Category: randonneuring

  • Paris-Brest-Paris 2023: Gouarec – Villaines-la-Juhel

    三日目はVillaines-la-Juhelまでの284kmの予定。

    予定通りの時間に目が覚めて食堂で飯を食って出発。といってもろくなもんがなかったので、コーヒーで目覚まししてLoudeacでガツンと食べる方向で。

    Loudeacに到着する直前でひめい夫妻に追い付いたのでLoudeacまでご一緒する。今回の参加のきっかけになったのが昨年開催を担当した野辺山600の際に自分が発した何気ない一言だったそう。

    そんなこと言ってたのか。

    Loudeacではタカトリさんとたけさんが寝ている横に陣取って食事。

    私の食前。

    私の食後。

    食事の後はシャワーを浴びて、ドロップバッグに預けてあった衣類に着替えた。ようやく衣類を一新して気分も新たにという感じ。朝なので空いていたし、シャワーは生き返る。

    復路のQuedillacはシークレットでないことを確認。レストランなどには寄らずに通過することに。

    と、リスタートする前に持参していた補給食を食べた。今回はこれを緊急事態用に四本(一日一本)持ってきていたけど、コントロール飯で足りていたし、全然必要ではなかったのでとりあえずお試しで食べてみるという感じ。食べたのは結局この一回のみ。あんまり好きな感じではないが、まぁ効率はええんやろな(ちょっと高いが)。

    そしてTinteniacへ。三日目もなんだかんだで暑くてなかなかペースは上がらない。また、理事会Slackから事故った方のDNF連絡をしておいてほしいという連絡もあり、Tinteniacでオーガナイザー担当を探してその旨を伝えた。腹も減ったのでレストランで食事。タカトリさんやひらのさんと一緒であった。

    TinteniacからFougeresにかけてはさらに暑くなってきた時間帯で、暑いー暑いーと言いながらペダルを回すだけのマシーンになっていた。

    Fougeresに着く前からオレンジジュースをがぶ飲みしたい欲が高まっていたので、サインをもらってレストランに行き、最初に手に取ったのが1Lのオレンジジュースのペットボトル。大体、こういう疲労が溜まってくる段階では純粋なオレンジジュースを飲みたいのであって、オランジーナとかいらんねん。

    レストランの前の芝生で寝ている人たちがあまりにも気持ちよさそうだったので、自分も横になってしばらくゴロゴロ。ただ、本格的に睡眠したいというわけではなかったので、早々に切り上げて再スタート。Villaines-la-Juhelまで戻ってから寝ることにする。

    フランスに生息する野生のラッパおじさんを捕獲した。せっかくなので吹いてもらう。おれたちは一体何をやっているんだ……

    21時にようやっとVillaines-la-Juhelに戻ってきた。去年のオホーツク1300で一緒になった方々と再会。順調そう。

    自分はここで寝るつもりだったので、サインをもらって寝場所を探す。外で寝るのも気持ちよさそうだなと思ったけど、芝生にいい具合のスペースがなく、コントロールの片隅のアスファルトの上で寝転がってバックパックを枕にして寝転がった。が、しばらくすると雨粒が落ちてきたので慌てて食堂に避難。端っこの長椅子を陣取って寝た。前回もこの食堂で寝たな。残り200kmなので仮眠は短く切り上げて0時には出る予定。

    Zzz…

  • Paris-Brest-Paris 2023: Quedillac – Brest – Gouarec

    二日目はBrestで折り返してGouarecまでの350kmの予定。

    Quedillacで軽く飯を食ってから出発。まだ暗いし、集団とかは全然いない。視界に入るのも二、三人。一人だとロータリーの出口を間違えてあらぬ方向に行ってしまうので注意しないといけない。というか、何度かあらぬ方向へ行った。Loudeacまではただただ暗闇の中を行くという感じ。

    Loudeacに到着。食堂に行くとタカトリさんとつかぽんさんが寝てた。二人は90時間組なのでこの時間にここで寝ているのはかなりヤバそうだがどうだろうか。隣で飯を食って一言言って先に出発。

    Loudeacを出てしばらくするとあおきさんに追い付いた。こちらも90時間組なのでこれはかなり借金がありそうだがと思って話を聞くと、スマホを落として探し回っていたとのこと。同行していたくりたさん(Project Kの店長)と連絡が取れず、先に行ってしまってはぐれたと。一緒に走ってくださいということなのであおきさんのスマホ紛失の顛末やここまでの調子を聞きながら進む。しかし、どうも食べ物も合わないようで、パンを食べることができず、持参したお粥を食べながら走るという厳しい道中になっているようだ。途中、道端でお粥を食べるというので待っていたが、待っていても手持ち無沙汰なのでくりたさんにFBのメッセンジャーで電話をかけてみる。と、どうもすでにCarhaixに到達しているとのこと。しかし「St Nicolasの手前にシークレットみたいなのがあってスルーしちゃったんだけどあれはシークレットなのかな?」と仰る。そこに到着したらまた連絡しますと電話を切り、お粥休憩を終えたあおきさんとCanihuelへ。

    「やっぱりシークレットです!」

    「マジで!」

    「どうせこのまま行ってもサインなしで認定されないんだし、くりたさん!戻ってきましょう!戻ってきてあおきさんと再合流しましょう!(ニコニコ)」

    「きみも酷いことを言うねぇ〜」

    みたいなやり取りをした。戻ってきてくれるそうだ。

    Saint-Nicolas-du-Pelemに到着。Davidさんがいた。もうDNFを決めたらしい。7月に事故ったとかで本調子じゃないとのこと。軽く補給をした後、くりたさんも戻ってくることだしとりあえず前に進みましょうとあおきさんと出発。が、やはりどうも登りであおきさんが遅れ気味。こちらにも制限時間はあるしな〜と思いつつ、そろそろくりたさんが戻ってきてスライドするやろと思っていたらその通り。スライドの際にあおきさんが少し後ろにいることを伝え、「そのうち後ろからくりたさんが戻ってくるからな!すまん!」と思い、ちょっと踏みました。本当にすまん。

    しばらくすると後ろからタカトリさんが現れたが妻の方がいませんでした。大借金を返済するために女房を捨てた漢の背中である(酷い言い方)。

    そしてCarhaix-Plouguerに到着。ここは食事の選択肢がいまいちだよなぁ。タカトリさんはコントロールを出てしばらく行ったところでスーパー?に消えていった。

    Carhaix-PlouguerからBrestって90kmもあるし、チマコッピまで登るのでだるいところ。ちょうど脚の合う面々で集団になったので5〜6人のグループで黙々と登る。が、英語が通じないグループだったので、特に会話なし。後ろでイタリアのおじさんがイタリア語で何か言ってたけど、全くわからん。とりあえずチマコッピの電波塔のところまで集団で行って下りで解散。外国人の速い下りにはついていけぬ。ゆるりと下っていたら元気いっぱいのタカトリ号がぶっ飛んでいった。妻を切り離したから軽快なのか(酷い言い方)。

