Category: randonneuring

  • Korea 1200の顛末と帰国

    6月10日の午前1時がクローズ時刻だったはずだが。

    6月10日

    いろいろあって夜明け頃(おそらく5時頃)に覚醒した後、「ああああああああ!」と思った後、トボトボとホテルに戻ることにした。明るくなってあたりの景色を見渡すと、どうやらスタート地点の対岸にいたようだ。フィニッシュ地点とは目と鼻の先のようなものだ。

    ホテルに戻って朝食を食べ、部屋に戻ってソンさんに一報だけ入れておく。状況を説明し、連絡なしでゴールに現れなかったことを詫びておいた。やっちまったなぁと思いながらベッドでゴロゴロしていると、ソンさんからメッセージがあり、「オーガナイザーと相談した結果、実質的には制限時間内に戻ってきているようなものなので昼にブルベカードを持ってDr. Bikeに来てください」とのこと。どのみちドロップバッグを引き取りにいかないといけないので、残念ながらDNFとなったCarmelaさんの分も含めてピックアップするついでにDr. Bikeへ向かう。

    ソンさん、Youngsamともに仕事を抜け出してわざわざDr. Bikeに来てくれた。特にYoungsamは最後の最後まで一緒に走っていたので、「なぜゴールに現れないか意味がわからなかった」と。ギリギリ隊一同、「ゴールの直前まで一緒に走っていたあいつはなんでゴールに来ないんだ?」とザワザワしていたらしい。Youngsamに道中のコントロールの証跡を確認してもらい、90:00での認定となった。本当にご迷惑をおかけして申し訳なかった。

    ホテルに戻って昼飯を食べに近くの韓国料理屋へ。道中でスパイシーなものばかり食べていたので、ここはさっぱりしたものを食べたいなと思い、適当な店に入って冷麺を頼む。実に美味かった。ホテルに戻ってゴロゴロ。Carmelaさんも戻ってきているようだが、帰国まで時間がないので一緒に飯に行こうかということにはならず。MarkやBhanuなんかは予定を切り上げて帰国しているようだし。この辺、みんなマイペースである。

    夜にもう一度別の韓国料理屋でソルロンタン?を頼む。

    この日はホテルに戻ってぐっすり寝た。

    6月11日

    6月11日、ホテルの朝食を食べた後、自転車をパッキング。

    11時前にチェックアウトし、荷物一式をホテルに預けたまま、近くを散策し、昼飯を食う。またまたさっぱりしたものが食べたくて別の店で冷麺を頼む。スパイシーなものは道中でたくさん食べたので飽きた。

    ホテルに戻るとTroyがいたのでしばし立ち話。今回初めて会ったが気さくなアメリカ人で話していて楽しかった。去年のベトナム1300kmが初めてのLRM参加だったらしい。またいつかどこかで会いましょう。

    ホテルと同じビルに入っているスタバでしばし休憩の後、地下鉄で移動する元気もないのでUberでタクシーを呼んだ。来たのはHYUNDAIのIONIQ 5であった。仕事柄この辺には敏感であるので、「これがIONIQ 5か!」とちょっとした感動があった。

    金浦空港では一トラブルあった。保安検査でバッテリーの持ち込みについて指摘された。

    韓国の航空会社、機内持込モバイルバッテリー・電子タバコの安全管理を強化~2025年3月1日から機内収納棚への保管全面禁止~ : 韓国観光公社公式サイト「VISITKOREA」

    全てのリチウムイオンバッテリーは端子部にシールを貼り、個別に包装しないといけないらしい。一旦航空会社のカウンターに戻らされて、その対応をする必要があった。その後、保安検査場でバッテリーの容量を足し上げ、個人が持ち込める上限に達していないかを計算させられた。Garminの拡張バッテリーは公式サイトにも電池容量が掲載されていないので、個人ブログで容量に言及しているところを容量の証明として提示し、なんとか納得してもらった。一つも破棄することなく持ち込めたが、まぁ面倒くさかった。

    22時頃に羽田に到着。スムーズに自転車も出てきたので、電車で帰宅。最寄駅で下車の後、日本食が恋しくなったので、自宅に帰る前に吉野家に寄って麦とろ定食を食べた。

  • 2025 Korea Grand Randonnee 1200km

    完走したという認定はもらったが、大変なやらかしをしてしまった回です。まぁいろいろありました。

    Ride with GPS | Bike Route Planner and Cycling Navigation App

    コースはこんな感じ。Jasonが四日に分割してくれました。

    6月6日: Day 1

    多くの参加者は6:00スタートを選んだようだが、我々は元々7:00スタートと決めていたので、6時過ぎにホテルを出てスタートへ向かう。

    スタートに到着するとソンさんが出迎えてくれた。あと、オーストラリアのChrisがいた。2022年のPAP1200、2023年のPBPは同じ組、2024年は岡山1200でと毎年顔を合わせるやつである。まさか今年も顔を合わせることになるとは思わなかった。Chrisは6:30にスタートしていった。

    いろいろとジェルやら補給食やらを貰って、7:00にスタート。Markと地元民であるJasonを先頭に、John、Dae、そして岡山1300を走ってすぐに韓国に移動してきたThaiのシアトル勢、Troy、Carmela、わたしの集団、そこに韓国在住のトルコ人だというDenizとBertanも加わってサイクリングロードを快調に進む。サイクリングロードは初見では難しいので先導してもらってありがたい。一日目の宿泊予定は380km地点のUljinのホテルである。

    快調に進んでいたものの、50km過ぎの大きい橋を渡る手前でMarkがタイヤトラブルで一旦停止。他の面々は近くのコンビニへ移動して、水やら補給食を買い出し。思ってたより暑い。最初のメカトラなので時間を気にしていない。

    エアロバーが付いていて逆さまにできないので人間自転車ラックとして活躍するThai (Photo by Bertan)

