Category: diary

  • 20251209

    昨日の夜の地震は関東でもながーく揺れて嫌な感じであった。この時期の地震は大変そうだ。Abemaのニュースつけっぱなしで寝てたので6時頃にうるさくて起きた。仕方なしに朝からZwiftでワークアウトをやってみたが、まったく運動できていないのですごい勢いで息切れした。今年はここまでZwift含めて9000kmしか乗ってないが、そのうち5000kmは4本の1000km以上のブルベで走った分だしなぁ。仕事ばっかりしてた気がする。

  • 20251207

    体調はすこぶるよいのだが、どうも喉の調子があんまりよくないので外に出る気にならず。寒いし。

    フレームの修理は凹んだところを埋めてしまえばなんとかなるのではという当初のプランでは上手くいかないようで、結局ダウンチューブを丸ごと交換してもらうことになった。同じ径だと全く同じところに再度溶接することになるので、若干径の太いパイプでやりましょうと言うことになった。ほほーんそういうものかと思ったけど、これはビルダー様にお任せ。

    分解ついでなのでリアのタイヤのクリアランスももうちょい広げて、35c前後をゆとりを持って装着できるようにしてもらうことにした。40cはどうかなと思ったけど、さすがに40cになると別のフレームを用意したほうがよさそうというのが二年前の冬にしばらく35cにして乗った時の実感だし、40cとかまでタイヤが太いとギア比も変えたくなるしの。

  • 20251203

    全然タスクが片付かない。自宅から出ずにひたすらパソコンの前に座っているだけなのでそろそろガツンと気分転換したいところだが。

  • 組合

    労働組合の解散における組合費の積立金の処分方法について学びがあった今日この頃であった。難しいもんだな。

  • 20251128

    朝起きて寝るまで仕事してるだけの一週間であった。残課題は週末にやればええやろというのは非常によくない。やるんだが。

  • 20251124

    三連休、土曜と日曜の午前中は自転車に乗ったが、他の時間は来週の自分を楽にするための作業をしていた。来週が終われば一段落するはずなのだが。

    マイルチャンピオンシップはジャンタルマンタルの完勝だった。日本のマイル路線では敵がいないな。

  • カンボジアの記録(後編)

    ゴール後の11月4日。ゴールしてホテルに戻って寝ていたら、7時頃にSadaからの電話で叩き起こされた。表彰式をやるのですぐにMinistry of Tourismまで来いとのこと。

    自転車で行くのは面倒なのでトゥクトゥクを捕まえて現地へ。

    観光省がバックアップしているらしく、大臣からメダルをもらった。

    Sadaやその他の参加者の方にも礼を言って表彰式から撤収。ホテルで自転車のパッキングをしていると、Ooiさんがひょっこり現れた。同じホテルに泊まっているので昼飯でも行こうぜと。

    Ooiさんの定宿なので全部お任せで近くのタイ料理屋へ行く。Ooiさんによると、カンボジアとタイの国境付近で紛争をやっていて死者も出ているので、カンボジア国民のタイに対する感情は決してよくないらしく、タイ料理屋は昼飯時なのにガラガラであった。そもそも今回の1000kmも元々はタイ国境すれすれまで行って国境沿いに北上するコースだったのだが、「日本の外務省が渡航警戒レベルを引き上げてるし今の状況やったらワシは行かんぞ」と言ったらコースが変更になって国境まで行かないことになったのである。Sadaによると他の参加者からも同様の懸念を伝えられたらしい。しばらくしてOoiさんのカンボジアの友人も合流した。

    ホテルに戻ってチェックアウトの準備。いいホテルだった。

    そしてそのカンボジアの方の車で空港まで送ってもらった。ありがたい。

    彼は不動産ディベロッパーをされているそうで、最近のプノンペンの開発事情を話してくれた。自分が泊まっていたようなエリアは最近どんどん開発が進み、日本円で億レベルの物件も増えてきているそうだ。この10年ぐらいでガラリと街の景色が変わったとのことであった。仕事柄、経済指標などはよく見る方だけど、カンボジアといえば国の平均的な所得は東南アジアで最低レベルである。プノンペンだけではそうは思えないが、プノンペンと地方部の格差が大きく、地方はまだ電気も十分に使えない状況だそうだ。空港に迎えにきてもらたった際にSadaから聞いたが、「プノンペンでは最近はBYDのEVも増えてきているが、地方ではEVなんて使えないと思う」とのことであったし。その他の生活水準もプノンペンと地方ではまったく異なる。それは走ってみて実感した。

    一仕事終えたOoiさんも空港へ到着し、しばしカフェで雑談。Ooiさんはマレーシアには戻らず、そのままタイへ移動して仕事だそうな。カンボジアの前は日本に出張していたというし、忙しい人だな。自分は香港経由で帰国へ。

    翌5日の6時半頃に成田へ到着。大急ぎで成田エクスプレスに飛び乗り、9時過ぎに武蔵小杉へ到着。タクシーで自宅に戻ってすぐに仕事を開始した。

  • カンボジアの記録(前編)

    今年は1000kmを走ってないなというのと、Audax Cambodiaの代表であるSadaさんから直接メッセージをもらったというのもあって、カンボジアの1000kmへ遠征してきた。夏に北海道から帰ってくる際に自転車が破損したのでどうしようかとぐずぐずと悩んでいたが、10月半ばに「やっぱ行くわ」と連絡して(この一言でエントリーが済んだ)、航空券を押さえ、ビザを取得して準備は完了。TelegramのAudax Cambodiaのグループであれこれ発言しているとマレーシアのOoiさんが「自分がいつもプノンペンで定宿にしているホテルに泊まれ」と紹介してくれた。彼は2017年のイザベラヘブンの不老ふ死温泉で同部屋になった方である。そして1000kmには参加できないけど、同じタイミングでプノンペンにいるのでぜひ会おう、同じホテルに泊まれということであった。

