Category: randonneuring

  • 2025 BRM406 たまがわ200km 定峰

    近年は主担当か副担当で事前認定だったので、当日に定峰200を走るのは2018年以来。

    今年はAJ20周年であります。

    雨の心配をしつつW2の後方でスタート。C1まではモロさんと、C1からC2まではハチヤマさんと、C2から松郷峠を下るまではもりとさんと一緒であった。

    定峰峠は桜が見頃であった。事前認定で二週前とかに走るとこの景色は見れんのよな。

    青梅日立前でもりとさんを待っていたものの、自分も制限時間内に間に合わなくなりそうなので泣く泣く一人で出発した。あとはゆるりと走ってクローズ10分前に到着。雨が心配されたが天気は崩れず絶好のサイクリング日和だった。

  • 2025 BRM322 東京300km 富士熱海

    2025 BRM322東京300 富士熱海

    先月の300kmで認定をゲットできなかったので、急遽エントリーして300kmの認定を拾いにいってきた。このコースは2015年、2023年に走ったことがあって今回で三度目である。ナビがなくても走れるレベルで自分的にはお馴染みのコース。一週間前の石廊崎400を寒さと雨でDNSしたが、この週末は天気がよく、むしろ暑いぐらいであった。

    しかし、今年は年初に体調を崩していたこともあって、全く自転車に乗れておらず、体重は増え、フィジカルは衰え、という状況であり、2023年より一時間以上遅かった。特にのんびりしたわけでもないのだが。強いていえば向かい風がきつくて籠坂峠から三島までおっかなびっくりのダウンヒルになったことが原因か。いずれにせよ、自分が思っているほどスピードも乗らなかったし、乗り込んでない影響をひしひしと感じた300kmであった。

    道志道のセブンイレブンでY内さんにばったり会った。こんなこともあるんだな。

  • 2025 BRM222 静岡200km 新城

    Audax Japan Shizuoka  AJ 静岡 – 2025BRM222新城200

    先月のいちご200にエントリーしていたのだが体調不良でDNSだったので、その代わりに初AJ静岡へ。金曜日の仕事の後に新横浜から新幹線で静岡へ、在来線で島田へ。乗り継ぎがよいと2時間程度なので結構近い。

    ブリーフィングで代表が「今日は天気が崩れる心配もなく〜」と話されていたように、天気予報でもあまり不穏な空気は漂っていなかったのだが、引佐から新城への道中で雪が降り出した。山の中だから仕方ないし、まぁ浜名湖側へ戻れば大丈夫だろうとは思っていたのだが、浜名湖に出てからも雪は降り続いてオイオイこれは話が違うとなった。弁天島でも写真の通りであった。地元民曰く、ここら辺でこんなに雪が舞うのはかなり珍しいらしい。しかし、午前中に向かい風を我慢した甲斐があって、浜名湖以降は追い風で快適だった。

    帰着してしばしお話しした後、島田駅から輪行で帰宅。

  • 2025 BRM215 たまがわ300km 伊豆高原

    自宅を出て一発目のフロント変速の操作でワイヤーが切れた。フロントなのでインナー固定は問題ないのだが幸先悪し。

    今年一本目のブルベ。フレッシュの練習で五人で走ったが完走タイムが21時間弱ということでDNF。伊豆高原の折り返しで「ここでDNFします!」と宣言したもりとさんになんとか続行していただいて、折り返し以降は終始やや借金という状況で進めていたが、結局返済できなかった。小田原か二宮あたりだったか、ぜっとさんが眠くて離脱、自分がもりとさんに同行し、残る二方には先に行ってもらったが、その時点でグロス18km/hで行ってギリギリぐらい。国道134号でも借金は減らず、最後のコントロールから二子玉川まではグロス15km/hも出ない状況になり、借金が1時間まで拡大してフィニッシュとなった。ここからどうやりくりしていくかがフレッシュである。

    300kmの認定をゲットできなかったので、とりあえずもう一回300kmを走る機会を作らねば。

  • フィリピン滞在(後半)