    Landerneauを過ぎたところから始まるBrestの手前のアップダウンが大変だるい。前回とコースは違うがだるいものはだるい。なんとかBrestに到着。

    Brestではひめい夫妻やタカトリ夫妻と一緒になった。シアトルのMarkも大体同じぐらいのペースなのでよく会う。とりあえずレストランでちゃんと飯を食う。

    あと、トイレのドア開けたら中に女性が入っていてキャーという悲鳴とともにバタンと閉められました。すまんかった。しかし鍵ぐらいかけやがれ。

    定番スポット。SimonとSallyがいたので一緒に写真を撮った。

    Brestを出るとビンテージもののバイクで参加されている日本人の方に遭遇。PBPを走るためにあるような自転車のようだ。シングルギアは大変そうだった。

    また、coffeeneuringを主宰しているMaryにも会った。Cascade 1200に参加した時にcoffeeneuringを知ってからは毎年地道にやってきたけど、ついに教祖様にお会いした。一日目のスタート直後にもちょろっと会話を交わしていたが、集団で追い越したシーンだったのでろくに会話できずだった。タンデムの後ろにいるとリズムができていい感じ。そして下りで置いていかれる。

    Belief: Paris-Brest-Paris 2023 – Chasing Mailboxes

    Maryのブログ。

    Playbenのシークレットではちびっこ達がサインしていた。児童労働の闇だ。

    彼らはきっとPee Time。

    Carhaix-Plouguerに到着。いよいよ90時間の方も増えてきてレストランでちょっと並んだ。そもそもCarhaix-Plouguerだというのもあるだろうし、PBP全体からすると後ろの方だというのもあって飯が悲惨。パスタにかけるソースは全部売り切れになっていた。これは辛いなと思っていたら、レジの横にケチャップの小袋があったのでこれをもらっていく。でもまぁ食事としては厳しいな。今回のワースト飯はこの時のものだと思う。また、亀太郎御一行とも再会した。

    ちょうど0時にGouarecに到着。計画とピタリ一致なので本日はここまでにして寝ましょう。ここの仮眠所はテントを立ててその中に簡易ベッドを並べただけのもの。暖房はないし、テントは隙間だらけで寝るには寒かった。途中でエマージェンシーヴィヴィを出してくるまった。食堂の隅っこで寝た方がナンボかマシだったな。失敗だった。

    Zzz…

    二日目になると景色にも完全に飽きてきており、コントロールとコントロールの間の走行中の写真が一枚もないところもあるな。夜は仕方ないけど一枚ぐらいは撮るというのを意識してもよかったかもしれん。

  • Paris-Brest-Paris 2023: Rambouillet – Quedillac

    今回は84時間組の最初の枠のWでスタート。前の方に並んだ。初日はQuedillacまでの378kmの予定。

    5時はまだ暗く、スタート直後は大集団のまま暗闇の中を行く。かなりのペースで進んでいるが集団の中にいるので楽チンだ。スタートしてしばらくしてだったと思うけど、オーストラリアジャージの方に「久しぶり!」と声をかけられた。昨年のPerth-Augusta-Perth 1200で一緒だったChrisだ。PAPをゴールしてすぐ近くのバーでビールを飲んで解散して以来の再会。また、この組にはPAP1200で一緒だったScottやAndrew(Trans OZのオーガナイザー。PAPのオーバーナイトコントロールでは毎晩隣で寝てた(誤解を招く表現))の他にシアトルのMarkもいる。Wには日本からのエントリーは自分一人だけのようだが、何なりと知り合いがいるし世界は狭い。

    前の方でスタートしたので先導のバイクが見えるけど、84時間組の先頭なのでもちろんタイム狙いの人もいるだろうしかなりのペースで進んでいるので、ずっとついていくとあっさりと終わるやつやなと思い、一時間ぐらい経ったところで集団の後ろに下がって付かず離れずでヒラヒラしていたが、集団が割れて第二集団ができたところでそちらに移動。こちらは無理なく脚が合う感じの集団なのでここに陣取る。ずっと隣にいたフィリピンの女性(写真左)、PBPゴール後の翌日のLRM総会でフィリピンの代表であることが判明(そして総会でLRMの新副会長に選ばれました)。強い。第二集団には他にもフィリピンやマレーシアの方が多く、アジアのグループという感じであった。

    そして仲良く千切れました。

    Martagne-au-Percheのコントロールはガラガラ。第一集団は行ってしまった後だし、そもそも人数もそんなに多くないのでレジ待ちの必要なし。とりあえずパンオショコラとシャンボンだけ食べた。

    Villaines-la-Juhelまでも脚の合う人たちと集団を作りつつの走行であった。Villaines-la-Juhelに到着して最初の200kmが7時間半。貯金も十分。一方でこんなペースで走り続けても自爆するだけだなということで、ここからはマイペースで行くことにした。新車にはパワメをつけたので、PWRで2倍ぐらいをキープするようにして、踏み過ぎないように意識した。暑いのであんまりがんばりすぎてもよくなさそうだし。本当は心拍計もつけるつもりだったけど、用意だけして宿の椅子にかけたまま忘れてきてしまった。普段つける習慣がないとこういうときにミスをやらかす。

    賑やかスポット。

    プライベートエイドにいた悪党ども。「水をくれ」というランドヌールを容赦なく水鉄砲で撃っていた。カメラが曇るからやめたまえ。防水じゃないコンデジやったらおっちゃんブチ切れるとこやで。

    例の橋のある町のプライベートエイド。レモネードをいただいた。休憩しているとPEKOさんが通過していった。

    Fougeres。300km弱走ってきて腹も減ったのでここでガツンと食いたいところ。あと、AJ長崎のてれすけさんに会った。残念ながらタイムオーバーでもう止めるらしい。

    というわけで、レストランに移動してガツンと食べておきました。こんだけ食べればこの後も安心。

    Fougeresを出てすぐだったと思うけど、目の前にエンジンから火が出ている車が!運転手のマダムがおろおろしているし、これは消火しないとあかんやつやなということで、後ろにいたシンガポールのランドヌールと一緒に水をドバドバかける。そもそも水をかけていいのかもよくわからないけど、とりあえず水をかけることしかできないのでドバドバかける。通りがかりの車からも「マダム〜水〜」と水の差し入れがあったので、それも全部投入して消火した。そしてこれ以上は何もできないのでその場を後にした。とりあえず爆発せんでよかったな。エンジンから火が出ているの、初めて見たかもしれん。

    Tinteniac。仮眠の予定は次のQuedillacなのでTinteniacからは25kmほど。補給はオランジーナ二本で軽く済ませる。AJたまがわの某嫁さんに会った。90時間の最終組とはいえ、この段階で84時間組に追いつかれて大丈夫なのだろうか……という余計な心配をした。が、作戦があるのだろう。

    22時にQuedillacに到着。スタート直後の高速集団のおかげで予定してたより早く到着した。すーさんをはじめとした亀太郎御一行と入れ替わりとなった。ジュースだけ飲んで仮眠所へ。

    ここの仮眠所は当たりの仮眠所だそうで、まったくその通りであった。ジャージの上を脱いでレーパンとインナーシャツで寝転がっても全然寒くない。空調も効いていて最高。

    Zzz…

    それにしても今回は道中の風景の写真がほとんどないな。似たような景色ばかりで飽きてくるので仕方ないが。

  • Paris-Brest-Paris 2023: 渡航・受付・お見送りなど

    17日(木)

    17日午前1時の羽田発カタール航空ドーハ経由のフライトだったので、16日に仕事を終えてからすぐに羽田へ移動。早めに着いたので同じような時間帯のシンガポール航空組のぜっとさんやエールフランス組の方と時間を潰した。

    ドーハのトランジットは一時間ちょっと。出発ゲートに移動するだけです。

    CDGに到着して自転車が出てくるまでに空港のATMでキャッシングで現金調達。前回の残りの60ユーロに150ユーロ分を足しておいた。コントロールでちゃんとクレジットカードが使えれば現金はほとんどいらないはずだが。

