Category: randonneuring

  • カンボジアの記録(後編)

    ゴール後の11月4日。ゴールしてホテルに戻って寝ていたら、7時頃にSadaからの電話で叩き起こされた。表彰式をやるのですぐにMinistry of Tourismまで来いとのこと。

    自転車で行くのは面倒なのでトゥクトゥクを捕まえて現地へ。

    観光省がバックアップしているらしく、大臣からメダルをもらった。

    Sadaやその他の参加者の方にも礼を言って表彰式から撤収。ホテルで自転車のパッキングをしていると、Ooiさんがひょっこり現れた。同じホテルに泊まっているので昼飯でも行こうぜと。

    Ooiさんの定宿なので全部お任せで近くのタイ料理屋へ行く。Ooiさんによると、カンボジアとタイの国境付近で紛争をやっていて死者も出ているので、カンボジア国民のタイに対する感情は決してよくないらしく、タイ料理屋は昼飯時なのにガラガラであった。そもそも今回の1000kmも元々はタイ国境すれすれまで行って国境沿いに北上するコースだったのだが、「日本の外務省が渡航警戒レベルを引き上げてるし今の状況やったらワシは行かんぞ」と言ったらコースが変更になって国境まで行かないことになったのである。Sadaによると他の参加者からも同様の懸念を伝えられたらしい。しばらくしてOoiさんのカンボジアの友人も合流した。

    ホテルに戻ってチェックアウトの準備。いいホテルだった。

    そしてそのカンボジアの方の車で空港まで送ってもらった。ありがたい。

    彼は不動産ディベロッパーをされているそうで、最近のプノンペンの開発事情を話してくれた。自分が泊まっていたようなエリアは最近どんどん開発が進み、日本円で億レベルの物件も増えてきているそうだ。この10年ぐらいでガラリと街の景色が変わったとのことであった。仕事柄、経済指標などはよく見る方だけど、カンボジアといえば国の平均的な所得は東南アジアで最低レベルである。プノンペンだけではそうは思えないが、プノンペンと地方部の格差が大きく、地方はまだ電気も十分に使えない状況だそうだ。空港に迎えにきてもらたった際にSadaから聞いたが、「プノンペンでは最近はBYDのEVも増えてきているが、地方ではEVなんて使えないと思う」とのことであったし。その他の生活水準もプノンペンと地方ではまったく異なる。それは走ってみて実感した。

    一仕事終えたOoiさんも空港へ到着し、しばしカフェで雑談。Ooiさんはマレーシアには戻らず、そのままタイへ移動して仕事だそうな。カンボジアの前は日本に出張していたというし、忙しい人だな。自分は香港経由で帰国へ。

    翌5日の6時半頃に成田へ到着。大急ぎで成田エクスプレスに飛び乗り、9時過ぎに武蔵小杉へ到着。タクシーで自宅に戻ってすぐに仕事を開始した。

  • Audax Cambodia Tour the Tonle Sap 1000km

    ភ្នំពេញ-បាត់ដំបង-បន្ទាយមានជ័យ-សៀមរាប-កំពង់ចាម-ស្វាយរៀង-ព្រៃវែង-ភ្នំពេញ 1012គម · Ride with GPS

    見ての通りド平坦である。ケツが死ぬであろう。Tonle Sapというのは湖であり、東南アジア最大らしい。

    トンレサップ – Wikipedia

    4時スタートなので2時半頃には起きて、買っておいた飯を食べ、ホテルをチェックアウト。スタートまでは10分もかからない程度の距離。まだ代表のSadaは来ていない。

    Day 1: Phnom Penh – Sisophon 359km

    スタートが近づくにつれわらわらと集まってくる自転車乗り。1000kmの参加者自体は20人もいないはずだが、カンボジアでの初の1000kmということもあり(Audax Cambodiaができたのが2023年)、大勢の方が見送りに来られていた。警察の方もいたがとても友好的で、話を通してあるんでしょうな。ラウンドアバウトの真ん中で自転車乗りが道路にはみ出してたむろしているが、警察の方も特に怒る様子はなし。ゆるい。

    定刻の4時にスタート。プノンペンの街中を抜けて郊外へ。塩梅がまったくわからんが先頭集団がとにかく速い。SadaとかMTBだけどそんなペースで行くの?と戸惑った。35km〜40kmでPBPの最初みたいやな〜と思っていたら、しばらく集団の後ろについてきていたフランスの方(二ヶ月ほどカンボジアに滞在して600kmに参加したらしいが翌日帰国するので1000kmは不参加)が、「彼らは600km以上の経験がないから長距離を走るペースを知らんのだよ」と言っていた。彼は50kmぐらいのところで折り返してプノンペンへ戻っていった。ACPのCoppin会長やFaburelさんと知り合いらしい。またPBPで会いましょう。

    自分は早々に集団から離脱したのと、途中でガソリンスタンド併設のコンビニで休憩していたので遅れてしまったが、メイン集団は約100km地点のPC1まで三時間かからずに到着したらしい。マジかよ。自分はそこから一時間ほど遅れて到着。もう後ろには一人しかいないとのこと。これがカンボジアブルベのペースなのだという。さすがに最後までこのペースで行くわけではないと思うけど。

    PC1を出ても誰もおらず。パンクしたり、休憩したり、昼飯食ったりでもう誰も会わんかもなという状況で、一人でゆるりとPC2へ到着。ここも有人チェック。ようやく他の方にも遭遇した。

    PC2を出ると昼飯を食ってたっぽい面々がいて、近くにまだ誰かいそうだと判明した。ダントツの最後尾ではなさそうだ。

    前方に不穏な雲。

    そして豪雨。これはちょっとやべえなというレベル(恐怖で心拍が上がるタイプの豪雨)なので思わず近くのカフェの軒下に避難。お店の方もそこらへんで座っててええぞという様子だったのでありがたく使わせてもらった。全然雨足が弱くならないので一時間ぐらい足止めを食らった。そんな中、代表のSadaが果敢に前進していったが、この雨の中走るのはこの国では通常営業なのだろうか。足止めを食らっている間に、今日はSisophonまでは行けるだろうと思い、適当に見繕っておいたSisophonの宿を予約しておいた。

    雨が上がってようやく再開。少し走るともう路面は濡れていなかった。局所的な豪雨というやつなんでしょうな。これは翌日以降も遭遇することになる。適当なところで休憩を入れつつ進むが、本当にど平坦かつ景色の変化もないのでなかなか退屈ではある。大平原、たまに町、大平原、たまに町の繰り返し。

    Battambangという街でPC3を通過。すぐそばにスターバックスがあったので入った。閉店準備をしていたが最後の客ということでOKしてもらい、ホットコーヒーとパンを二つ。

    ここからはナイトライド。そしてひたすら平坦。Sisophonへ向かう。

    22時に到着してセブンイレブンへ。夜食を買って昼間に予約したホテルへ向かう。しかしここでトラブル発生。地図の場所へ行ってもホテルらしきものが見当たらない。何度も行ったり来たりしたり、近くにいた地元民を捕まえてこのホテルはないかと聞いたり、近くの民家にお邪魔してこのホテルはないかと聞いても、誰もそんなホテルはないという。困った。このまま探していてもダメそうなので代表のSadaに電話すると、「Sisophonならここへいってみるといい」というアドバイスをくれた。他のカンボジア人の参加者が泊まっているらしい。ホテルの方に聞くとまだ一部屋空いているというので滑り込みで入れてもらった。ダメだったらその辺の軒先で野宿にするかと思い始めていたので助かった。

    存在しないホテルのキャンセル処理をし、とはいえ当日キャンセルなのでキャンセル料がかかると表示されるので、Booking.comに「これは存在しないホテルである。詐欺である。キャンセル料を払うつもりはない」と苦情を入れておいた。DisputeがOpenしたが(たしかアリエクとかでもこの表現だと思うが紛争を開始したっていう仰々しい感じで好き)、相手方のホテルからの反応はなく、今のところキャンセル料は請求されていない。