    10/31

    朝食の後、バンでマニラへ移動。日本人三名とFrancisと一緒であった。永末さんや小林さんは当日の夜の便で帰国されるが、自分はまだまだマニラで遊ぶ予定なのでSeda BGCにチェックイン。

    夕飯は近くのレストランで、外国人参加者のためのさよならパーティーをしていただいた。フィリピンのCyrilやErinは北海道以来の再会。

    11/1

    John、Chris、Thaiのベトナム系アメリカンの三人が帰国するので、エントランスで見送ってから、近所のサイクリングへ。coffeeneuringをしておいた。どうやらマニラのRaphaの本拠地のカフェだったらしい。

    夜は近所のマーケットに行って、フィリピン料理の店へ。

    11/2

    MarkやGreg、Rose、Hamidが帰国するというのでエントランスでお見送り。

    そしてRedgやErin、Mikeがマニラを案内してくれるというのでお言葉に甘えてマニラツアーサイクリングへ。そこにワラワラと合流する方がいて、7人の集団へ。マニラの教会とフォートサンチアゴへ。サンチアゴのカフェにいるとAnn親子も合流。AnnはLU1300のスタッフで、深夜のコントロールの受付担当をされていた方。とても大変だったそう。

    ホテルに戻って土産を物色しに近所を散歩。Carmelaにバッタリ会ったので土産を買うのにどこに行くといいかを聞いて、その情報通りにフィリピン雑貨屋で土産をゲット。ついでにフィリピン料理屋に行った。

    11/3

    すでに自転車はパッキングしてあるので、ゆるりと朝食を食べ、近所を散歩し、10時過ぎにチェックアウトしてGrabで空港へ。

    保安検査でお土産に買ったジャムを没収された。300gの瓶は機内持ち込みはできないんだな。昨日買ったお土産を即没収されるという失敗。

    帰りは3時間半のフライト。あっという間であった。

  • La Union 1300

    PH1300 La Union + 1000km Audax La Union

    2024.10 LU 1300 + Audax La Union

    Day 1: 10/26

    3時にAwesome Hotelからスタート。1日目はBaguioまでの登りを二回も繰り返すという頭のおかしい設定。元々はBaguioまでの登りは別のルートだったのだが、災害かなんかの影響で安全面を考慮して、同じルートで二回登るというルートに変更となった。Baguioは1300mぐらいの標高にある結構でかい都市。こんなところにある都市は日本ではないんじゃなかろうか。LU1300の山場はこの初日のBaguioへの二回の上りである。というか、登りという登りははそこしかない。

    しかし、海岸沿いから30kmぐらい延々登りっぱなしで標高1300mのBaguioまでというのを一日で二回やるというのは結構しんどい。一回目は早朝の涼しい時間帯に登り始めて元気溌剌で7時頃には登り切ったので何も思わなかったのだが、一度下山してスタートのAwesome Hotelのコントロールに戻り、次のEagle of the Northのコントロールを経て15時前からもう一度登り始める頃には気温が上がっていて無事死亡した。Markなんかは氷のパックをジャージの中にたくさん入れているしな。二本目はJohnと一緒に何度も休憩しながらヘロヘロになって登頂した。

    MarkやJohn、Francisと一緒に降って21時半にはAwesome Hotelに到着。1日目はこれで終わり。今年の夏はほとんど外を走ってないし、Zwiftで汗をかくということもあまりしなかったので、この暑さは厳しい。全然想定していなくてボトル一本で来たのもダメだった。

    1日目と2日目は宿がAwesome Hotelとなっている。仮眠部屋はフィリピンのMarさんと相部屋だった。彼は友達の到着を待つということで、自分は夕飯を食べて先に寝た。

    Day 2: 10/27

    5時にスタート。この日はMark、John、Chris、Greg、Rose、Thai、Warren、Francisの大所帯で出発した。Awesome HotelのあるLa Unionから海岸沿いを南下して折り返してくるだけで、しかもほぼ平坦というイージーコースだと思って楽観視していたが、それはつまり延々と灼熱の下界を走るということなので、暑さで無事死亡することになる。

