Category: randonneuring

  • 2026 BRM124 たまがわ200km 三浦

    久しぶりのたまがわブルベ。去年5月の金精峠400以来。

    スタート前に中国のブルベでもらった補給食をばら撒いてきた。余ったから持って行けと主催者から持たされたもの。水分必須で口の中がパサパサになる代物である。

    で、GPSの準備とかをしてたらみんながさっさとスタートして行ったので、一人でぬるっとスタートした。そして風が強い一日だった。特に横須賀から藤沢あたりまでは風に翻弄されまくりで、時折の強烈な横風もあって全然進まなかった。海岸沿いは砂が巻き上がっていたので顔が痛かった。鎌倉でmomさんに追いついてから風除け要員として役目を果たし、雑談しつつ帰ってきた。

    寒波が来ていることもあって寒さを気にしていたけど、走っていればそんなに寒くもなかった。とにかく風だなというブルベであった。

  • 中国・海南島の記録(後編)

    5日、朝起きて散歩のついでにスタバでコーヒー。久々のコーヒーだ。中国、基本的にお茶の国なのでなかなかコーヒーを飲む機会がないのである。他の参加者も同様のことを言っていた。

    昼飯はホテルで参加者や主催者の皆さんと一緒に。主催者のLiさん(同い年である)からは今回の運営で改善点はないかと根掘り葉掘り聞かれた。第1回とあるように今後も開催を続けていくらしく、大変熱心な方であった。

    おーのさんはこの日の夕方に帰国するので二人で近くの商店街や市場が並んでいる観光地っぽいところでお土産の物色。

    タクシーで戻っておーのさんを見送り、近くの店で夕飯を食べていると、ジェイソンから連絡があり、運営スタッフ一同と飯に行くから来いとのことでそちらへ向かう。もう腹いっぱいだが。

    海南島を拠点にしている主催者のLiさんとその奥さん、北京から来たシスターティーや新疆出身のイギーさん、お腹のぽっこりでたミスタースーパースターがいた。運営スタッフは他にもう何人かいたのだと思うけど、少人数運営でもCPは有人だったし(もちろんクローズ後はスタッフは撤収しているが)、オーバーナイトコントロールには主催のLiさんがいたし、ドロップバッグもやっていて、よく組織された運営だったと思う。これには大感謝。

    そしてまだ走っている人が二人いて、21時間オーバー、22時間オーバーでそれぞれゴールになりそうだということで、ホテルに戻って待つ。一人は日本でも走っているシンガポールの方であった。一つもドロップバッグを使えなかったので大変臭いらしい。もう一人はマレーシアの方。これで全員帰ってきた。

    6日、帰国の日なので朝からパッキングをして近所をぶらぶら。マレーシア御一行に混ぜてもらって近所のお店で朝飯。美味いチャーハンだった。

    いいホテルでした。帰りは台湾チームと一緒にバスで空港へ向かうかという話をしていたら、マレーシアのEmilyのバンが一人しか乗らないのは勿体無いということでこちらに同乗。

    夕方のキャセイパシフィックの便で海口から香港へ。これは香港勢や台湾勢も一緒。

    香港でみんなと別れて、しばしラウンジで時間を潰した後、深夜便で成田へ。カンボジアから帰ってきた時と同じで、すぐに成田エクスプレスに乗って9時半前に自宅に到着したので、即仕事を開始した。

    中国ブルベ、本土はまた違うのだろうけど、海南島に限って言えば、道路の舗装のクオリティなんかはほぼ日本と同じである。青看板には漢字が書かれているわけで大体意味はわかるし、右側通行以外は日本を走っているのと違いがない。コンビニはないけど超市は結構あるし、食堂もあちこちにあるので、注文さえできれば飯は食える。で、日本人なら漢字の意味はわかるのでメニューに写真がなくても見当がつく。あとは身振り手振りで意思疎通できれば中国語がわからなくてもなんとかなる。自分の知っている中国語なんてニーハオとシェシェ、ドラゴンボールで学んだ数字の数え方、らんまで学んだニャンニーチュアンぐらいである。

    また、日中関係が微妙な状況で果たしてどうかとは思ったが、日の丸マークのついたたまがわジャージ、Audax Japanのおにぎりやアンクルバンドを装備していったが、これも特に何もなかった。終わった後の飯の際に台湾のジェイソンが国際関係についての話に少し言及していたが、主催者の面々は「それはまぁ国と国の間の話だから私たちは日本や台湾からの参加者は歓迎だ」と仰っていた。WeChatの参加者グループでも「ここは政治の話はなしだよ」と中国の方が釘を刺していたので、政治情勢で不安を感じるようなシーンは何もなかった。海南島がそもそも観光地であるということから外国人に対してはフレンドリーということもあるらしく、自分が一人で食堂に入っても普通に対応していただけた。一方、本土側だとまたちょっと違うかもしれないとも。

    時差もほとんどなく近い外国ではあるのでまたブルベ参加に出向きたい国である。中国語がわかるといいのだが。

  • 2026 BRM中国・耀骑海南中心 SH1200km

    公式サイトがどれなのかよくわからんのでこのリンクで。SHというのはSanya-Haikouのことである。

    2026年度BRM中国•耀骑海南中心SH1200 KM耐力骑行认证 – 野途网

    海南島の三亜から海口までのワンウェイの1200km。CP3 (312km)、CP6 (605km)、CP10 (905km)にホテルが確保されているので、毎日300km前後を走るという行程。この三か所へのドロップバッグもやってくれたので(他のコントロールへのドロップバッグも選択可であった)、荷物を軽くできた。ありがたい。

    Google Mapsは使えないし現地の地図アプリを見てもうーんという感じで、どういったところで補給できるかはわからないので、走り出して様子を伺ってから判断するしかない。とりあえず常に50〜100kmぐらい走れる分の補給を持っていればなんとかなるはずである。

    Day 1: 三亜→白沙 312km

    strart—CP3 · Ride with GPS

    4時過ぎに起きて準備。ホテルの目の前がスタートなので助かる。今回はパナチタンです。

    6時にスタート。

    信号もあまり気にせずみんなバンバン飛ばしていく。ジェイソンとおーのさんと律儀に信号で止まっていたらあっという間に後方で、他の方々が見えなくなった。

    序盤からおーのさんが先頭で快調に飛ばすが、自分はこの三ヶ月は特にいろいろあってまったく運動できておらず、過去最高体重に達していて全然走れない。ちょっとしたアップダウンで離れてしまう始末。まだ先は長いし、オーバーペースになって自滅もしんどいしなと思って92kmのCP1に到達する前に自主的に離脱。一人旅となった。さよならだ!

