Category: randonneuring

  • 2023 BRM1103 神奈川300km 鎌倉

    BRM1103神奈川300km鎌倉 | AudaxJapan神奈川

    新年度の一発目はいつもの鎌倉300から。

    来年のフレッシュで海外から複数名の客人を迎え入れる予定で、「今年のチームを割って二チーム体制にする&タンデム使えばもう一人増やせる」という降って湧いたような妙案が実現可能なのかどうか検証しないといけない。そのためにはおーのさん手持ちのタンデムのフレームはフレッシュを走るのに耐えうるものなのかテストしようという流れになり、おーのさんがとりあえず一人で走ってみるということに。自分は普通に自分の自転車で走るだけ。

    お馴染みのコースなのでこちらは気が楽だけど、ソロタンデムは登りが大変そうで、結局貯金が2時間まで増えることはなかったんじゃなかろうか。だいたい1時間前後の貯金で走り続けていたような感じ。また、夜中の内は気温もあまり下がらず快適だったけど、反面、日中はこの時期にしては暑すぎてなかなか大変だった。

    19時間ちょっとでゴール。往復とも自走にしたので丸一日楽しく自転車に乗った一日であった。今年はもうブルベは終わり。

  • 2023 BRM1008 札幌200km 薄野

    2023BRM1008薄野200 | Randonneurs Sapporo

    ホテルからスタートまですぐなのでゆとりを持ってスタート地点へ。久々にちこりんさんにお会いしました。エントリー105人となかなかの規模。関東のブルベでも最近は100人近くが出走することなんてなかなかないような気がする。

    スタート直後は市内の信号峠で団子状態だったけど、徐々にばらけ、ほりかわさんやいしまっちと同じぐらいのところで。定山渓のコントロールはセブンイレブンでもセコマでもいいとなっていたけど、道外の人間なので迷わずセコマへ。久々にコントロールのコンビニで長々とダベるというコロナ禍のブルベではなかなかないことをした。懐かしいこの感じ。

    朝里峠は長いけど緩い登りでとてもよかった。気分よく登って長い長い下りへ。

    とりあえず朝里ダムへ寄る。

    下り切ってからは国道5号のアップダウンで銭函方面へ。で、銭函のコントロールも当然のごとくセコマを選ぶ。

    よい景色。

    昼飯は厚田のコントロールのところからコースをちょっと外れた道の駅でバッテラ。北海道の道の駅は本州ほどレストランは充実していないぞというのを後日ちこりんさんから教えていただいた。そういうものなのか。

    厚田のコントロールに戻るといしまっちがいたのでここからは二人で喋りながら。当別ふくろう湖のところはオホーツク1300で逆向きに走ったので景色に見覚えがあった。

    新篠津のコントロールの前でティラノサウルスに遭遇。この方、オホーツク1300で初めて会った北海道のランドヌーズだが、PBPでも不意にサンカンタンで遭遇し、復路のヴィレンヌで会い、ゴールのランブイエで「またどこかで!」と言って別れたのだけど、まさか一ヶ月半後に北海道の道端で出会うとは。しかもティラノサウルス姿で。

    サイクリングロードに入ってからはいしまっちに導かれ、無事すすきのに到着。天気も良かったしシーズン最後のブルベとしては最高でした。

    ホテルに戻ってシャワった後にゴール受付に戻って、ちこりんさんとR札幌代表のたけださんと後夜祭へ。よい締めでした。

  • PBP Récidivistes

    Récidivistes – All Participants

    13回目の完走!っていう人のゴールシーンを見たけど、三人のうちの誰かっぽい。1970年代ってわたしまだ生まれてません。

  • GWの事故の後処理

    GWに車にはねられた件、先日ようやく片付いた。事故処理の機会なんてそうそうないだろうからメモを残しておく。

    事故の当日

    5月5日の21時頃、青森市国道7号沢田交差点通過後、左後方から合流してきた車にはねられる。道路の真ん中に投げ出されるものの、幸運なことにすぐに起き上がり、自転車を拾い上げて歩道に退避。運転手が下りてきて警察と救急に電話をしてくれた。運転手は前方不注意でしたとの弁。自転車はざっと見たところ、ホイールが破損、フェンダーが破損、その他にも曲がっていたり傷が入っていて走行不能であった。そもそもホイールが回らないのではどうしようもない。