    午前中はよかったが、10時を過ぎてかんかん照りになる昼頃には全然パワーが出せなくなり、途中でグループから離脱して、頭から水を被って道端で大の字になって伸びてた。暑くて100wも出ないが、とはいえ前に進むしかない。日が傾けば気温も下がるのでそれまでの辛抱である。

    行ってこいコースなので折り返してスライドした際にMark達がどれぐらい先行しているかがわかったが、それほど離れていなかったので日が傾いてきた頃からちょっとがんばる。そして、夕方にはここで止まると合意しておいたガソリンスタンドで休憩中のご一行に追いついた。Markから「何分いる?」と聞かれたので、「5分!」「それなら待とう」と言ってくれたので、カップヌードルやパンを放り込み、集団に復帰。日が暮れると全然問題ないので集団の前を引いたりする。

    夜にはスコールのような雨も降った。23時頃にAwesome Hotelに帰着。18時間もかかるとは思わんかった。自分が寝るまでに相部屋のMarさんは帰ってこなかった。

    Day 3: 10/28

    6時にAwesome Hotelをスタート。起きた時にもMarさんはいなかった。大丈夫だろうか。

    3日目からは北へ向かう。LU1300の後半はルソン島の一番北まで行って戻ってくることになっている。GregとRoseは暑さで止めてしまったので、Mark、John、Chris、Warren、Francisのグループで出発。ひたすら北上する。

    この日は道沿いに木が生えていて、それがちょうどいい具合に日陰を作ってくれたので随分マシだった。が、途中のランチ休憩の際に給水ミス。あと数キロで次のコントロールだから水の補給はいいやと思っていたら、実際は次のコントロールまでは50km近くあったので、水が尽きてペースダウン。集団から離脱してセブンイレブンで水を買い込む。

    Viganのコントロールで集団に追いついたけど、走り出すとやっぱりまだ暑くてパワーが出ないので集団には先に行ってもらい、こまめに水を買いつつ走る。そしてなんだかんだで日中は気温が上がって我慢できなくなり、前日に続いて見知らぬ教会のようなところの敷地で水をかぶって伸びてた。

    夕方、Paoayの教会でみんなに追いついた。が、先に出ていっちゃったのでがんばって追う。日が暮れたフィリピンの田舎は日本と大して変わらんな。右側を走っているだけで、風景なんかは日本の田舎、特に北海道と一緒だなと思いながら御一行を追う。

    ルソン島北部では大きい都市であるLaoagのカオスな交通を一人でクリア。フィリピンの走り方も心得てきたので、自分から主張して交差点に突っ込んでいくことにも慣れた。Laoagの先でディナーにするかとお店の前で交渉している御一行がいたのでそこに合流。やっと復帰である。フィリピンのライダーも混じって10人ぐらいの集団で夕飯。

    すっかり日も暮れたので、ここからは元気いっぱいで集団を引く。この日の目的地到着の寸前で崖崩れによる道路封鎖とその対応待ちで30分ぐらい雨の中で立ち尽くすという事態もあったが、日付が変わる前にPannzian Beachの宿に到着。Chrisや他の方との四人部屋であった。

    Day 4: 10/29

    起きたらスタッフのAnnから小林さんが事故で大変なことになっていると聞かされる。ご本人はその場にはおらず、コテージで寝ているそう。このコントロールには折り返してまた戻ってくるので、その時に会えればいいかと思い、とりあえず出発準備をする。Francisはメカトラで修理してから追いかけるということで、Mark、John、Chris、Warrenと6時過ぎに走り出す。

