Author: ijichi

  • 20221031

    スマホ二台のセットアップをしようとして面倒臭くなって結局やらなかった。何も考えずにクイックスタートで移行しても認証系のアプリとかは大丈夫なのだろうか。

  • 天皇賞

    www.youtube.com

    昨日から何度も見てしまう。ケレン味のない逃げ馬が逆噴射せずにゴール直前まで粘り込むレースはおもしろい。勝ったのはイクイノックスだけど、パンサラッサの天皇賞として語り継がれそう。

  • 週末

    土曜日、ちぇ先生が自転車に乗るぞ!と言うので時坂峠に登ってきた。行ったことなかったので初。時坂峠実績を解除した。

    帰りに武蔵五日市駅前のお店で昼飯を食べてコーヒー飲んで帰ってきた。

    日曜日、朝からAJの雑務をちまちまとやってたり、PAPのブログを書いてたら日が暮れていた。マジか。新しいスマホ二台のセットアップをしようと思ってたけど、これは持ち越し。

  • Perth-Augusta-Perth 2022: エピローグ

    ばたばたでの参加となったPAPであるが、終わってみれば特に大きなトラブルもなく、楽しい思い出となった。印象的なのはオージーの大雑把さ、良く言えばイージーゴーイングの精神である。結局ブルベというのはコンペティションではなく、単なる個人サイクリングの認定に過ぎないのだから公平性とか厳密性とかそういうのはあんまり気にしなくてもいいのだろう。これは自分も大いに同意するところである。見習いたい。

    海外で走った1200+はこれで3本目。幸運にも今のところDNFにならずに済んでいるが、いずれもボランティアの人たちのコントロールでの食事や飲み物の提供にも随分と助けられた。また、そういう方々との交流が何よりも貴重だと思う。走力があるに越したことはないが、特にこういう小規模な開催だと英語の必要性を強く感じる(極論言ってしまえばPBPは語学力皆無でもなんとかなると思う)。三日も四日も走り続けるのだから誰かと会話をして気分転換をするというのも大事なことだ。

    PAPはリピーターが多い1200kmだとも聞いた。これは主催のWayneの人柄によるところも大きそうだ。なんというか、ちゃらんぽらんな感じはあるが(ノンネイティブの自分が見てもスペルミスだらけやなというようなメールを平気で送ってくる)、実際に会って喋っているととても楽しい人だ。自分も機会があればまたPAPには参加したいと思う。そのときまでにたくましいオージー達についていけるように鍛えたい。

    さて、次はどうしようかなと。来年はPBPがあるのでとりあえずは参加する方向で準備だけは進めておくか。

  • Perth-Augusta-Perth 2022: 帰国へ

    チェックアウトは11時。それまでに散歩へ。

    宿に戻り、10時45分頃にチェックアウト。お世話になりました。

    10月8日に到着したときは空港からバスで来たけど、9日にパース駅からパース空港までの鉄道が開通したらしく、せっかくなので鉄道で空港へ向かう。18時にパース発の便なので少し時間は早いけど、お土産を買ったり飯を食ったりしていればいいだろう。

    タイに帰るという人に撮ってもらった。

    最後のオーストラリア的な飯。

    荷物を預けてセキュリティーを通過した後はお土産を買ったり、日本入国用のmySOSアプリの登録をしたりして時間を潰していた。

    帰りはパース18時発、シンガポールでのトランジットが2時間弱で9時前には成田に到着するという実にスムーズな接続となっている。シンガポールで19時間も滞在した往路とは大違いだ。飛行機の中で寝ていれば日曜日はフルに使える。理想的ではないか。

    シンガポールでもアジア的な味が恋しくなっていたので、トランジットの合間に飯。

    セキュリティのところで座っていると、日本に旅行に行くという女性に話しかけられたけど、どうもやはり日本の交通機関が複雑だという愚痴をこぼしておられた。

    無事に成田到着。mySOSアプリは事前に登録しておいたので、検疫チェックをあっさりと通過した。

    成田エクスプレス待ちの間に日本の味を懐かしむ。

    そして12時半頃に帰宅。オーストラリアで散々牛を見て、牛丼食いてえなと思っていたので、吉野家へ駆け込んだ。

    ちなみに、一応往路の成田で20000円分をAUDに両替していったが、現金を使ったのはパース空港からパース市内へのバスの支払い(約500円)の一度だけだった。シンガポールの空港内はすべてクレジットカードだし、オーストラリアでもどんなカントリーサイドでさえもクレジットカードのタッチ決済でOK。日本もこれぐらいキャッシュレスが整備されるといいんだが。