    84kmあたりで最初のコントロールにも着かないうちにDaeがパンク。チューブレスだが結構ざっくりタイヤが切れていてシーラントでは塞ぎ切れないレベル。ガソリンスタンドに移動し、Johnが持っていた新しいタイヤに交換し、チューブを入れての復旧を目指す。が、Daeの持っていたTPUチューブはまさかのバルブ長が足らず。さらになかなかタイヤがリムにピッタリくっつかないとか、いろいろあって一時間ぐらい消費してしまった。とはいえまだこの段階では「だいぶ時間食ったなHaha!」ぐらいの空気。

    そういうわけで96km地点の最初のコントロールに着いた時には他の面々はもう誰もいなかった。我々のグループだけである。ダントツの最後尾であろう。

    飯を食ってリスタートしてしばらくすると少しだけ舗装されていない区間があり、そこでまたまたDaeがパンク。102km地点ぐらいだっただろうか。道路脇でチューブを入れ替えて再開するも、またまた時間を消費。106km地点の町で自転車屋を見つけたので飛び込みでチューブがないか聞いてみると、使えそうなチューブの在庫があった。二本購入。初っ端からメカトラ続きで先が思いやられる展開になってきた。

    一山超えて136km地点の町で休憩。真夏の暑さではないが、それなりに暑く、自分としては珍しくアイスを食う。

    Photo by Jason

    172km地点のコントロールはトンネルの写真となっており、ここでシークレットが設置されていた。飲食物が提供されていたのでありがたくいただく。Jason、Carmela、Troy、自分の四人が先に登り切ってシアトル勢を待つものの、なかなか登ってこない。40〜50分ぐらい待っただろうか。結局、ここで一時間以上停止することになり、今日の予定のUljinまで行くのは無理やろなという空気が漂い始める。外国でホテルの予約を取り直すのは面倒なことになったなと思う(韓国は飛び込みでモーテルに行けばなんとかなるが)。

    夕方になり寒くてジャケットを着るCarmela。さすがシンガポール在住である。自分なんかは1200kmを通して一度もジャケットを着ることはなかったのだが、Carmelaは20度ぐらいになるともう寒く感じるらしい。

    208km地点のPyeongchangでオリンピックの名残を感じるモニュメントがあった。平昌オリンピックが開催された地域のようだ。

    少し進んだ226kmの中心街と思われるところで飯にしようかという話になったが、適当な店が見つからず、結局セブンイレブンへ。ここで作戦会議が開催された。380kmのUljinまで行くと夜が明けてしまうため、手前に宿を取り直そうという結論になった。Daeが中心となって宿を検討し直し、270km地点のコントロール直後のところに宿泊することにした。Carmelaはいつもは23時ぐらいには寝るので、さっさと宿に入って朝早くから走りたいスタイルらしい。自分はどちらかというと深夜まで走って距離を稼ぎたいスタイルなのだが、特にこだわりもないのでみなさんの方針に合わせていく。初日から110kmショートというのはなかなか先が思いやられる展開ではあるが。

    標高800mから一気に下って、朝鮮半島の東側の海岸線へ。多少のアップダウンをこなし、コントロール3でスタンプを押す。予定していたよりかなり大きなビハインドなので明日からが大変だと思いつつ、ホテルで就寝。三部屋を確保できたので、一つはCarmelaに割り当て、自分はDaeとJohnと同じ部屋となった。当初の予定より宿の滞在時間がだいぶ削られるが、睡眠時間は三時間ぐらい確保できたのでまぁよしといったところ。

    6月7日: Day 2

    4時頃にリスタート。元々の予定では二日目は700km地点のGeochangまで行く予定だったが、430km先になるのでちょっとしんどい。早々に計画は変更され、ドロップバッグ地点でもある600kmのSangjuに変更。ここもDaeがサクッと部屋を確保してくれたので、二日目は330km走ってSangjuを目指すことになった。

    再開してしばらく進んだセブンイレブンで朝飯にし、終わり次第バラバラに各自再スタートということで、TroyとCarmelaが先に出ていく。それに続いて自分も再スタート。

    しばらく一人旅となった。海岸沿いの街をいくつか通過していく。後日談として聞いたところによると、どうもこのあたりでパンクトラブルに見舞われたmomさんをパスしたのだと思われる。全然そんな姿は見かけなかったので、自転車屋へ移動している間にパスしてしまった可能性大。ちなみに日本人参加者は数名いたが、スタート時間が違ったというのと、我々がぶっちぎりで遅れていたので、結局日本人参加者には一人も会わなかった。

    シアトル勢、なかなか調子が上がらないようで、特にMarkは体調もよくなさそうであった。Uljinのコントロール4に到着してTroyとCarmelaに合流し、そこにたまたまいたオーガナイザーのYoungsam(というか参加者と一緒に走っているのだが)にスタンプを押してもらう。

    そういえばMarkとDaeはSpotwallaで位置を共有してたなと思い、現在地を確認すると15分から20分ぐらい後ろにいる様子。先に進んでコンビニで休憩していると、ようやくシアトル軍団とJasonがやってきた。合流してしばらく進み、キッチンカーが出ているところでYoungsamに呼び止められ、アイスコーヒーをおごってもらう。カムサハムニダ!Markはかなりきつそうで日陰に座り込んでなかなか動こうとしない。先に行ってくれというので、Jason、Troy、Carmelaと一緒に先行。

    しばらくしてまたまたコース沿いの商店で休憩。とにかく暑い。水浴びなどをして待つ。しかし待てど暮らせどMarkだけがやってこない。そこにMarkからメッセージで一報があり、DNFすると。残念だけど全然いつものMarkではないので仕方ない。我々が出発しようとしたところにようやくMarkが到着したもののなかなかしんどそう。