    ルソン島の北は工事中の道が多く、穴だらけかつグラベルみたいなところもいっぱいあった。ので、自転車がドロドロに。

    折り返してもう一度コントロールに戻ってくると小林さんも起きてきてた。おそらく肋骨は折れているだろうということだが、腕や脚の骨折はなく、一応自分で動ける状況のよう。ヘルメットが割れていて頭を打っていると思われるのでそこは心配だが。とはいえ、自分がいても何もできないのでスタッフのみなさんにお任せして走行再開。昨日来た道をViganまで戻るだけ。

    台風の影響で雨が降ったり止んだりだが、そのおかげで気温は上がらない。自分的にはめちゃくちゃ助かった。この日は日中も集団からドロップすることはなく、フィリピンのMikeやJosephを加えた集団でViganへ。Viganはスペイン植民地自体の面影が色濃く残っている都市であった。

    21時前にHotel Lunaに到着。ここのコントロールのスタッフは夏に北海道に来たTeam Masayaの面々が中心であった。主催者曰く「Team Masayaの面々はHappy People」らしい。彼らとの再会を喜び、「ほら!ビールあるぞ!」と言われたので二本もらい、永末さんと一緒に飲む。

    Day 5: 10/30

    台風が来ていてあまり遅くなると影響があるかもしれんということで4時スタートにした。残り120km程度。

    Mark、John、Chris、Francis、Mike、Josephと一緒に出発。雨がパラついたりで涼しく助かる。しかもパーフェクトな追い風だった。途中で二回休憩を入れ、追いついてきたWarrenも含めて8人の集団でゴール。実に楽しい1300kmだった。

    Markを中心とした集団で走れたのもいい経験だった。PBPは各国でチームを作って走るから完走率が高い、日本はそういうチームがないということが言われるが、なるほどこのMarkを中心としたグループは全員がいい具合でローテを回すし、速すぎもなく遅すぎでもないペースで進み、しっかり休憩を取るので、そんなに疲労も感じない。こういう走り方ができればグループで脱落者を出さずに長距離を走れるなと思った。

    そして1300km走って信号が一つもなかった。これに慣れると日本の都市部はもう走れないな。ストップアンドゴーがしんどすぎる。フィリピンの交通はとにかく360度を自分で気にかけていないとどこから何が飛んでくるかわからないし、いつ急に走っている道がグラベルになるかもわからない。漫然と走っていては死ぬなと思った。ただ、道は広いので走りやすかった。

    ゴールした後は即ビールで乾杯。シャワーを浴びて夜は主催者含めてディナーへ。

    小林さんもコントロール業務を終えたスタッフの車に乗せられてAwesome Hotelまで戻って来られて一安心。

  • フィリピン滞在(前半)

    10月23日から11月3日までフィリピンへ。

    10/23

    朝の便でマニラへ。4時間ちょっとのフライトなのであっという間に到着。空港を出て、タクシーの客引きを振り払い、Grabで滞在先のホテルへ。主催者より、外国人参加者はバンで自転車ごとスタート地点のLa Unionまで運ぶのでSeda BGCに泊まるのを推奨とのこと。一泊2万ぐらいするので高め。

    チェックインをして荷物を運び込み、ぼちぼちMark達が到着するかなとロビーで座っていると、「お前ランドヌールか?」と声をかけられる。シアトルのJohnらしい。その場でUS勢のWhatsAppグループに追加してもらう。しばらくするとGreg&Rose夫妻が到着。岡山1200以来の再会である。

    夜、Johnと一緒に近くのレストランへ。Hamid(いわゆるShabの旦那)とDavid(RUSAの会長)も来たので四人で夕飯。HamidもDavidも岡山1200以来。この会食が解散した後、Johnと二人でMarkがいるレストランへ。こちらはRedg(フィリピンの方。数日前に事前認定で走ったらしい)も一緒。

    10/24

    大所帯で朝食。Johnに加え、サンフランシスコのChrisも。Chrisは昨年PBPの出走受付の際に会って以来。MarkにGreg、Rose。さらにWarrenも来た。Warrenも岡山1200以来の再会である。天気が良くなさそうなので、この日は自転車を組み立てるだけ組み立て、あとはホテルにいた。

