Author: ijichi

  • 京都

    京都とか余裕でいける時間があるけど、今年はメンバー的にもアレなので全然行く気にならんのう。

  • Kentucky Derby

    30分ほど寝過ごしたら、Pletcher先生がダービー勝ってて何かすごい敗北感。

  • 春天

    春天で好走しないダンスインザダーク産駒でも、今年なら、と思わせてやっぱりダメでしたってオチを期待したい。なぜダンスインザダーク産駒は菊花賞で好走するのに春天ではダメなのか。昔ラップを書き出したけど、言うほど特徴なくて、菊花賞は距離適性のない馬も出走してくるから、ダンス産駒が相対的に有利になっているという結論になった。
    フォゲッタブル買いたいけど、素直になれなくて迷っています、みたいな感じの会です。

  • Junk

    Junkのメールボックスに入っていても、「バイアグラいりませんか」と「いつまで養分でいるつもりですか」は、なぜか件名が目についてしまうから不思議です。

  • 2000 Gunieas

    St Nicholas Abbeyとはなんだったのか。勝ったのはMakfi、ルメール先生じゃないですか。Dubai Millenniumはミラクルな感じで血が残っていきそうですごいのう。

  • Rachel Alexandra

    また負けたか。もうZenyattaとの対決がとか言ってる場合じゃなくなってきた。Zenyattaが何のために現役続行してるのかもよくわからなくなってしまう。

  • セツコ

    「明日早起きしてSetsukoとオークスにするか」って言われると、パッと見、セツコと一緒にオークスを見る、に勘違いしてしまう。そうでなくとも、セツコがオークスに出るのかと思ってしまうが、牡馬だしななぁ。で、ダービーではなく芝の重賞に出走するんですなぁ。日本人にとっては紛らわしい。

  • 婚活パーチー

    阪神競馬場でも婚活パーチーやっとったな。女「どういうふうにムチで叩かれたいですか」男「ゴクリ……」みたいな会話が繰り広げられているのだろうか。男「きみがダイイチルビーでぼくがダイタクヘリオスなのさ」女「ウットリ……」とか。意味がわからない。しかし、競馬場婚活でどのような会話がなされているのかには大変興味がある。

  • バブルガムフェロー死亡

    http://jra.jp/news/201004/042703.html
    前にも書いたことがあるけど、競馬ファンの好きな馬ってのは競馬を見始めた頃に見い出されて、それに新しく追加されることはあったとしても、それが新しいものに取って代わることはないのだろうと思っている。ぼくの中ではバブルガムフェローがまさにそうであり、高校時代はフジキセキ厨とジェニュイン厨の友人と議論を繰り返していたし、今もなお自他共に認めるバブル基地であるし、これからもバブル基地のままである。
    バブルガムフェロー死亡のニュースはtwitterのTL上で知ったんだけど、思いがけずのことで久々に競馬のニュースで目頭が熱くなった。こんなことはメイショウサムソンのダービーで石橋さんがウイニングランをしているとき以来かもしれない。根っからのバブルガムフェロー基地としては、心にぽっかりと穴が開いてしまったような感じというか、一つの区切りのような感じというか、なんとも言えない気分になっている。
    ぼくが競馬の話題をチェックするようになったのは94年ぐらいで、中学生だったぼくは寮生活をしていて、新聞が置いてある部屋でスポーツ新聞の競馬面をチェックする、ついでにテレビ中継も見る、という程度にしか競馬を見てなかった。特定の馬に熱を入れてるわけではない程度のファンだったけど、重度の競馬ファンになるきっかけがバブルガムフェロー秋の天皇賞だった。寮の食堂で見ていた競馬中継に映っていたのが、三強を完封したバブルガムフェローと鞍上で立ち上がって手をあげる蛯名騎手だった。痺れた。
    バブルガムフェローのイメージといえば、番手から早めに先頭に立ってから粘りに粘って三強を退けた3歳での天皇賞制覇なのかもしれないけど、ぼくが一番印象に残っているのは朝日杯のレースぶりで、あれこそがまさにバブルガムフェローのイメージだといえる。意表をつくような形で抜け出して直線ではセーフティーリードを確保したかに見えたエイシンガイモンを悠々と差し切った姿は、まさに横綱相撲という競馬で、いかにも藤沢・岡部コンビだと思わせる競馬だった。
    なぜバブルガムフェローにイレこんでしまったのかは自分でもよくわからない。結局、同世代のダンスインザダークフサイチコンコルドとの対決は実現することはなかったし、天皇賞だって三強対決の脇役扱いで、これといったライバルという馬もいなかったように思う。ラスト二戦のエアグルーヴにしても両レースとも完敗に近いし、有馬記念を走ったわけでもない。レースぶりも堅実で華があったわけでもない。この辺はもう理屈どうこうじゃないのかもしれない。
    2002年の夏には、社台SSでスペシャルウィークトウカイテイオーらとともに放牧されているバブルガムフェローを生で見て、一人で狂喜乱舞していた。種牡馬になってからは、重賞勝ち馬を何頭か輩出したし、海外ではRockabubbleがG1を勝ったものの、日本の芝の平地では重賞を勝ったのがアーリーロブストだけで、ちょっと期待外れだったかなという感じだけど、兄Candy Stripesが南米で活躍していること、NZでG1馬が出たことを考えると、海外で種牡馬になったSS産駒のようになっていれば違ったのかもしれない。時代が時代だし、今となっては昔のことであるか。
    競馬を始めて何年か経つと、馬柱の父の名前が現役時代を知っている馬になってきて楽しみが増える。そしてさらに何年か経つと、父に限らず母父の名前も現役時代を知っている馬になってくる。最近、母父も知ってる名前が増えてきて馬柱の血統見るだけでも随分と懐しいことが多い。現状では、おそらくバブルガムフェローの父系としての血脈は残っていかないだろうと思う。それでもまた母父とかにバブルの名前があればそれだけで十分かなと、そう思う。
    とにかく、ぼくを競馬の世界にどっぷりと引き込んで抜け出せなくしてしまったバブルガムフェローが亡くなってしまった。今はただ、ありがとうと言いたい。

  • バブル死亡

    おおおおおおおお……
    いかんマジで涙が出る。初めてファンになった馬が亡くなるというのはなんとも言えない気持ち。
    三強を完封した天皇賞はシビれたけど、早めに抜け出したエイシンガイモンを悠々と差し切った朝日杯もカッコよかった。でも、同期の牝馬に連続して完敗したことで、バブル基地のぼくは最強馬論争には加わるまい、と心に誓ったものだった。高校生の頃はフジキセキ厨の友人とジェニュイン厨の友人とバブル厨のぼくでよく議論したものだ。
    また後でまとめて記事を書く。