  • 2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Post Ride Breakfast & Lunch

    事前にPost Ride Breakfastがあるとメールで案内されていたので、二つ返事で出席すると返しておいた。滞在しているホテルから徒歩で30分ぐらいのようなので、自転車ではなく徒歩で移動する。East PerthのToast Cafeというところ。

    指定の9時半に着いたら数人が集まっていてすでに始まっているようだ。各自好きなものを適当に頼んで、適当な時間にやってきて、会の締めのようなものもなく各自勝手に好きな時間に帰っていくというスタイル。

    Trans OzのオーガナイザーであるAndiと喋っていたが、「オーストラリア大陸は平坦が多いけど、タスマニアはアップダウンだらけで大変だぞ〜」という話だった。いつか行こう。

    朝食の時間が終わったので、残っていたさらに数人で近くの店へ移動してPost Ride Lunchへ移行する。あそこがどうだった、あれがきつかったなどなど、ブルベの後の話の内容というのは万国共通である。

    15時過ぎにこの会がお開きとなって散り散りに。明日の朝一の便で東海岸に帰るという方もいるし、すでに帰宅している人もいる。みんなと直接会うのはこれで最後だ。来年のパリで、四年後のパースで、もしくはまたどこかで、などと言って別れた。

    ホテルに帰ってから時間もあるし一走りしておくかということでもう一度外へ出る。翌日の朝に最後のサイクリングをして帰る準備をしてもよかったけど、チェックアウト間際にバタバタするのもアレだなと思い、最後のサイクリングへ出かけた。

    本当に美しい街です。

    競馬脳なのでつい競馬場へ行ってしまう。Melbourne CupはThe race that stops the nationといって、国を止めるレースとして有名です。そんな注意書きがここパースにも。さすが国を止めるレース!

    サイクリングから帰った後はセントラルロードのようなところへ。適当な店はないかなと思って歩き回る。さっと入れそうなところがペッパーランチだったが、さすがにパッペーランチはないだろうというのと、そろそろアジア的な味が恋しいと思っていたので、Chop Chop BBQという店へ。客はほとんどアジア系だろうか。

    こういう味が恋しかった。

    ホテルに戻った後は自転車のパッキングをして就寝。明日の朝は最後の散歩でもしよう。

  • 2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Day 4 Collie-Perth

    いよいよ最終日。5時頃に起きて準備を始める。残り200km、リミットは23時。Collieからは一度下ってしまえば後はほぼ平坦。余程のことがない限りもう時間内の完走は大丈夫だろう。できれば日が暮れる前にゴールしてしまいたいところ。

    ScottやSacha、Mudi、Andrewと一緒に朝食を食べる。この面々はいずれも速いのでダラダラしているが、先に出たところでどうせ追いついてくるだろう。ちなみにScottは前日Di2のバッテリー切れで難儀したらしい。

    満場一致で「やっぱオダックスライドには機械式変速だよな〜」

    連中を置いて先に出発。そして早速Andrewに抜かれる。このAndrewという方は他のオージー達と少し雰囲気が違ってスラっとしていて物静かな感じなのだが、めちゃくちゃパワフルで速い。あっという間に見えなくなった。Trans Oz 4000kmのオーガナイザーでもあるそうだ。

    そして今度はMudiに抜かれ視界に入る範囲でがんばってついていく。Mudiはインドネシア出身のオーストラリア人で、ネイティブではないのでめっちゃ英語がわかりやすい。ただこの人もPBPは72時間とかでゴールしているらしい。Harveyの街に着いたときに警官と喋っていたので何事かと思ったら「シドニーで同じ仕事してるからちょっと立ち話してたんだ!」とのこと。警官なのか。