    最初のCPに到着。有人である。

    海南島の西側の海沿いは大変良い眺めの気持ち良いルートなのだが、まったく補給できるところがない。やっとのことで小さな商店を見つけたので店番のおばちゃんとのやり取りを地元のサイクリストに助けてもらいつつ飲み物を補給。

    CP2に着く手前の街で昼飯休憩。そろそろちゃんと食べたいなと思っていたところで他の方が飯を食っているのを発見。そこに同席した。

    超市とはスーパーマーケットのことである。まんまやな。飲み物や菓子パン、スナック菓子があるので日本のコンビニのようなものである。そしてこの老婆餅、大変気に入った。腹持ちもよい。補給食に最適である。

    次のシークレットはキャンセルになったというがとりあえず写真だけ撮っておいた。おーのさんが単独で走っているところに合流したのでしばしご一緒した。その先でジェイソンが休憩していた。どの道この二人とパックで行っても付いていけないであろうということで先に出発。

    社会主義核心価値観!

    途中で二人にキャッチされ、コース沿いに出てきた商店に入ったら店主たちの熱い歓迎を受け、高級茶を振る舞っていただいた。老班章というのはプーアル茶の王様だという高級品だそうだ。ありがたい。

    その後、次の街で夕飯を食べて、一山越えてCP3へ。

    予定通りぐらいで順調。

    Day 2: 白沙→琼海 293km

    CP3—CP6 · Ride with GPS

    4時半頃にリスタート。

    朝から700mぐらいまで登る。1200kmで一番標高が高いのがここ。その後も延々とアップダウンが続き、この日の前半の150kmで3000m以上登る。増量した身体に加え、まだEQUILIBRIUM号が修理から戻ってきていないこともあり、自転車はパナチタン。インナーローが36-28になるので大変しんどい。全然登れない。以前はこの自転車でSR600を走っていたのだが。

    一山越えて朝飯である。沁みる。

    CPでスタッフのおっちゃんがお茶とレッドブルをおごってくれた。謝謝!

    ジェイソンの提案で果物を補給食として調達。

    ランチパックみたいなもんだな。

    まだまだアップダウンが続くので必死のパッチで走るも、ヘロヘロであった。おーのさんは途中で寝てた。

    なるほど〜。

    ちょうど中間点のコントロールで一休みした後、おーのさんとジェイソンより先に一人で出発。後半は概ね平坦だったので助かった。

    二人が全然追いついてこないのでしばし待機して一緒にディナーへ。

    雨がポツポツ。

    後半は広州から来たという若者と一緒に走って気が紛れた。チタンのフラットバーロードにでかいサドルバッグがついてるのに中から出てくるのは小さいフロアポンプだけという変わり者である。よく喋るやつ愉快なやつだった。

    一人になってしまってホテルを通過してしまったのでちょっと戻る。やれやれ。アップダウンに時間がかかったので思ってたより遅い到着となった。

    どの部屋もこんな感じだったらしい。

    Day 3: 琼海→临高 300km

    CP6—CP10 · Ride with GPS

    おーのさんとジェイソンは2時間半睡眠で5時には出るというが、さすがにそれはきついなと思って自分はもう一時間余分に滞在して6時発とした。

    一時間ほど進んだところで、二人が朝飯休憩を終えて出発するタイミングだったので入れ替わりで朝飯へ。日本では正月だが新年感はないですな。やはり旧正月か。

    その後も延々一人旅。オフィシャルのクローズ時刻を過ぎているのでCPにはスタッフがいない。自撮りをする。

    アッ、ハイ……

    三日目のチマコッピを過ぎたので気が楽になる。

    途中で適当な飯を食う。

    マレーシアのNora。昨年1900kmに参加した際、スタート前に自分の自宅周辺をうろうろしていた写真を上げていた。こんなところで会うとは。

    不忘初心!

    海岸沿いに出て、進行方向を北、東へ変えてからが辛かった。ずーっと向かい風で全然進まない。

    CP9で香港の二人が飯を食っているところに混ぜてもらって夕飯。

    この後は海岸沿いを爆風の向かい風に耐えてなんとかかんとかシークレットへ。20km/hも出なくてやべーと思っていた頃である。

    そしてようやくCP10へ到着。向かい風の影響もあって思ってたよりちょっと遅い。

    ジェイソンはすでに先に進んで50km先の宿を目指して出発済みであった。ロビーでカップ麺を食べていたおーのさんももう少し先まで進むことにしたようだ。おーのさんはここにホテルが取っているのになぜ進むんだ?という感じだが。いつもの自爆への道だろうか。ここのホテルはリゾート地のサーファーのためのものなのか、めっちゃ広くて快適だった。部屋が広過ぎて小走りで移動したほど。

    Day 4: 临高→海口 316km

    CP10-finish · Ride with GPS

    最終日も一人で出発。他の参加者も概ね出発済みのようであった。あんまり後ろにはいなさそう。

    50kmぐらいいったところでとりあえず朝飯。漢字の雰囲気で注文していく。そしてどうやらおーのさんは自分より後ろにいるようだ。昨晩に先まで進んだ結果、ホテルがなくてホテルのロビーで寝て体調不良に陥ったらしい。なぜCP10で泊まらなかったんだ……?

    堂々としている。

    CP1の使い回しよなこれ。

    1011kmのCP11でジェイソンが待っていてくれたので久々の再会。残り200kmを13h30である。大きなアクシデントがない限り大丈夫そうである。おーのさんはさらに1h30ほど後ろを走っているようだ。ジェイソンはおーのさんを待つと言うので、自分は先に行かせてもらう。待って合流しても二人のペースに合わせて走るのは無理であろうし。

    これはスプライト?とグミ。

    勢いがある。

    中国のランドヌールが飯を食っていたので自分もここに飛び込み、昼飯を。「チキン!」とか「ヌードル!」とかわめていて出てきたのがこれ。美味かった。

    立派な橋だった。

    いよいよ最後のCP。ロケットが目印でわかりやすい。と、ここでスローパンク。カンボジアでパンクした際にパッチを貼って対処したママのチューブで来たバチが当たった。CYCPLUSの気圧計がうまく作動していないのか、常に9.99BAR表示でうんともすんとも言わないのでジェイソンのやつを借りた。ジェイソンには自分のモバイルバッテリーを貸した。ジェイソンのは端子が死んだらしい。いろいろあるよね。

    ここで残り120kmを8時間弱なのでもう余裕である。しかも最後の75kmは追い風基調である。おーのさんはこの時点でまだ150kmぐらいあるのでなかなかのギリギリ隊である。コーヒー休憩をした後、ジェイソンも待たずに先に進むことに。

    なぜここだけ急にWest Villageなんだ?