    Youngsamが415km地点の町から出ているバスを予約し、Markはそれに乗って離脱となった。

    さてここからは二日目の一番の上りである。そこそこ斜度があって大変だった。各自のペースでとなったので、Carmelaと自分の二人が先行して登り切り、コントロール5で後続を待つ。売店には大したものはなかったけど、水やスナック菓子は置いてあったので助かった。

    そろそろ夕方であるので、コントロール5から先にYoungsamとJasonの二人が先行して下っていき、470km地点の町で飯を食う場所を確保するということになった。地元民の助けがあって大変ありがたい。いろいろな韓国料理が出され、かなり満足した。まぁ結構時間も食うわけだが。

    日も暮れてナイトライドに突入。JasonとYoungsam、私で先行し、連続するアップダウンをやっつけていく。520km過ぎの町でコンビニが営業していたので吸い込まれて後続を待つ。Bertanも合流。しかし、ここでも待てど暮らせど後続が来ない。JohnとDaeがこんなに遅いわけがないよなと心配していたら、Johnから一報があり、Daeのホイールのスポークが折れたのでゆっくり走ってるが、どうにもならんので一緒にDNFにすると。残念だが仕方ない。

    コンビニを出て峠を越え、556kmのコントロール6では簡単な補給だけで済ませた。CarmelaやTroyはもうちょい休憩してからということで、我々が先行。特にシンガポール在住であるCarmelaはかなり寒く感じているようで、レインコートを買って着込んでいた。自分を含め他の面々は半袖である。JasonとBertanと一緒にSangjuへ向けて走り出す。さらにYoungsamも追い付いてきて四人で快調に飛ばす。そこにThaiもひょっこり現れた。まぁThaiはPBPを50時間台で走るような人なので直前に岡山1300を走ってきたといってもなんだかんだで集団の先頭を引いているし、登りも飛んでいってしまう。昼過ぎから先行していたけど、どこかで大休憩していたらしい。五人でSangjuに到着。

    Sangjuのコントロール7ではKorea Randonneursの代表であるJanさんに出迎えてもらった。PBP2023の翌日にRambouilletで開催されたLRM総会で会って以来。

    ドロップバッグを受け取って、Daeが確保してくれたモーテルへ。Daeの奥さんの名前で予約していたので、チェックインで押し問答があった。Daeの奥さんのファーストネームってなんだっけ?ということで、必死でファーストネームの記憶を呼び起こし、フルネームを伝えてなんとかチェックインすることができた

    あと、DaeはSangjuでホテルを二つ確保してくれていて、Troyと自分、それとCarmelaで二つの部屋に分かれればよかったのだが、我らがリーダーのJasonからの情報伝達ミスで、自分が先に到着して寝かかっていたところにTroyもCarmelaも来てしまった。米国人男性Troy(しかも今回初めて会った)とフィリピン人女性Carmelaと三人でモーテルの一部屋に泊まることになった。よくわからん流れだ。自分が先にベッドに寝転がってしまっていたので、Melaさんが横のソファで、Troyは冷房が寒いと言ってバスルームのベッド(いかがわしい行為をするところ)で寝た。二人の到着後もバタバタしていたので一時間半ぐらいしか睡眠時間を確保できなかった。普段のブルベではこんな短い睡眠時間では走らないので、これが後々響いてくる。

    6月8日: Day 3

    Photo by Bas

    出発前の集合写真。左から、Troy、Bertan、Jason、Thai、わたし、Carmela。(Photo by Bas)

    8時にコントロール7に集合としていたので、7時過ぎに起きて準備をする。三人が一部屋に押し込まれていると大変である。ドロップバッグを戻しにいくとA Damがいた。こちらもKorea Randonneursの方で先述のLRM総会に参加されていたので、久々の再会となった。ちょっと前にKorea RandonneursとAudax Japanでメダルの融通をした際に窓口だった方なのでAudax Japanとしても交流がある方である。

    が、我々はギリギリ隊なのであまり時間の余裕もない。とりあえず朝飯を食うぞということでベーカリーに入る。Jason、Youngsam、Bertanの地元勢、Thai、Troy、Carmela、わたくしの七人のパックで三日目スタート。

    そして早々にまたメカトラ。まずはJasonのタイヤ。ちょっと空気が抜けているだけのようだったので空気を追加するだけで続行。しばらく走ると今度はTroyの革サドルのビスがなくなっていて、サドルの前側が浮き上がってしまって上手くサドルに座ることができない。645km地点の街に自転車屋を発見したようなので、そこで対応することに。自分は眠気もあっていまいち元気が出ないので集団からちょっと遅れてマイペースで進む。さらに途中でコンビニに立ち寄ったりしたので一人旅に。

    645kmの街を通過し、しばらくすると自転車屋でのメカトラ対応を終えたTroyやJasonが合流してきたが、暑さもあって自分のペースがなかなか上がらず。とはいえ、Carmela御一行も後ろから現れたりで、もう各自暑さ対応のために休憩を挟みつつなのでそんなに離れてるわけではない感じ。

    そして当初二日目の宿泊地としていたGeochangに着いたのは昼過ぎ。コントロール8ではちょうど自分の到着と入れ替わりに先行集団の面々が補給を終えて出ていくぐらいの感じ。

    自分的にはここからが大変であった。完全に一人になっちゃったし暑いし眠いしで、バス停でのショート仮眠を何度も繰り返していく。Youngsamが全体のケツ持ちのような感じで、ガーっと走っていって大休憩という走り方をしており、彼が常に自分の前後にいたが、かといって常時一緒に走るというわけでもないので、喋り相手もおらず。何度止まって仮眠したか数え切れない。

    Namwonのコントロール9でも状況はGeochangと概ね同じで、自分が到着するのと入れ替わりでみなさんが出ていく。とはいえ、これだけ仮眠を重ねての到着なので、集団もあんまりペースはよくないのであろう。Jasonが軽量化のために集団から少し遅れて出発したので、補給してた自分もそそくさと準備して、軽量化を済ませ、そんなに離れてないであろうJasonを追う。