    すぐに救急が到着した。救急車内で検査を受ける。ヘルメットの状況からして頭を打った形跡なしと判断された。雨だったためヘルメットの上からシャワーキャップをかぶっていたが、少し破れていて擦った傷ができていたものの、大きな衝撃が加わったとは想定しづらい状況。また、血圧なども異常なし。内臓にも違和感なし。腰の骨を押さえるものの痛みはなく、骨折はない模様。右脚の内側に打撲したような感覚あり(落車時にサドルなどで打った可能性大)。連絡先なども自分で記入可能で意識も問題なし。

    以上のことから、救急車で青森市内の病院に搬送しても新たに何か症状が検出されるとは考え難く、今後の手間を考えると地元に戻ってから病院に行った方がいいのではと救急隊から提案された。自分もそちらの方が良いと判断して同意書にサインした。GWの終盤で休み明けからは仕事もあるし、青森で入院してしまうと後が面倒だし。

    次はパトカーに移動して警察の担当者から事故の状況を聞かれ、調書を作成した。「前見てへんかったとはどういうことやねん!?」と加害者に対する感情はよくないが、法律に則って事を進めてほしいとお願いした。事故直後で痛みがないだけかもしれないので、地元に戻った後に病院に行くように警察からは念を押された。

    東横イン新青森東口に宿を取っていたのでそこまで移動したいところであるが、救急や警察では自転車を持っていくことはルール上不可能だそうだ。今回の担当の警察署が青森の隣町の署だったため、警察預かりになったとしても警察署まで引き取りにいくのは手間がかかる。救急隊の方が自転車を載せて移動できないかといろいろとタクシー会社に掛け合っていただいたが、全てノーの返事。やはりロードバイクをそのままの状態で載せることは難しい。救急車が消防署まで帰る際に自転車だけを乗せて行って、当直明けの職員が青森方面へ帰宅する時に東横インに届けましょうかという裏技のような案も出してくれたが、最終的に加害車両の運転手が自分の車で東横インまで自転車を運ぶということになり、自分と同行者の分の二台を積み込み、我々はタクシーでホテルへ移動して投宿した。

    救急隊の方は本当にいろいろ考えてくださってありがたかった。

    事故の翌日

    本来であれば大間へ向かって走行中だが、大間のホテル、津軽フェリー、函館のホテル、函館からの新幹線をキャンセルした。同行者とともに新青森駅から新幹線で帰京。

    帰宅後、自身が加入している保険会社に事故の連絡をした。簡単な事故状況の説明の後、連休中なので休み明けに担当者から改めて連絡するとのこと。

    GW明け

    各種やり取り

    休み明け早々の午前9時、自分の保険会社から連絡があった。補償の内容、弁護士特約、個人賠償についての説明を受ける。今回はこちらに過失はないはずだが、仮に責任割合が発生した場合は個人賠償の可能性があるため要相談だ。

    午後、相手方の保険会社から連絡があった。事故の状況の聞き取りのみ。今後は保険会社同士でやり取りを進めていくとのこと。

    その後、いつもお世話になっている自転車屋にも連絡をしておき、損害状況書類の作成を依頼。日を改めて自転車を持ち込むことにする。

    さらにその後、警察の担当者と電話をした。診断書の内容によっては人身事故として捜査する必要があるので、病院に通院後、もう一度連絡がほしいとのこと。

    夕方、近所の脳神経外科と整形外科の病院へ。診察と頭部のCTスキャン、胴体のレントゲンを取った。結果、特に事故によるものという異常は認められなかった(ただし、CTスキャンで気になる点があったので、これは後日MRIで確認することになった)。頭部打撲、左側胸部打撲、両足関節捻挫というのが診断書の内容。「この事故でこれならきみは丈夫だな(笑)」というコメントをもらった。おい、笑うところか。