    最後のCPからまったく補給できる場所がなかったが、残り60kmあたりで小さなお店を発見。先客には台湾の許さんがいた。襟裳岬1000の襟裳岬で一緒に飯を食べた方だ。ジェイソンも追いついてきた。

    と、同時にギリギリ隊のおーのさんから「複数人で走っているけど空腹もあってやばいかも」という弱気なメッセージが来ていたので、この商店の前に食料と水をくくりつけておいた。おーのさんたちが通る頃には閉店しているというし最後まで補給なしは辛かろうと。結局、ギリギリ隊トレインでは止まる暇もなかったのでこの食料はスルーされたらしい。

    最後の最後に大きな橋を渡るときに橋の継ぎ目にホイールがはまってリムを強打。継ぎ目が広すぎるんよ。リム打ちパンクを確信し、かつリムも曲がったよなという感触があったのでヒヤヒヤしたが、リムがちょっと凹んで欠けたぐらいで走行には問題なさそうで助かった。こんなところで終了だったら悲しすぎる。

    そして無事に海口へ到着。

    おーのさんはクローズ10分前に四人で滑り込んできた。ジェイソンとおーのさんと近くのお店でラム肉を食い荒らしホテルに戻って寝た。

  • 中国・海南島の記録(前編)

    年末年始で中国の海南島で開催された1200kmへ参加してきた。

    元々こういう開催があることは知っていたのだが、11月にカンボジアから帰ってきてから主催者に連絡して参加する意思を伝えた。往路は海南島の南の三亜へ入り、復路は北の海口から帰る旅程である。カンボジアから帰国後にすぐに航空券を手配したのだが、同時期に発生した日中間の問題により、一週間ほど11月の下旬に往路の海南航空の関空〜武漢〜三亜のうちの関空〜武漢の便がキャンセルとなった(羽田と関空だと関空の方が断然安かったので関空発で取っていた)。海南航空のCAの制服が大変よいという話だったので一度乗ってみたかったものだが。仕方がないので少し高くなるが航空券を取り直した。往路はANAで羽田から関空へ行き、中国南方航空で関空〜広州〜三亜となった。復路はキャセイパシフィックで海口〜香港〜成田である。

    今回同行するのは過去にフレッシュを一緒に走ったおーのさんと台湾のジェイソン。前泊、道中、後泊のホテルの予約はジェイソンと主催者のLiさんにお任せでありがたい限り。1200kmの道中はホテルがCPとなっている。

    国外へ行く際はお金の払い方さえ確保していれば大体の問題は何とかなるはずだが、中国はキャッシュレスが進んでいる一方でVISAやMastercardといったクレジットカードでは使えない場所も多々あるはずなので、WeChat PayとAlipayを準備した。これにRevolutを紐付けて為替手数料を節約。結果的に決済はこの二つのアプリだけで十分で、現金を1元も持っていかなかったがまったく問題なかった。あと、楽天銀行にUnionPayの機能があったので有効化しておいたが、これは使う機会がなかった。

    UnionPay(銀聯)支払い – 楽天銀行

    また、中国は最近モバイルバッテリーの航空機への持ち込み制限が強化されているらしく、特に国内線は中国の3C認証を取ったものでないと持ち込めないらしい。手持ちのモバイルバッテリーで対応しているものはなかったので、Belkinの10000mAhのものを二つ調達した。実際、保安検査で係員がモバイルバッテリーの記載事項を確認している様子であったので、新しく調達しておいてよかった。対象はモバイルバッテリーのみなのでGarmin EdgeのようなサイコンやApple Watchは特に制限なし。Garmin Edgeの拡張バッテリーパックは突っ込まれたら微妙だなと思って持っていかなかった。

    中国国内便におけるモバイルバッテリー機内持込みの注意点 | 在中国日本国大使館

    Amazon | Belkin モバイルバッテリー 10000mah 3C認証 CCC 大容量 iPhone 17,16~12対応 Android対応 5V3A ファン付きベビーカーシート対応 最大15W 最大40時間 3台同時充電 3ポート(USB-C x 1 USB-A x 2) スリム&軽量 PSE認証 機内持込可能 充電用ケーブル付属 メーカー保証2年 ブルー BPB011btBL | Belkin | モバイルバッテリー

    自分は競馬ファンであるので12月28日の有馬記念を見ないという選択肢はなく、おーのさんから一日遅れての出発となった。29日の朝イチで羽田へ行き、まずは関空へ移動。

    午後の便で関空から広州へ。関空の中国南方航空の担当者がめっちゃちゃんとした人だったのでOS500のサイズをきっちり測り、きっちり超過サイズ料金を取られた。ウェブサイトに記載の通りなので、20000円強の出費になったがまぁ仕方なし。

    ちなみに関空〜広州の路線に乗るのは20年以上ぶりで、大学時代に広州へ留学している友人を訪ねて遊びに行ったとき以来である。あの時も中国南方航空で関空から広州へ行ったものだ。その後、広州白雲国際空港は空港名は同じままで場所を移転しているのでまったく同じ空港というわけではない。

    広州のトランジットの間にQRコード決済が使えるかトライ。Alipayを使ってみたが問題なさそうだ。

    夜の便で広州から三亜へ。日付が変わる前に三亜鳳凰国際空港(鳳凰とはかっこいい名前だ)へ到着したので、AlipayのアプリからDiDiでタクシーを呼んで空港からホテルへ移動。おーのさんとジェイソンが迎えてくれ、ビールを飲んで再会を祝った。

    30日は自転車を組み立て軽く試運転へ。広州の空港で荷物を下ろす際に豪快にぶん投げられているのを目撃したのでヒヤヒヤしていたが、大きな影響はなさそうで一安心。

    今回の運営スタッフの皆さんがジャージやナンバープレートの準備しているところへお邪魔。中国でも過去にLRMの開催は何度かあったそうだが、いろいろな国からの参加者を迎えるのは初めてだそう。国籍表記だと中国本土の他に、香港、台湾、マレーシア、シンガポール、インドネシア、日本、オーストラリア、ロシア、メキシコ、トンガあたりから参加者がいたようだ。トンガは中国在住の方のようだったけど。

    ホテルに戻って夕飯へ。その場で海鮮を選んで料理してもらう食堂でどれもスパイシー。翌日以降オケツがヒリヒリした。

    31日は朝から前日受付。エントリー費は主催者へWeChat Payで支払い。これも問題なく送金できた。

    受付の後、せっかくなので観光名所へ行っておこうということで、タクシーで海南島の南山へ。世界最大の観音像がある。ちなみに海南島は日本へ渡ろうとした鑑真が漂着した場所でもあるらしい。

    ホテルに戻って前日のウェルカムランチへと行きたいところだったがちょっと遅れたので概ね解散した後であった。

    翌日以降の補給食を買ったりして準備を進める。日本ほどの年末年始感はないが、紅白のような番組がやっていたり、夜に何度か花火が上がったところで年の暮れを感じた。

  • カンボジアの記録(後編)

    ゴール後の11月4日。ゴールしてホテルに戻って寝ていたら、7時頃にSadaからの電話で叩き起こされた。表彰式をやるのですぐにMinistry of Tourismまで来いとのこと。

    自転車で行くのは面倒なのでトゥクトゥクを捕まえて現地へ。

    観光省がバックアップしているらしく、大臣からメダルをもらった。

    Sadaやその他の参加者の方にも礼を言って表彰式から撤収。ホテルで自転車のパッキングをしていると、Ooiさんがひょっこり現れた。同じホテルに泊まっているので昼飯でも行こうぜと。

