Author: ijichi

  • Paris-Brest-Paris 2023: Prologue

    PARIS-BREST-PARIS

    さっさと書いておかないと忘れちゃうので、ぼちぼち記録しておきたい。雑感は先日書いた通り。

    PBPなんて一回走れば十分というのもわかるけど、自分は2019年に続いて今年も参加した。前回は割とギリギリまでどうしようか悩んでいたけど(最終的に参加しようと決めたのは4月ぐらいだったと思う)、今回は昨年から行く気満々であった。年初にエントリーをして、カタール航空のドーハ経由の航空券とAirbnbでランブイエの民泊を4月に予約した。

    今回は84時間組。前回のPBPの後、岡山1200、飛梅1200、Perth-Augusta-Perth 1200を走ったけど、いずれも84時間かかってないのと、前回のPBPで何よりしんどかったのは夕方スタートによる初日オーバーナイト走行とその後の皺寄せみたいなところだったので、朝5時スタートの方が都合がいいと考えた。この中でコース的に一番似ているのはPAP1200で、一つ一つの登りの斜度はPBPよりきついけど、延々とアップダウンが続く同じようなコースプロフィールかつオーバーナイトコントロールで食事やシャワー、仮眠に十分な時間をかけた上で83時間だったので、PBPでもコントロールで余計な時間がかからなければ84時間で余裕があると想定。

    本来8月は繁忙期でめちゃくちゃ仕事が立て込んでいるのだが、これは四年前と同じようにかなり前から根回し。社内もそうだし、クライアントにも事情を説明していろいろな打ち合わせの日程を調整してもらった。ただ、そういった打ち合わせはPBPの前後にうまく分散すればいいなと思っていたが、「そういうことなら出発前にやりましょう!」というものばかりで出発前に仕事が立て込んで7月後半からはローラーする時間もろくに取れないし、準備もぎりぎりという状況になったのは誤算だった。まぁ無事に出発できたのだから問題なかったとも言える。

    あと、前回と違ったのはGWの本州縦断で車にはねられて以降、6月に新車が納車されるまでかなりモチベーションが低下していて、ローラーもたらたら乗っているだけみたいな状況だったことだろうか。そもそも外で乗る自転車がなくなったのだから仕方ないといえば仕方ないが。四年前は6月頭の600kmを走った後、外を走らずに精力的にインターバルとか強度高めのローラーをやっていた記憶がある。今年はそういうのもやらず、事故のときに打った肩の違和感も解消せず、太腿内側の内部のズキズキとする痛みも解消せずで、84時間でエントリーしたものの果たして……?と、時間内に間に合うかどうかはちょっとわからんなという気もしていた。722の100周年記念400kmを走ってこれなら十分という感触を得て(体調と新車ともに)、何とかなるかと楽観的に出発することになった。

  • Irish Champion Stakes

    Auguste Rodin、これで負けたら言い訳できないってレースっぷりで勝利。10ハロンを勝ったのは大きいな。

  • 20230909

    朝イチで600kmブルベのスタート受付へ。ちょっと仕事の作業をしておきたいので、帰宅後はぽちぽちと作業をしていた。

  • 20230908

    来年はさらに業務負荷が増すかもという話をされた。厳しい。

  • 20230907

    毎日仕事しかしてない気がするが、ようやくローラー用の自転車の前輪のタイヤとチューブを交換した。といっても、チューブを新品にしただけで、タイヤは以前の使い古しだが。まぁまたぼちぼちZwiftもやっていこう。

  • 20230906

    夕方になって「明日朝の打ち合わせの資料を修正せよ」という指令が入ったのでさっきまでせっせと仕事をしていた。やれやれ。

  • 20230905

    昨晩は急遽PBP反省会がオンラインで開催された。終了したのは日付が変わってから。

    今日もひたすら仕事。PBP前から積んでるタスクがまだいくつか残っており本当に申し訳ないと思うが一つ一つ片付けていくしかない。

  • Filip Minarik

    落馬事故の後も元気そうではあったが、やはり外には言えないこともあったのだろうか。RIP.