    自転車をピックアップした後はUberでタクシーを呼んでランブイエまで。前回は同行の方々と三人でVanを借りたけど、一人なら小型車で十分。とはいえ結構なお値段になる。乗り換えの手間とかを金で解決である。実際に来たのはTOYOTA CH-Rなので小型SUV。後部座席にそのまま乗せて自分は助手席に座っていた。

    今回はランブイエのフランス人のお宅の一角を借りた。次の日以降フレッシュで同じチームだったおかださんやおーのさんも到着の予定。

    とりあえずまずはランブイエのセンター通りへ。久々だなーと思ってぶらぶら歩いていると、RUSAのPatrickに声をかけられた。第一村人からいきなりの知り合い。世界中からランドヌールが集まってきているとはいえ世界は狭い。メルキュールホテル前のテラス席にいたシアトル御一行などに挨拶をした。スーパーが閉まっちゃう前に食料を調達し、部屋に戻って自転車を組み立て、試走がてらスタート地点近辺をうろうろ。

    自転車は輪行バッグを引き摺られたのだろうと思うが、底が破れてシートクランプに傷が入っていた。まぁ走行には支障ない。

    18日(金)

    丸一日フリーで空いているのはこの日だけなので、朝からパリ方面へサイクリングへ。

    ルートを決めていたわけではないので、ヤマカンでランブイエからサンカンタン方面へ行こうとするも、ランブイエの森のグラベルのようなところに突っ込んでしまって迷子に。そしてクリートを止めているネジも紛失。行ったり来たりをして何とかサンカンタンに着くも、ぜっとさんは諸事情あってまだホテルに未着。待っていてもいつになるかわからんので一人でパリ方面へ向かった。地元民がバゲットを片手に自転車に乗っているのを見るとフランスに来たな!!!という気持ちになりますな。

    ちょっと雨がぱらついたけど気にしない。本降りになったらどこかで雨宿りしよう(レインウェアは持っていない)。

    かつてエルコンドルパサーがサンクルー大賞 (Grand Prix de Saint-Cloud) を制したサンクルー競馬場。日本調教馬の欧州の2400m(英ダービーや凱旋門賞が行われるクラシックディスタンスである)のG1制覇はいまだにこの一勝のみである。

    こちらはロンシャン競馬場の2400mのスタート地点裏。つまり凱旋門賞のスタート地点で映るあそこである。ちなみにパリのサイクリストはロンシャン競馬場の周りをトレーニングで走るそうで、結構な人数のサイクリストが周回していた。競馬ファンにはお馴染みであるが、ロンシャン競馬場は高低差の大きいコースであり、競馬場をぐるっと取り囲む道路を走るとそのアップダウンを感じることができる(言うてまぁ自転車にしてみれば大した斜度ではない)。

    こちらはオートゥイユ競馬場の正門。あまり馴染みはないが障害競走の競馬場である。

    他にヴァンセンヌ競馬場(繋駕速歩競走が行われる)などもパリにあるがちょっと遠いのでパス。というか、8月は日本と同じように夏競馬シーズンなので、主な開催はドーヴィルであり、パリの競馬場での開催はない。

    ヴェルサイユからサンクルー、ロンシャン、オートゥイユと競馬場を巡ったところでぜっとさんにキャッチされた。

    定番のスポットを巡って、モンパルナスから電車で帰宅。おーのさんやおかださんも到着し、賑やかになった。

    19日(土)

    AJの集合写真を撮る役目を仰せつかったので、その時間に合わせて行動。といってもどうせ暇なので、メルキュールホテルのエントランスに陣取って道ゆく人に声をかけていた。知り合いが通るので楽しい。

    オージーズ。みんな去年のPerth以来。

    AJの集合写真を撮った後、前日に紛失したクリートのネジを調達するためにランブイエの自転車屋へ向かった。

    そしてあっという間に直してくれた。修理代もいらないという。申し訳ない。

    戻ってAJたまがわの集合写真。自分の受付は翌日の予定だったけど、時間もあるのでたまがわ御一行と一緒に受付へ。

    途中、久々にEricに会った。コロナ禍でZoomを使ったAJとRUSAの懇親会をしようという話があったけど実現しなかったので本当に久しぶり。右のChrisさんは自分で作ったフレームで走るらしい。それ、いつかやってみたい。

    書類の受け取りはあっさり終わった。自転車で行ったので駐輪場から出る時にリストバンドをつけろとかナンバープレートをつけろとかうるさく言われたが、うるせえ月曜スタートなのにこんな拘束具を今から付けられるかと思い、担当のおっさんと押し問答を繰り返した後、そのまま出てよいという権利を勝ち取った。

    戻った後はフレッシュを一緒に走った台湾のジェイソンと夕飯。ジェイソンはPBPには参加しないけど、Transcontinentalに出ていてヨーロッパに滞在していたのでわざわざランブイエまでやってきた。自分は21日スタートまでまだ時間があるのでビールも飲みます。

    20日(日)

    財布を紛失したおーのさんのために自分のキャッシングで現金を調達するべくランブイエの銀行へ。これからは高利貸しとして生きていきたい。ちなみにおかださんもすでにスリ被害に遭っているので、同宿の三人のうち二人がやられているという危機的状況(その後おーのさんのものは無事に戻ってきた)。自分も気をつけねば。

    ランブイエの通りを歩いていると呼び止められた。去年のPAP1200で一緒にゴールしたScottであった。奇遇〜。

    その後、80時間、90時間のスタートを見届けるべく、午後はずっとスタート地点でウロウロしていた。

    最後に90時間の21時発のおーのさんを見送ってから宿に戻った。Audax JapanのFacebookグループに大量に写真を投稿しておいたので気になる人はそちらをご確認いただければ。写真を投稿していたら日付が変わってしまった。3時半起きなのでさっさと寝なければ。

  • Paris-Brest-Paris 2023: Prologue

    PARIS-BREST-PARIS

    さっさと書いておかないと忘れちゃうので、ぼちぼち記録しておきたい。雑感は先日書いた通り。

    PBPなんて一回走れば十分というのもわかるけど、自分は2019年に続いて今年も参加した。前回は割とギリギリまでどうしようか悩んでいたけど(最終的に参加しようと決めたのは4月ぐらいだったと思う)、今回は昨年から行く気満々であった。年初にエントリーをして、カタール航空のドーハ経由の航空券とAirbnbでランブイエの民泊を4月に予約した。

    今回は84時間組。前回のPBPの後、岡山1200、飛梅1200、Perth-Augusta-Perth 1200を走ったけど、いずれも84時間かかってないのと、前回のPBPで何よりしんどかったのは夕方スタートによる初日オーバーナイト走行とその後の皺寄せみたいなところだったので、朝5時スタートの方が都合がいいと考えた。この中でコース的に一番似ているのはPAP1200で、一つ一つの登りの斜度はPBPよりきついけど、延々とアップダウンが続く同じようなコースプロフィールかつオーバーナイトコントロールで食事やシャワー、仮眠に十分な時間をかけた上で83時間だったので、PBPでもコントロールで余計な時間がかからなければ84時間で余裕があると想定。