    Ooiさんの定宿なので全部お任せで近くのタイ料理屋へ行く。Ooiさんによると、カンボジアとタイの国境付近で紛争をやっていて死者も出ているので、カンボジア国民のタイに対する感情は決してよくないらしく、タイ料理屋は昼飯時なのにガラガラであった。そもそも今回の1000kmも元々はタイ国境すれすれまで行って国境沿いに北上するコースだったのだが、「日本の外務省が渡航警戒レベルを引き上げてるし今の状況やったらワシは行かんぞ」と言ったらコースが変更になって国境まで行かないことになったのである。Sadaによると他の参加者からも同様の懸念を伝えられたらしい。しばらくしてOoiさんのカンボジアの友人も合流した。

    ホテルに戻ってチェックアウトの準備。いいホテルだった。

    そしてそのカンボジアの方の車で空港まで送ってもらった。ありがたい。

    彼は不動産ディベロッパーをされているそうで、最近のプノンペンの開発事情を話してくれた。自分が泊まっていたようなエリアは最近どんどん開発が進み、日本円で億レベルの物件も増えてきているそうだ。この10年ぐらいでガラリと街の景色が変わったとのことであった。仕事柄、経済指標などはよく見る方だけど、カンボジアといえば国の平均的な所得は東南アジアで最低レベルである。プノンペンだけではそうは思えないが、プノンペンと地方部の格差が大きく、地方はまだ電気も十分に使えない状況だそうだ。空港に迎えにきてもらたった際にSadaから聞いたが、「プノンペンでは最近はBYDのEVも増えてきているが、地方ではEVなんて使えないと思う」とのことであったし。その他の生活水準もプノンペンと地方ではまったく異なる。それは走ってみて実感した。

    一仕事終えたOoiさんも空港へ到着し、しばしカフェで雑談。Ooiさんはマレーシアには戻らず、そのままタイへ移動して仕事だそうな。カンボジアの前は日本に出張していたというし、忙しい人だな。自分は香港経由で帰国へ。

    翌5日の6時半頃に成田へ到着。大急ぎで成田エクスプレスに飛び乗り、9時過ぎに武蔵小杉へ到着。タクシーで自宅に戻ってすぐに仕事を開始した。

  • Audax Cambodia Tour the Tonle Sap 1000km

    ភ្នំពេញ-បាត់ដំបង-បន្ទាយមានជ័យ-សៀមរាប-កំពង់ចាម-ស្វាយរៀង-ព្រៃវែង-ភ្នំពេញ 1012គម · Ride with GPS

    見ての通りド平坦である。ケツが死ぬであろう。Tonle Sapというのは湖であり、東南アジア最大らしい。

    トンレサップ – Wikipedia

    4時スタートなので2時半頃には起きて、買っておいた飯を食べ、ホテルをチェックアウト。スタートまでは10分もかからない程度の距離。まだ代表のSadaは来ていない。

    Day 1: Phnom Penh – Sisophon 359km

    スタートが近づくにつれわらわらと集まってくる自転車乗り。1000kmの参加者自体は20人もいないはずだが、カンボジアでの初の1000kmということもあり(Audax Cambodiaができたのが2023年)、大勢の方が見送りに来られていた。警察の方もいたがとても友好的で、話を通してあるんでしょうな。ラウンドアバウトの真ん中で自転車乗りが道路にはみ出してたむろしているが、警察の方も特に怒る様子はなし。ゆるい。

    定刻の4時にスタート。プノンペンの街中を抜けて郊外へ。塩梅がまったくわからんが先頭集団がとにかく速い。SadaとかMTBだけどそんなペースで行くの?と戸惑った。35km〜40kmでPBPの最初みたいやな〜と思っていたら、しばらく集団の後ろについてきていたフランスの方(二ヶ月ほどカンボジアに滞在して600kmに参加したらしいが翌日帰国するので1000kmは不参加)が、「彼らは600km以上の経験がないから長距離を走るペースを知らんのだよ」と言っていた。彼は50kmぐらいのところで折り返してプノンペンへ戻っていった。ACPのCoppin会長やFaburelさんと知り合いらしい。またPBPで会いましょう。

    自分は早々に集団から離脱したのと、途中でガソリンスタンド併設のコンビニで休憩していたので遅れてしまったが、メイン集団は約100km地点のPC1まで三時間かからずに到着したらしい。マジかよ。自分はそこから一時間ほど遅れて到着。もう後ろには一人しかいないとのこと。これがカンボジアブルベのペースなのだという。さすがに最後までこのペースで行くわけではないと思うけど。

    PC1を出ても誰もおらず。パンクしたり、休憩したり、昼飯食ったりでもう誰も会わんかもなという状況で、一人でゆるりとPC2へ到着。ここも有人チェック。ようやく他の方にも遭遇した。

    PC2を出ると昼飯を食ってたっぽい面々がいて、近くにまだ誰かいそうだと判明した。ダントツの最後尾ではなさそうだ。

    前方に不穏な雲。

    そして豪雨。これはちょっとやべえなというレベル(恐怖で心拍が上がるタイプの豪雨)なので思わず近くのカフェの軒下に避難。お店の方もそこらへんで座っててええぞという様子だったのでありがたく使わせてもらった。全然雨足が弱くならないので一時間ぐらい足止めを食らった。そんな中、代表のSadaが果敢に前進していったが、この雨の中走るのはこの国では通常営業なのだろうか。足止めを食らっている間に、今日はSisophonまでは行けるだろうと思い、適当に見繕っておいたSisophonの宿を予約しておいた。

    雨が上がってようやく再開。少し走るともう路面は濡れていなかった。局所的な豪雨というやつなんでしょうな。これは翌日以降も遭遇することになる。適当なところで休憩を入れつつ進むが、本当にど平坦かつ景色の変化もないのでなかなか退屈ではある。大平原、たまに町、大平原、たまに町の繰り返し。

    Battambangという街でPC3を通過。すぐそばにスターバックスがあったので入った。閉店準備をしていたが最後の客ということでOKしてもらい、ホットコーヒーとパンを二つ。

    ここからはナイトライド。そしてひたすら平坦。Sisophonへ向かう。

    22時に到着してセブンイレブンへ。夜食を買って昼間に予約したホテルへ向かう。しかしここでトラブル発生。地図の場所へ行ってもホテルらしきものが見当たらない。何度も行ったり来たりしたり、近くにいた地元民を捕まえてこのホテルはないかと聞いたり、近くの民家にお邪魔してこのホテルはないかと聞いても、誰もそんなホテルはないという。困った。このまま探していてもダメそうなので代表のSadaに電話すると、「Sisophonならここへいってみるといい」というアドバイスをくれた。他のカンボジア人の参加者が泊まっているらしい。ホテルの方に聞くとまだ一部屋空いているというので滑り込みで入れてもらった。ダメだったらその辺の軒先で野宿にするかと思い始めていたので助かった。