    翌日、警察署から連絡があった。診断書の内容はどうだったのかと。内容を説明の上で郵送することにした。警察としては人身事故にするか物損事故にするかで事故処理が異なるため、被害者である自分にはそこをはっきりしてほしいようだった。どうすればベストなのかわからないし、即答できるものでもないので一旦保留にした。

    また、自分の保険会社からも連絡があった。相手の保険会社はこちらの走行方法に問題があったと主張し、こちら側に損害賠償を請求するかも知れないとのこと。おそらく相手の車のバンパーは破損しているだろう。こちらとしては走行方法に問題はなかったという認識であるが、交差点通過後の道路の形状が複雑なため、相手の出方次第である。過失がゼロではない場合は損害賠償が発生する可能性もあるということを言われた。

    後日、自転車屋に自転車を持ち込んだ。傷がついていれば損害になるのでBBやブレーキキャリパー以外は損害扱い。なので、ほぼ全損といった状況。自転車屋としては元の状況に戻すにはどれぐらいかかるかという観点で見積もりを出すらしい。パーツが無事であれば申請をした上で古いパーツをそのまま使うということも可能ではあるらしい。ただまぁ傷モノになっているし、一見使えそうであっても事故の衝撃でどこまでダメージがあるかわからない。

    助っ人

    5月下旬、会社の後輩で前職でまさに保険会社で事故処理を担当していた方にいろいろ聞いた。事故の扱いをどうすりゃいいのかよくわからんしな。後輩の前職は相手方の保険会社であり、その旦那さんは今もその会社に勤めているのでこれは百人力である。

    まず、人身事故、物損事故の扱いをどうするのかというのは刑事責任や行政処分に関わることであって、民事の賠償の過失割合には影響しないらしい。

    今回の怪我による通院は自賠責の分でカバーされる程度の額にしかならないので、相手の保険会社の持ち出しはないと見られる。一日の通院で済んでいて少額なので傷害の方はすぐに片付くだろうという話だった。ちなみに病院の通院、治療費、薬代は相手の保険会社から直接支払われる。一方で、物損の賠償は自分の自転車、相手の車の修理代金と過失割合に左右されるので慎重に対応した方がよさそうだとのこと。

    また、今回のケースであれば、警察に人身、物損のどちらにするかを届け出る必要はあまりないかもしれないそうだ。人身事故にして実況見分調書を作ったとしても、民事の賠償の過失割合で揉めたときに裁判官が参考にするぐらいである。であれば、青森まで出向く交通費などを考えると損になる可能性が高い。実況見分に出向く場合の交通費は請求できないらしい。これは実況見分への立ち合いは国民の義務であるからとのこと。

    自転車の損害についての見解は以下の通り。今回は合流レーンでの事故であるが、どちらも動いていたのでたとえ自転車と自動車でも0:100にならないだろうと。今回のようなケースだと最大で2割か3割ぐらいは自転車側にも過失が認められる可能性があるそうだ。そうなったときはできる限り過失割合を低くするように交渉してもらうべきであるが、過去の判例からすると0:100になる可能性は限りなく小さいんじゃないかなということであった。運転手が自分の前方不注意で全面的に悪かったと言っていたとしても、それは保険会社の判断には関係ないらしい。おそらく車の前のバンパーが破損しているであろう相手の車の損害額と自分の自転車の損害額、それに過失割合が決まると賠償額は機械的に計算される。被害者としては納得しづらいがまぁそういうものです諦めてください、ということであった。なるほど。

    過失割合に納得できない場合には弁護士特約を使って弁護士に頼んで交渉してもらうことになる。その際に実況見分調書があれば裁判所が参考にすることはあるけれども、実況見分調書はその時に出番があるぐらいで、そうでなければ別に人身事故にしたからといって受け取れる賠償額が増えるわけでもないとのこと。賠償はあくまで民事の話なので、警察に届け出る人身事故、物損事故の違いも自転車の賠償には関係ない。ネットにある情報は間違っているものが多いので、あまり参考にしない方がいいとのこと。