    本来8月は繁忙期でめちゃくちゃ仕事が立て込んでいるのだが、これは四年前と同じようにかなり前から根回し。社内もそうだし、クライアントにも事情を説明していろいろな打ち合わせの日程を調整してもらった。ただ、そういった打ち合わせはPBPの前後にうまく分散すればいいなと思っていたが、「そういうことなら出発前にやりましょう!」というものばかりで出発前に仕事が立て込んで7月後半からはローラーする時間もろくに取れないし、準備もぎりぎりという状況になったのは誤算だった。まぁ無事に出発できたのだから問題なかったとも言える。

    あと、前回と違ったのはGWの本州縦断で車にはねられて以降、6月に新車が納車されるまでかなりモチベーションが低下していて、ローラーもたらたら乗っているだけみたいな状況だったことだろうか。そもそも外で乗る自転車がなくなったのだから仕方ないといえば仕方ないが。四年前は6月頭の600kmを走った後、外を走らずに精力的にインターバルとか強度高めのローラーをやっていた記憶がある。今年はそういうのもやらず、事故のときに打った肩の違和感も解消せず、太腿内側の内部のズキズキとする痛みも解消せずで、84時間でエントリーしたものの果たして……?と、時間内に間に合うかどうかはちょっとわからんなという気もしていた。722の100周年記念400kmを走ってこれなら十分という感触を得て(体調と新車ともに)、何とかなるかと楽観的に出発することになった。

  • PBP2023

    帰国即就寝起床即仕事みたいな流れだったので、特に何も書いてなかったけど、無事に完走した。84時間組でエントリーして78〜80時間ぐらいで走ってゴールする予定を立てていたので概ね予定通りの時間で帰ってきた(79時間50分)。5時スタートの前の方に並んだので最初のトレインがめっちゃ調子よく、Ave30km/hを超えるような状況だったので一気に時間に余裕ができた。とはいえ、こんなのについていってたら一日も持たずにすぐに終わってしまうと思い、1〜2時間でトレインからは降りて第二集団で走った。それでも最初の200kmを7時間半ほどで通過しているので貯金も十分。少々気は早いがこれで勝負あったなと思い、あとはパワーメーターを見て(せっかく新車に搭載したのだし)、登りでもPWR2倍ぐらいまでで抑えるようにしてマイペースで走り、適宜ペースの合うトレインに混ぜてもらうという走り方であった。コントロールの通過も最初の貯金の分だけ予定より前倒しになった感じ。84時間組のよい点は朝起きて夜寝るというサイクルで行けるところと思っていたが、まさにその通りで睡眠に無理のない生活だったと思う。コントロールもガラガラでレストランでも並ぶことはほとんどなかった(90時間組に追いつき始めるとちょっと混んだ)。最後のモルターニュ以降はシアトルのナラヤン、タカトリさん、亀太郎一行と一緒になったので大集団でゴール。

    新車は400kmのブルベを走っただけで、1000km超は初投入だったけどまったく問題なし。太いタイヤ(グラベルキング無印32c)は登りでは重さを感じるけど、安定感は段違いだし、絨毯の上を走っているようで快適だった。25cとは別世界。ただ、一回パンクした。ホチキスの針みたいなのが刺さった。コンチネンタル時代はブルベでは一度もパンクしなかっただけに、本州縦断に続いてパナレーサーへの評価がまた一段低下した。コントロールでチューブの予備を補充しようとしたけど、28cまでのものしか置いてなかった。これについては「多少細いチューブでも問題なく使える」という有識者の皆さんからのご意見をいただいたが。

    あと、今自分はAJにおいて対ACPの窓口(ACP Representativeの補佐)という役目を仰せつかっているが、面倒だったのは日本人の事故対応の連絡がACPから自分のところに来ることだった。走行中に何度も電話が鳴っていたし(電話が鳴り止んだ後にACP会長からメールが来ていたのでそういう電話だと思われる)、とは言っても集団で走っていると急に止まるわけにもいかずで、メールを打ち返したり、日本の参加者の誰それはDNFですと代理でコントロールのオーガナイザーに伝えにいったりしたが、これは今後どうにかするべき点だと思う。PBPの参加者ではない方に連絡が行くようにしておいた方が双方幸せではなかろうか。以前はどうだったのだろう。また、日本の方で「事故ったけど緊急連絡先を登録してませんどうしたらよいでしょう助けてください」と知り合い伝いに連絡してくる方もいたけど、AJの役員で現地にいる方も一参加者であるのでこういうのはどうしようもないなというのが本音。さらに重ねて言いたいですが、AJの関係者はあなたの紛失物を捜索する係でもありませんよ。この辺は何らかの方法を考えるべきなのかもしれない。

    やはりPBPは楽しい。世界中にいろいろな1200km超のイベントはあるけど、世界中のランドヌールが目標にして一同に会する1200kmはPBPだけであろう。Cascade 1200やPerth-Augusta-Perthで知り合った方々もたくさん来ていたし、こういう方々との再会があるのもPBPぐらいのものだと思う。PBPは峠を登って素晴らしい景色を拝めるとかそういうのではないけれど、体験として一番印象的なのはPBPだと思う。また四年後も参加したい。

    あれこれはまた別の記事にするつもり(そのうち)。

  • 2023 BRM722 たまがわ400km 奥久慈 Centenaire

    事故以来のブルベになってしまった。新車での縦型輪行も初。船橋スタートは昨年の300kmの100周年以来ですな。

    夜スタートだったので、夜中の内に行けるところまで行こうと思い、コンビニストップもそこそこにサクサク進む。とりさんやひであさんにくっついていったのでとてもよいペース。十王ダムのところのシークレットぐらいで明るくなってきた感じ。

    というわけで、このコースのメインディッシュの林道に入るのが明るい時間帯になった。大変よかった。この林道は暗いときに一人で突入するのに勇気がいるな。

    チマコッピと思われるところ。ここ?

    矢祭に下った後は消化試合みたいなもんなので、コンビニに入って体を冷やして、次のコンビニまでの分の補給をしてまた走り出すだけ。この時期に普通の200kmをやっても暑さで死ぬと思うけど、その前に徹夜で200km走ってきてるわけだからしんどくないわけがない。

    笠間あたりからは気温もぐんぐん上がってきてすんごいうんざりしてた。笠間についてはコントロールを通り過ぎて戻るミスもあったし。つくば以降は渋滞で進まないし(つくばでは「これが噂のビッグモーターですかぁ〜」と思った)、昼過ぎで一番気温は高い時間帯だし、さらにゴール直前で千葉県に入ってからは渋滞と信号で全然進まないしでめっちゃ難儀した。400kmブルベのおまけの5kmがこんなに余計なものと感じたことはないな。ゴールに辿り着いたらサクッと受付へ移動してすぐに帰ろうと思っていたのだけど、ゴール受付は18時からというのを知らず(というかその場にいた五人とも知らなかった)、愕然としながらただただコンビニの前で座って一時間ほど時間を潰し、ゴール受付をして速やかに退出した。

    新車でのブルベはどうだとか、いろいろ確認する機会であったが、総じて新車には満足。32cのタイヤなので登りがちょっと重いぐらいで、平坦や荒れた舗装は全く問題なし。特に荒れた舗装に関しては25cとは別世界で、さすがにでかい穴は避けるけど、少々舗装が割れてるぐらいなら全く気にせず走れてしまう。25cのときは少しの舗装の荒れでも抜重をして気を使いつつ走っていたけど、そういうことをする必要がなくなった。先週乗鞍に行った時にもちぇさんに「走りが雑になったな」と言われたが、雑というか、舗装を気にする必要がなくなったんだな。