    しかし、やはり眠い。追いつかない。Namwonからガツンと一発登るのであるが、その道中もバス停を見つけるたびに吸い込まれて仮眠を重ねた。普段の四桁のブルベではちゃんと寝てるので眠気を感じて走るということはほとんどないけど、今回は集団で走ることにした結果、メカトラにも付き合って睡眠時間もあまり確保できずでかなり眠い。眠さの全盛期には5kmに一回程度のスパンで仮眠した。

    ただ、登りが続くと自分の方が分がよいらしく、862kmのMujuに向けて続くアップダウンの途中でJason、Carmela、Bertan、Yougnsamのグループに追い付いた。コンビニで休憩していたようだ。集団に追い付いて喋り相手がいるのといないのではだいぶ違う。ここはドロップしないようにがんばる。

    と思っていると、今度はJasonとCarmela、Youngsamがバス停ストップ。自分は眠気が飛んでいたタイミングなので、先にMujuのコントロールに行くことにし、すぐに追い付いてきたYougnsamと一緒にMujuのコントロール10へ向かう。

    どうもMujuの正規のコントロールのセブンイレブンが深夜なので閉まっているらしく、手前のCUでもいいということになった。オーガナイザーのYoungsamがそう言うなら問題ない。

    Mujuが862km、元々我々が宿泊予定としていたのは994kmのGoesan。Mujuの到着が午前2時なのでさすがにGoesanまで行くのはもう無理だろう。YougnsamやBertanはMujuで宿を取っているようなので、ここでお別れ。JasonとCarmelaは全然追い付いてくる気配がないのでバス停仮眠が長引いているのだろうか。無駄に待っていても仕方ないので一人で先に進むことにする。Mujuのルート沿いの適当なモーテルに入ってみたが、部屋は空いてなさそうだ。この先の900km地点に街があると言うことは把握していたし、いくつかモーテルがあることも把握している。とりあえず一人で先に進み、飛び込みでモーテルで寝ることにする。どこかでちゃんと寝ないと最後まで持たない。

    と言うことで、4時過ぎにYeongdongという街に到着し、検索して適当なモーテルへ行き、窓口のおっさんを叩き起こし、翻訳アプリで部屋はないかと問う。一件目で部屋はないダメだと言われ、しゃーないなと思って次へ行こうとしたら窓口のおっさんが追いかけてきて「お前自転車乗りか。5万ウォン(5千円ちょい)でどうだ」と言うので、即決して部屋に入れてもらう。助かった。

    時刻は4時半。そろそろ最後のタイムリミットを気にしつつ走らないといけない。今回は7時スタートを選んだので90時間のリミットは午前1時。残り300km強なので20時間あれば多少トラブルがあっても大丈夫だろうとは思うが、寝る時間もちゃんと確保したい。7時に走り出せば1時まで18時間あるので、まぁなんとかなるのではないかと思って、6時まで寝ることにした。言うても宿に入っていろいろやっていたら5時になっていたので睡眠時間は一時間しか取れなかった。大変厳しい。

    6月9日: Day 4

    6時半頃にモーテルを出て、近くのコンビニで朝飯を食べ、7時前に走り出す。18時間で300km強。最後の区間がサイクリングロードなのでそこでの辻褄合わせに期待である。とりあえずグループチャットに「rolled out at 6:50」と一報入れておく。

    概ね緩やかに登っていく感じだが、そのピークの954km地点、Gal-ryeongのコントロール11直前の登りが思っていた以上にキツかった。とはいえ、ここからはピークの高さは下がっていく一方。少し気分が楽になった。いくつか登りはあるけど、これより大変なものはもうない。Gal-ryeongの到着は10:15。あと250km。14時間45分。ギリギリ隊である。が、これまで会ったことのない他の参加者もいたので自分一人というわけでもなさそうだ。

    994km、Goesanのコントロール12には13時に到着。あと210kmで12時間。この日はかなり暑く、そこに眠さも加わっているのでかなり微妙な感じ。最後にサイクリングロードが100km近くあるので、どれだけ巻き返せるか。

    Goesanを出たもののなかなかに暑く、加えて眠さで集中力も散漫になっているので何度もミスコースを繰り返し、焦りだけが増幅する。そんな中、1030km過ぎでJasonとBertanに追い付いた。コンビニ休憩していたのだろう。ちょっと安心。自分もそのままついていく。とはいえすぐにドロップしてしまう。

    1085kmのYeojuのコントロール13の手前では韓国のRaphaの男女二人組コンビに追い付いた。到着は18:15。残り120kmを6時間45分、サイクリングロードだということを考えればなんとかなりそうだ。JasonやTroy、Thai、Bertanが出発するところだったので、サクッと補給を済ませてグループに復帰。信号で前とは離れてしまったけど、Bertanと一緒に走ることになり、二人でサイクリングロードに突入。

    Photo by Bertan

    広くて平坦で快適なサイクリングロードなのでスピードは出る。Bertanもいるので話し相手にも困らない。が、途中でBertanがちょっと休憩していくということで停車。自分が先行する。一人になるとサイクリングロードの分岐がなかなか難しく、ミスコースを繰り返す。焦る。

    Photo by Bertan

    しばらくするとBertanが追い付いてきたので、サイクリングロードの先導はBertanにお任せしてしまう。こういうのは地元民に頼るしかない。韓国Raphaの二人組やYoungsamも追い付いてきたので五人で残り距離を減らしていく。このままのペースでいけば0:30ぐらいには到着しそうだという雰囲気。残り50kmぐらいを切ったところで、またまたBertanが休憩のために停車、Raphaの二人組やYoungsamも小休止するということだったが、自分はそのまま一人で先行する。どうせすぐに追い付いてくるだろう。自分は一人なのでミスコースを繰り返すはずなのだ。そしてその通り、Seoul圏に入ってもサイクリングロードは初見のものにはなかなか難しく、ミスコースを繰り返す。そうこうしていると他の面々が追い付いてくる。