    存在しないホテルのキャンセル処理をし、とはいえ当日キャンセルなのでキャンセル料がかかると表示されるので、Booking.comに「これは存在しないホテルである。詐欺である。キャンセル料を払うつもりはない」と苦情を入れておいた。DisputeがOpenしたが(たしかアリエクとかでもこの表現だと思うが紛争を開始したっていう仰々しい感じで好き)、相手方のホテルからの反応はなく、今のところキャンセル料は請求されていない。

    Day 2: Sisophon – Chamkar Leu 674km

    4時半にリスタート。まずはSisophonのPC4を通過したいが、ここはQRコードチェックである。TelegramでQRコードの周辺の写真が共有されていたが、全然見つからず。他の参加者もいろいろと投稿しているが、ボイスメッセージなのでまったくわからん。クメール語は書き言葉だと長くなるとかタイプが面倒だとかそんな理由ではなかろうか。このブルベの参加者だけではなく、プノンペンでもボイスメッセージでやり取りしているシーンをよく見かけた。

    行ったり来たりしていたが、もう見つからんなと思い、Sadaとその息子さん(今回スタッフとして車で巡回している)に「PC4のQRコード見つけられんわ!でもここにはいたからよろしくな!」と写真だけ送って出発した。

    と走っていると、後ろからSadaとSreyがやってきた。そして集団でピャーと行ってしまった。しばらく進んだ先の街でSadaが朝飯で止まっていたのでそこに混じって朝飯。米、肉、野菜、スープで日本人の口にはよく合う味付けである。補給としても最適。この後、自分はSiem ReapでAngkor Watに行きたいとSadaに言ったら、「コース通りじゃなくていいから最短ルートでこう行って、Siem ReapのPCへはこう行け」と教えてくれたのでありがたく従う。ブルベ原理主義者には怒られそうだが。

    暑いので水分補給を随時入れつつシェムリアップ方面へ。

    そしてAngkor Watへ。入場には公式アプリをダウンロードして37ドルのチケットを買えとか言われたので、前を通って何枚か写真撮りたいだけなのになと思って係員に交渉したらフリーで通してくれた。すまんの。ここは外国人観光客だらけで日本語も普通に聞こえてきた。

    Angkor Watの後はジャンクなものが食いてえなとSiem Reapならマクドナルドとかないんかと地図を見てみたが、どうもなさそうであったので、通りすがりに見つけた露店で昼飯。

    Siem ReapのPC5でフィリピンのGiovanniさんと遭遇。今回国外から参加しているのは我々二人である。QRコードはこういうのが貼ってあるだけで、ここからGoogleフォームにアクセスして通過のチェックをする。しかし、貼ってある場所の周辺の景色は事前に共有されていないし、ブルベカードに記載されている距離も1km刻み(小数点以下はない)かつ全然距離が一致していないし、そもそもキューシートも存在しないので一人で見つけるのは無理ではという感じ。

    Siem ReapはAngkor Watを擁する観光都市なのでなかなか活気があった。

    途中の町にて。お祭りだろうか。ノリノリであった。大渋滞だったが。

    ガソリンスタンド併設のコンビニやカフェが補給地点となる。Sadaからは「特に外国からの参加者は露店の水や氷には気をつけろよ」と言われているので、なるべくちゃんとしたところで水を買う。

    そろそろ日が暮れそうだったので軽く飯を食う。プノンペンスタイル!

    PC6に向かう途中で突然のグラベル。この国は幹線道路を外れると未舗装になるんだな。

    そしてPC6まで1kmもないというところで突然の豪雨。これまたかなわんと思って、近くの自動車修理工場の軒先に逃げ込んでしばらく休憩させてもらった。親切な一家で方で水をくれた。雨が止んで少し走ると路面はまったく濡れていなかった。やはり局所的な通り雨であった。突破してもよかったな。

    PC6もQRコードチェックなのだが、例によってどこにあるかがわからない。たまたま巡回中の息子くんがすぐ隣のガソリンスタンドに滞在中で、「ここ!」って声をかけてくれたので発見できたが。

    この町のリゾートホテルみたいなのを見繕っていたのだが、まだ全然寝る時間じゃないので先へ進むことにした。この先のChamkar LeuというPC7のある町でいくつかゲストハウスがあってたぶん泊まれるだろうとアドバイスをいただいたので、そこで宿を探すことにする。

    この先は多少アップダウンがあるが、それでも標高100mにも行かない程度である。そしてなんとここまで600km以上走っているが、獲得標高は600mにも満たない程度。とにかく平坦なのだ。足を止めても進むような下りはないので、ペダルを回し続けないと進まないのはなかなかキツい。ようやく多少上りが出てくるので気分が変わるかなと言うところだが、全然斜度はないゆるゆるの上り(アウターで普通に行けるレベル)なので気分転換にもならず。そしてまたまた強い雨が降ってきたのでガソリンスタンドへ避難したり。

    夜は道路に出てきている犬が多くて困った。そして途中で犬を一頭轢いた。道路の真ん中でぼーっとしていたので、目の前に見えた時に「わん!」て言ったら驚いてこっちに突っ込んできた。仕方なかった。「キャン!」と言う鳴き声と踏んだ感触はあったが、暗くてよくわからずであった。すまんかった。時々ファイティングポーズを取る犬がいたのでそういうときはダッシュで逃げる。

    PC7の町に到着。ここもQRコードチェックなのだが当然見つけられるわけもなく、翌朝探すことにしてまずはゲストハウスを探す。一軒目はどこから入っていいのかよくわからなかったので、二軒目へチャレンジ。ゲートが閉まっていて何度も叩いて「エクスキューズミー!」と騒いでいても特に反応がなかったのでここもダメかと諦めかけたところで中の人が出てきた。一人なら入れてやるとのことだった。助かった。

    Day 3: Chamkar Leu – Phnom Penh 1011km

    お世話になりました。

    PC7があるはずのところへ行くと他の参加者の方がいたのであっさり発見できた。助かった。これもまた一人だと分かりづらいよなぁ。

    しばらく走って朝飯休憩。1.25USD。やはり麺より米である。

    メコン川を渡る。

    休憩を入れつつ東へ進み、ようやく南方面へ進行方向が変わる。ずっと南東方向へ走ってきていたので、まっすぐ南へ行くだけでだいぶ気分が変わる。そしてまた雨。

    国道っぽいところから一本外れたところへ入ってあまり路面がいい感じではなくなったので、これ以上悪くならんでくれよと祈る気持ちで進む。

    あまーいアイスコーヒーで休憩。電波の圏外でQRコード決済が使えんなと困っていたらようじょが彼女のスマホのテザリングを使わせてくれた。親切。

    とかやっていると激しい通り雨。そして例によってPC8がまったく見つからない。ブルベカードに記載されている距離と余分に走った距離を考えてもどこかにあるはずなのだが、先行している参加者がTelegramのグループに投稿しているPC8の景色も出てこない。そしてグラベルにもなり、路面がボッコボコになり始めたのでこっちに意識が取られる。