    あと、PBPまでにもうあんまり外で走る機会はないと思うので(仕事が立て込んでるので)、PBPと同じ装備で参加。Raphaのフロントバッグ、Fariweatherのフレームバッグ、Revelate Designsのサドルバッグ。Ortliebのサドルバッグは事故で破損したまま放置しているので、でかいサドルバッグが手元にない。ので、後はこれにオーストリッチのブルベリュックを背負えばPBP仕様になる予定。でかいサドルバッグは修理するなり、新しいものを買うなりしたいところだが、前回のPBP以降、Ortliebのサドルバッグを使ったのってオホーツク1300と縦断1900のときだけなので投資の割に出番がないのが勿体なくて新品を買うのを躊躇してしまう。

  • 2023 RM429 東京1900km 本州縦断桜前線 DNF

    2023 RM429東京1900 列島縦断桜前線

    なかなか記事に残しておく気にもならないがざっと書いておこう。一日最長でも280kmまでで8日かけて完走するという緩めの計画を立てて順調に消化していっていたのだけど、7日目の夜、青森の宿まであと10kmちょいというところで後方から車にはねられてDNFとなった。気乗りしないので写真は少なめ。

    4/28 前日移動

    前日移動は新幹線で。新横浜まで乗り換えなしで行けるようになったので早速それを活用。広島乗り換えで新下関で下車した。下関から関門海峡の人道トンネルを通って北九州は門司へ上陸。五年前にヘブンで門司を通過した際はシャーマーズネックで瀕死の状態できつかった思い出しかないけど、時間に余裕があるので門司で遅めのランチにしたりとのんびりと観光した。その後、下関へ戻って宿にチェックイン。ふぐ関連のお土産を実家に送り、自分たちもふぐを堪能して、その日は終了。

    4/29 1日目 下関→大田(270km)

    朝から雨。初日を大田までとしていたので、割と後ろの方になるであろうと思い、スタートも後ろの方でゆっくりめにスタートした。なんせ今回一緒に走るちぇさんはオホーツク以来のブルベである。緩めの計画で時間いっぱい使いたい。ドロップバッグなしなので毎日洗濯もしたい(ちぇさんは富山にドロップバッグを送って北よに備えた装備に入れ替えていたようだ)。あと、少なくとも昼飯はどこかでちゃんとした飯にしようというのも合意事項(自分はブルベ中の飯に全然こだわりがないのでコンビニ飯続きでも平気だけど、それはダメだというちぇさんからの強い要望でもある)なので、そこら辺もいくつか候補を決めてある。

    初日はずっと雨。予定通りのコンビニで一度休憩を入れた後、道の駅阿武のレストランで刺身定食で昼飯。益田、浜田と通過する。益田競馬場跡にも寄りたいところだが、天気がよくないし、もう跡地といっても場外馬券売り場があるぐらいなのでわざわざコースを外れてまでという気にもならず今回はスルーした。日中は平野さんと抜きつ抜かれつぐらいの感じ。19時頃から雨が強くなって辟易したが、22時頃に無事大田に到着。大田のスカイホテルへ。ホテルの近くにコインランドリーがあるのでそこで洗濯と乾燥をして終了。

    2日目は一応最長距離の日なので(283km)がんばらないといけない日。久々のブルベで思ったほどペースが上がらなかったちぇさんより、予定より早めに出ようという提案があり、翌朝は4時半に出ることにした。

    4/30 2日目 大田→城崎(283km)

    雨雲レーダーの通り、我々が出発する4時半頃には雨は通り過ぎており、もう雨装備はいらないなという状況。まずは出雲大社へ。その後、松江、米子と経由して鳥取県の日本海側を行く。

    ちぇりーリサーチによる牛骨ラーメン屋で注文してしばし料理が出来上がるのを待っている間に何気なくSNSを見たら、兵庫県内の通行止めの話題が飛び交っていた。兵庫県は日本海側の海岸沿いを行くルートとなっているが、この1900kmにおいて一番アップダウンが多くきついところなので、通行止めで迂回せよというのであればこれ幸いと、海岸沿いを全カットするコースを探すことにした。兵庫県民ということもあってかつて車でうろうろしていたこともあるし、そこそこ土地勘はあるのであっさりルートは決まった。岩美から海岸沿いへ行かず、国道9号から神鍋高原を通って豊岡に出て、城崎へ向かうルートである(まぁ手前から迂回しようとするとこれぐらいしか選択肢はないと思う)。あと、「海岸沿いのルートは落石とかあって死にますんで注意してください」(この説明に対して笑いが起きる参加者もどうかしていると思う。ブルベ界、感覚が麻痺していないだろうか。いつかまた死人が出ると思う。)とブリーフィングで説明されていたが、そんなとこ通さんでくれよというのもあり、迂回するにあたって通る必要がないなら積極的にそういうところはカットしていきたいというのもある。

    鳥取県内はコナンの像がいっぱいある町や白兎神社、鳥取砂丘と寄り道をしていく。鳥取砂丘を過ぎると迂回路へということになる。10kmほど距離は増えるし、元ルートより高いところまで登らないといけないけど、アップダウンの数自体は少ないので楽チンであった。香美町村岡は確か高校の同級生のこーじくんが引っ越して家を建てたはずなので、村岡地区を走っている間は「コージー!」と呼びかける迷惑なサイクリストになった。

    22時頃に城崎の宿に到着。残念なことにここだけ洗濯設備がなかったので、ここは必要なものだけ手洗いで軽く洗っておいた。

    5/1 3日目 城崎→あわら(258km)

    6時半に出発。まずは天橋立へ向かうのだが、京都に入ると左手にペットショップtakao、右側に花郷okadaという看板がある、オカダタカオスポットがあるとオカダさんから聞いていたので、そこを私的コントロールとしておいた。天橋立は大学時代に何度か来たことがある。

    天橋立を過ぎて福井県に入り、高浜の道の駅で一旦昼飯休憩。三日目ということもあり、8ヶ月ぶりのブルベとなるちぇさんがやや辛そうで、なかなか食事も喉を通らない状況。少しペースを落として行くことにした。

    途中ちょっとした事情があってちぇさんに先に行ってもらったはずが、途中でちぇさんが道端仮眠休憩をしている間に気づかずに抜かして、ピックアップしにコースを外れて戻ったところ入れ違いになり……とかでかなり余分な距離を走った。合流後もちぇさんのペースが上がらずで、特に敦賀を抜けて越前海岸沿いに出てからは厳しかった。途中でコーヒー休憩などをしつつ、あわらの宿に到着したのが0時。予定より遅くなったが、時間的に大浴場が貸切でめちゃくちゃ良かった。

    近くのコインランドリーで洗濯、乾燥して寝た。翌日は200kmちょいの日なので休息日という位置付けである。

    5/2 4日目 あわら→富山(206km)

    8時半にスタート。この日以降は登りもほとんどないので、平坦ブルベを毎日こなしていくだけである。スタートして早々におーのさんと再会。

    海鮮にも飽きが来ているので、昼飯は内灘の道の駅で普通の昼飯といちごのスイーツを食べたりした。この日も後ろを走っていたはずのちぇさんが急に道端仮眠のために消えており、探しに戻ったりで余分な距離を走ることになった。ただ、距離も短いしアップダウンも減るので随分復調してきたようである。

    ちぇさんの強い要望でホタルイカをどこかで食べたいということになっていたが、富山県に入ったのが日没の頃。早めに富山市内に着けば居酒屋的なところに入ればホタルイカを食べることができそうということで、休憩もそこそこにして富山へ急いだ。富山市内のホテルに到着したのが21時半。ホテル併設の日本料理屋がギリギリラストオーダーの時間だったので、チェックインを後回しにしてまずは夕食とした。満足した。この後、コンビニへ自転車で行くことになるのでお酒は控えておいた。日本酒があれば最高の夕食だったが。