    Day 2: Sisophon – Chamkar Leu 674km

    4時半にリスタート。まずはSisophonのPC4を通過したいが、ここはQRコードチェックである。TelegramでQRコードの周辺の写真が共有されていたが、全然見つからず。他の参加者もいろいろと投稿しているが、ボイスメッセージなのでまったくわからん。クメール語は書き言葉だと長くなるとかタイプが面倒だとかそんな理由ではなかろうか。このブルベの参加者だけではなく、プノンペンでもボイスメッセージでやり取りしているシーンをよく見かけた。

    行ったり来たりしていたが、もう見つからんなと思い、Sadaとその息子さん(今回スタッフとして車で巡回している)に「PC4のQRコード見つけられんわ!でもここにはいたからよろしくな!」と写真だけ送って出発した。

    と走っていると、後ろからSadaとSreyがやってきた。そして集団でピャーと行ってしまった。しばらく進んだ先の街でSadaが朝飯で止まっていたのでそこに混じって朝飯。米、肉、野菜、スープで日本人の口にはよく合う味付けである。補給としても最適。この後、自分はSiem ReapでAngkor Watに行きたいとSadaに言ったら、「コース通りじゃなくていいから最短ルートでこう行って、Siem ReapのPCへはこう行け」と教えてくれたのでありがたく従う。ブルベ原理主義者には怒られそうだが。

    暑いので水分補給を随時入れつつシェムリアップ方面へ。

    そしてAngkor Watへ。入場には公式アプリをダウンロードして37ドルのチケットを買えとか言われたので、前を通って何枚か写真撮りたいだけなのになと思って係員に交渉したらフリーで通してくれた。すまんの。ここは外国人観光客だらけで日本語も普通に聞こえてきた。

    Angkor Watの後はジャンクなものが食いてえなとSiem Reapならマクドナルドとかないんかと地図を見てみたが、どうもなさそうであったので、通りすがりに見つけた露店で昼飯。

    Siem ReapのPC5でフィリピンのGiovanniさんと遭遇。今回国外から参加しているのは我々二人である。QRコードはこういうのが貼ってあるだけで、ここからGoogleフォームにアクセスして通過のチェックをする。しかし、貼ってある場所の周辺の景色は事前に共有されていないし、ブルベカードに記載されている距離も1km刻み(小数点以下はない)かつ全然距離が一致していないし、そもそもキューシートも存在しないので一人で見つけるのは無理ではという感じ。

    Siem ReapはAngkor Watを擁する観光都市なのでなかなか活気があった。

    途中の町にて。お祭りだろうか。ノリノリであった。大渋滞だったが。

    ガソリンスタンド併設のコンビニやカフェが補給地点となる。Sadaからは「特に外国からの参加者は露店の水や氷には気をつけろよ」と言われているので、なるべくちゃんとしたところで水を買う。

    そろそろ日が暮れそうだったので軽く飯を食う。プノンペンスタイル!

    PC6に向かう途中で突然のグラベル。この国は幹線道路を外れると未舗装になるんだな。

    そしてPC6まで1kmもないというところで突然の豪雨。これまたかなわんと思って、近くの自動車修理工場の軒先に逃げ込んでしばらく休憩させてもらった。親切な一家で方で水をくれた。雨が止んで少し走ると路面はまったく濡れていなかった。やはり局所的な通り雨であった。突破してもよかったな。

    PC6もQRコードチェックなのだが、例によってどこにあるかがわからない。たまたま巡回中の息子くんがすぐ隣のガソリンスタンドに滞在中で、「ここ!」って声をかけてくれたので発見できたが。

    この町のリゾートホテルみたいなのを見繕っていたのだが、まだ全然寝る時間じゃないので先へ進むことにした。この先のChamkar LeuというPC7のある町でいくつかゲストハウスがあってたぶん泊まれるだろうとアドバイスをいただいたので、そこで宿を探すことにする。

    この先は多少アップダウンがあるが、それでも標高100mにも行かない程度である。そしてなんとここまで600km以上走っているが、獲得標高は600mにも満たない程度。とにかく平坦なのだ。足を止めても進むような下りはないので、ペダルを回し続けないと進まないのはなかなかキツい。ようやく多少上りが出てくるので気分が変わるかなと言うところだが、全然斜度はないゆるゆるの上り(アウターで普通に行けるレベル)なので気分転換にもならず。そしてまたまた強い雨が降ってきたのでガソリンスタンドへ避難したり。

    夜は道路に出てきている犬が多くて困った。そして途中で犬を一頭轢いた。道路の真ん中でぼーっとしていたので、目の前に見えた時に「わん!」て言ったら驚いてこっちに突っ込んできた。仕方なかった。「キャン!」と言う鳴き声と踏んだ感触はあったが、暗くてよくわからずであった。すまんかった。時々ファイティングポーズを取る犬がいたのでそういうときはダッシュで逃げる。

    PC7の町に到着。ここもQRコードチェックなのだが当然見つけられるわけもなく、翌朝探すことにしてまずはゲストハウスを探す。一軒目はどこから入っていいのかよくわからなかったので、二軒目へチャレンジ。ゲートが閉まっていて何度も叩いて「エクスキューズミー!」と騒いでいても特に反応がなかったのでここもダメかと諦めかけたところで中の人が出てきた。一人なら入れてやるとのことだった。助かった。

    Day 3: Chamkar Leu – Phnom Penh 1011km

    お世話になりました。

    PC7があるはずのところへ行くと他の参加者の方がいたのであっさり発見できた。助かった。これもまた一人だと分かりづらいよなぁ。

    しばらく走って朝飯休憩。1.25USD。やはり麺より米である。

    メコン川を渡る。

    休憩を入れつつ東へ進み、ようやく南方面へ進行方向が変わる。ずっと南東方向へ走ってきていたので、まっすぐ南へ行くだけでだいぶ気分が変わる。そしてまた雨。

    国道っぽいところから一本外れたところへ入ってあまり路面がいい感じではなくなったので、これ以上悪くならんでくれよと祈る気持ちで進む。

    あまーいアイスコーヒーで休憩。電波の圏外でQRコード決済が使えんなと困っていたらようじょが彼女のスマホのテザリングを使わせてくれた。親切。

    とかやっていると激しい通り雨。そして例によってPC8がまったく見つからない。ブルベカードに記載されている距離と余分に走った距離を考えてもどこかにあるはずなのだが、先行している参加者がTelegramのグループに投稿しているPC8の景色も出てこない。そしてグラベルにもなり、路面がボッコボコになり始めたのでこっちに意識が取られる。

    で、追い討ちを描けるようにiPhoneがロック。雨が降って誤動作でもしたのだろうか、三時間は使えないとのこと。これはまいった。予備のスマホはあるけどpovoを差してあるだけで海外用の設定はしてないし、そもそもWi-Fiを掴まないと海外ローミングのトッピングの購入もできんしなぁ。ということで、PC8を見つけるのは諦めた。サイコンのログでこれで許してもらおう。

    この先はまったく舗装されていない道が100km近く続きそうな雰囲気である。コース沿いの店で休憩しているDeepakさんを発見。プノンペン在住のインド人ということで英語も問題なく通じるしで、この方と一緒に行くことにする。二人ともリムブレーキなのでドロドロボコボコのグラベルに大苦戦。進むには進むけど、この先の距離を考えるとだいぶ時間がかかるな。ずっと舗装路の想定で日付が変わる前にはプノンペンに辿り着くなと思っていたのだが。

    地面がどうなっているかわからんのでここは押し歩きで突破。こういう場所が何箇所かあった。Deepakさんはヒャッホーのノリで乗車したまま突破していた。

    少し先行したDeepakさんが「RWGPSで指定されたルートを進むと道路が水没して道路がなくなっている」と引き返してきたので、迂回を検討せざるをえない。さらに我々のやり取りに入ってきた道端の民家の方が「この先へ行くのはやめた方がいい」と言うので、Deepakさんと相談してかなり遠回りになるけど引き返して国道へ戻ろうということに。

    国道に出るまでもグラベルでなかなか大変であった。国道に合流するところで民家の方にお願いして水浴びをさせていただいた。日本人が珍しいのか、娘さんと腕を組んで写真を撮った。ついでにビールもくれた。感謝。