    で、追い討ちを描けるようにiPhoneがロック。雨が降って誤動作でもしたのだろうか、三時間は使えないとのこと。これはまいった。予備のスマホはあるけどpovoを差してあるだけで海外用の設定はしてないし、そもそもWi-Fiを掴まないと海外ローミングのトッピングの購入もできんしなぁ。ということで、PC8を見つけるのは諦めた。サイコンのログでこれで許してもらおう。

    この先はまったく舗装されていない道が100km近く続きそうな雰囲気である。コース沿いの店で休憩しているDeepakさんを発見。プノンペン在住のインド人ということで英語も問題なく通じるしで、この方と一緒に行くことにする。二人ともリムブレーキなのでドロドロボコボコのグラベルに大苦戦。進むには進むけど、この先の距離を考えるとだいぶ時間がかかるな。ずっと舗装路の想定で日付が変わる前にはプノンペンに辿り着くなと思っていたのだが。

    地面がどうなっているかわからんのでここは押し歩きで突破。こういう場所が何箇所かあった。Deepakさんはヒャッホーのノリで乗車したまま突破していた。

    少し先行したDeepakさんが「RWGPSで指定されたルートを進むと道路が水没して道路がなくなっている」と引き返してきたので、迂回を検討せざるをえない。さらに我々のやり取りに入ってきた道端の民家の方が「この先へ行くのはやめた方がいい」と言うので、Deepakさんと相談してかなり遠回りになるけど引き返して国道へ戻ろうということに。

    国道に出るまでもグラベルでなかなか大変であった。国道に合流するところで民家の方にお願いして水浴びをさせていただいた。日本人が珍しいのか、娘さんと腕を組んで写真を撮った。ついでにビールもくれた。感謝。

    国道に戻ればそこそこ快調に進む。自分が飯で離脱したのでDeepakさんとはお別れ。閉店間際のところで余り物の肉をかき集めてもらった。

    そしてPC10のSvay Riengに到着。当然のことながらQRコードを発見できない。この辺だろうという景色を取って、Sadaとその息子くんに「いまPC10!PC8、PC9、PC10は発見できんかったぞ!」とメッセージを送っておいた。

    PC10を通過すると、あとは国道1号でプノンペンに戻るだけ。

    Leuk Daekというところにあるツバサ橋。本ブルベの最大斜度はこの橋の登りだったのではという気もする。

    Neak Loeung Bridge – Wikipedia

    コーラ休憩。

    淡々と残り距離を減らしていって、プノンペンの中心部に戻ってきた。

    日付が変わった2時前にようやくフィニッシュ地点のWat Phnomに到着。RWGPSでは1010kmのコースだったが、走行距離は1046kmになっていた。ホテルが見つからなくて行ったり来たりしたのとか、PCが見つからずにウロウロしてたのとか、迂回とかでだいぶ余分に走ってしまった。先にゴールしていたChenさんと写真を取って解散。

    日本人なのでこういうのがいいです。

    ちなみに、Finishを含めるとチェックは11箇所。最初の3箇所は有人チェックで道路沿いに車が泊まっていたのですぐに分かったが、その後の8箇所で自分でちゃんとQRコードを見つけられたのは2箇所である。他はQRコードの場所を発見できなかった。帰ってから分かったことだが、Sadaから共有されたRide With GPSのルートがそもそもPC4やPC8の場所を通っていないというもので、こりゃぁあかんわと言う感じ。公式のRWGPSがPCを通っていないとか、どういった景色のところにPCがあるのかわからんとか、運営も改善する点がありそうなので、これは日本の知見を伝えた方がいいのではと思い、RWGPSやキューシートの例を共有しておいた。

  • カンボジアの記録(前編)

    今年は1000kmを走ってないなというのと、Audax Cambodiaの代表であるSadaさんから直接メッセージをもらったというのもあって、カンボジアの1000kmへ遠征してきた。夏に北海道から帰ってくる際に自転車が破損したのでどうしようかとぐずぐずと悩んでいたが、10月半ばに「やっぱ行くわ」と連絡して(この一言でエントリーが済んだ)、航空券を押さえ、ビザを取得して準備は完了。TelegramのAudax Cambodiaのグループであれこれ発言しているとマレーシアのOoiさんが「自分がいつもプノンペンで定宿にしているホテルに泊まれ」と紹介してくれた。彼は2017年のイザベラヘブンの不老ふ死温泉で同部屋になった方である。そして1000kmには参加できないけど、同じタイミングでプノンペンにいるのでぜひ会おう、同じホテルに泊まれということであった。

    10月29日に仕事を切り上げて成田へ。カンボジアへは直行便がないので、キャセイパシフィックで香港でのトランジット便である。香港、あまり縁がないが、10年以上前に南アフリカ出張に行った際に香港で乗り換えをした時以来だろうか。

    翌30日の午前中にテチョ国際空港へ到着。テチョ国際空港は今年の9月に開港したばかりの新空港である。プノンペン市内の国際空港が手狭になったため、郊外へ新空港を建設し、国際空港機能を移転させたとのことであった。入国もスムーズで顔認証だけであっさり通過。空港からの移動については代表のSadaが迎えにきてくれるというので申し出に甘えることにした。

    ホテルまで運んでもらい、ついでにジャージやブルベカード、ゼッケンプレートなどを受け取った。とりあえず自転車を組み立てて走りに出る。

    プノンペンはカフェがたくさんあるそうで、ブラブラと走り回った後、テキトーなカフェに入った。

    そして宿に戻って夕飯へ。宿から歩いて行ける範囲で見つけたカンボジア料理の店へ。現金しか使えず、ドルで払ったらお釣りはリエルで返ってきた。これがスタンダードらしい。

    31日は一日空いているので自転車でプノンペン周辺をウロウロする予定である。その前にBakong Tourists AppをインストールしてQRコード決済の準備である。今回は自宅にあったドル紙幣を100ドル分ほど持ってきているだけである。カンボジアのリエルは持ってきていない。このアプリがあれば十分らしいのだ。

    入金はRevolutのデビットカードで。近年、クレジットカードの為替手数料が値上げされているのでなかなかバカにならない感じになってきている。一回の決済だけで見ると大した額ではないが、積み重なるとそこそこの額になる。そこで、以前に登録だけして使っていなかったRevolutで外貨を調達した。同様にWiseも登録するだけして使ってないので、今後はこういったサービスを活用したい。

    というか、為替の予測は難しいものであるが、今の円ユーロのトレンドを見ていると、PBP2027に向けて今の段階でRevolutでユーロを調達しておいてもいいのではという気もしている。