    10月29日に仕事を切り上げて成田へ。カンボジアへは直行便がないので、キャセイパシフィックで香港でのトランジット便である。香港、あまり縁がないが、10年以上前に南アフリカ出張に行った際に香港で乗り換えをした時以来だろうか。

    翌30日の午前中にテチョ国際空港へ到着。テチョ国際空港は今年の9月に開港したばかりの新空港である。プノンペン市内の国際空港が手狭になったため、郊外へ新空港を建設し、国際空港機能を移転させたとのことであった。入国もスムーズで顔認証だけであっさり通過。空港からの移動については代表のSadaが迎えにきてくれるというので申し出に甘えることにした。

    ホテルまで運んでもらい、ついでにジャージやブルベカード、ゼッケンプレートなどを受け取った。とりあえず自転車を組み立てて走りに出る。

    プノンペンはカフェがたくさんあるそうで、ブラブラと走り回った後、テキトーなカフェに入った。

    そして宿に戻って夕飯へ。宿から歩いて行ける範囲で見つけたカンボジア料理の店へ。現金しか使えず、ドルで払ったらお釣りはリエルで返ってきた。これがスタンダードらしい。

    31日は一日空いているので自転車でプノンペン周辺をウロウロする予定である。その前にBakong Tourists AppをインストールしてQRコード決済の準備である。今回は自宅にあったドル紙幣を100ドル分ほど持ってきているだけである。カンボジアのリエルは持ってきていない。このアプリがあれば十分らしいのだ。

    入金はRevolutのデビットカードで。近年、クレジットカードの為替手数料が値上げされているのでなかなかバカにならない感じになってきている。一回の決済だけで見ると大した額ではないが、積み重なるとそこそこの額になる。そこで、以前に登録だけして使っていなかったRevolutで外貨を調達した。同様にWiseも登録するだけして使ってないので、今後はこういったサービスを活用したい。

    というか、為替の予測は難しいものであるが、今の円ユーロのトレンドを見ていると、PBP2027に向けて今の段階でRevolutでユーロを調達しておいてもいいのではという気もしている。

    閑話休題。

    よみがえるカンボジア通貨リエル デジタルで拓く小国の生きる道 – 日本経済新聞

    Bakong Tourists Appは国内で使われている複数のQRコード決済に対応したアプリで、カンボジア中銀が開発したものだという。普及率はすごいもので、1000kmも走れば田舎にも行くわけだが、一度も現金を使う必要はなかった。カンボジア滞在の間でも現金を使ったのは上記のレストランと他にもう一回だけで、たった二回だけであった。あとはすべてBakongでのQRコード決済かRevolutのVISAタッチ決済であった。ただ、カンボジア国内は商品の値段をドル表記しているところと、リエル表記しているところ、両方併記しているところがあってなかなかややこしい。リエル表記しているところで「ドルで払いたい」といえば、1ドル=4000リエルで計算してドルで払えることもあった。その逆も然り。

    決済準備をしたので、まずは自転車でトゥール・スレン虐殺犯罪博物館へ。クメール・ルージュの時代の政治犯の収容所だった場所である。日本語の音声ガイドを聞きながら二時間ほどかけて見学。音声ガイドも「ここからは凄惨な内容なので気分が悪くなった方は一度外へ出て休憩してください」と何度も言っていたが、目を背けたくなるような写真が展示されていて、とても気持ちは重かった。ちょっとこれはメンタルに来るなという展示物もあり、自分も外で休憩したりしつつ一通り見学した。

    S21 (トゥール・スレン) – Wikipedia

    そしてプノンペンの郊外にあるキリング・フィールドへ。これはトゥール・スレンの収容所に収監されていた方々が最後に送還された処刑場である。ここも音声ガイドがあったので借りたが、博物館以上にメンタルに来る内容で、見学順路沿いにあるベンチで休憩しつつの見学であった。

    キリング・フィールド – Wikipedia

    その後はプノンペン市街地を適当に走り回り、宿に戻った。結構暑かったので塩分チャージタブレッツ持ってくればよかったなと思って近くのコンビニへ行ったがそんなものはなかった。

    宿から歩いて行ける範囲にあったイオンモールへ行って夕飯にした。日本と変わらないイオンモールであった。

    スーパーのフロアに行くと品揃えもほぼ日本と同じ。塩分チャージタブレッツもあった。翌日以降の補給食もいくつか買っておいた。

  • 20251121

    周辺環境がザワザワしておりなかなか集中して取り組むのが難しいが、仕事のタスクだけは積まれているのでせっせと処理していかねばならん。

    神奈川県の免許証の更新、今年から予約が必須になったらしく大変めんどい。更新の期限内ではほとんど予約が取れないのだが。県の免許更新センター(二俣川)、川崎警察署でいろいろ検討して、なんとか期限ギリギリのタイミングで枠を確保した。予約必須にするのは分からんでもないが、向こう三週間は全然枠が空いてないのはさすがに困るな。

  • 20251116

    先週、先々週と出払っていた結果、仕事のタスクが溜まっていたので、ちまちまとこなしていた。喉の調子もあんまりよくないので近所のコメダまで自転車で行った以外は自宅で引きこもっていた。

    エリザベス女王杯は買う気にならずでケン。レガレイラが順当勝ちといったところ。