    国道に戻ればそこそこ快調に進む。自分が飯で離脱したのでDeepakさんとはお別れ。閉店間際のところで余り物の肉をかき集めてもらった。

    そしてPC10のSvay Riengに到着。当然のことながらQRコードを発見できない。この辺だろうという景色を取って、Sadaとその息子くんに「いまPC10!PC8、PC9、PC10は発見できんかったぞ!」とメッセージを送っておいた。

    PC10を通過すると、あとは国道1号でプノンペンに戻るだけ。

    Leuk Daekというところにあるツバサ橋。本ブルベの最大斜度はこの橋の登りだったのではという気もする。

    Neak Loeung Bridge – Wikipedia

    コーラ休憩。

    淡々と残り距離を減らしていって、プノンペンの中心部に戻ってきた。

    日付が変わった2時前にようやくフィニッシュ地点のWat Phnomに到着。RWGPSでは1010kmのコースだったが、走行距離は1046kmになっていた。ホテルが見つからなくて行ったり来たりしたのとか、PCが見つからずにウロウロしてたのとか、迂回とかでだいぶ余分に走ってしまった。先にゴールしていたChenさんと写真を取って解散。

    日本人なのでこういうのがいいです。

    ちなみに、Finishを含めるとチェックは11箇所。最初の3箇所は有人チェックで道路沿いに車が泊まっていたのですぐに分かったが、その後の8箇所で自分でちゃんとQRコードを見つけられたのは2箇所である。他はQRコードの場所を発見できなかった。帰ってから分かったことだが、Sadaから共有されたRide With GPSのルートがそもそもPC4やPC8の場所を通っていないというもので、こりゃぁあかんわと言う感じ。公式のRWGPSがPCを通っていないとか、どういった景色のところにPCがあるのかわからんとか、運営も改善する点がありそうなので、これは日本の知見を伝えた方がいいのではと思い、RWGPSやキューシートの例を共有しておいた。

  • カンボジアの記録(前編)

    今年は1000kmを走ってないなというのと、Audax Cambodiaの代表であるSadaさんから直接メッセージをもらったというのもあって、カンボジアの1000kmへ遠征してきた。夏に北海道から帰ってくる際に自転車が破損したのでどうしようかとぐずぐずと悩んでいたが、10月半ばに「やっぱ行くわ」と連絡して(この一言でエントリーが済んだ)、航空券を押さえ、ビザを取得して準備は完了。TelegramのAudax Cambodiaのグループであれこれ発言しているとマレーシアのOoiさんが「自分がいつもプノンペンで定宿にしているホテルに泊まれ」と紹介してくれた。彼は2017年のイザベラヘブンの不老ふ死温泉で同部屋になった方である。そして1000kmには参加できないけど、同じタイミングでプノンペンにいるのでぜひ会おう、同じホテルに泊まれということであった。

    10月29日に仕事を切り上げて成田へ。カンボジアへは直行便がないので、キャセイパシフィックで香港でのトランジット便である。香港、あまり縁がないが、10年以上前に南アフリカ出張に行った際に香港で乗り換えをした時以来だろうか。

    翌30日の午前中にテチョ国際空港へ到着。テチョ国際空港は今年の9月に開港したばかりの新空港である。プノンペン市内の国際空港が手狭になったため、郊外へ新空港を建設し、国際空港機能を移転させたとのことであった。入国もスムーズで顔認証だけであっさり通過。空港からの移動については代表のSadaが迎えにきてくれるというので申し出に甘えることにした。

    ホテルまで運んでもらい、ついでにジャージやブルベカード、ゼッケンプレートなどを受け取った。とりあえず自転車を組み立てて走りに出る。

    プノンペンはカフェがたくさんあるそうで、ブラブラと走り回った後、テキトーなカフェに入った。

    そして宿に戻って夕飯へ。宿から歩いて行ける範囲で見つけたカンボジア料理の店へ。現金しか使えず、ドルで払ったらお釣りはリエルで返ってきた。これがスタンダードらしい。

    31日は一日空いているので自転車でプノンペン周辺をウロウロする予定である。その前にBakong Tourists AppをインストールしてQRコード決済の準備である。今回は自宅にあったドル紙幣を100ドル分ほど持ってきているだけである。カンボジアのリエルは持ってきていない。このアプリがあれば十分らしいのだ。

    入金はRevolutのデビットカードで。近年、クレジットカードの為替手数料が値上げされているのでなかなかバカにならない感じになってきている。一回の決済だけで見ると大した額ではないが、積み重なるとそこそこの額になる。そこで、以前に登録だけして使っていなかったRevolutで外貨を調達した。同様にWiseも登録するだけして使ってないので、今後はこういったサービスを活用したい。

    というか、為替の予測は難しいものであるが、今の円ユーロのトレンドを見ていると、PBP2027に向けて今の段階でRevolutでユーロを調達しておいてもいいのではという気もしている。

    閑話休題。

    よみがえるカンボジア通貨リエル デジタルで拓く小国の生きる道 – 日本経済新聞

    Bakong Tourists Appは国内で使われている複数のQRコード決済に対応したアプリで、カンボジア中銀が開発したものだという。普及率はすごいもので、1000kmも走れば田舎にも行くわけだが、一度も現金を使う必要はなかった。カンボジア滞在の間でも現金を使ったのは上記のレストランと他にもう一回だけで、たった二回だけであった。あとはすべてBakongでのQRコード決済かRevolutのVISAタッチ決済であった。ただ、カンボジア国内は商品の値段をドル表記しているところと、リエル表記しているところ、両方併記しているところがあってなかなかややこしい。リエル表記しているところで「ドルで払いたい」といえば、1ドル=4000リエルで計算してドルで払えることもあった。その逆も然り。

    決済準備をしたので、まずは自転車でトゥール・スレン虐殺犯罪博物館へ。クメール・ルージュの時代の政治犯の収容所だった場所である。日本語の音声ガイドを聞きながら二時間ほどかけて見学。音声ガイドも「ここからは凄惨な内容なので気分が悪くなった方は一度外へ出て休憩してください」と何度も言っていたが、目を背けたくなるような写真が展示されていて、とても気持ちは重かった。ちょっとこれはメンタルに来るなという展示物もあり、自分も外で休憩したりしつつ一通り見学した。

    S21 (トゥール・スレン) – Wikipedia

    そしてプノンペンの郊外にあるキリング・フィールドへ。これはトゥール・スレンの収容所に収監されていた方々が最後に送還された処刑場である。ここも音声ガイドがあったので借りたが、博物館以上にメンタルに来る内容で、見学順路沿いにあるベンチで休憩しつつの見学であった。

    キリング・フィールド – Wikipedia

    その後はプノンペン市街地を適当に走り回り、宿に戻った。結構暑かったので塩分チャージタブレッツ持ってくればよかったなと思って近くのコンビニへ行ったがそんなものはなかった。

    宿から歩いて行ける範囲にあったイオンモールへ行って夕飯にした。日本と変わらないイオンモールであった。

    スーパーのフロアに行くと品揃えもほぼ日本と同じ。塩分チャージタブレッツもあった。翌日以降の補給食もいくつか買っておいた。

  • 北海道滞在記(後半)

    朝遅めに起きてダラダラした後、歩きたくないという御一行のご意見によりタクシーでサッポロビール園へ。

    最初の一時間ぐらいで思う存分食べ、後はその辺にいた方々との交流へ。楽しかったです。

    帰りは残った数名で徒歩で札幌方面へ移動。そのまま居残ってチコリンさんと台湾勢を囲む会に参加した。一旦ホテルに戻って狸小路をうろうろしているとトニーさんに出会ったので、近くにいたおーのさんも誘って二次会へ。

    翌16日は朝にBrianがホテルを出発して帰国の途へ着くことになっていたので見送りへ。

    昼飯はPatrickとColinと狸小路のスープカレー屋にした。一旦解散してから夕方にまた合流して、札幌駅北口の居酒屋ふるさとへ。前日のチコリン会と同じ系列の別店舗である。一昨年だったか自分が北海道に来た際にチコリンさんと飲みに行ったのも札幌駅北口のふるさとである。ここは美味い。