    昼飯は朝食と同じメンバーで近所のレストランへ繰り出し、昼間から酒を飲み始めた。やることがないので仕方ない。夕飯も同じメンバーで。そこにフィリピンのEnzong(こちらも事前認定で走ったらしい)が合流し、コースのポイントなどを聞いておく。

    10/25

    朝食の後、すぐにLa Unionへ向けて移動の予定だったので、さっさと朝食を済ます。ここでシアトルのThaiも合流した。2018年のCascade 1200以来だ。

    永末さんや小林さん、オーストラリアのFrancisが空港からバンで我々のホテルに到着し、さらにUKのChris(こちらも岡山1200以来)も加えて、バン三台に自転車を詰め込んだ。キッチキチ。そして五時間ほどの車移動。ザーザー降りの雨にビビるが、こればかりはしょうがない。

    Awesome Hotelは素晴らしいリゾートホテルだった。主催者のCarmelaさんがサーフィンで訪れる場所なのだそう。北海道で会ったフィリピン勢にも再会し、前日のライダーズミーティングを終え、早々に就寝。LU1300は3時スタートである。

  • 2024 BRM1012/1013 たまがわ300km/200km 北近江

    三連休は長浜で遊んできた。

    BRM1012 北近江300 (天橋立・福知山) (2024) | AJたまがわ

    BRM1013 北近江200 (若狭/永平寺・丸岡/ビワイチ)(2024) | AJたまがわ

    土曜日の10時過ぎの新幹線で米原へ。小一時間ほど時間を潰した後、高月へ。ご厚意で北近江リゾートの方に迎えにきていただいた。約四年ぶりの北近江リゾートである。

    諸々の説明を受けた後、玄関の横に居座って到着する参加者の方々を出迎える。

    夕飯の後、22時発の300kmの方々を送り出し、風呂に入ってから雑魚寝部屋で就寝。

    日曜日、4時前に起きて、準備を始める。5時半に200kmの参加者を送り出した後、りんぱぱさんがカーシェアで予約している車を借り、ビワイチコースをトレースするように車で追う。が、ほとんど参加者には追いつかなかった。浮御堂で数名をキャッチしたぐらい。琵琶湖大橋でショートカットして、長浜で車を返し、北近江リゾートへ戻った。

    続々と帰ってくる参加者を出迎える。無事に事故なくBRM開催が終わり、19時からは懇親会へ。関西圏、中部圏の方が多く参加されており、新たな交流を持つことができて非常によかった。有志で二次会。自分は日付が変わる頃には大広間で寝落ちしていたのだろうか。4時頃に起きたら大広間には誰もいなかった。

    月曜日は北近江リゾートで帰っていくみなさんを送り出した後、施設の責任者であるたなかくんと長浜駅前で昼間から延々と飲んでた。四年前に北近江リゾートのサイクリングイベントに来たときは当日中に実家に移動してしまったので、一緒に酒を飲むのはたなかくんが実家の会社に移籍する際に東京で送別会をしたとき以来。もう何年も前のことだ。この人と酒を飲み出すと長酒になるのは不可避であり、昨日も11:30から20:30まで酒を飲んだ。当初は18時過ぎに退出して帰るはずが、18時過ぎ、19時過ぎの電車をスルーし、さすがにこれはまずいぞと思って20:35の長浜発の電車に飛び乗り、23時過ぎに帰宅した。

    今日は大変酒臭かった。

  • Super Randonnée “S.K.Y.LINE” 富士箱根伊豆国立公園

    10月5-7日で走ってきた。新横浜6:48の新幹線に乗れば7:21には三島に着く。そして新幹線改札を出てすぐのところがスタート地点。コンビニもある。とても便利。8時にはスタートできてしまう。