    一通り話を聞いて方針は決まった。警察から人身事故にするのか?という電話も来なくなったし、こちらはもう放置でよかろう。わざわざ人身事故にして実況見分に出向いたとしても、交通費などは請求できないらしいし、人身事故にしたとしてもこちらの持ち出しは増えるし、それによって賠償額が増える可能性もほぼないなら、特に人身事故にする必要はない。ただ、物損事故で処理すると行政処分がなく、運転手の免許証の点数は減点されないのでそれはそれで被害者感情としてはモヤモヤは残るが。一応診断書を警察に提出しているので、それをもって人身事故扱いにしているケースもあるそうだが、もうそこはあまり拘らない。自転車の賠償をきちんとしてもらうということに絞って話を進めよう。

    損害額の見積もり

    そして、7月の下旬に賠償額の見積もりがきた。保険会社の基準で機械的にそれぞれのフレームやパーツ、ウェアの残存価値を計算して足し上げているだけのようだ。フレームは2017年のものだし、認定される価値はおそらく最低限度のものと思われる。日本だけでなくアメリカやフランス、オーストラリアに連れていって使い倒したフレームで愛着はあるが、そういうものであろうと納得した。ここは争うつもりなし。あとは過失割合が決まれば賠償額は決まる。

    ……としてから結構な時間が過ぎた。本当はPBPの前までに決着して気分よくフランスへ向かいたかったのだが。なかなか連絡が来ないのでこちらから自分の保険会社をつついておいた。

    決着へ

    PBPから帰ってきてしばらく経った8月末、ようやく相手方から過失割合の提案がきた。

    どちらも動いていた者同士ということで、5:95の割合を提案された。加害者の運転手は自分が悪いと認めているそうだし、前述の通りどうやっても0にはならないと思われるので、これで受け入れると自分の保険会社へ連絡。2割、3割を想定していたのでこれなら全然問題ない。あちら側の車の修理費があるけど、こちらの過失割合は5%なので大した額ではない。これも保険でカバーされる。

    そして9月中旬に傷害に関する免責証書を交わして決着。賠償金の振り込みなども全て終わった。

    事故の処理なんて初めてのことでまったく知見がなく、会社の後輩に全面的にお世話になった。彼女の助言がなかったら右往左往していたと思う。こんなものはやらなくて済むならやらない方がよいし、ひとまずこの件が決着したのでほっとしている。あと、月並みであるが事故には気をつけましょうとしか言いようがない。

    パナチタンもフレームに大きな傷は入ったけど、曲がっているようにも見えないので、使えるところは使ってローラー用マシンとして延命させるつもり。

  • Super Randonnée 京都

    Audax Kinki SR600 » SR600KT 京都

    16〜18日の三連休で走ってきた。

    仕事の都合がついたので15日の金曜日を休みにして、昼過ぎの新幹線で京都に移動。京都駅近くの宿に宿泊した。輪行状態でないと持ち込めない宿でちょっと面倒だった。

    1日目は舞鶴までの285km、2日目は守山までの205km、3日目は120kmという配分。舞鶴の到着があんまり遅くなるのも嫌だし、スタートは4時にした。2日目、3日目は4時に起きて5時に出る予定。予定を立てたはいいが、猛暑日だか真夏日だかとにかくクソ暑くて、コンビニや自販機で水分をガブ飲みしていた。

    1日目は普通のBRMとあんまり変わらないぐらいで、子午線クロスラインごうろと丹後縦貫林道がでかい登り。丹後縦貫林道を登っている間に日没となり、下りで何度も鹿とエンカウントしてめちゃ怖かった。鹿にはトラウマがあるんだ。ちなみに1時間後にスタートした若者(Kさん)には城崎で追い付かれている。毎日、終盤に追い付かれるの繰り返しだった。

    天橋立はすっかり暗くなっていた。

    ホテルへ向かう前に東舞鶴のラーメン屋に入ったが、あまりにも暑くてラーメンなんか食ってられるかと思って上記のものを注文したんだが、何度も「ラーメンはいらないの?」って聞かれた。すいません。暑くてラーメンは無理です。