    17日、Patrickが4時半頃にホテルを出発して空港へ向かうことになっていたのでお見送りへ。その後、Colinも9時のバスで空港へ向かうことになっていたのでこちらもお見送り。Colinの見送りにはMayとDindoも出てきたので、そのままこの二人とコメダで朝飯へ。

    この二人も11時半に空港へ向かうお迎えが来ていたので見送って、これで全員撤収。ちょっと早いが自分も輪行で空港へ向かった。20時30分のフライトだったのでだいぶ早かったのだが、空港で時間を潰していたらカウンターに呼び出され、自転車が破損しましたという報告を受けた。最後の最後に事件が発生し、どんよりした気分で帰宅した。はーやれやれ。

  • Japan Grandonnee 北海道1200km 納沙布岬

    12k_2025 | ajhokk_3rd

    一言で言うと大変楽しかった。

    今回は元々RUSAの面々と走るつもりだったので、宿を自分で取るということはせず、全てオーバーナイトコントロールを使うことにした。北見、別海、清水で宿泊するという行程になり、とにかく毎日オーバーナイトコントロールまで走ればよいだけで、いろいろとプランを考える必要なかった。一人だったらサクサク進みそうなコースであるが、旅は道連れの精神でわいわいと走ってきた。

    Day 1

    6時スタートなので4時過ぎにはホテルを出ただろうか。PtrickやBrianはフィリピンのサポート隊に頼んでスタート地点まで運んでもらったそうだが、自分とColinは自走でスタート地点へ向かった。

    初日は北見までの345km。6時スタートの最後尾で出発。当別を過ぎたあたりからおーのさんが韓国勢を率いて先頭に出たので、その後ろに長蛇の列が形成された。35km/hぐらいのいいペースで進んでいたので、日本人勢やフィリピンのMayやDindoと「いいトレインだな!ハハ!」と無賃乗車をさせていただいた。

    最終的には前のウェーブでスタートしていたColinやBrianも吸収して吉野公園に到着。

    吉野公園からは集団も解散となり各自のペースで進む。PC2では結構いろいろな人に追いついた。すでに横になって寝ていたトニーさんとか。

    PC2を出てしばらくしてトニーさんが追いついて来たので世間話をしながら進む。途中、トニーさんがいなくなったなと思ったら脚を攣っていたらしい。暑かったですもんね。そしてPC3へ。コンビニコントロール、後ろのスタートだと飯がないな。かろうじて残っていたものを買って補給した。

    この後は遠軽までコントロールはないので適当にコンビニに止まろうと思って出発。そして愛別のセコマでPatrickに追いついた。Patrickとはここからゴールまでほぼ同行することとなる。さらに上川のコンビニで北見峠前の休憩を入れる。他にも大勢の方が休憩していたし、巡回車のスタッフのみなさんもいてワイワイガヤガヤのコンビニになっていた。

    北見峠は各自のペースで淡々と。峠の石碑でフィリピン勢や韓国勢が写真を撮っていたが、あれは工事で亡くなられた方々の碑なんだよな。この石碑でいいのだろうかと思って一応説明はしたが。

    峠からの下りで、おや見たことある後ろ姿だぞと思ったら岡田さんであった。4時スタートなので追いつくことはないなーと思っていたが、LELからの強行軍であまり調子はよさそうではなかった。遠軽に着く頃には日も暮れて真っ暗。BrianやColinとは離れちゃったので、Patrickとともに淡々と進んでいく。

    北見には23時過ぎに到着。いいタイミングで到着したようで、寝床は別棟になった。別棟にはまだ誰もおらず、一番奥で電源も近いところを割り当てられた。人の出入りもあまりなく静かでとてもよい寝床であった。Patrickと明日の出発時刻を相談し、遅れているBrianとColinにも「5時過ぎには出発しよう」とメッセージを送ってから就寝。

    Day 2

    二日目は北見から別海経由で納沙布岬まで行って、折り返して別海まで戻ってくる295km。

    ぞろぞろと起床してきて朝飯を食べ、PatrickやBrian、Colinとともに出発。美幌の町中でコンビニ休憩を入れ、補給食を調達しておく。次は弟子屈まで何もないしな。

    美幌峠は長いけどきつい登りではないので、近くを走っている方々と雑談しつつ登頂。天気にも恵まれ、なかなかよい眺めであった。

    で、弟子屈まで気持ちのいいダウンヒルをやりましてセイコーマートへ。フィリピン勢や他のRUSA勢も集まってきて一大休憩スポットになっていた。

    弟子屈を出発すると道東の平坦でまっすぐな道を延々と進むことになる。別海町の町境を越えたのにまだ別海市街地まで30kmとか表示された時はマジかと思った。この辺は北海道のスケールである。別海の少し手前のセコマでPatrickが眠さと暑さで休憩したいというので一旦停止。別海のコントロールに向かう途中では急な雨にも降られた。まぁ暑かったのでちょうどいいぐらい。

    別海のPCでPatrickが少し寝ていくというのでここからは一人で先へ進む。一人になって自分のペースで気分よく進んでいると厚床を過ぎたところで別海を先に出て行ったmomさんをキャッチ。自分的にはノリノリで進んでいたので一顧だにせずぶち抜いたら後ろの方から「速いよーーー!!!」という声が聞こえてきた。すまんの。

    納沙布岬へは北側のルートで。

    納沙布岬のPCに着いてお菓子などをつまみつつスタッフの面々と喋っていたらPatrickも追いついてきたので納沙布岬の灯台へ。日が暮れる前に到着できてよかったですな。

    帰りは暗くなるので一人で走るのもアレだし、Patrickがいるのはとても心強い。根室市街地の少し手前で先に納沙布岬を折り返して行ったmomさんに追いついたので、「この後は一緒に行きますか」と提案し、同盟が結成されたので、まずはmomさんとPatrickと根室のすき家で腹ごしらえ。厚床にコンビニはあるが別海まではノンストップになる見込み。

    というわけで、根室で飯を食った後はmomさんとPatrickの三人で別海までノンストップで進んだ。一人だったらダラダラ走ることになっていたと思うけど、シャキシャキと走れたので快調であった。

    23時前には到着した。思ってたよりちょっと早いぐらい。やはり夜は一人でダラダラ走るより部隊を組んだ方がよい。

    Day 3

    別海から美幌峠を越えて北見へ戻り、清水まで向かう330km。あまり早く出る必要はないのではと思っていたけど、Patrickが4時というのでそれに合わせて準備をする。Brian、Colinも一緒にスタート。momさんも岡田さんも一緒である。momさんとはこの先札幌まで一緒に行くんだなという雰囲気なので、自分が先頭で100w固定で進んでいく。

    西春別のセブンイレブンで休憩。ここで自分の後輪のエアが抜けていることに気づく。いろいろいじってたらリムの隙間から空気が漏れ出したので、諦めてチューブを入れた。こういう時にメカニック岡田がいるのは大変心強い。

    Patrickの背中についているのは私があげたおにやんま君のパチモン。出走ガイドを読んで、「900kmもホースフライに苦しめられるのか!」とか言ってたので、RUSA勢用に調達していったもの。自分はアブで苦しめられた印象がないので、Brian、Colin、Patrick、Noah、Claireに渡した。

    美幌峠まではまたまた各自のペースで。自分はmomさんとともに登頂。

    杉浦さんも追いついてきて、その場にいた一同全員がチタンフレームに乗っているというチームチタンが結成された。熊笹ソフトなどを食べ、まったりした空気感。三日目で特に時間に追われているわけでもないし。

    美幌のコンビニで氷休憩を入れ、北見のPCへ。ここでドロップバッグ用に送っておいた箱にいらないものを全部ぶち込んだ。ほぼ空みたいな箱を送っておいたので、ドロップバッグというよりかは不要なもの送り返す用の箱である。サドルバッグが軽くなって楽になった。

    北見のPCを出てからは暑さとの戦いであったが、時間帯的に日陰がなくなるし、津別から陸別へは南へ向かうのでなかなか日陰がなく難儀した。ひたすら100wを意識して走る。