    ホテルのコインランドリーがちょうど空いていたので洗濯と乾燥をして就寝。

    5/3 5日目 富山→新潟(248km)

    6時にスタート。1000mも登らないのでほぼ平坦である。親不知を通過し、糸魚川、上越と通過していく。日本海側は、金沢を走っているときは白山、富山は立山、糸魚川は妙高戸隠と見える山が変わっていくのが良い。

    道の駅能生では新潟在住のおばたさんに迎えていただいた。フレッシュ以来である。直江津駅周辺で昼飯にしようといくつか店をピックアップしていたけど、どこも観光客で大行列。市街地を抜けた先のラーメン屋で昼飯にした。激辛が売りの店だったけど、ブルベ中に寄るべきではなかったかもしれんな。汗だくになった。

    柏崎、寺泊と休憩を入れ、新潟に到着したのが21時前。まずは飯だということで、新潟駅近くの食堂でタレカツ丼を食べてから、万代橋を渡ってホテルへ。ちょうど国道7号の道路元標があるところであった。隣にコンビニもあってとても便利。洗濯と乾燥をして就寝した。

    5/4 6日目 新潟→秋田(262km)

    ホテルの隣の吉野家で朝飯にした後、6時にスタート。しばらくするとまたまたおばたさん。連日のお出迎え、ありがとうございます。

    このルートで一番重要なのがだるま屋ウイリー事件の現場である。念入りに写真を撮っておいた。そして長い長い新潟がようやく終わり山形へ。

    昼飯は鶴岡の蕎麦屋。結構時間がかかったのが残念であった。隣の客は怒っていた。

    酒田以降は奥の細道でも通った記憶がある。タイミングがよかったので、象潟の道の駅で夕陽を眺めて黄昏た。そして仁賀保、由利本荘と通過し、秋田のルートインに着いたのが22時頃。7日目以降は距離が短くなるし、ちぇさんももうすっかり復調していて特に問題なしという状況であった。洗濯と乾燥をして就寝。

    5/5 7日目 秋田→青森(216km)

    ホテルの朝食を食べてからということにしたので7時半スタートの予定とした。朝食会場にはひらまつ監督やパパさんがいた。予定通り出発し、大潟の桜通りなどで写真を撮りつつ、順調に進んでいく。昼飯場所はいくつか候補をピックアップしていたが、ひらまつさんやよしおかさんが写真を上げていたので道の駅はちもりでがっつり食べようということにした。

    青森に入って深浦町でイカ焼きを食べていると雲行きが怪しくなり、雨がポツポツと降ってきたので着込んでから出発。で、鯵ヶ沢で写真を撮って、五所川原へ向かっているところでちゃんとした雨という感じになった。とはいえまぁ十分余裕はあるしと思っていたら、五所川原の街中で自分がパンク。信号からリスタートしたときなので停車位置が悪かったのか、たまたまなのか。タイヤを外すと綺麗に金属片のようなものが刺さっていた。

    このGWに向けてAgilest Duroに交換したばかり。この数年Continental GPシリーズを使っていて一度もパンクしたことなんてなかったのだが。Agilestに交換したときにGP5000に比べて随分薄いなぁと不安になっていたのだが、その不安が的中という感じ。ブルベで異物が刺さってパンクなんて7年ぶりだ。二度とAgilestには手を出さないぞ。

    五所川原から青森はそんなに距離はない。パンクを修理して走り出すも雨は降り続いているしちょっと遅くなったねぇとか、でもまぁまだ十分時間あるしねぇとか話しながら進む。

    で、21時頃、浪岡の沢田交差点で国道101号から国道7号に入り、下り基調になったところで、左後方から合流してきた車にはねとばされて終了。一瞬何が起こったかわからなかった。自分は道路に倒れ込んでいるし、しかも国道7号のど真ん中に倒れていて後続が来る可能性がある。すぐに起き上がって自転車を拾い上げて歩道へ。たまたま意識もあって骨折がなくてすぐに動けたからよかったけど、そうでなければ後続の車に轢かれてた可能性が高い。

    運転手はすぐに降りてきて、前方不注意だった自分が全面的に悪いと認めていた。警察や救急を呼んでもらい、名刺をもらっておいた。救急車の中で一通り検査を受けたが、ヘルメットは多少傷があるものの割れていないのでおそらく頭は打っていない、触診をしても特に痛みはなさそうなので内臓もおそらく大丈夫、腰の骨もおそらく大丈夫、血圧や心拍も異常なし、ということで、自分には二つ選択肢が与えられた。このまま緊急搬送されるか、自宅に戻ってから病院に行くか。一応車にはねられて落車しているので、頭の検査は受けて欲しいというのが救急隊、警察の意見。ただ、今緊急搬送されると退院後に自転車を警察署に受け取りに行ったり、いろいろと面倒なことは多いと。であれば自宅に戻ってから病院に行くのがベターだし、救急としてもそちらの方がいいと思うとのこと。というわけで、緊急搬送なしということにした。一応同意書にはサインさせられた。

    自分とちぇさん(ここで一緒にDNFとなった。本当に申し訳ない)はタクシーで予約してあった新青森の東横インへ向かうことにした。二人の自転車をどうするかだが、タクシー会社は時間が時間だし、自転車を二台載せられる車なんてないよとノーの回答が続く(救急隊の皆さんはすごく親切であちこちに電話してくれた)。また、パトカーや救急車では人だけをホテルに届けることはできないし、ましてやホテルに自転車だけを届けることはできないとのこと。ルール上そうなっているのだから仕方ないし、それでも救急隊の方はこういう状況なのでなんとかホテルに送り届けてよいかと上司に掛け合っていただいたけど、やはりルールはルールなのでノー。いろいろ裏技のような案も考えてくれたが、最終的に事故相手の運転手が自分の車に二台乗せて運びますと申し出ていただいた。

    というわけで、無事東横インに到着した。ホテルの明るいところで初めて事故後の自転車をまじまじと見たが、左後方から追突されているので、後輪はぐにゃぐにゃ。フレームに干渉していて回らないし、リムも完全に曲がっていてこれはも修理のしようもないレベル。前輪もフレている。サドルも欠けているし、ボトルーケージも曲がっているし、ハンドルバーのエンドのキャップも一個どっかに行ったし、バックパックのサイドポケットに差していたProtect J1も落としてきたようだ。事故直後はホイールを交換したら続行できるんじゃねの?と一瞬思ったけど、ホテルに到着して自転車をよく見るとまぁこれは不可能ですわということで納得した。ジャージも反射ベストも破れてしまったし。

    ホテルで残りの行程の予約を全てキャンセルし、さっとシャワーだけ浴びて就寝。随分とちぇさんに気を使わせてしまった。

    5/6 帰宅

    朝からちぇさんが新青森駅の窓口に出向いて10時半過ぎの新幹線を予約してきてくれたので、朝飯の後は帰宅準備。GWということもあって新青森から東京までの座席を確保することはできなかったけど、仙台までは席を確保できたらしい。DNF連絡もしておいた。