    2日目はエンゼルラインの開通と同時に突入できるようにスタートし、エンゼルライン手前のコンビニで休憩を入れて時間を調整した。城崎から小浜にかけては本州縦断でも通ったので懐かしい。

    エンゼルラインは7時から開通なのでまだ涼しい時間帯と思いきや、日陰がないところはジリジリと直射日光が焼いてくるなかなか辛い登りだった。

    エンゼルラインの後は広域基幹林道若狭幹線。20km近く未舗装路が続く。ディスクブレーキ、32cのタイヤなので全然問題なく乗ったまま走れる走が、一部斜度が急なのと地面が固まってないところで後輪が空転したので押して上げた。とはいえ、基本的にはほぼ乗車で行ける程度のグラベル。でかい石さえ避ければグラベルを楽しめる感じのルートであった。

    そして、若狭幹線のグラベル区間が全部終わった後、国道162号に向けて下っているときに油断して石を踏んでパンクした。なんやねん。今年4月にタイヤをパナレーサーに乗り換えてからブルベで4戦3敗なんだが相性の問題なのだろうか。過去10年でパンクなんて片手で足りるぐらいしかしたことなかったのに、半年で三回は多過ぎないか。パンク修理のスキルが磨かれてしまう。

    三方五湖を過ぎるとおにゅう峠へ。

    峠といえども800m程度。1000mにも満たないので全然涼しくない。ずっと直射日光に焼かれたおかげでおにゅう峠の小屋みたいなところで思わず座り込んでしまった。

    おにゅう峠の後は能見峠、花背峠へ。能見峠前の自販機はマジでオアシスという感じ。ここでの補給がないとかなりきつい。百井峠の激坂は初っ端から押し歩き。ここを歩いているときに完全に日没となり暗くなった。と、後ろから前照灯の明かりが!なんと乗ったまま登ってくる自転車がいるではないですか。Kさん、36-28のギアでこの激坂を登っている。自分を見るなり「あっ自分も歩こう!」って下車したけど、なんか普通に登れそうな勢いだった。すげえな。

    守山アートホテルの前の中華料理屋で。暑くてグロッキーだが食うものを食わんと走れん。

    3日目がこのルートの一番きついところだと思う。120kmで2500mぐらい登らないといけない。短く急に登って標高を稼ぐ感じなので、パンチのある登りが続く。登っても600mぐらいまでなので涼しくもない。

    金勝寺~御斎峠~三国越林道~童仙房~金胎寺と続くアップダウン、どれも斜度があるし、下りも急で道が荒れているので慎重に下らないといけない。登りで失った時間を下りで取り戻すというのがブルベのセオリーだが、ここら辺の下りは時間を稼げる下りとは言い難いので3日目は時間に余裕を持っていた方がよさそう。

    で、最後の金胎寺からの下りは迂回路の方にした。最初は正規ルートに行くつもりだったのだが、予備のチューブがないので安全策を取った。ここでパンクなんかしたら打つ手なしになってしまう。

    京都駅に到着した後、Kさんとしばし話をして解散。近くのコンビニで水浴びをして、ウェアを着替えて新幹線で帰宅。

    SR600京都、個人的には結構好きなコースだけど、この暑さだと標高の高いところに行かないSR600は救いがないので辛いな。もうちょい涼しい季節の方がいいかもしれない。

  • Paris-Brest-Paris 2023: Epilogue

    今年はGWの事故でだいぶ予定が狂ったけど、まずはPBPを完走して無事に帰って来れてよかった。

    84時間の良い点・悪い点

    84時間組のいいところは、朝起きて夜寝るという規則正しいサイクルで走れることだろうか。また、ナイトライドの時間も必然的に短くなるので(特にフランスは日が暮れるのが遅いので)、前照灯(21700仕様のFenixのタクティカルライト)のバッテリーも交換の必要なし。予備のバッテリーは二本だけなので、最低限のもので足りる。