    二回目のHarveyは1044km地点。Mudiと一緒にHarveyのベーカリーで朝飯にする。さすがに4日目ともなると要領を心得ているので、この街はコントロールだけどたぶんスタッフなんていうのはいないから、適当な店でレシートなりを取っておけばいいんだなとわかる(そもそもレシートも必要ないと思うが)。アッツアツのでかいパイ。大変うまかった。

    トイレに行きたいのでMudiには先に行ってもらい、そしてまた一人で淡々と残り距離を減らしていく作業へ。もう残りは平坦なので時間は気にしない。遠目のところをカンガルーらしきものが横切ってテンションが上がった。ワラビーかもしれない。

    Mandurahの街の手前で湖のほとりで一度軽量化休憩。車で回っているロードサイドカメラマンが声をかけてくれた(割腹のよいスタッフの方で至る所に出没して写真を撮っていたのだが、名前を覚えられなかったので、ヘイ!ロードサイドカメラマン!と呼んでいた。失礼。)。

    思わず写真を撮ってしまった。ペニーワイズいそうじゃない?

    1127kmのMandurahの町。Mandurahも一応コントロールなのでレシートなりを取っておこうと思い、ビーチサイドの商店街の適当な店でお昼ご飯。ラム肉のパイっぽいやつ。テラス席で食べていると先に行っているはずのMudiがやってきた。どうやらアキレス腱を痛めたらしく、残りはゆっくりいくと。

    Mandurahの街中の信号。PAP、スタート直後からサイクリングロードだし、カントリーサイドに出れば信号なんていう文明は存在しないので、たぶん1000kmぶりぐらいの信号。そしてPAPで引っかかった信号はこれともう一つぐらい。たった二箇所のはず。これは快適である一方で海外ブルベの難しさの一つと言われる点で、自発的に止まらないと脚が休まらないというやつである。日本だと信号で強制的に脚が止まりますからね。

    Mandurahを出るとついにサイクリングロードに入る。まだ60〜70kmほど残っているが、ここからフィニッシュまではサイクリングロードのみである。事故の可能性も下がるしぐっと完走の可能性が高まる。

    後ろからScott一同、めちゃめちゃメリハリのある走りなので休憩は長いが走るペースは速く、あっという間に見えなくなった。そんなこんなで淡々と距離を減らしていくとScottが見えて来た。どうやら体調不良で集団から離脱してゆっくり行くと。なんじゃそりゃ。先に行ってくれとのことなのでまたフィニッシュで会おう!と声をかけて先へ。

    いよいよPerthの街が見えて来た。

    今回はトラッキングもされているし、そろそろ自分が到着するのも把握しているだろう、どのように迎えてくれるのだろうかと期待を膨らませてフィニッシュラインのBell Towerへ。時間は16時前。

    と思ったら、誰もいない。本当にこれがBell Towerなんだっけ?隣のビルだろうか?そもそもRWGPSのルートはどうなってる?たしかにここがフィニッシュとなっているぞとかうろうろしているとScottもやってきた。Mudiもやってきた。ScottがWayneに電話をかけると近くのバーにいるという。先に到着した面々と一緒にスタッフ一同も移動してすでに飲んでいるではないか。三人でThe Lucky Shagというバーへ移動してようやくここで祝福を受ける。

    Peteにブルベカードのチェックをしてもらい(Peteがスタンプ一個押し忘れてるけど)、メダルを受け取る。そしてそのままブルベカードもほいと渡された。ん?認定シールとか貼ってから返却するもんじゃないの?と思っていたが、そうでもない様子。このまま持ってけと。おおそういうのもあるのか。これがオージー流か。というか、日本もこれでいいのでは。

    そのままThe Lucky Shagでビールとフィッシュ&チップスでMudiやScottと完走を祝う。ゴール即ビールは良い文化。直にSachaも到着した(既出だが、Sachaは翌日の金曜を一日空けた後、土曜日曜で860kmのレースを走って無事に完走していた。化け物だ。)。