    で、陸別のセコマで休憩。このセコマは去年の襟裳岬1000でも立ち寄ったところである。岡田さん、Patrick、momsさんの部隊で本別へ。道が荒れてて走りにくい区間であった。まぁ下り基調なのでその点は気が楽であるが。

    本別のPCで休憩していると、どうもこの先で雨が降っているとの情報が。しかも士幌までアップダウンが続くのでなかなか面倒な区間になりそうだ。発狂したmomさんがすごい勢いで加速して登って行った(そしてタレた)。momさんは士幌で宿を取っているそうなので、ここで離脱。また明日の朝合流しましょうと言って見送った。士幌のコンビニで岡田さんとPatrickと休憩した後、清水町へ向けてもうひと頑張り。が、ここも結構長くダラダラ登るんですな。地図だとそういうイメージがわかなかったので思っていたより疲弊した。

    0時頃に清水町のPCに到着。

    Day 4

    清水から札幌までの235km。初っ端に狩勝峠を登ることになるが、それさえ終われば消化試合みたいなものである。

    5時には出ようかとPatrickが言っていたが、momさんを待つことにした。同じタイミングで士幌を出たっきぃさんの情報を参考にひたすら待つ。6時にmomさんを交えて清水を出発。岡田さんもPatrickも同じタイミングで。

    狩勝峠の前にコンビニで補給食を買い、霧の狩勝峠を登る。なるほどこれが狩勝峠か。かとうさんも合流。

    これをやっつけてしまうと後はもう余程のトラブルがない限りは大丈夫であろう。一同もそういう空気になっている。狩勝峠を下ったところのコンビニで休憩し、さらに富良野の藤森商店でメロン休憩を入れ、上富良野のPCへ。

    上富良野のPCを出て、国道38号に合流すれば、自分的には去年走った襟裳岬1000kmと同じルートなので安心感がある。

    上砂川のPCでColinを待って最後の平坦区間へ。どうしてもColinが遅れがちにはなるが、最後は平坦なのでColinを待ってみんなで一緒に行こうというので合意。Colinの1200初完走も見届けたいし。さらに言えば、砂川からは何もない吹き曝しの区間になるので集団で進みたい区間である。

    まぁそういうわけで上砂川を出発して自分が前で100wで引いていたんだが、わざわざ前に出てきて疲れたら脚を止めるシュワルツ兄弟にペースを乱され一悶着あった区間であったが、Patrickと相談してペースを上げて彼らを千切り捨てて平穏を取り戻し、新篠津のPCに到着。ここまで来れば後はウイニングラン。

    21時過ぎに丘珠へ帰ってきた。Colinは69歳で初の1200kmの完走である。偉業だと思う。

    天気が崩れることもなかったし、暑くはあったが夜に寒すぎるということもなくで、なかなか条件のよい1200kmであった。外国から参加された方々も楽しそうに走っていたので、参加者側から見れば大成功と言っていい1200kmだったんじゃなかろうか。またこの大会が開催されることを願いたい。

  • 北海道滞在記(前半)

    9日から17日まで北海道に行っていたのでその前半のメモ。

    9日の午後の便で北海道入りへ。羽田のラウンジで座ってぼーっとしていると愛媛の米田夫妻に声をかけられた。乗り継ぎで同じタイミングで羽田にいたようだ。

    新千歳からは輪行で札幌駅へ。自転車を組み立てて狸小路のホテルへ。今回の北海道1200に向けてRUSAの面々のWhatsAppグループチャットに入っていたのでホテルも同じところにした。自転車をそのまま持ち込むことも可で外国人のサイクリストを受け入れるには最適である。あちこち電話して探した自分を褒めたい。RUSAの面々の他にフィリピンの1300で一緒だったフィリピンのMayやDindoも同じホテルである。

    元々一緒に走るつもりでいたシアトルのJohnは仕事の都合がつかず、来日できなかった。フィリピンで一緒だったし、韓国でも一緒だったので楽しみにしていたのだが残念であった。韓国については彼は途中でDNFしてるので、その後も会わなかったし。

    ホテルに到着して即RUSAの面々と合流し、札幌駅の近くの居酒屋へ。オーストラリアのPeteとAndrewも誘って歓迎会を開催した。Peteはもうお馴染みであるが(去年も日本来てたし何ならうちの近所に泊まってたので連日飯に行ったし)、Andrewは以前参加したPerth Augusta Perthでご一緒した方だ。毎晩オーバーナイトコントロールで隣で寝ていた(マットが指定されていたので)。

    翌朝の歓迎ライドには参加しなかったので昼までダラダラ。狸小路でぜっとさんmomさんを発見したのでColinも誘って一緒にお好み焼きへ。Colinはイカのお好み焼きを注文し、この後もしょっちゅう「Squid! Squid!」といっていたのでイカが好物なんでしょうな。イカゲームを見たのでSquidと言われてもわかる。

    Colin、Patrick、Brian、Grantと私で徒歩でカナモトホールへ。前日受付を済ませてライダーズミーティングに参加した後、ColinのSIMカードを調達するためにビックカメラへ。その場で開通した。本当に便利な世の中だなと思う。

    翌日は朝早いのでディナーという流れにはならず、自分は近くのラーメン屋で飯を食って、コンビニで補給食などを買い出して準備を済ませ就寝。

  • Korea 1200の顛末と帰国

    6月10日の午前1時がクローズ時刻だったはずだが。

    6月10日

    いろいろあって夜明け頃(おそらく5時頃)に覚醒した後、「ああああああああ!」と思った後、トボトボとホテルに戻ることにした。明るくなってあたりの景色を見渡すと、どうやらスタート地点の対岸にいたようだ。フィニッシュ地点とは目と鼻の先のようなものだ。

    ホテルに戻って朝食を食べ、部屋に戻ってソンさんに一報だけ入れておく。状況を説明し、連絡なしでゴールに現れなかったことを詫びておいた。やっちまったなぁと思いながらベッドでゴロゴロしていると、ソンさんからメッセージがあり、「オーガナイザーと相談した結果、実質的には制限時間内に戻ってきているようなものなので昼にブルベカードを持ってDr. Bikeに来てください」とのこと。どのみちドロップバッグを引き取りにいかないといけないので、残念ながらDNFとなったCarmelaさんの分も含めてピックアップするついでにDr. Bikeへ向かう。

    ソンさん、Youngsamともに仕事を抜け出してわざわざDr. Bikeに来てくれた。特にYoungsamは最後の最後まで一緒に走っていたので、「なぜゴールに現れないか意味がわからなかった」と。ギリギリ隊一同、「ゴールの直前まで一緒に走っていたあいつはなんでゴールに来ないんだ?」とザワザワしていたらしい。Youngsamに道中のコントロールの証跡を確認してもらい、90:00での認定となった。本当にご迷惑をおかけして申し訳なかった。

    ホテルに戻って昼飯を食べに近くの韓国料理屋へ。道中でスパイシーなものばかり食べていたので、ここはさっぱりしたものを食べたいなと思い、適当な店に入って冷麺を頼む。実に美味かった。ホテルに戻ってゴロゴロ。Carmelaさんも戻ってきているようだが、帰国まで時間がないので一緒に飯に行こうかということにはならず。MarkやBhanuなんかは予定を切り上げて帰国しているようだし。この辺、みんなマイペースである。

    夜にもう一度別の韓国料理屋でソルロンタン?を頼む。

    この日はホテルに戻ってぐっすり寝た。

    6月11日

    6月11日、ホテルの朝食を食べた後、自転車をパッキング。

    11時前にチェックアウトし、荷物一式をホテルに預けたまま、近くを散策し、昼飯を食う。またまたさっぱりしたものが食べたくて別の店で冷麺を頼む。スパイシーなものは道中でたくさん食べたので飽きた。

    ホテルに戻るとTroyがいたのでしばし立ち話。今回初めて会ったが気さくなアメリカ人で話していて楽しかった。去年のベトナム1300kmが初めてのLRM参加だったらしい。またいつかどこかで会いましょう。