    天気予報は5日の午前中だけ雨が降りそうという予報だったが、結局三日とも雨が降った。これは想定外。

    8時にスタートして天城越えをして南伊豆へ。天城まではシューズは濡れているが水没しているというほどではないという程度の雨だったけど、天城トンネルに着く頃にはザーザー降りでずぶ濡れ。で、河津、下田と雨は落ち着いた。石廊崎から西伊豆へ回って西伊豆スカイラインへ。雨で思ったほどペースが上がっていなくて、当初は西伊豆スカイラインは明るい内に通過できるかもと考えていたけど、仁科峠に着いた時点で日没寸前。そしてガスっていて視界は真っ白。どうもまた雨のようだ。さらに悪いことに雷がピカピカ光っていて、こんな高度が高い吹きっさらしの場所を一人で走っていて雷に撃たれたりしないだろうかと不安になった。視界も5mぐらいしかないので、西伊豆スカイラインのアップダウンもノロノロ運転。途中、一台の車とすれ違ったが、しばらくするとUターンして戻ってきた。「下まで乗せて行こうか?」と。まぁ状況だけ見るとほぼ遭難してるようなもんだしな。丁重にお断りした。十国峠は横殴りの雨。一体何をやっているんだという気持ちになる。湯河原のすき家で飯を食って、小田原に着いたのが日付が変わる頃。なかなかしんどい一日目であった。

    二日目は6時にホテルを出て、近くのコンビニで補給してからスタート。足柄峠、明神・三国峠とパンチのある峠が続くが、足柄峠を登っている途中で雨が降り出し、明神・三国峠は本降りに。明神のとても斜度がきついところでダンシングしようとしたら後輪がスカッと空回りしたので諦めて押し歩き。三国峠から少し下った展望スポットはもちろん真っ白である。山中湖のコンビニで休憩して、二連続の林道へアタック。ただ、この二本の林道は斜度が大したことないのでそんなに大変ではなかった。SR600みがあってとてもよい林道だと思う。若彦から下って伊奈ヶ湖へアタック。こちらはとてもきつい。ちょうど日没の頃にエコパ伊奈ヶ湖へ到着。折り返して下る頃には真っ暗であり、本来眼前に広がるであろう富士山はまったく見えず。19時過ぎに下部温泉に到着し、手持ちの補給食を食べてから本栖みちへ。21時前に登り切って22時前に鳴沢の道の駅へ。自販機でエネルギー補給をしてサクッと下る。この日は23:20に凱旋門賞の発走があるので、それまでに富士宮に下り切って中継を見ようという目的で気持ちよくダウンヒルをキメた。23:10頃には富士宮に到着したので無事に中継に間に合った。その場でホテルを探して予約して駅前のホテルで一泊。

    最終日は6時に出発。富士山スカイラインにアタックする前にすき家で腹ごしらえをして、コンビニで補給食も買い込んでおく。クライムプロが35kmの登りとか表示するので本当にメンタルに来るが、そうは言ってもこのコースでこれまでに登ってきたほどの斜度ではないので、脚的にはそんな大変でもなかった。このコースの核心は西伊豆から伊奈ヶ湖にかけての連続する激坂であり、富士山スカイラインは消化試合みたいなものである(終わった脚で挑む消化試合ではあるが)。五号目から下り、御殿場で休憩をしてから最後のステージである箱根へ。乙女峠を登っているときにポツポツ来て、須永君碑で写真を撮っているとまたざーっと雨が。やれやれである。大観山も当然のごとく景色は真っ白。結局、一枚も富士山の写真がないままフィニッシュとなった。主担当様からは「富士山の写真がないのでゼロ点!」との評価をいただいてしまった。

    コースプロフィールを見ると富士山スカイラインの部分が目立つが、このコースの難所は西伊豆から伊奈ヶ湖までである。どの坂も馴染みがあるけど、こいつらを続けて走るとなかなか脚に来るのである。一つ一つの坂がていねいにていねいに脚を削ってくる感じ。そこと比べると本栖みちや富士山スカイラインはとてもマイルド。

    帰りも新幹線に乗ればあっという間に帰宅できるので、走りに行きやすいコースである。まぁまたいつか。