    また、人数が少ないのでコントロールが混まない。一方、PBPのお祭り感というのは90時間に比べると物足りないかも。後ろから来るトレインの数も必然的に限られてしまう。あと、コントロールのクローズも90時間に比べるとちょっと厳しい。ただ、朝スタートだと日中の変なタイミングで寝て時間を使ったのでクローズタイムが!みたいなことになりにくいので、今回はクローズタイムを気にして走ることはなかった。

    持っていったもの

    今回は前回ほど寒くなかったので、ウェア類は半袖の薄手のウールジャージで、アームウォーマーもレッグウォーマーもなし。仮眠後の明け方に走っていても防寒対策はまったく必要がなかった。仮眠するには肌寒いけど、運動していればまったく問題ない程度までしか気温は下がらなかった。なので、日中は暑くてだるかったけど、全般的に見れば気候条件はよかった。長袖ジャージは全部宿に置いていった。背中のバックパックはレインウェアのような衣類やエマージェンシーヴィヴィで重くないし、仮眠所での枕代わりにしている。

    また、緊急事態用に補給食(パワーバー?)を四つ(一日一本)持ったけど、国内ブルベでもコンビニでガツンと補給しちゃえば走ってる間は水を飲むだけで済むタイプだし、サプリや薬は普段から全然使っていないのでPBPでも特に準備せず。PBPだからと言って特別なものを用意する必要はまったくないと思う。特にPBPはプライベートエイドとかを考えると補給の心配はないわけだし。

    前回は補給食を持ったり、防寒装備を持ったり、何より道中ずっと動画撮影をしていたのでバッテリーがめちゃくちゃ重かったのだけど、今回はそういったものは持たなかった。大体80時間以上の動画を撮影してきたって見返さないんですよ。PBP2019の動画は一度も見返されることなくHDDの肥やしになった。

    費用

    かかった費用は前回と同じぐらいだろうか。トランジットとはいえ航空券はちょっと高かった。が、宿は三人で割り勘したので10泊で4万円もかかっていない。民泊なので面倒なこともあるが、そういうのが気にならない人はこういうのもありだと思う。食事とかはまぁ円安もあるけど、そもそものインフレもあるので仕方ないかな。あまり気にしていても楽しめないので、四年に一度だからと思うしかない。

    やはりPBPは特別

    PBP以外のRMを走ると、「See you in Paris!」と言って別れるのだけど、それが本当に実現するのがPBPのすごいところ。Cascade 1200やPerth-Augusta-Perth 1200を走ったときに知り合った方々と一緒に走ることができてめちゃくちゃ楽しかった。これはPBPでしか実現しないことなので、また四年後も参加すると思う。コースが楽しいとかそういうのじゃないんだな。LRMを走るようなコミュニティは世界的に見てもとても小さいコミュニティだけど、そのいつもの面々が四年に一度同じところに集まって走るというのはそれだけで貴重な機会だし、都合をつけて自分もそこに参加したい。

    Merci, France. See you in 2027!

  • Paris-Brest-Paris 2023: LRM総会・帰国など

    25日(金)

    ゴール翌日の25日は、おーのさんは帰国へ、おかださんはとある落車事故の後処理のために自転車を回収すべくLoudeac方面へ旅立ち、自分はLRMの総会へ出席。

    もう片付けが始まっている。祭りのあとである。

    オーストラリアのPeteが「LRM総会の前に朝カフェしよう」とメッセージをくれたので、総会前にメルキュール近くのカフェへ。

    LRM総会はPBPの書類を受け取ったところで行われた。AJ会長の古久保さんもこの為にフランスへ来られたので、AJからは二名で参加。LRMの会長、副会長の交代と、ルールに関するいくつかの改正、韓国からは新しい表彰の話があった。米国のMarkさんが会長から退任し、新会長はイスラエルのTalさん(これまでの副会長でLRMメダル番として何度もお世話になりました)、新副会長はフィリピンのCarmelaさん。財務担当はACPのFaburelさん(AJからは頻繁にリザルト訂正のお願いをしているので会って最初に詫びた)が留任。Carmelaさんは同じW組でスタートしてしばらくした後に第二集団で走っている時にずっと隣にいた方だ。