    ホテルと同じビルに入っているスタバでしばし休憩の後、地下鉄で移動する元気もないのでUberでタクシーを呼んだ。来たのはHYUNDAIのIONIQ 5であった。仕事柄この辺には敏感であるので、「これがIONIQ 5か!」とちょっとした感動があった。

    金浦空港では一トラブルあった。保安検査でバッテリーの持ち込みについて指摘された。

    韓国の航空会社、機内持込モバイルバッテリー・電子タバコの安全管理を強化~2025年3月1日から機内収納棚への保管全面禁止~ : 韓国観光公社公式サイト「VISITKOREA」

    全てのリチウムイオンバッテリーは端子部にシールを貼り、個別に包装しないといけないらしい。一旦航空会社のカウンターに戻らされて、その対応をする必要があった。その後、保安検査場でバッテリーの容量を足し上げ、個人が持ち込める上限に達していないかを計算させられた。Garminの拡張バッテリーは公式サイトにも電池容量が掲載されていないので、個人ブログで容量に言及しているところを容量の証明として提示し、なんとか納得してもらった。一つも破棄することなく持ち込めたが、まぁ面倒くさかった。

    22時頃に羽田に到着。スムーズに自転車も出てきたので、電車で帰宅。最寄駅で下車の後、日本食が恋しくなったので、自宅に帰る前に吉野家に寄って麦とろ定食を食べた。

  • 2025 Korea Grand Randonnee 1200km

    完走したという認定はもらったが、大変なやらかしをしてしまった回です。まぁいろいろありました。

    Ride with GPS | Bike Route Planner and Cycling Navigation App

    コースはこんな感じ。Jasonが四日に分割してくれました。

    6月6日: Day 1

    多くの参加者は6:00スタートを選んだようだが、我々は元々7:00スタートと決めていたので、6時過ぎにホテルを出てスタートへ向かう。

    スタートに到着するとソンさんが出迎えてくれた。あと、オーストラリアのChrisがいた。2022年のPAP1200、2023年のPBPは同じ組、2024年は岡山1200でと毎年顔を合わせるやつである。まさか今年も顔を合わせることになるとは思わなかった。Chrisは6:30にスタートしていった。

    いろいろとジェルやら補給食やらを貰って、7:00にスタート。Markと地元民であるJasonを先頭に、John、Dae、そして岡山1300を走ってすぐに韓国に移動してきたThaiのシアトル勢、Troy、Carmela、わたしの集団、そこに韓国在住のトルコ人だというDenizとBertanも加わってサイクリングロードを快調に進む。サイクリングロードは初見では難しいので先導してもらってありがたい。一日目の宿泊予定は380km地点のUljinのホテルである。

    快調に進んでいたものの、50km過ぎの大きい橋を渡る手前でMarkがタイヤトラブルで一旦停止。他の面々は近くのコンビニへ移動して、水やら補給食を買い出し。思ってたより暑い。最初のメカトラなので時間を気にしていない。

    エアロバーが付いていて逆さまにできないので人間自転車ラックとして活躍するThai (Photo by Bertan)

    84kmあたりで最初のコントロールにも着かないうちにDaeがパンク。チューブレスだが結構ざっくりタイヤが切れていてシーラントでは塞ぎ切れないレベル。ガソリンスタンドに移動し、Johnが持っていた新しいタイヤに交換し、チューブを入れての復旧を目指す。が、Daeの持っていたTPUチューブはまさかのバルブ長が足らず。さらになかなかタイヤがリムにピッタリくっつかないとか、いろいろあって一時間ぐらい消費してしまった。とはいえまだこの段階では「だいぶ時間食ったなHaha!」ぐらいの空気。

    そういうわけで96km地点の最初のコントロールに着いた時には他の面々はもう誰もいなかった。我々のグループだけである。ダントツの最後尾であろう。

    飯を食ってリスタートしてしばらくすると少しだけ舗装されていない区間があり、そこでまたまたDaeがパンク。102km地点ぐらいだっただろうか。道路脇でチューブを入れ替えて再開するも、またまた時間を消費。106km地点の町で自転車屋を見つけたので飛び込みでチューブがないか聞いてみると、使えそうなチューブの在庫があった。二本購入。初っ端からメカトラ続きで先が思いやられる展開になってきた。

    一山超えて136km地点の町で休憩。真夏の暑さではないが、それなりに暑く、自分としては珍しくアイスを食う。

    Photo by Jason

    172km地点のコントロールはトンネルの写真となっており、ここでシークレットが設置されていた。飲食物が提供されていたのでありがたくいただく。Jason、Carmela、Troy、自分の四人が先に登り切ってシアトル勢を待つものの、なかなか登ってこない。40〜50分ぐらい待っただろうか。結局、ここで一時間以上停止することになり、今日の予定のUljinまで行くのは無理やろなという空気が漂い始める。外国でホテルの予約を取り直すのは面倒なことになったなと思う(韓国は飛び込みでモーテルに行けばなんとかなるが)。

    夕方になり寒くてジャケットを着るCarmela。さすがシンガポール在住である。自分なんかは1200kmを通して一度もジャケットを着ることはなかったのだが、Carmelaは20度ぐらいになるともう寒く感じるらしい。

    208km地点のPyeongchangでオリンピックの名残を感じるモニュメントがあった。平昌オリンピックが開催された地域のようだ。

    少し進んだ226kmの中心街と思われるところで飯にしようかという話になったが、適当な店が見つからず、結局セブンイレブンへ。ここで作戦会議が開催された。380kmのUljinまで行くと夜が明けてしまうため、手前に宿を取り直そうという結論になった。Daeが中心となって宿を検討し直し、270km地点のコントロール直後のところに宿泊することにした。Carmelaはいつもは23時ぐらいには寝るので、さっさと宿に入って朝早くから走りたいスタイルらしい。自分はどちらかというと深夜まで走って距離を稼ぎたいスタイルなのだが、特にこだわりもないのでみなさんの方針に合わせていく。初日から110kmショートというのはなかなか先が思いやられる展開ではあるが。

    標高800mから一気に下って、朝鮮半島の東側の海岸線へ。多少のアップダウンをこなし、コントロール3でスタンプを押す。予定していたよりかなり大きなビハインドなので明日からが大変だと思いつつ、ホテルで就寝。三部屋を確保できたので、一つはCarmelaに割り当て、自分はDaeとJohnと同じ部屋となった。当初の予定より宿の滞在時間がだいぶ削られるが、睡眠時間は三時間ぐらい確保できたのでまぁよしといったところ。

    6月7日: Day 2

    4時頃にリスタート。元々の予定では二日目は700km地点のGeochangまで行く予定だったが、430km先になるのでちょっとしんどい。早々に計画は変更され、ドロップバッグ地点でもある600kmのSangjuに変更。ここもDaeがサクッと部屋を確保してくれたので、二日目は330km走ってSangjuを目指すことになった。

    再開してしばらく進んだセブンイレブンで朝飯にし、終わり次第バラバラに各自再スタートということで、TroyとCarmelaが先に出ていく。それに続いて自分も再スタート。

    しばらく一人旅となった。海岸沿いの街をいくつか通過していく。後日談として聞いたところによると、どうもこのあたりでパンクトラブルに見舞われたmomさんをパスしたのだと思われる。全然そんな姿は見かけなかったので、自転車屋へ移動している間にパスしてしまった可能性大。ちなみに日本人参加者は数名いたが、スタート時間が違ったというのと、我々がぶっちぎりで遅れていたので、結局日本人参加者には一人も会わなかった。

    シアトル勢、なかなか調子が上がらないようで、特にMarkは体調もよくなさそうであった。Uljinのコントロール4に到着してTroyとCarmelaに合流し、そこにたまたまいたオーガナイザーのYoungsam(というか参加者と一緒に走っているのだが)にスタンプを押してもらう。

    そういえばMarkとDaeはSpotwallaで位置を共有してたなと思い、現在地を確認すると15分から20分ぐらい後ろにいる様子。先に進んでコンビニで休憩していると、ようやくシアトル軍団とJasonがやってきた。合流してしばらく進み、キッチンカーが出ているところでYoungsamに呼び止められ、アイスコーヒーをおごってもらう。カムサハムニダ!Markはかなりきつそうで日陰に座り込んでなかなか動こうとしない。先に行ってくれというので、Jason、Troy、Carmelaと一緒に先行。