    後の面々は結構時間がぎりぎりになりそうということで、自分は日が暮れる頃に退出。ホテルは徒歩圏内だったので歩いて帰った。前泊と同じホテル。さっとシャワーを浴びて就寝しようと思ったが、残念なことにエアコンをつけるたびにブレーカーが落ちる部屋だったので、事情を説明して部屋を変えてもらった。帰ってきてシャワーを浴びたりで部屋を散らかしていたので、部屋の移動にえらい時間がかかったが、移動を終えて横になっているとそのまま寝落ちしていたようだ。19時ぐらいだろうか。

    PAP自体は23時クローズ。15分前の到着など、ギリギリ隊もドラマがあったようだ。ギリギリ隊はオーバーナイトコントロールで20分寝ただけで走行続行とか、いろいろと大変だったらしい。Margaret Riverでは参加者がベンチで寝ているところにWayneがふざけてダンボールをかぶせ、Audax Hotelと書くInstagramでしか見たことのないような光景もあったらしい(ほんとうにわるいオーガナイザーだと思う)。

    なにはともあれ、特にトラブルもなく、無事に完走したということで安心して寝た。

  • 2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Day 3 Nannup-Collie

    起きて準備をする。Nannupは今日まで。この日の夜はCollieという町のナイトコントロールになるので、荷物をきちんとまとめておく。

    5時半頃に準備をして出発しようとしたところに、Wayneがバンに乗って到着した。どうやらDNFした方を回収してきたようだ。そしてちょうど雨も降り出した。1日目、2日目に続いて3日目も雨である。

    ワタシ「前夜祭で四日とも天気はいいって言ってたじゃないか」

    Wayne「うぇっへっへー」

    こういう実に微妙な笑いで誤魔化すの、ブルベ界では世界共通なのかもしれない。

    この日も2日目に続いて結構タフなコースと予想される。Nannupから一つ大きな丘を超え、BridgetownやBoyup Brookを通過した後はKojonupまで延々とアップダウンが続くNothing Exists区間を行かねばならない。距離は300kmそこそこなので1日目、2日目より短いが、大変さはあまり変わらないだろう。

    Bridgetownに到着するまでに後続勢にばんばん抜かれる。オーストラリア勢、結構お腹が出ていたりするのだけど、とにかくガタイがよくてパワフル。今回の参加者は19人でちょうど自分が真ん中ぐらいで、毎日日付が変わる頃に到着して5〜6時頃に出発するというスケジュール感で走っているライダーでは最後尾という感じだったけど、その中では自分は圧倒的に脚力で負ける感じ。同じ時間に出てもオーバーナイトコントロールに到着するのは自分が1時間ぐらい遅い。PBPも70時間台で完走している人ばかりのようで、いやーただただ強いなと思うしかない。もうちょっと鍛えなあかん。

    Nannupを出て最初の町Bridgetown。さすがに補給を入れておかないとやばいだろうと思い、メインストリートのようなところを通過したのでこれ幸いとIGAへ入る。

    そしてBoyup Brookへ。766km地点。いよいよやばいというのでビジターセンターのトイレに駆け込む。PAPではキューシートがない代わりに、ブルベカードにやや詳細な情報が載っており、通過する町にスーパーがあるかどうか、公衆トイレがあるかどうか、ぐらいの情報がある。情報としては微々たるものだが、これだけが頼りだし、これ以上の情報は望むべくもない。

    トイレ休憩の後、通りに面したベンチに座って一休みしていると、昨日のシークレットコントロールにいたPhilとCarolが車で通りかかった。

    「ヘイ!マサル!もう終わりか!タクシー呼ぶか!」

    なんだとこのやろう。ということで、Kojonupに向かって走り出す。

    前回までの行き先Albany。今回はコースが大きく変わっているのです。

    直線のアップダウンしかない。途中で止まって補給食を食べたりする。ただ、Boyup Brookでフィルに声をかけられたときに「Kojonupまでにシークレットコントロールがあるぞ!」とも言っていたので、Kojonupまでがんばる必要はなさそうだ。たぶん道路脇の駐車場みたいなところに車を停めてシークレットをやっているのだろう。とはいえ、何もないのだが。

    Pマークを見つけたときは本当にうれしかった。人と会話ができる!