    そしてサイコンの距離カウンターは1200kmを超え(コースは1202kmだったけどいろいろあって8kmほど余分に走っている)、あと10kmもないし1時のクローズにも十分間に合いそうという状況になった。BertanとYoungsam、Rapha勢もいるのでこのまま一緒に進めばOKだというときに、ちょっとバンプが続いた箇所で前から少し遅れ、そのタイミングで進行方向を見失った。

    サイコンのカウンターは1208km、おそらく時間は0:30ぐらい。ゴールまであと1kmちょっとのところ。ちょっと落ち着こうと思い、近くにあった階段に腰を下ろしたのがよくなかった。クローズの午前1時までの記憶はここで途切れている。

    あれ?

  • Korea 1200へ参加するために韓国へ

    昨年フィリピンのLa Union 1300が終わった直後にMarkから「来年は韓国に行くけど一緒に行くか?」とメッセージが来たので二つ返事で参加を決め、WhatsAppのグループチャットに入れてもらった。概ねフィリピンで同じだった面々で、アメリカ、オーストラリア、フィリピン、日本の多国籍軍となった。さらに韓国の大学で英語を教えているJasonも加わり、現地のことや韓国ブルベのtipsについては彼経由でいろいろ教えてもらった。

    今年は米国の関税引き上げの影響で仕事の方のプロジェクトの完了が後ろにずれ、6月上旬は都合がつかなかったのだが、元々予定していた韓国行きということもあり、関係者の皆さんには少しスケジュールを前倒しして対応していただいた。

    6月4日

    前日にAJ20周年関係のミーティングがあり、そのまま居残り組で午前2頃まで喋っていたが、自宅を出るのが5時の予定だったのでかなり眠かった。

    無事に午前の便で韓国へ。到着した空港は仁川ではなく金浦。航空券を探し始めたのが5月半ばぐらいでアシアナ航空の羽田-金浦便ぐらいしか安そうなのがなかった。探せばもっと安いのはありそうだが。

    空港に着いて、現金はあんまりいらんだろうと思いつつも、とりあえず2万円分をキャッシングしておき、地下鉄でSingil駅へ。空港駅からは一度も乗り換えなし。

    宿泊地はYeongdeungpoのFairfield by Mariott Seoulである。フィリピンのCarmelaさんやシアトルのMark、カリフォルニアのTroyはすでに到着していたので、自転車を組み立てた後に四人でホテルの近くの焼肉屋へ向かった。

    夕飯から戻ると、フロントでシアトルのJohnとDae、Daeの奥さんがちょうど到着したところ。JohnはLa Union 1300以来、DaeはPBPのスタート地点でシアトル勢を見送ったとき以来である。彼らの夕飯に付き合うため、そのまま近くの韓国料理の食堂へ。コリアンソーセージとか食った。一日目はこれで終了。

    6月5日

    二日目は朝を軽く済ませた後、昼飯を食べに近くの市場へ。Daeは奥さんともども韓国系アメリカ人なので韓国では非常に頼りになる。大変世話になった。

    昼飯の後は自転車でゴール地点になるDr. Bikeへ向かう。ドロップバッグ用のバッグを事前に渡してくれるというのでお言葉に甘えることにした。当日、スタートでドロップバッグを準備するのも面倒くさいし。シドニーの空港で期限の切れたパスポートを持ってきたことに気付き、予定していた便に乗れず、さらに別の便に変えたらディレイでスタート前から一同をドキドキハラハラさせたオーストラリアのWarrenも合流。あと、Bhanuも合流して、大所帯でDr. Bikeへ。

    夕飯はタクシーで国会議事堂近くの韓国料理屋へ。これもDae夫妻のチョイス。ホテルに戻って、朝飯と補給食を近くのコンビニで買い込んでから就寝。

  • 2025 BRM517 たまがわ400km 金精峠

    今年のSRゲットのため、先週の鬼怒川が終わった後に滑り込みでエントリー。これを完走すれば200から600までの完走となる。またまた雨予報であるが仕方ない。これ以降は400の開催は少なくなるし、日程が合いそうな開催もあまりない。ここで決めておきたいところ。

    スタートから延々と雨が降り続き、雨から解放されたのは梅田大橋に到着した昼過ぎ。そこまでは心を無にして雨の中を走った。三県境のがっかりスポットっぷりも体験した。大間々からの赤城山麓のアップダウンはからっかぜ街道ではなく比較的マシなルートであったので気分よくクリアした。

    17時過ぎに沼田のコントロールに着き、雨具を脱ぎ、60kmほど先の金精峠まで登る準備を整えて出発。片品へ向かう途中でランドヌールとスライドしたが、これはR東京の開催だったようだ。同じコンセプトで首都圏から金精峠へ向かうブルベのようだが、あちらは夜中2時スタート。まぁこれが正解だと思う。我々が金精峠へ向けて登り始めるのは日没後なのだ。自分が19時半前に道の駅尾瀬かたしなを出発して、金精トンネルへ到着したのが21時半。こんな時間に1800mまで登るのはSRシリーズのブルベとしては気が触れている設定だと思うので、たまがわの金精峠400は0時スタートが最適なのではというのが個人的な感想。

    日光へ下って今回は迂回路となっている林道のような区間を抜け、鹿沼から佐野、そして関宿から松戸へと戻ってきた。関東平野に下りてくると霧がすごくて後ろの車から視認してもらえるかめちゃくちゃ不安だった。リアライト三つ、ヘルメットライト二つを全開放でアピールした。江戸川沿いはまだ交通量の少ない時間帯で走りやすかった。