    しばらくしてまたまたコース沿いの商店で休憩。とにかく暑い。水浴びなどをして待つ。しかし待てど暮らせどMarkだけがやってこない。そこにMarkからメッセージで一報があり、DNFすると。残念だけど全然いつものMarkではないので仕方ない。我々が出発しようとしたところにようやくMarkが到着したもののなかなかしんどそう。

    Youngsamが415km地点の町から出ているバスを予約し、Markはそれに乗って離脱となった。

    さてここからは二日目の一番の上りである。そこそこ斜度があって大変だった。各自のペースでとなったので、Carmelaと自分の二人が先行して登り切り、コントロール5で後続を待つ。売店には大したものはなかったけど、水やスナック菓子は置いてあったので助かった。

    そろそろ夕方であるので、コントロール5から先にYoungsamとJasonの二人が先行して下っていき、470km地点の町で飯を食う場所を確保するということになった。地元民の助けがあって大変ありがたい。いろいろな韓国料理が出され、かなり満足した。まぁ結構時間も食うわけだが。

    日も暮れてナイトライドに突入。JasonとYoungsam、私で先行し、連続するアップダウンをやっつけていく。520km過ぎの町でコンビニが営業していたので吸い込まれて後続を待つ。Bertanも合流。しかし、ここでも待てど暮らせど後続が来ない。JohnとDaeがこんなに遅いわけがないよなと心配していたら、Johnから一報があり、Daeのホイールのスポークが折れたのでゆっくり走ってるが、どうにもならんので一緒にDNFにすると。残念だが仕方ない。

    コンビニを出て峠を越え、556kmのコントロール6では簡単な補給だけで済ませた。CarmelaやTroyはもうちょい休憩してからということで、我々が先行。特にシンガポール在住であるCarmelaはかなり寒く感じているようで、レインコートを買って着込んでいた。自分を含め他の面々は半袖である。JasonとBertanと一緒にSangjuへ向けて走り出す。さらにYoungsamも追い付いてきて四人で快調に飛ばす。そこにThaiもひょっこり現れた。まぁThaiはPBPを50時間台で走るような人なので直前に岡山1300を走ってきたといってもなんだかんだで集団の先頭を引いているし、登りも飛んでいってしまう。昼過ぎから先行していたけど、どこかで大休憩していたらしい。五人でSangjuに到着。

    Sangjuのコントロール7ではKorea Randonneursの代表であるJanさんに出迎えてもらった。PBP2023の翌日にRambouilletで開催されたLRM総会で会って以来。

    ドロップバッグを受け取って、Daeが確保してくれたモーテルへ。Daeの奥さんの名前で予約していたので、チェックインで押し問答があった。Daeの奥さんのファーストネームってなんだっけ?ということで、必死でファーストネームの記憶を呼び起こし、フルネームを伝えてなんとかチェックインすることができた

    あと、DaeはSangjuでホテルを二つ確保してくれていて、Troyと自分、それとCarmelaで二つの部屋に分かれればよかったのだが、我らがリーダーのJasonからの情報伝達ミスで、自分が先に到着して寝かかっていたところにTroyもCarmelaも来てしまった。米国人男性Troy(しかも今回初めて会った)とフィリピン人女性Carmelaと三人でモーテルの一部屋に泊まることになった。よくわからん流れだ。自分が先にベッドに寝転がってしまっていたので、Melaさんが横のソファで、Troyは冷房が寒いと言ってバスルームのベッド(いかがわしい行為をするところ)で寝た。二人の到着後もバタバタしていたので一時間半ぐらいしか睡眠時間を確保できなかった。普段のブルベではこんな短い睡眠時間では走らないので、これが後々響いてくる。

    6月8日: Day 3

    Photo by Bas

    出発前の集合写真。左から、Troy、Bertan、Jason、Thai、わたし、Carmela。(Photo by Bas)

    8時にコントロール7に集合としていたので、7時過ぎに起きて準備をする。三人が一部屋に押し込まれていると大変である。ドロップバッグを戻しにいくとA Damがいた。こちらもKorea Randonneursの方で先述のLRM総会に参加されていたので、久々の再会となった。ちょっと前にKorea RandonneursとAudax Japanでメダルの融通をした際に窓口だった方なのでAudax Japanとしても交流がある方である。

    が、我々はギリギリ隊なのであまり時間の余裕もない。とりあえず朝飯を食うぞということでベーカリーに入る。Jason、Youngsam、Bertanの地元勢、Thai、Troy、Carmela、わたくしの七人のパックで三日目スタート。

    そして早々にまたメカトラ。まずはJasonのタイヤ。ちょっと空気が抜けているだけのようだったので空気を追加するだけで続行。しばらく走ると今度はTroyの革サドルのビスがなくなっていて、サドルの前側が浮き上がってしまって上手くサドルに座ることができない。645km地点の街に自転車屋を発見したようなので、そこで対応することに。自分は眠気もあっていまいち元気が出ないので集団からちょっと遅れてマイペースで進む。さらに途中でコンビニに立ち寄ったりしたので一人旅に。

    645kmの街を通過し、しばらくすると自転車屋でのメカトラ対応を終えたTroyやJasonが合流してきたが、暑さもあって自分のペースがなかなか上がらず。とはいえ、Carmela御一行も後ろから現れたりで、もう各自暑さ対応のために休憩を挟みつつなのでそんなに離れてるわけではない感じ。

    そして当初二日目の宿泊地としていたGeochangに着いたのは昼過ぎ。コントロール8ではちょうど自分の到着と入れ替わりに先行集団の面々が補給を終えて出ていくぐらいの感じ。

    自分的にはここからが大変であった。完全に一人になっちゃったし暑いし眠いしで、バス停でのショート仮眠を何度も繰り返していく。Youngsamが全体のケツ持ちのような感じで、ガーっと走っていって大休憩という走り方をしており、彼が常に自分の前後にいたが、かといって常時一緒に走るというわけでもないので、喋り相手もおらず。何度止まって仮眠したか数え切れない。

    Namwonのコントロール9でも状況はGeochangと概ね同じで、自分が到着するのと入れ替わりでみなさんが出ていく。とはいえ、これだけ仮眠を重ねての到着なので、集団もあんまりペースはよくないのであろう。Jasonが軽量化のために集団から少し遅れて出発したので、補給してた自分もそそくさと準備して、軽量化を済ませ、そんなに離れてないであろうJasonを追う。

    しかし、やはり眠い。追いつかない。Namwonからガツンと一発登るのであるが、その道中もバス停を見つけるたびに吸い込まれて仮眠を重ねた。普段の四桁のブルベではちゃんと寝てるので眠気を感じて走るということはほとんどないけど、今回は集団で走ることにした結果、メカトラにも付き合って睡眠時間もあまり確保できずでかなり眠い。眠さの全盛期には5kmに一回程度のスパンで仮眠した。

    ただ、登りが続くと自分の方が分がよいらしく、862kmのMujuに向けて続くアップダウンの途中でJason、Carmela、Bertan、Yougnsamのグループに追い付いた。コンビニで休憩していたようだ。集団に追い付いて喋り相手がいるのといないのではだいぶ違う。ここはドロップしないようにがんばる。

    と思っていると、今度はJasonとCarmela、Youngsamがバス停ストップ。自分は眠気が飛んでいたタイミングなので、先にMujuのコントロールに行くことにし、すぐに追い付いてきたYougnsamと一緒にMujuのコントロール10へ向かう。

    どうもMujuの正規のコントロールのセブンイレブンが深夜なので閉まっているらしく、手前のCUでもいいということになった。オーガナイザーのYoungsamがそう言うなら問題ない。