    あと、ポルトガルの代表のPedroさんとは四年ぶりの再会となった。四年前、PBPのゴール後にこの場所でジャージを交換して以来だ。

    総会の後はそのままランチへ。たまたまインドの代表と近くなったのでいろいろとインドの事情を聞いた。前回までのPBPはベジタリアンが多いインド人参加者にとっては、コントロールで提供される食事で選べるものが少なくなかなか厳しい環境であったらしい。また近年のRMの開催が多い背景なども話されていた。

    解散した後は宿へ戻って帰国前の最後のサイクリングということでランブイエの街中をうろうろした。もう前日までのような賑やかさもない。自分の宿の前の郵便局でオーストラリアのSimonとSallyと再会。結局Sallyの体調不良でDNFにしたそうだ。またどこかでと言って別れた。

    おかださんが自転車回収から帰ってきて任務を果たしたので一息ついて就寝。

    26日(土)

    いよいよ帰国の日。

    宿の馬房の中。ここに自転車を置いてた。馬はいないので単なる蔵として使われているそう。おーのさんとおかださんは無造作に置かれている自転車のブランドを見て盛り上がっていた。さすが自転車大国!

    ホストのご夫婦と別れ、自転車を担いでメルキュールホテルへ。Peteが一緒にタクシーでCDGまで行こうというので同乗することにした。タクシーを待っているとメルキュールホテルに泊まっている米国の方が「パッキングをしたいが、シャーマーズネックで満身創痍なのでペダルを外せない。手伝ってくれ」というのでおかださんがえいやと外していた。

    CDGで時間を潰し、それぞれの帰途へ。自分は帰りもカタール航空。

    最後にターミナルのレストランでビールとフィッシュアンドチップス。Peteは「来年も日本に行くつもり」と言っていたのでまたそのうち会いそう(今年もGWに来日していたらしく、「都合どう?」と連絡が来たけど本州縦断に出かけていて都合合わず)。

    カタール航空の受付のお姉さん、自転車を見るなり明らかに「面倒くせえな」という表情になったのを自分は見逃さなかった。すまんのう。

    土曜の22時45分のパリ発ドーハ経由羽田行きで帰国である。パリ→ドーハは隣の席が空いていて三人分の席を使えたので大変快適だった。

    写真ブレブレ。なぜかというとドーハではトランジットのためにダッシュをするハメになったからです。着いたゲートと羽田行きのゲートが離れていたので、羽田行きの人は道先案内人のスタッフに先導されて移動のはずが、ボーッとしていたら見失い、近くのスタッフに尋ねてターミナル内の電車みたいなのに飛び乗り、ダッシュでファイナルコールの最後の最後に滑り込んだ。危なかった。

    ともあれ、無事に人間も自転車も日本に戻ってきた。日曜23時過ぎに羽田着。

    しかし問題はここから。荷物を受け取る頃にはもう終電は終わっているので、タクシー待ちは長蛇の列。もう一人エミレーツ航空で同じタイミングで帰ってきた方と一緒に延々とタクシー待ちをした。月曜午前1時半頃に自宅に到着。月曜は朝から通常通り仕事なのでさっさと寝た。

  • Paris-Brest-Paris 2023: Villaines-la-Juhel – Rambouillet

    最終日は200kmちょっと。

    少し早いが24時頃に再スタートするつもりで起床して飯を食う。

    ぜっとさんが同じVillaines-la-Juhelにいるようだし、最後はぜっとさんと一緒に走って完走を見届けようと思って飯を食べて走り出すことにする。のんびり食べていたというのもあり、ぜっとさんが先に出発したのではと思って飛ばして行ったが一向に追い付かず。これは自分が先に出発した可能性大だな。