    あと、栃木か佐野あたりの段差でリアフェンダーが跳ねてタイヤに巻き込まれてぐにゃりと曲がった。本当に悲しい。どうしようかこれ。

    GWの1560kmから600km、400kmと走ってSRをゲット。群馬県、栃木県には三週続けてお邪魔した。これからは暑くなるし、集中的に走るのはこれで一段落。

  • 2025 BRM510 たまがわ600km 鬼怒川

    BRM510 鬼怒川600 (2025) | AJたまがわ

    600kmの認定をゲットするべくエントリー。お馴染みのコースなので特別な準備も不要。元々宿は押さえてあったが、値段が変動していたので、当日自宅を出る前に予約し直した。スタート時は雨が降っていたが、しばらくすると雨雲は抜けてしまう予報だったので最低限の雨装備をして出発。スタート時刻は6時と7時のどちらでもよかったが、とにかく早く宿につきたいので6時で出発する。いろいろあったが、6時発は三人のみ。寂しい。

    今週も群馬県へ来ております。

    お馴染みのコースを秩父、小鹿野、志賀坂峠と通過し、道の駅オアシスなんもくで一人の参加者と会ったのがこのブルベ最後の他の参加者との触れ合いであった。以降はひたすら一人で走り続けるだけだった。西那須野には23時半過ぎに到着。コンビニで食料を調達していつもの宿であるセレクトインへ。毎度毎度自転車をフロント横へ置かせていただけるので重宝している。とてもありがたい。

    天気が良くて神橋が素晴らしかった。

    二日目は3時半過ぎに起床し、4時過ぎに宿を出る。西那須野のコントロールの仮想クローズが4:24なのでほぼ貯金ゼロでのリスタートとなる。思ったよりも寒くなく、早朝の塩原温泉郷を抜け、6時半頃に上三依へ。長い下りをこなし、8時半過ぎに日光のコンビニで一時停止。この時間帯だとまだ観光客も多くないので快適である。日足トンネルをビクビクしながら通過し、またまた長い下りへ。しかしこの下りが大変だった。渓谷で風が渦巻いているというか、風向きが一定にならない上に突風も吹き、思わず停止することが何度もあった。向かい風にもなるので下りなのに踏まないと進まないしで思っていた以上に時間がかかってしまった。

    大間々以降は追い風に変わったのでめちゃくちゃ快適だった。たまに横風になってハンドルを取られそうになったけど、それを除けばサドルに座っているだけで軽く30km/h程度のスピードが出るのだ。快適すぎる。暑過ぎるわけでもなく、5月晴れという天気でもあった。順調に残り距離を減らし、19時半頃にフィニッシュ。一時間ほどダラダラし、雨が降り出したので慌てて帰った。とりあえず今年も600kmの認定をゲットした。一安心。

  • 2025 RM430 近畿1540km 旅烏の東日本紀行

    追加エントリーに滑り込んで無事出走。

    ゴール後の翌朝(5月6日)の飛行機を押さえたということもあり、あまり早くにゴールしても意味がないけれども、ギリギリゴールだと翌朝までに輪行準備するのがしんどいだろうなと思い、5月5日の夕方あたりの完走を目処に計画を立てた(クローズは5日22時)。

    元々は、河内長野→豊田→高崎→白石→八戸→伊達→千歳の六日間の行程としていたのだが、フレッシュの際に西川さんのプランを聞くと、最終日は函館から千歳までとするプランで、そこから逆算すると四日目は盛岡まで、五日目は函館までとのこと。悩んだ結果、そちらに乗ることにした。で、河内長野→豊田→高崎→白石→盛岡→函館→千歳とした。長くても一日300km程度なので気が楽である。修正前のプランだと白石→八戸で360kmほどあったはず。

    ドロップバッグも送った。白石と函館、あとはゴール後の千歳へ。四日目(白石→盛岡)に雨が降る予報だったので白石に雨対策グッズを送っていたが、これは失敗だった。白石へ向かう三日目(高崎→白石)から本格的な雨となり、雨具を迎えに雨の中を走るという悲しい結果になった。

    4/30 河内長野→豊田

    1日目は河内長野から豊田までの210km。スタートしてすぐの信号調整のためにウェーブを区切ってのスタートとなったが、自分は平野さんや松田さんと共に一番後ろでスタート。PC1までは一緒だったけど、そこから先はバラバラに。伊賀を通過した後あたりで北海道の堀川さんや田中さんに合流。PCもまだ人が多く、まきよさんや西川さんも合流して名古屋市内の信号峠を進む。ここら辺は地元民の南さんが先導してくれた。南さんは遠征先でよく会う方である。概ね予定通り、23時頃に豊田の東横インに到着。

    5/1 豊田→高崎

    2日目は豊田から高崎までの309km。予定通り5時に出発するべく出ていくと、田中さんや平野さんも同じタイミングで出てきた。さらに主担当のマリオさんも。ホテル近くのなか卯で朝飯を食ってPC3へ。RC名古屋の金井夫妻に出迎えていただいた。しばらくは上記の面々で走っていたけど、登りでバラバラになり、自分は田中さんとご一緒することになった。治部坂峠を越えて飯田に入り、天竜川沿いを追い風で快調に駆け抜け、諏訪へ。ここで台湾のスタンレーや米田夫妻と一緒になった。さらに和田峠(トンネル)を越えて佐久へ。田中さんは佐久に宿を取られていたのでここでお別れ。自分は軽井沢から碓氷峠を下って高崎へ。軽井沢に着いた頃に雨が降り出した。おやおやおや〜。碓氷峠は真っ白で緊張のダウンヒルであった。24時ちょうどに高崎に到着。24時閉店のセブンイレブンに駆け込んで買い物をさせてもらい、駅前のホテルニュー赤城へ。SR600上毛三山の際に前泊した宿である。かなり昭和感がある古いホテルだが、安いし自転車を持ち込ませていただけるので今回も利用することになった。