    帰宅後

    DNFで悔しいでしょうとかいろいろコメントはいただいたが、言うほど認定自体にはこだわっていなかったのでDNFの悔しさとかはあんまりなくて(今回の一番の目的は走ったことのない日本海側を繋げることだったので一応目的は達成している)、こういう事故だっただけにまず生きててラッキーだったというのが一番大きい。ただ、順調に計画を消化していたし、序盤はきつそうだったちぇさんも後半は復活していたし、このような形で終了せざるをえなかったのは残念だな。下関あたりでDNFしてたらまた開催されたらやり直そうという気にもなるが、Garmin Edgeによると1750km走っているので、それをもう一度やり直そうという気になるかは微妙なところ。めんどくさいよな。

    あと今回の件で思うのは、前方不注意の車は常に自分の横を通り過ぎているということは自覚すべきということだろうか。頭ではわかっていたけど再認識した。どんだけライトや反射材を付けても、前を見てませんでしたという運転手には何も意味がない。運転手も事故後の警察への証言で「自転車のリアライトは付いていた」と認めているし。でも前を見てないのだ。どうしても今回のような事故はゼロにはできない。

    ということもあって、自転車に乗ること自体のモチベーションはあるのだけど、ナイトライドへのモチベーションが下がっていて、ブルベも当面はいいかなという気にもなっている(PBPは行く予定だけど)。これまで当たり前のようにナイトライドをやっていたけど、さすがに一度車にはねられてあの感触を覚えているとなると、雨ライドや夜ライドは蛮勇のように思うし、なかなかこれまでと同じように走ろうという気になれない。命惜しいしな。元々来年いっぱいでブルベを始めて10年ということもあって、そろそろ別の遊び方にも手を出していった方がいいんじゃないかと思い(そういう意味で新車をオーダーしたわけだし)、緩やかにブルベからはフェードアウトしていこうと思っていたのだけど(走るのは年にSRワンセット分とプラスアルファぐらいにしたい。言うてこれでもコア層な気もするが)、それがちょっと早まるかもなという今の心境。まぁしばらくすると何事もなかったかのように普通に夜や雨の中を走ってるかもしれんが。

  • フレッシュ日本橋2023

    2023 フレッシュ日本橋 | Audax Randonneurs Nihonbashi

    今年もフレッシュに参加してきた。

    チームは三年前に話が持ち上がった面々で、台湾のジェイソンと一緒にフレッシュを走ろうというチーム。21年、22年と渡航制限で実現しなかったけど、今年ようやくフルメンバーで参加となった。

    2023-04-07 新潟→喜多方

    自分は事前に安い新幹線を押さえていたので新潟まで。新潟在住のAJ群馬スタッフのオバタさんがいるので、みんなで新潟に集合してスタート地点の喜多方までサイクリングしようという計画だったけど、残念ながら雨で中止。結局、ジェイソンも仕事の都合でギリギリの来日になったので、金曜昼に成田着、おーのさんが成田空港までジェイソンを迎えにいって輪行で喜多方へということになった。自分は新潟からオバタさんと一緒に磐越西線で喜多方へ。

    新潟何度も来てるけど大体雨。

    1830過ぎに喜多方駅に到着。すでにAJ神奈川のオカダさんは到着済み。1850に会津若松側からおーのさんとジェイソンがやってくるので待っていたが、改札で待っていても一向に下車してくる気配がない。キョロキョロ見回しているとドアが閉まってしまった。そして動き出す電車、席に座ってスマホをいじっている二人、やってしまいましたな〜。Messengerをガンガン鳴らして次の駅で降りるように連絡。電車は一日に数本という場所だけど、幸い一時間後に新潟から会津若松へ向かう電車があったのでそれに乗ってジェイソンとおーのさんがやってきた。一時間のロス。早速トラブル発生でした。

    ホテルの近所のラーメン屋でジェイソン歓迎会をやってホテルに戻ると、自分がChallenge Lepertelをゲットしたということで、シャンパンで祝ってくれました。ありがたい。あとはビールをぐびぐび飲んで饒舌になったジェイソンに台湾ブルベ界の闇を聞いていた。PBPが終わったら台湾にも走りに行こうかと思っていたけど、ジェイソンの話を聞くとちょっと台湾でのブルベ参加は敬遠しようかなという気持ちになるな。意図的にブルベから除外されている人たちがいるらしく、ジェイソンもその一人。陰湿なイジメのようなものが横行しているようだ(写真チェックの構図に難癖をつけて認定を出さないとか)。

    まぁそんな話を聞きつつ翌日も早いのでさっさと就寝。

    2023-04-08 フレッシュスタート

    喜多方をスタート地点に選んでいるのは、チームラーメンというチーム名にもしている通り、ラーメンを食べるためです。朝ラーです。ジェイソンが日本のラーメンを気に入っていて、ラーメン!ラーメン!言うので、喜多方で朝ラーをキメてから走り出し、佐野ラーメンを食って、浅草にゴールし、都内の喜多方ラーメン店の朝営業で締めてからナイスプレイスへ行こうというプラン。

    自転車を組み立て、まずは近くの桜を見物に。今年はドンピシャのタイミングだった。

    そして朝ラーへ。前回はこの後集合写真を撮る際に転倒して病院送りになったので細心の注意を払う。

    8時スタートなのに店に入ったのが7時半過ぎ。ラーメンが出てくるまで時間がかかるしドキドキしていたが、大急ぎで食べておーのさんと自分が先に出てとりあえずスタート地点に向かう。会計は残った面々に任せた!ということで。

    スタート地点に8時前に到着。なんとかレシートはゲットできそうだ(まぁ数分遅れる分にはかまわん気もするが)。残りの面々もギリギリ到着。全員無事にレシートゲット。さて行きますか、という話をしているところにジェイソンが「ラーメン代は誰に払えばいいの?」と一言。全員「ん?」という感じで顔を見合わせたけど、誰も会計してない。

    食い逃げだ!というわけでオカダさんが会計を済ませるためにラーメン店に逆戻り。ラーメン店の方も気が付いていなかったようだけど、反射ベストを着た自転車乗りなんて一瞬で足がつくしな。そもそも喜多方にはホテルも多くないし、桜並木ではしゃいでいたときに声もかけられたし。前回は自分の病院行きでスタートが遅れたけど、今回は違法行為で時間を消費するところだった。

    スタートしてしばらくしても、おーのさんが前照灯を吹っ飛ばしたりで、喜多方には魔物が住んでいると思う。まぁ走り出してしまえば信号も少ないし快調に進む。

    二年前にも立ち寄った道の駅から見える橋。二年前はここで「いぢちさんをDNFさせるかどうか」の激論が交わされていたらしい。あんまり記憶にない。

    炭酸水。本当に炭酸だった。お酒のソーダ割りに使えるレベルでシュワシュワだった。

    只見に近づくと雨。正直、舐めプをしていたので、真冬装備なんて持っていなかったのだが、只見は道端に残雪のある雪国である。パラパラじゃなくて普通に路面がびちゃびちゃになるレベルで雨が降ってきたので結構厳しい。

    只見でコースを1kmぐらい外れたレストランで昼飯にしようかと言っていたけど、1kmもコースアウトするのが嫌という満場一致で、結局コントロールにしているヤマザキショップで昼飯とした。ちょうどいい感じに屋根もあった。