  • 20230903

    朝からクロスコ詣。帰宅してからシャワー浴びてヒゲを剃った。PBPに行く前に剃ったのが最後で、ずっと伸ばしてたので一区切りという気持ち。あとはPBPの諸々の片付けと仕事の作業をちょっとだけやった。

  • PBP2023

    帰国即就寝起床即仕事みたいな流れだったので、特に何も書いてなかったけど、無事に完走した。84時間組でエントリーして78〜80時間ぐらいで走ってゴールする予定を立てていたので概ね予定通りの時間で帰ってきた(79時間50分)。5時スタートの前の方に並んだので最初のトレインがめっちゃ調子よく、Ave30km/hを超えるような状況だったので一気に時間に余裕ができた。とはいえ、こんなのについていってたら一日も持たずにすぐに終わってしまうと思い、1〜2時間でトレインからは降りて第二集団で走った。それでも最初の200kmを7時間半ほどで通過しているので貯金も十分。少々気は早いがこれで勝負あったなと思い、あとはパワーメーターを見て(せっかく新車に搭載したのだし)、登りでもPWR2倍ぐらいまでで抑えるようにしてマイペースで走り、適宜ペースの合うトレインに混ぜてもらうという走り方であった。コントロールの通過も最初の貯金の分だけ予定より前倒しになった感じ。84時間組のよい点は朝起きて夜寝るというサイクルで行けるところと思っていたが、まさにその通りで睡眠に無理のない生活だったと思う。コントロールもガラガラでレストランでも並ぶことはほとんどなかった(90時間組に追いつき始めるとちょっと混んだ)。最後のモルターニュ以降はシアトルのナラヤン、タカトリさん、亀太郎一行と一緒になったので大集団でゴール。

    新車は400kmのブルベを走っただけで、1000km超は初投入だったけどまったく問題なし。太いタイヤ(グラベルキング無印32c)は登りでは重さを感じるけど、安定感は段違いだし、絨毯の上を走っているようで快適だった。25cとは別世界。ただ、一回パンクした。ホチキスの針みたいなのが刺さった。コンチネンタル時代はブルベでは一度もパンクしなかっただけに、本州縦断に続いてパナレーサーへの評価がまた一段低下した。コントロールでチューブの予備を補充しようとしたけど、28cまでのものしか置いてなかった。これについては「多少細いチューブでも問題なく使える」という有識者の皆さんからのご意見をいただいたが。

    あと、今自分はAJにおいて対ACPの窓口(ACP Representativeの補佐)という役目を仰せつかっているが、面倒だったのは日本人の事故対応の連絡がACPから自分のところに来ることだった。走行中に何度も電話が鳴っていたし(電話が鳴り止んだ後にACP会長からメールが来ていたのでそういう電話だと思われる)、とは言っても集団で走っていると急に止まるわけにもいかずで、メールを打ち返したり、日本の参加者の誰それはDNFですと代理でコントロールのオーガナイザーに伝えにいったりしたが、これは今後どうにかするべき点だと思う。PBPの参加者ではない方に連絡が行くようにしておいた方が双方幸せではなかろうか。以前はどうだったのだろう。また、日本の方で「事故ったけど緊急連絡先を登録してませんどうしたらよいでしょう助けてください」と知り合い伝いに連絡してくる方もいたけど、AJの役員で現地にいる方も一参加者であるのでこういうのはどうしようもないなというのが本音。さらに重ねて言いたいですが、AJの関係者はあなたの紛失物を捜索する係でもありませんよ。この辺は何らかの方法を考えるべきなのかもしれない。

    やはりPBPは楽しい。世界中にいろいろな1200km超のイベントはあるけど、世界中のランドヌールが目標にして一同に会する1200kmはPBPだけであろう。Cascade 1200やPerth-Augusta-Perthで知り合った方々もたくさん来ていたし、こういう方々との再会があるのもPBPぐらいのものだと思う。PBPは峠を登って素晴らしい景色を拝めるとかそういうのではないけれど、体験として一番印象的なのはPBPだと思う。また四年後も参加したい。

    あれこれはまた別の記事にするつもり(そのうち)。