    5/2 高崎→白石

    3日目は高崎から白石までの305km。登りもほとんどなく平坦といってもいいプロフィール。ただ、雨が前倒しになる天気予報になっている。雨に降られることは覚悟せねばなるまい。5時前に宿を出て、松屋で朝食を食べてから走り出す。しばらくするとまきよさんに追いつき、その後何名かが合流。高崎から足利や佐野を抜けて宇都宮へ向かうのはAJたまがわではお馴染みなので土地勘がある。どんなアップダウンがあるのかも把握しているので自分が先頭でサクサク進む。10時半頃に宇都宮駅に到着したので、駅前の宇都宮餃子館へ向かったがなんと準備中。ここは早朝から営業しているはずなのだが、今は一時的に昼からの営業になっているとのこと。なんということだ。まきよさんに平謝りで宇都宮のPC6へ。そしてついに雨が降り出す。ウインドブレーカー兼レインジャケットは持っていたので、それを着る。他はノーガードで行くしかない。愛用しているdhbのレインディフェンスのレッグカバーとアームカバーは白石にあるのだ。迎えに行かねばならぬ。ここからはまきよさんと近畿のおりたさんと私の三人で北上する。途中、松田さんや北海道のウリくんと一緒になったが、我々が白河に入ってすぐのコンビニで休憩に入ったところでお別れ。夕方になり、これからの雨のナイトライドに備えて腹ごしらえをするのだ。そして雨が降る中をただひたすらに前進する。途中で一度も休憩を入れることなく宮城県へ突入し、23時頃に白石のパシフィックホテルに到着。同じ白石泊のまきよさんは別のホテルだったのでここでお別れ。おりたさんはさらに仙台まで進むというので見送った。

    5/3 白石→盛岡

    4日目は白石から盛岡までの237km。一気に距離が短くなる。今日は夜遅くまで走る必要はない。5時過ぎに宿を出て、近くのコンビニで軽く食べてから出発。雨は上がっているし、寒過ぎるということもなく、サイクリングには持ってこいの日になりそうであった。東北本線沿いを離れ、いくつかアップダウンをこなして仙台へ。しかし、仙台から先は風と悪路との戦いとなった。西からの風が強く、北上する際には真横から強風が吹きつけてくる。車道側へ押し出されそうになるので、たまに停止することもあった。国道4号は交通量が多い上に路面も悪く、自転車で走るにはかなり気を使う。加えて強風もあるので、安全策で歩道を通ることも多かった。まったく他の参加者には会わなかったが、平泉の手前で松田さんに追いついた。が、自分がフェンダー調整している間に松田さんが先行、そして平泉でなんかのイベントで通行規制がかかる寸前に通り抜けた松田さんに対し、自分の目の前で道路が封鎖された。松田さんの背中を見送りながら停止を余儀なくされる。痺れを切らした歩行者が突破したのに乗じて自分も通り抜けに成功。あとは盛岡まで淡々と走る。松田さんに再び追いつき、さらにおりたさんにも追いついた。19時前に盛岡に到着し、八戸まで進むお二方を見送って東横インへ。

    5/4 盛岡→函館

    5日目は盛岡から新青森までの226km。新青森から新幹線で北海道へ渡り、函館で宿に入る予定。走行距離としては一番短い。計画通り0時頃にチェックアウト。入れ違いでスタンレーが盛岡に到着。宿がないようなので自分がチェックアウトしてきた宿を教えた。使わせてもらえるかもしれんしの。で、コンビニでゴム手袋なんかを買って準備をする。すでに雨が降っていて深夜の雨ライドとなるが、国道4号を交通量の少ない時間帯に走ってしまいたいというのもあり、この時間帯の出発である。交通量が少ないのは正解であったが、この季節に東北で深夜に雨ライドをするのはなかなか大変。途中でコンビニ休憩を入れつつ八戸へ。そこでフィリップさんに会った。八戸から青森までの国道4号はイザベラなんかで通ったこともあり、とても酷いという印象しかない。今回も印象は変わらずであった。13時頃に青森のフェリーターミナルに到着し、PCでレシートだけゲットして新青森駅へ。13:59の新幹線を事前に予約してあったのでそれに乗り込む。フェリーをキャンセルしたフィリップさんも同じ新幹線で北海道へ渡った。在来線へ乗り換えて五稜郭駅で下車。もう少し先まで進むフィリップさんと別れ、自分はPC10に立ち寄った後で函館の宿、ビジネスホテルよしずみへ。16時には到着したのでかなり早い。本当は宿に行く前にラッキーピエロに行く予定だったのだが、混雑していて待ち時間が長そうだったので諦めた。

    5/5 函館→千歳

    6日目は函館から千歳までの271km。23時前には走行を再開できるようにしようと思い、22時には宿を出て、セイコーマートへ行き、この旅では初となるセコマ飯を堪能した。そして23時前には千歳へ向けて走り出した。が、やはり北海道の深夜は寒い。森町のコンビニでホッカイロを購入して、寒さで肩こり感が出てきた肩を温める。放っておくとシャーマーズネックみたいな症状になるしな。また、八雲町のセイコーマートが24時間営業であることは事前に把握済みであったので、そこでさらにセコマ飯。明け方少し眠気が来たのでバス停(帝国ホテル)でしばし横になる。誰とも会わないので喋り相手もおらず、一人で淡々と進むしかない。長万部以降の静狩峠などを越え、伊達のPC11には8時前に到着。残り110km程度なので昼過ぎには到着しそうである。途中で一回休憩を入れ、白老で馬産関連の写真を撮りつつ苫小牧へ。いよいよゴールである。と思っていたら急に後輪からシーラントが噴き出した。ここまでまったくのノートラブルで順調に来ていたのにここでかーと思ったが、幸いシーラントで塞がる程度の穴のようで急激に空気が抜けることもなさそうだったのでそのまま続行。こういうのはチューブレスの良い点である。14時前に千歳に到着。121時間56分の旅であった。ノースタッフなのでフィニッシュのコンビニには誰もいない。少しすると西本さんや松田さんが到着。お二方ともそのまま飛行機で帰宅するというので見送って、自分は千歳のルートインへ。ドロップバッグを受け取って飛行機輪行の準備をし、シャワーを浴びてもう一度フィニッシュのコンビニへ。フィリップさん御一行やひであさんがいた。後続の方々が到着するので出迎えることにする。チコリンさんやR札幌の野崎夫妻もいらして、みんなを待つ。最終走者となったまきよさんを迎えたところで自分はホテルへ戻った。