    只見から南会津へ向かうにつれて雨は止み、まぁまぁマシな感じに。只見で徳を積んだので晴れたと言ってよい。涼しくてちょうどいいかなというレベル。

    そして発生するのがメカトラです。チームメカトラにした方がいいのではというレベルで過去二年パンクやチェーントラブル、ホイールトラブルをやっているチームですが、今年もオカダさんがチェーントラブルをやってくれました。去年と全く同じ、チェーンのコマに傷が入って回らなくなるというやつ。幸いオカダさんとおーのさんは某有名自転車チェーンでメカニックをしていたので、メカトラ自体は全く心配ないし、自分もメカトラの場合は頼る気満々。チェーンの切れ端を持っているので(なんでそんなもん持ってるのという感じだが)、ダメになったところを入れ替えて復活。

    道の駅番屋。ここは前回到着した際には営業時間外だったけど、今回はギリギリセーフ。お菓子を買ってレシートゲット。しかし不穏なことに雪が舞っている。どういうことなのか。

    中山峠。このコースで一番標高が高いところらしい。

    会津田島から日光へ向けて登っていくと雪が降り始めて、なんやかんやでどんどん雪の勢いが強くなり、トンネルに着く頃には吹雪みたいな状況に。完全に想定外なんですが。

    トンネルを抜けて栃木県に入ると鬼怒川まで長い下り。前回はここで鹿と事故ってDNFに追い込まれたので、降る前に相談して車間距離を広めにとって下ろうということになった。前回はトレインで前後ともそんなに車間を開けずに下っていたので、鹿が急に出てきた時に逃げ場がなかったというのもある。あとまぁ前回よく自分一人だけの被害で済んだなというのもあって、後ろ巻き込んでた可能性もあったのよね。そういうリスクを最小限にということでマージン取って、車間をひろーく取ってダウンヒル。

    そして川治温泉。前回自分が他のメンバーを見送った悲しい土地です。そのホテルを通過してちょっと行ったところにまだ営業しているお店があったので、夕食を求めて入店。

    あったまりました。

    鬼怒川温泉を抜けて、宇都宮方面へ。

    そして鬼怒川600でも走るルートを逆に辿って佐野へ。本当は深夜営業をしている佐野ラーメンのお店に入るつもりだったけど、深夜だというのに結構混雑していたので断念。松屋に入ることにした。悪天候やメカトラで、深夜にファミレスに入って長めの休憩をするという計画は無理になっていたので、さっさと食べて走行再開。

    あんま余裕はないけど、コーヒー投入していかんとな。特にジェイソンはPBPを80h組で走るような人なので、元々脚があるし、普段は24時間走らずに夜はちゃんと寝るタイプなのでなかなか眠そう。

    22時間地点に予定していたコンビニに20分ほど前に着いたので朝飯を食べて、22時間きっかりのレシートをゲットしてすぐ出発。

    フィニッシュとして予定している雷門までは、江戸川沿いを走って国道6号に入って浅草までというルート。国道6号の混雑具合によっては???というルートなのでなるべくロスを避けたい。

    と思っていたけど、そこそこ快適に流れたので無事に浅草雷門に到着。ジェイソンが近くにいた外国人観光客に声かけて大量の写真を撮ってもらっていた。ついでに我々も一枚。

    近くのコンビニに移動して24時間のレシートをゲット。ブルベカードに記入して、ナイスプレイスに向かう前に朝ラーへ。

    喜多方食堂浅草本店というところ。喜多方で朝ラーを食べ、喜多方の朝ラーで締めるフレッシュでした。

    2023-04-09 ナイスプレイスへ

    10時半前に到着。無事に受け付けてもらい(一悶着あったけど)、これにて無事終了。ジェイソンが自分の会社の都合で弾丸来日だったので、これ以上の打ち上げとかはなし。ナイスプレイスでこのチームは解散となり、各自帰途へ。自分は自走で帰宅となった。

    三年前に計画したフレッシュがようやく完結した感があってとてもうれしい。ジェイソンは初めてのフレッシュだったそうだけど、随分満足してくれたようだ。「また来年もやろう、そしてその時は香港や台湾の友人も連れていくからもう一つ別のフレッシュのチームを作ろう」という話になった。おいおいそれは気が早いぞと思うけど、楽しそうなのでぜひやりましょう。

  • 2023 BRM325 東京300km 富士熱海

    2023 BRM325東京300 富士熱海

    特に参加するつもりはなかったのだが、某ちぇさんが走ろうというのでエントリー。雨予報の結果、ちぇさんはDNSということになったが、せっかくだしたまには雨ブルベでも楽しんでくるかと自分は走ることにした。雨が降るのであんまり寒いと嫌だなというところだが、山中湖で少なくとも5〜6度ぐらいはありそうな予報だったので、ウールジャージにいつものウインドブレーカー兼レインジャケットを着ておいた。真冬の雨は死ぬけど、今ぐらいの季節ならまぁ少々気温が低くてもなんとかなると思う。

    R東京のブルベは5年ぶり。雨もあってか参加者は全然いない。同日開催の400kmには林さんや田中さん、亀太郎のすーさんがいたけど、300kmに知り合いはいないようだった。両方合わせても20人もいない雰囲気。認識できた300kmの参加者は5〜6人ぐらい。スタートもバラバラと出ていったし、自分はモタモタしていたのでスタート直後から単独で。途中で前の3人に追いついたので、その方達にくっついてひらひらと走ってPC1へ。

    富士熱海300は8年前に初めて走った300kmで、当時も雨が降っていた記憶がある。あの頃はキューシートだけで走っていた。懐かしいですね。雛鶴峠も初めてだったので長い登りでとてもキツく感じたけど、久々に上野原側から登ってみると斜度が上がるのはトンネルの手前だけなので結構登りやすい道やのうと印象を改めることになった。ちなみに定番となっているらしいまんぜう屋はずぶ濡れだったのでスルーした。

    都留に着いても雨は止まず、逆に雨足は強くなるぐらい。とはいえ、山中湖まで行ってしまえば高いところは終わりだし、都留から多少標高が上がっても劇的に寒くはならない肌感だったのでそこは気楽である。もうすでにシューズとかも水没しているので無心で雨の中を走ればよいだけ。むしろ雨よりも富士吉田へ向かう道の狭さと交通量が多いのにまいった。

    山中湖で自撮りをした後、籠坂峠へ。ここも結構久々だ。このブルベで一番標高が高い地点。函南までは長い長い下りで位置エネルギーを存分に発揮できるのでとても快適。

    函南のPC3で一緒になった人としばしおしゃべり。こういう雑談がブルベであるな。

    PC3を自分が先に出て、あとは熱海峠を越えていつものルートで帰ってきた。

    またずっと一人であった。川崎に戻ってくる頃には雨足が強くなっていたので、フィニッシュのコンビニでコーヒーをぐいっと飲んですぐに帰途へ。23時半頃に帰宅して終了。

    当初の予報では午後には雨が止むはずだったけど、結局一度も雨は止まなかった。ポツポツ程度で気にならない時間帯もあったけど、残念ながら完全に予報は外れましたな。雨ブルベなんてもう数え切れないぐらい走っているけど、スタートからフィニッシュまでずっと雨が降っていたブルベというのは記憶がない。あんまり寒くなかったのと土地勘のある場所だったので大変なブルベではなかったけど、機材は悲惨だ。スプロケやブレーキキャリパーはヘドロのようなもので真っ黒、ブレーキシューはペラッペラになっていた。というわけで本日日曜日は丸一日かけて洗車をしました。雨ブルベは後片付けが大変。

    新PCにGarmin Basecampをまだ入れてなかったので、今回はオンラインでeTrex向けのポイントの間引きをした。

    GPS Visualizer: Convert GPS files to plain text or GPX

    これで十分よね。