサイクリストを受け入れるには最適である。あちこち電話して探した自分を褒めたい。RUSAの面々の他にフィリピンの1300で一緒だったフィリピンのMayやDindoも同じホテルである。

    元々一緒に走るつもりでいたシアトルのJohnは仕事の都合がつかず、来日できなかった。フィリピンで一緒だったし、韓国でも一緒だったので楽しみにしていたのだが残念であった。韓国については彼は途中でDNFしてるので、その後も会わなかったし。

    ホテルに到着して即RUSAの面々と合流し、札幌駅の近くの居酒屋へ。オーストラリアのPeteとAndrewも誘って歓迎会を開催した。Peteはもうお馴染みであるが(去年も日本来てたし何ならうちの近所に泊まってたので連日飯に行ったし)、Andrewは以前参加したPerth Augusta Perthでご一緒した方だ。毎晩オーバーナイトコントロールで隣で寝ていた(マットが指定されていたので)。

    翌朝の歓迎ライドには参加しなかったので昼までダラダラ。狸小路でぜっとさんmomさんを発見したのでColinも誘って一緒にお好み焼きへ。Colinはイカのお好み焼きを注文し、この後もしょっちゅう「Squid! Squid!」といっていたのでイカが好物なんでしょうな。イカゲームを見たのでSquidと言われてもわかる。

    Colin、Patrick、Brian、Grantと私で徒歩でカナモトホールへ。前日受付を済ませてライダーズミーティングに参加した後、ColinのSIMカードを調達するためにビックカメラへ。その場で開通した。本当に便利な世の中だなと思う。

    翌日は朝早いのでディナーという流れにはならず、自分は近くのラーメン屋で飯を食って、コンビニで補給食などを買い出して準備を済ませ就寝。

  • 20250829

    昨日今日で20周年関連で残っていたタスクをせっせと片付けた。これで自分の持っている分としては一段落といった感じ。ボサボサになっていた髪も切りにいった。あとは自転車の件だが、ビルダー様に見積もりを作成していただいたものの、航空会社の担当の電話になかなか繋がらない。今日は時間切れ。こういうところで不満が溜まっていくのである。やれやれ。

  • 20250826

    仕事が立て込んでいたのでようやく北海道の写真などを見返しているのだが、初日の居酒屋で集合写真を撮ってもらうように頼んだ居酒屋の店員、iPhoneのライブフォトをオンにしていてデキる店員だったのではと思った。デフォルトではオフにしているのだが。たまたまだろうか。

  • 20250824

    自転車もないので、Netflixのマイリストにあるものを見たり、仕事用のパソコンを開いてちまちました作業をしてた。自転車の修復はどうするかな。もちろん補償の交渉はするんだが、修復して乗れる状態にするのは手配することがいろいろあって大変面倒くさいなという気持ちしかないので、しばらく自転車はいいかなという気持ちになりつつある。

  • グラスワンダー

    グラスワンダーが死亡 JRA

    98&99年有馬記念などG1・4勝のグラスワンダー死す 30歳 産駒にスクリーンヒーロー 孫にモーリス 尾形充元調教師「グラスワンダーで私は男になれた。ありがとう」 | 競馬ニュース – netkeiba

    グラスワンダー – Wikipedia

    2002年に北海道へ大学の友人たちと牧場巡りに行ってグラスワンダーの写真を撮ったのだが、そのときの写真が今もWikipediaに使われている(種牡馬時代のグラスワンダー)。スペシャルウィーク(まだ現役にクラウンプライドがいるけど)やエルコンドルパサーが父系を伸ばせなかった一方で、グラスワンダーが父系を伸ばすとは思わなかったな。何はともあれ、自分が競馬を一番熱心に見ていた頃のチャンピオンホースであり、どちらかというとスペシャルウィーク派であった自分には厄介な難敵であった。R.I.P.

  • 20250822

    水曜日はPeteの帰国前の食事会ということで御徒町へ。急な誘いだったのに総勢10名になって大変楽しかった。

    木曜は午後に休みを取ってメカニック様のところへ。一通り見てもらったが、自転車屋としてはどんな力が加わったかわからないものを大丈夫だとは言い切れないので、全損と判断するべきレベルの状態であるとのこと。まぁ確かに言われてみればその通りである。とりあえずビルダー様へ見積もりの作成を依頼した。

    仕事もやること山積という感じなので、しばらく自転車のことは忘れて平穏な日々を送りたい。

  • 20250819

    スケジュールに多少余裕があったので午後に休みを取って、ビルダーのところへ。

    ダウンチューブが凹んでいるのを発見した時は「終わった」と思ったものだが、ビルダーは開口一番、「これぐらいだと問題ないのでは」とのこと。もちろん全バラして細かくチェックしないといけないのだが、クラックが入っていなければ凹みは見た目の問題ぐらいで、走行性能には影響ないようだ(もちろん場所や大きさにもよるが今回の場所は大丈夫ではなかろうかと現時点では推測されてた)。ダウンチューブのパイプ交換の必要あるかと聞くと、時間も費用もかかるのでお勧めしないとのこと。とりあえず凹んだ部分を埋めて見た目をきれいにすればそのまま普通に使っても問題ないとは思うという感じの回答。元々UKでヴィンテージバイクのレストア業をやってた方なので、この辺の判断はお任せにしたい。とりあえず完全に廃車になることはなさそうだ。

  • 帰宅

    つい先ほど北海道から帰宅した。JG1200を無事に完走したのはいいが、帰りの飛行機輪行でトラブルがあって、輪行袋はビリビリ、自転車は傷だらけ、ハンドルは曲がり、である。廃車にならないといいが。一応補償はしてもらえるそうだが、持ち出し必須だろうし、めちゃくちゃ気が重い。