    だいぶやられ顔になっているけど、ハムチーズサンドに加え、スープを飲んで復活。このチキン味のスープがえらいうまかった。そしてKojonupへ。

    850km地点のKojonup。Kojonupまで来ると今度は進行方向を北へ変える。この変化だけでも気分転換になる。ナイトコントロールのCollieへ向かうという実感が湧くからだ。とりあえず、Kojonupでまたトイレへ行き、Darkanへ向かって走り出す。久々に掴んだ電波でSpotwallaを確認するも、前後は1時間以上離れているようで、まぁ今日はもう誰とも会わんなという状況であった。

    日が暮れる。これこれ。こういう景色がいいんだよ。こういうオダックスライドがしたい。こういうのでいいんだよ。などと一人でぶつぶつ。

    で、急に現れたのが羊の群れ。なんだよこれ。ちょっと圧倒されてしまった。迂回路はないんだぞ。どうしろというのだ。しかし私はPAPで学びました。ここまで散々、牛、馬、羊をコース沿いで見てきたのです。牛は人が来るとじっとこっちを見て目で追いかける、馬は人を無視して草を食べ続ける、羊は写真を撮ろうと柵に寄っていくと一目散に逃げていく、という傾向があることを実体験として学んでいたので、これは真ん中に突撃すればモーセのように群れが割れるだろうと。ということで、ライトを全開にして羊の群れに突っ込みます。メー!メー!と好戦的なやつもいたけど、そんなのはごく一部なので逃げ惑う羊の群れの真ん中を無事突破。

    その先にシークレットコントロールで今度はPhilとCarolがいた。親離れさせられた羊の子の群れが親の群れのいる放牧地の前に集合しているのだと(親子が逆だったかもしれない)。また、ここまで読んでいると地名に「〜up」というものが多いなということに気づくと思うけど、Phil曰くアボリジニの言葉で「水のあるところ」という意味らしい。なるほど。のんびりと二人と喋っていると随分時間を使ってしまったので、すっかり日も暮れた。次のDarkanへ真っ暗な中を淡々と。

    Darkanは932km地点。ここにはWayneとAdrianoがいた。元々指定されていた街のホテルは当然のように閉まっているので、さてどうしたものかと思っていたら、「こっちこっちー!」と呼ぶ声がする。

    いろいろと補給できて助かった。自分の到着時は寒さがそれほどでもなかったので屋外で休憩していたけど、元々冷える地域らしく、後続組は、バスの中で休憩、そしてヒーターをつけ、最後には近くにあった完全に屋根と壁で防御されている公衆トイレの中で補給をしたそうだ。そこは数時間前にわしがPeeをしたとこやで。

    DarkanからCollieへ向けては多少アップダウンがあるけど、そんなにひどいものではないよという(オージーの言葉がアテにならないことは学んでいるが)。残り64km、日付が変わるまでに到着するといいなーと出発。たしかにそんなにアップダウンはひどくない。ただ路面があんまりよくない。日本の雪国のようだ。Collieは鉱業の町らしく、大きいトラックがばんばん通っている。そういう影響かもしれない。あと、単調過ぎて眠くなってだいぶペースダウンした。

    それにしてもこの区間を走っている時の満天の星空はすばらしかった。3日目にして夜にすかっと晴れているのは初。こんなにも星空がきれいだとは。思わず前照灯を消して星空を見上げていた。この景色は到底写真には収められないが、生涯忘れることはないだろうという美しさだった。Sachaがあれはstunningだったと言っていたけど、そう、beautifulどころではなかった。

    そんなこんなで996km地点のCollieへは0019に到着。310kmぐらいに19時間近くかかっているので3日目が一番大変だったかも。ここは地元のサッカークラブのクラブハウスのようなところがコントロールになっている。

    シャワーを浴び、飯を食う。4日目は200kmしかないし、5〜6時ぐらいに出れば日が暮れる前にフィニッシュに到着するだろうということで、ライトの充電はなし。Garmin Edgeも拡張バッテリーと合わせれば余裕で200kmは持ちそうなので、そういった電源の補充は一切やらず、自分の身なりだけを整えてさっさと寝た。