勝ったのはフースホフトだが、新城9位ってのがすごい。
Author: ijichi
100km童貞卒業の巻
クロスバイクを買い、サイクルコンピューターもつけた。これまでは長い距離乗ったなという日でも60km前後ぐらい。次にやるべきは一日で100kmを走っておくことでしょう、という気分になっていた。昼飯を終えた13時半、やけに天気がいいので今日は100km走ろうという決意とともに家を出た。
三木や社をぐるっと経由して三田駅前まで戻ったところで19時前で90kmちょい。武庫川沿いのサイクリングロード一周約4kmを二周追加して帳尻合わせて100km超えを達成。祝100km童貞卒業!!
出発が昼過ぎと遅かったので、オーバーペース気味になってしまったのと、水分すっからかんになってから補給するまでに時間かかったので、最後は結構バテバテだった。あと、当然だが、出発地点に戻ってくるのであるから、下りがある分は上りがあるのだ。朝に出て15km/hぐらいで走ってればまだまだ距離は走れそうな感じではある。あと、武庫川で帳尻合わせしてるときに遭遇したが、街灯のない川沿いのサイクリングロードを無灯火で走ることのできる勇敢な民族は一刻も早く滅ぶべき。
100km走って、カレー食って、風呂入って、アイスコーヒー飲みながら雪見だいふくを食う!幸せだ。- Time 5:18’54
- Dst 102.27km
- Ave 19.2km/h
Cutlass Bay
Cutlass BayがArc WeekendにドイツのG3を走ることになるとは思いませんでした。
iPhoneのイヤホン
iPhoneの純正のイヤホンの耳に当たる部分をぐるっと囲んでるゴム的なものがとろけてきた感じ。どうなるのこれ。
曾和直榮調教師とチャンストウライの引退
園田競馬を初めてテレビで見たのは1998年頃だと思う。当時はまだ平日の夕方にサンテレビが園田競馬中継をしているという時代で、今考えると信じられない時代だ。
園田はアラブのメッカで、益田競馬場から移籍してきたニホンカイユーノスが小牧太とのコンビで活躍していた。管理していたのが曾和直榮調教師。何も知らない高校生であるし、勝ちまくっている小牧太はすごいのだ、そして所属している曾和直榮厩舎というのもすごい厩舎なのだと最初に名前を覚えたのが、この騎手と調教師だった。ニホンカイユーノスは、ケイエスヨシゼンやエイランボーイらと鎬を削り、最優秀アラブかなんかの賞を取ったはず。
2001年5月2日、昼からの大学の講義をサボって初めて園田競馬場に行った。この日、曾和調教師が管理するロードバクシンが兵庫チャンピオンシップを制した。兵庫県競馬にサラブレッドが導入されて以来、初めて勝った交流重賞が、ロードバクシンによる兵庫チャンピオンシップであり、サクラバクシンオー産駒の最初の重賞勝ち馬がロードバクシンである。兵庫チャンピオンシップを地元馬が制したのもこの一度だけである。
ロードバクシンは兵庫三冠達成後、兵庫のエースとして2001年のダービーグランプリに挑む。兵庫三冠馬が全国の馬を相手にどれだけやれるのか、が見物だった。が、終わってみれば大差のシンガリ負け。輸送がダメだったとか言われたが、本当に悔やしかったし、全兵庫県競馬ファンが泣いたといっても過言ではなかったはずだ。これ以来、兵庫所属馬は交流重賞に出ても話にならない時代が続いた。
チャンストウライは久しぶりに交流重賞で勝ち負けできる兵庫の馬だった。佐賀記念はロードバクシン以来の交流重賞制覇だったし、その年の園田開催のJBCクラシックで、期待できる地元馬がいるということがどれだけ楽しみなことだったか。負けはしたものの、もしかしたらという期待を持って地元開催のJBCクラシックを見れたことは本当に幸せだった。
曾和調教師、チャンストウライがいなくなり、個人的な兵庫県競馬の一つの区切りだなと感じたニュースであった。追記
ロケタッチ
ロケタッチは夜になると国道が背景の色に埋もれて見にくくなる。
ロケタッチの気になるスポット
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京都にはおっぱいというスポットがあるらしい……
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東京にはちんちんというスポットがあるらしい……馬名
HibaayebとHabaayibを区別するスキルが必要。
Real Quiet
Real Quietの転倒は想像しただけですげえ痛そう……