    そうこうしているとAlençonでパンク。チューブを交換して空気を入れてもタイヤは膨らまない。ちょっと焦り気味に携帯ポンプでポンピングをしていたらネジが緩んで壊れてしまった(後でちゃんと修復した)。と言うわけで、続々と通り過ぎる後続にヘルプを求める。90時間組はギリギリ隊になっている方も多く、なかなか止まってくれないが、親切なランドヌールが止まってフレームポンプを貸してくれた。どうも交換した新品のチューブにも穴が空いているようだ。やれやれ。もう一つ予備のチューブを持っていたのでそちらに入れ替え。親切なランドヌールもさすがに時間に余裕ないわと言うことでCO2を置いて走り去った。なんとありがたい。名前を聞くのを忘れたのが悔やまれる。

    修理を終えて再スタートすると、っきいさんが現れたので雑談をしながら一緒に行く(長年の疑問、なぜ「っきい」なのかも聞いた)。っきいさんがマジのギリギリ隊なのでなんとか間に合わせるために結構いいペース。Villaines-la-Juhel以降の200kmを12時間と聞くとまぁサラ脚なら余裕だなと思ってしまうが、睡眠不足になりながら1000km走ってきた後だと思うとなかなか際どいところだろうか。

    そしてMortagne-au-Percheに到着。っきいさんはここで残り距離と残り時間からもう時間内は無理と判断され、仮眠してから行くそうだ。

    自分は飯を食って続行。とりあえずチューブを一本調達しておくかと思ったが、売ってるチューブは28cまでのものばかり。32cはまだまだ一般的ではないのかも。

    Mortagne-au-Percheの後は明け方で眠気もあったが、シアトルのNarayanと一緒になったのでちょうどいい喋り相手ができた。途中でランドヌールが吸い込まれているカフェで朝コーヒーで目覚まし、Narayanとダベっているとシャーマーズネックになったキルハさんが登場した。すでにDNFを決断されている様子。ここまで辿り着いているのにシャーマーズネックでのDNFは辛い。

    この後、タカトリさんや亀太郎のいっちも合流。大きなアップダウンもなくなってきたし、自分はもう84時間の制限時間に対しても余裕十分。タカトリさんやいっちはN組なのでギリギリ隊ではあるが、それでもこの後は大した登りはないのでまぁ間に合うでしょうという安堵感が漂う。

    と言うことで、Dreuxではみんなで一服というか、N組基準で15分の余裕を持って出れば急ぐ必要もないでしょうということでゆっくり食事をした。Narayanと「なぜゴール直前のDreuxでパリブレストを食べるんだ?ゴールしてからの方がいいじゃないか?」というパリブレストいつ食べるか問題について議論をしていると、他にオカモトさんやEQ乗りのすぎうらさん、亀太郎のすがやさん、N組の日本人の若者など、わらわらと日本人が集まってきた。最後は日本人の大所帯となってみんなでまとまっていきましょうということになったので、DreuxからRambouilletまではチームジャパンでウイニングランという感じ。

    ちなみにジャージはここまでずっとシアトルとRUSAのCima Coppiの薄手のウールジャージだったけど、上にAJのPBP2023ジャージを羽織った。ゴール後の交換を見据えたもので、前回もDreuxでたまがわジャージを羽織った。最後だけ正装である。

    自分も概ね計画した通りの時間にゴールとなった。

    渡航前から「AJのジャージいいな!交換しようぜ!」「一応2枚持ってるからもしゴールした時に交換する相手が見つからなかったら連絡して!」とPatrickに言ってあったが、ゴールで待ち構えていた。80時間組なので一日前にゴールしているはずなのにと思ったが、そうかトラッキングで大体のゴール時間がわかるか。今回はRUSAのPBP2023ジャージと交換になった。

    オーストラリアのChrisと再会。スタート直後に会話して以来。

    後続の方々のゴールを見届けてから自分も退出。いろいろと事故や怪我の話を聞いたけど(Dreux以降の区間で救急車が出ているのも見たし)、自分自身は大きなトラブルなく終えることができた。めでたしめでたし。

    Equilibriumのバイクも調子よかった。

    宿に戻って何を食うかというとカップ麺であった。フランスまで来てカップ麺はないやろ!とスタート前は一度もスーパーで手に取らなかったけど、走り終わった今一番沁みるのは何かと自分に問うた時にそれはカップ麺であろうという結論になった。

    沁みた。