    Mujuが862km、元々我々が宿泊予定としていたのは994kmのGoesan。Mujuの到着が午前2時なのでさすがにGoesanまで行くのはもう無理だろう。YougnsamやBertanはMujuで宿を取っているようなので、ここでお別れ。JasonとCarmelaは全然追い付いてくる気配がないのでバス停仮眠が長引いているのだろうか。無駄に待っていても仕方ないので一人で先に進むことにする。Mujuのルート沿いの適当なモーテルに入ってみたが、部屋は空いてなさそうだ。この先の900km地点に街があると言うことは把握していたし、いくつかモーテルがあることも把握している。とりあえず一人で先に進み、飛び込みでモーテルで寝ることにする。どこかでちゃんと寝ないと最後まで持たない。

    と言うことで、4時過ぎにYeongdongという街に到着し、検索して適当なモーテルへ行き、窓口のおっさんを叩き起こし、翻訳アプリで部屋はないかと問う。一件目で部屋はないダメだと言われ、しゃーないなと思って次へ行こうとしたら窓口のおっさんが追いかけてきて「お前自転車乗りか。5万ウォン(5千円ちょい)でどうだ」と言うので、即決して部屋に入れてもらう。助かった。

    時刻は4時半。そろそろ最後のタイムリミットを気にしつつ走らないといけない。今回は7時スタートを選んだので90時間のリミットは午前1時。残り300km強なので20時間あれば多少トラブルがあっても大丈夫だろうとは思うが、寝る時間もちゃんと確保したい。7時に走り出せば1時まで18時間あるので、まぁなんとかなるのではないかと思って、6時まで寝ることにした。言うても宿に入っていろいろやっていたら5時になっていたので睡眠時間は一時間しか取れなかった。大変厳しい。

    6月9日: Day 4

    6時半頃にモーテルを出て、近くのコンビニで朝飯を食べ、7時前に走り出す。18時間で300km強。最後の区間がサイクリングロードなのでそこでの辻褄合わせに期待である。とりあえずグループチャットに「rolled out at 6:50」と一報入れておく。

    概ね緩やかに登っていく感じだが、そのピークの954km地点、Gal-ryeongのコントロール11直前の登りが思っていた以上にキツかった。とはいえ、ここからはピークの高さは下がっていく一方。少し気分が楽になった。いくつか登りはあるけど、これより大変なものはもうない。Gal-ryeongの到着は10:15。あと250km。14時間45分。ギリギリ隊である。が、これまで会ったことのない他の参加者もいたので自分一人というわけでもなさそうだ。

    994km、Goesanのコントロール12には13時に到着。あと210kmで12時間。この日はかなり暑く、そこに眠さも加わっているのでかなり微妙な感じ。最後にサイクリングロードが100km近くあるので、どれだけ巻き返せるか。

    Goesanを出たもののなかなかに暑く、加えて眠さで集中力も散漫になっているので何度もミスコースを繰り返し、焦りだけが増幅する。そんな中、1030km過ぎでJasonとBertanに追い付いた。コンビニ休憩していたのだろう。ちょっと安心。自分もそのままついていく。とはいえすぐにドロップしてしまう。

    1085kmのYeojuのコントロール13の手前では韓国のRaphaの男女二人組コンビに追い付いた。到着は18:15。残り120kmを6時間45分、サイクリングロードだということを考えればなんとかなりそうだ。JasonやTroy、Thai、Bertanが出発するところだったので、サクッと補給を済ませてグループに復帰。信号で前とは離れてしまったけど、Bertanと一緒に走ることになり、二人でサイクリングロードに突入。

    Photo by Bertan

    広くて平坦で快適なサイクリングロードなのでスピードは出る。Bertanもいるので話し相手にも困らない。が、途中でBertanがちょっと休憩していくということで停車。自分が先行する。一人になるとサイクリングロードの分岐がなかなか難しく、ミスコースを繰り返す。焦る。

    Photo by Bertan

    しばらくするとBertanが追い付いてきたので、サイクリングロードの先導はBertanにお任せしてしまう。こういうのは地元民に頼るしかない。韓国Raphaの二人組やYoungsamも追い付いてきたので五人で残り距離を減らしていく。このままのペースでいけば0:30ぐらいには到着しそうだという雰囲気。残り50kmぐらいを切ったところで、またまたBertanが休憩のために停車、Raphaの二人組やYoungsamも小休止するということだったが、自分はそのまま一人で先行する。どうせすぐに追い付いてくるだろう。自分は一人なのでミスコースを繰り返すはずなのだ。そしてその通り、Seoul圏に入ってもサイクリングロードは初見のものにはなかなか難しく、ミスコースを繰り返す。そうこうしていると他の面々が追い付いてくる。

    そしてサイコンの距離カウンターは1200kmを超え(コースは1202kmだったけどいろいろあって8kmほど余分に走っている)、あと10kmもないし1時のクローズにも十分間に合いそうという状況になった。BertanとYoungsam、Rapha勢もいるのでこのまま一緒に進めばOKだというときに、ちょっとバンプが続いた箇所で前から少し遅れ、そのタイミングで進行方向を見失った。

    サイコンのカウンターは1208km、おそらく時間は0:30ぐらい。ゴールまであと1kmちょっとのところ。ちょっと落ち着こうと思い、近くにあった階段に腰を下ろしたのがよくなかった。クローズの午前1時までの記憶はここで途切れている。

    あれ?

  • Korea 1200へ参加するために韓国へ

    昨年フィリピンのLa Union 1300が終わった直後にMarkから「来年は韓国に行くけど一緒に行くか?」とメッセージが来たので二つ返事で参加を決め、WhatsAppのグループチャットに入れてもらった。概ねフィリピンで同じだった面々で、アメリカ、オーストラリア、フィリピン、日本の多国籍軍となった。さらに韓国の大学で英語を教えているJasonも加わり、現地のことや韓国ブルベのtipsについては彼経由でいろいろ教えてもらった。

    今年は米国の関税引き上げの影響で仕事の方のプロジェクトの完了が後ろにずれ、6月上旬は都合がつかなかったのだが、元々予定していた韓国行きということもあり、関係者の皆さんには少しスケジュールを前倒しして対応していただいた。

    6月4日

    前日にAJ20周年関係のミーティングがあり、そのまま居残り組で午前2頃まで喋っていたが、自宅を出るのが5時の予定だったのでかなり眠かった。

    無事に午前の便で韓国へ。到着した空港は仁川ではなく金浦。航空券を探し始めたのが5月半ばぐらいでアシアナ航空の羽田-金浦便ぐらいしか安そうなのがなかった。探せばもっと安いのはありそうだが。

    空港に着いて、現金はあんまりいらんだろうと思いつつも、とりあえず2万円分をキャッシングしておき、地下鉄でSingil駅へ。空港駅からは一度も乗り換えなし。

    宿泊地はYeongdeungpoのFairfield by Mariott Seoulである。フィリピンのCarmelaさんやシアトルのMark、カリフォルニアのTroyはすでに到着していたので、自転車を組み立てた後に四人でホテルの近くの焼肉屋へ向かった。

    夕飯から戻ると、フロントでシアトルのJohnとDae、Daeの奥さんがちょうど到着したところ。JohnはLa Union 1300以来、DaeはPBPのスタート地点でシアトル勢を見送ったとき以来である。彼らの夕飯に付き合うため、そのまま近くの韓国料理の食堂へ。コリアンソーセージとか食った。一日目はこれで終了。

    6月5日

    二日目は朝を軽く済ませた後、昼飯を食べに近くの市場へ。Daeは奥さんともども韓国系アメリカ人なので韓国では非常に頼りになる。大変世話になった。

    昼飯の後は自転車でゴール地点になるDr. Bikeへ向かう。ドロップバッグ用のバッグを事前に渡してくれるというのでお言葉に甘えることにした。当日、スタートでドロップバッグを準備するのも面倒くさいし。シドニーの空港で期限の切れたパスポートを持ってきたことに気付き、予定していた便に乗れず、さらに別の便に変えたらディレイでスタート前から一同をドキドキハラハラさせたオーストラリアのWarrenも合流。あと、Bhanuも合流して、大所帯でDr. Bikeへ。

    夕飯はタクシーで国会議事堂近くの韓国料理屋へ。これもDae夫妻のチョイス。ホテルに戻って、朝飯と補給食を近くのコンビニで買い込んでから就寝。