    閑話休題。

    よみがえるカンボジア通貨リエル デジタルで拓く小国の生きる道 – 日本経済新聞

    Bakong Tourists Appは国内で使われている複数のQRコード決済に対応したアプリで、カンボジア中銀が開発したものだという。普及率はすごいもので、1000kmも走れば田舎にも行くわけだが、一度も現金を使う必要はなかった。カンボジア滞在の間でも現金を使ったのは上記のレストランと他にもう一回だけで、たった二回だけであった。あとはすべてBakongでのQRコード決済かRevolutのVISAタッチ決済であった。ただ、カンボジア国内は商品の値段をドル表記しているところと、リエル表記しているところ、両方併記しているところがあってなかなかややこしい。リエル表記しているところで「ドルで払いたい」といえば、1ドル=4000リエルで計算してドルで払えることもあった。その逆も然り。

    決済準備をしたので、まずは自転車でトゥール・スレン虐殺犯罪博物館へ。クメール・ルージュの時代の政治犯の収容所だった場所である。日本語の音声ガイドを聞きながら二時間ほどかけて見学。音声ガイドも「ここからは凄惨な内容なので気分が悪くなった方は一度外へ出て休憩してください」と何度も言っていたが、目を背けたくなるような写真が展示されていて、とても気持ちは重かった。ちょっとこれはメンタルに来るなという展示物もあり、自分も外で休憩したりしつつ一通り見学した。

    S21 (トゥール・スレン) – Wikipedia

    そしてプノンペンの郊外にあるキリング・フィールドへ。これはトゥール・スレンの収容所に収監されていた方々が最後に送還された処刑場である。ここも音声ガイドがあったので借りたが、博物館以上にメンタルに来る内容で、見学順路沿いにあるベンチで休憩しつつの見学であった。

    キリング・フィールド – Wikipedia

    その後はプノンペン市街地を適当に走り回り、宿に戻った。結構暑かったので塩分チャージタブレッツ持ってくればよかったなと思って近くのコンビニへ行ったがそんなものはなかった。

    宿から歩いて行ける範囲にあったイオンモールへ行って夕飯にした。日本と変わらないイオンモールであった。

    スーパーのフロアに行くと品揃えもほぼ日本と同じ。塩分チャージタブレッツもあった。翌日以降の補給食もいくつか買っておいた。

  • 北海道滞在記(後半)

    朝遅めに起きてダラダラした後、歩きたくないという御一行のご意見によりタクシーでサッポロビール園へ。

    最初の一時間ぐらいで思う存分食べ、後はその辺にいた方々との交流へ。楽しかったです。

    帰りは残った数名で徒歩で札幌方面へ移動。そのまま居残ってチコリンさんと台湾勢を囲む会に参加した。一旦ホテルに戻って狸小路をうろうろしているとトニーさんに出会ったので、近くにいたおーのさんも誘って二次会へ。

    翌16日は朝にBrianがホテルを出発して帰国の途へ着くことになっていたので見送りへ。

    昼飯はPatrickとColinと狸小路のスープカレー屋にした。一旦解散してから夕方にまた合流して、札幌駅北口の居酒屋ふるさとへ。前日のチコリン会と同じ系列の別店舗である。一昨年だったか自分が北海道に来た際にチコリンさんと飲みに行ったのも札幌駅北口のふるさとである。ここは美味い。

    17日、Patrickが4時半頃にホテルを出発して空港へ向かうことになっていたのでお見送りへ。その後、Colinも9時のバスで空港へ向かうことになっていたのでこちらもお見送り。Colinの見送りにはMayとDindoも出てきたので、そのままこの二人とコメダで朝飯へ。

    この二人も11時半に空港へ向かうお迎えが来ていたので見送って、これで全員撤収。ちょっと早いが自分も輪行で空港へ向かった。20時30分のフライトだったのでだいぶ早かったのだが、空港で時間を潰していたらカウンターに呼び出され、自転車が破損しましたという報告を受けた。最後の最後に事件が発生し、どんよりした気分で帰宅した。はーやれやれ。

  • Japan Grandonnee 北海道1200km 納沙布岬

    12k_2025 | ajhokk_3rd

    一言で言うと大変楽しかった。

    今回は元々RUSAの面々と走るつもりだったので、宿を自分で取るということはせず、全てオーバーナイトコントロールを使うことにした。北見、別海、清水で宿泊するという行程になり、とにかく毎日オーバーナイトコントロールまで走ればよいだけで、いろいろとプランを考える必要なかった。一人だったらサクサク進みそうなコースであるが、旅は道連れの精神でわいわいと走ってきた。

    Day 1

    6時スタートなので4時過ぎにはホテルを出ただろうか。PtrickやBrianはフィリピンのサポート隊に頼んでスタート地点まで運んでもらったそうだが、自分とColinは自走でスタート地点へ向かった。

    初日は北見までの345km。6時スタートの最後尾で出発。当別を過ぎたあたりからおーのさんが韓国勢を率いて先頭に出たので、その後ろに長蛇の列が形成された。35km/hぐらいのいいペースで進んでいたので、日本人勢やフィリピンのMayやDindoと「いいトレインだな!ハハ!」と無賃乗車をさせていただいた。

    最終的には前のウェーブでスタートしていたColinやBrianも吸収して吉野公園に到着。

    吉野公園からは集団も解散となり各自のペースで進む。PC2では結構いろいろな人に追いついた。すでに横になって寝ていたトニーさんとか。

    PC2を出てしばらくしてトニーさんが追いついて来たので世間話をしながら進む。途中、トニーさんがいなくなったなと思ったら脚を攣っていたらしい。暑かったですもんね。そしてPC3へ。コンビニコントロール、後ろのスタートだと飯がないな。かろうじて残っていたものを買って補給した。

    この後は遠軽までコントロールはないので適当にコンビニに止まろうと思って出発。そして愛別のセコマでPatrickに追いついた。Patrickとはここからゴールまでほぼ同行することとなる。さらに上川のコンビニで北見峠前の休憩を入れる。他にも大勢の方が休憩していたし、巡回車のスタッフのみなさんもいてワイワイガヤガヤのコンビニになっていた。

    北見峠は各自のペースで淡々と。峠の石碑でフィリピン勢や韓国勢が写真を撮っていたが、あれは工事で亡くなられた方々の碑なんだよな。この石碑でいいのだろうかと思って一応説明はしたが。

    峠からの下りで、おや見たことある後ろ姿だぞと思ったら岡田さんであった。4時スタートなので追いつくことはないなーと思っていたが、LELからの強行軍であまり調子はよさそうではなかった。遠軽に着く頃には日も暮れて真っ暗。BrianやColinとは離れちゃったので、Patrickとともに淡々と進んでいく。

    北見には23時過ぎに到着。いいタイミングで到着したようで、寝床は別棟になった。別棟にはまだ誰もおらず、一番奥で電源も近いところを割り当てられた。人の出入りもあまりなく静かでとてもよい寝床であった。Patrickと明日の出発時刻を相談し、遅れているBrianとColinにも「5時過ぎには出発しよう」とメッセージを送ってから就寝。

    Day 2

    二日目は北見から別海経由で納沙布岬まで行って、折り返して別海まで戻ってくる295km。

    ぞろぞろと起床してきて朝飯を食べ、PatrickやBrian、Colinとともに出発。美幌の町中でコンビニ休憩を入れ、補給食を調達しておく。次は弟子屈まで何もないしな。