    翌朝、朝食の時間と同時に会場へ入り、ささっと朝食を食べて空港へ向かう準備をする。AR四国の米田夫妻は少し後の便だそうだ。RMは全国から毎度お馴染みの面々が集まってくるが、こういう時にしか会わないけどどうせまた会うだろうし、という確信もあり、長々とした挨拶はなく、軽く「じゃぁまた!」でお別れである。どうせまた会うんですよ。

    昼過ぎには自宅に戻った。コースプロフィールからすると思っていたよりしんどいブルベになったなという感想だが、天気が崩れたことと悪路によるところが大きいと思う。この時期はまだ東北や北海道の団体はナイトライドを含む開催をしていないのだ。本州民が季節感を弁えずに当地へ行ってナイトライドで寒さに苦しむのは自業自得かもしれない。そうは言ってもワンウェイで遠くまで行くブルベは旅感があって楽しいし、多くの人が参加できるのはGW開催になるだろう。一人旅ではなく、みんなで同じ目的地を目指して走るというのもブルベならではの一体感がある。楽しい一週間でした。またどこかのブルベで会いましょう。

  • Fleche Nihonbashi 2025

    2025 フレッシュ日本橋 | Audax Randonneurs Nihonbashi

    昨年までのチームは一旦終了となったので、今年は新しいチームで。昨年末の飲み会をきっかけにとんとん拍子で結成されたチームである。当日まではかなり不安で全員揃っての完走は難しいのではないかと思っていたのだが、気象条件に恵まれ、誰一人欠けることなく361kmを走って認定となった。

    序盤に道志道を登って借金を抱えるコースになっているので、ひたすら借金を返すだけの作業となってしまったが、これがフレッシュの楽しみでもある。平坦コースで時間に余裕を持って走ってグルメや会話を楽しむフレッシュもいいと思うけど、切迫感のあるフレッシュの方がヒリヒリしていて楽しいと個人的には思う。フレッシュは年に一度、他のどんなブルベより緊張する週末だ。

    ではまた来年。

  • 2025 BRM406 たまがわ200km 定峰

    近年は主担当か副担当で事前認定だったので、当日に定峰200を走るのは2018年以来。

    今年はAJ20周年であります。

    雨の心配をしつつW2の後方でスタート。C1まではモロさんと、C1からC2まではハチヤマさんと、C2から松郷峠を下るまではもりとさんと一緒であった。

    定峰峠は桜が見頃であった。事前認定で二週前とかに走るとこの景色は見れんのよな。

    青梅日立前でもりとさんを待っていたものの、自分も制限時間内に間に合わなくなりそうなので泣く泣く一人で出発した。あとはゆるりと走ってクローズ10分前に到着。雨が心配されたが天気は崩れず絶好のサイクリング日和だった。

  • 2025 BRM322 東京300km 富士熱海

    2025 BRM322東京300 富士熱海

    先月の300kmで認定をゲットできなかったので、急遽エントリーして300kmの認定を拾いにいってきた。このコースは2015年、2023年に走ったことがあって今回で三度目である。ナビがなくても走れるレベルで自分的にはお馴染みのコース。一週間前の石廊崎400を寒さと雨でDNSしたが、この週末は天気がよく、むしろ暑いぐらいであった。

    しかし、今年は年初に体調を崩していたこともあって、全く自転車に乗れておらず、体重は増え、フィジカルは衰え、という状況であり、2023年より一時間以上遅かった。特にのんびりしたわけでもないのだが。強いていえば向かい風がきつくて籠坂峠から三島までおっかなびっくりのダウンヒルになったことが原因か。いずれにせよ、自分が思っているほどスピードも乗らなかったし、乗り込んでない影響をひしひしと感じた300kmであった。

    道志道のセブンイレブンでY内さんにばったり会った。こんなこともあるんだな。

  • 2025 BRM222 静岡200km 新城

    Audax Japan Shizuoka  AJ 静岡 – 2025BRM222新城200

    先月のいちご200にエントリーしていたのだが体調不良でDNSだったので、その代わりに初AJ静岡へ。金曜日の仕事の後に新横浜から新幹線で静岡へ、在来線で島田へ。乗り継ぎがよいと2時間程度なので結構近い。

    ブリーフィングで代表が「今日は天気が崩れる心配もなく〜」と話されていたように、天気予報でもあまり不穏な空気は漂っていなかったのだが、引佐から新城への道中で雪が降り出した。山の中だから仕方ないし、まぁ浜名湖側へ戻れば大丈夫だろうとは思っていたのだが、浜名湖に出てからも雪は降り続いてオイオイこれは話が違うとなった。弁天島でも写真の通りであった。地元民曰く、ここら辺でこんなに雪が舞うのはかなり珍しいらしい。しかし、午前中に向かい風を我慢した甲斐があって、浜名湖以降は追い風で快適だった。

    帰着してしばしお話しした後、島田駅から輪行で帰宅。