    美幌峠は長いけどきつい登りではないので、近くを走っている方々と雑談しつつ登頂。天気にも恵まれ、なかなかよい眺めであった。

    で、弟子屈まで気持ちのいいダウンヒルをやりましてセイコーマートへ。フィリピン勢や他のRUSA勢も集まってきて一大休憩スポットになっていた。

    弟子屈を出発すると道東の平坦でまっすぐな道を延々と進むことになる。別海町の町境を越えたのにまだ別海市街地まで30kmとか表示された時はマジかと思った。この辺は北海道のスケールである。別海の少し手前のセコマでPatrickが眠さと暑さで休憩したいというので一旦停止。別海のコントロールに向かう途中では急な雨にも降られた。まぁ暑かったのでちょうどいいぐらい。

    別海のPCでPatrickが少し寝ていくというのでここからは一人で先へ進む。一人になって自分のペースで気分よく進んでいると厚床を過ぎたところで別海を先に出て行ったmomさんをキャッチ。自分的にはノリノリで進んでいたので一顧だにせずぶち抜いたら後ろの方から「速いよーーー!!!」という声が聞こえてきた。すまんの。

    納沙布岬へは北側のルートで。

    納沙布岬のPCに着いてお菓子などをつまみつつスタッフの面々と喋っていたらPatrickも追いついてきたので納沙布岬の灯台へ。日が暮れる前に到着できてよかったですな。

    帰りは暗くなるので一人で走るのもアレだし、Patrickがいるのはとても心強い。根室市街地の少し手前で先に納沙布岬を折り返して行ったmomさんに追いついたので、「この後は一緒に行きますか」と提案し、同盟が結成されたので、まずはmomさんとPatrickと根室のすき家で腹ごしらえ。厚床にコンビニはあるが別海まではノンストップになる見込み。

    というわけで、根室で飯を食った後はmomさんとPatrickの三人で別海までノンストップで進んだ。一人だったらダラダラ走ることになっていたと思うけど、シャキシャキと走れたので快調であった。

    23時前には到着した。思ってたよりちょっと早いぐらい。やはり夜は一人でダラダラ走るより部隊を組んだ方がよい。

    Day 3

    別海から美幌峠を越えて北見へ戻り、清水まで向かう330km。あまり早く出る必要はないのではと思っていたけど、Patrickが4時というのでそれに合わせて準備をする。Brian、Colinも一緒にスタート。momさんも岡田さんも一緒である。momさんとはこの先札幌まで一緒に行くんだなという雰囲気なので、自分が先頭で100w固定で進んでいく。

    西春別のセブンイレブンで休憩。ここで自分の後輪のエアが抜けていることに気づく。いろいろいじってたらリムの隙間から空気が漏れ出したので、諦めてチューブを入れた。こういう時にメカニック岡田がいるのは大変心強い。

    Patrickの背中についているのは私があげたおにやんま君のパチモン。出走ガイドを読んで、「900kmもホースフライに苦しめられるのか!」とか言ってたので、RUSA勢用に調達していったもの。自分はアブで苦しめられた印象がないので、Brian、Colin、Patrick、Noah、Claireに渡した。

    美幌峠まではまたまた各自のペースで。自分はmomさんとともに登頂。

    杉浦さんも追いついてきて、その場にいた一同全員がチタンフレームに乗っているというチームチタンが結成された。熊笹ソフトなどを食べ、まったりした空気感。三日目で特に時間に追われているわけでもないし。

    美幌のコンビニで氷休憩を入れ、北見のPCへ。ここでドロップバッグ用に送っておいた箱にいらないものを全部ぶち込んだ。ほぼ空みたいな箱を送っておいたので、ドロップバッグというよりかは不要なもの送り返す用の箱である。サドルバッグが軽くなって楽になった。

    北見のPCを出てからは暑さとの戦いであったが、時間帯的に日陰がなくなるし、津別から陸別へは南へ向かうのでなかなか日陰がなく難儀した。ひたすら100wを意識して走る。

    で、陸別のセコマで休憩。このセコマは去年の襟裳岬1000でも立ち寄ったところである。岡田さん、Patrick、momsさんの部隊で本別へ。道が荒れてて走りにくい区間であった。まぁ下り基調なのでその点は気が楽であるが。

    本別のPCで休憩していると、どうもこの先で雨が降っているとの情報が。しかも士幌までアップダウンが続くのでなかなか面倒な区間になりそうだ。発狂したmomさんがすごい勢いで加速して登って行った(そしてタレた)。momさんは士幌で宿を取っているそうなので、ここで離脱。また明日の朝合流しましょうと言って見送った。士幌のコンビニで岡田さんとPatrickと休憩した後、清水町へ向けてもうひと頑張り。が、ここも結構長くダラダラ登るんですな。地図だとそういうイメージがわかなかったので思っていたより疲弊した。

    0時頃に清水町のPCに到着。

    Day 4

    清水から札幌までの235km。初っ端に狩勝峠を登ることになるが、それさえ終われば消化試合みたいなものである。

    5時には出ようかとPatrickが言っていたが、momさんを待つことにした。同じタイミングで士幌を出たっきぃさんの情報を参考にひたすら待つ。6時にmomさんを交えて清水を出発。岡田さんもPatrickも同じタイミングで。

    狩勝峠の前にコンビニで補給食を買い、霧の狩勝峠を登る。なるほどこれが狩勝峠か。かとうさんも合流。

    これをやっつけてしまうと後はもう余程のトラブルがない限りは大丈夫であろう。一同もそういう空気になっている。狩勝峠を下ったところのコンビニで休憩し、さらに富良野の藤森商店でメロン休憩を入れ、上富良野のPCへ。

    上富良野のPCを出て、国道38号に合流すれば、自分的には去年走った襟裳岬1000kmと同じルートなので安心感がある。

    上砂川のPCでColinを待って最後の平坦区間へ。どうしてもColinが遅れがちにはなるが、最後は平坦なのでColinを待ってみんなで一緒に行こうというので合意。Colinの1200初完走も見届けたいし。さらに言えば、砂川からは何もない吹き曝しの区間になるので集団で進みたい区間である。

    まぁそういうわけで上砂川を出発して自分が前で100wで引いていたんだが、わざわざ前に出てきて疲れたら脚を止めるシュワルツ兄弟にペースを乱され一悶着あった区間であったが、Patrickと相談してペースを上げて彼らを千切り捨てて平穏を取り戻し、新篠津のPCに到着。ここまで来れば後はウイニングラン。

    21時過ぎに丘珠へ帰ってきた。Colinは69歳で初の1200kmの完走である。偉業だと思う。

    天気が崩れることもなかったし、暑くはあったが夜に寒すぎるということもなくで、なかなか条件のよい1200kmであった。外国から参加された方々も楽しそうに走っていたので、参加者側から見れば大成功と言っていい1200kmだったんじゃなかろうか。またこの大会が開催されることを願いたい。