Category: randonneuring

  • 2023 BRM402 たまがわ200km 定峰(事前認定)

    の事前認定であった。

    今年三周目だろうか。正直この季節に秩父方面へ行くのは自殺行為なのだが。バフで防御しつつ、さくさく走って帰ってきた。薬もちゃんと飲んでいったので先週の地獄のような症状と比べると随分マシだったけど、それでもやっぱり鼻水ズルズルになるのが辛い。あと、和紙の里とか松郷峠のあたり、めっちゃ自転車乗りが多かった。

  • 2023 BRM204 神奈川400km 追い風

    BRM204神奈川400km追い風 | AudaxJapan神奈川

    今年は本当に追い風が吹いて大変よかった。後ろの方でスタートしたので最初は集団に混じって走っていたけど、途中でさらに後ろスタートの岡田さんがビューンと抜かしていったので、こりゃ風避けにちょうどええ(ひどい)と思ってブリッジし、その後は150kmぐらいまで岡田さんとハチヤマさんとりんぱぱさんとランデブー。お三方は途中ですき家に離脱されたが、自分はさっさと帰って自宅の布団で寝たいのでそのまま走り続けて9時前にゴールに到着。だらだら喋っていると居座ってしまいそうなので早々に退出し、11時に帰宅してマクドで腹を満たし、シャワって寝た。そんなに寒くならなかったし、追い風だったしで、かなり条件のよい追い風400だったかもしれない。

    11月、12月に600、300、200と走っていたので、これで今年度のSRを満たした。PBPに向けて一安心。

    ちなみに三河安城へ向かう新幹線は追い風400の参加者でいっぱいだった。自分はグリーンを予約しておいたのだが、グリーンの最後尾の四席は全員追い風400の参加者であった。他の車両も同じような状況だったのだろう。三島駅を過ぎたところで、「三河安城の自転車イベントへ向かうお客様はデッキの右側に自転車を置いてください」と車内アナウンスがあった。寝ていこうと思ってたけど、隣の人と喋っていたので一睡もせず。

    あと、新幹線の車内でApple Watchの充電を満タンにしておいたのだが、特にワークアウトなどを使わずに追い風400を走って、自宅に帰り着いた時点で残り55%となっていた。ワークアウトで計測するとバッテリー使用が激しいけど、ワークアウトを使わなければ十分実用に耐えうるな。Apple Payを使えるというのが最高に便利なので手放せない。

  • PBP

    600km組の開始になる直前に84時間の先頭でプレレジを済ませておいた。

  • PBPとLRMの制限時刻の違い

    昨年10月のPerth-Augusta-Perth 1200を例として。

    https://docs.google.com/spreadsheets/d/1HU6BYML6o9JackuVcdAYXP2UOdkbNH_Anx-InhBrQas/edit?usp=sharing

    PBPのクローズ時刻の詳細な計算式は知らんけど、PAPのブルベカードにはPBP基準とLRM基準のクローズ時刻が併記されていた。LRM基準は1200kmの場合は13.3km/hで計算すればよいだけ。PBPは600kmまでは15km/h、その後はようわからん。が、まぁなんとなくそれっぽいクローズ時刻の違いになっているので、PBPの計画を立てるには十分役に立ちそう。600km過ぎではPBP基準とLRM基準では5時間近くクローズ時刻に差が出てくるので、LRM気分で走っているとタイムアウトする可能性が高いというのに気をつけねばならんな。

  • 韓国ランドヌール

    よい映像だった。「日本まで来てゴム手袋して何をしているのか」に笑った。ランドヌールの愚痴は世界共通だな。

  • Perth-Augusta-Perth 2022: エピローグ

    ばたばたでの参加となったPAPであるが、終わってみれば特に大きなトラブルもなく、楽しい思い出となった。印象的なのはオージーの大雑把さ、良く言えばイージーゴーイングの精神である。結局ブルベというのはコンペティションではなく、単なる個人サイクリングの認定に過ぎないのだから公平性とか厳密性とかそういうのはあんまり気にしなくてもいいのだろう。これは自分も大いに同意するところである。見習いたい。

    海外で走った1200+はこれで3本目。幸運にも今のところDNFにならずに済んでいるが、いずれもボランティアの人たちのコントロールでの食事や飲み物の提供にも随分と助けられた。また、そういう方々との交流が何よりも貴重だと思う。走力があるに越したことはないが、特にこういう小規模な開催だと英語の必要性を強く感じる(極論言ってしまえばPBPは語学力皆無でもなんとかなると思う)。三日も四日も走り続けるのだから誰かと会話をして気分転換をするというのも大事なことだ。

    PAPはリピーターが多い1200kmだとも聞いた。これは主催のWayneの人柄によるところも大きそうだ。なんというか、ちゃらんぽらんな感じはあるが(ノンネイティブの自分が見てもスペルミスだらけやなというようなメールを平気で送ってくる)、実際に会って喋っているととても楽しい人だ。自分も機会があればまたPAPには参加したいと思う。そのときまでにたくましいオージー達についていけるように鍛えたい。

    さて、次はどうしようかなと。来年はPBPがあるのでとりあえずは参加する方向で準備だけは進めておくか。

  • Perth-Augusta-Perth 2022: 帰国へ

    チェックアウトは11時。それまでに散歩へ。

    宿に戻り、10時45分頃にチェックアウト。お世話になりました。

    10月8日に到着したときは空港からバスで来たけど、9日にパース駅からパース空港までの鉄道が開通したらしく、せっかくなので鉄道で空港へ向かう。18時にパース発の便なので少し時間は早いけど、お土産を買ったり飯を食ったりしていればいいだろう。

    タイに帰るという人に撮ってもらった。

    最後のオーストラリア的な飯。

    荷物を預けてセキュリティーを通過した後はお土産を買ったり、日本入国用のmySOSアプリの登録をしたりして時間を潰していた。

    帰りはパース18時発、シンガポールでのトランジットが2時間弱で9時前には成田に到着するという実にスムーズな接続となっている。シンガポールで19時間も滞在した往路とは大違いだ。飛行機の中で寝ていれば日曜日はフルに使える。理想的ではないか。

    シンガポールでもアジア的な味が恋しくなっていたので、トランジットの合間に飯。

    セキュリティのところで座っていると、日本に旅行に行くという女性に話しかけられたけど、どうもやはり日本の交通機関が複雑だという愚痴をこぼしておられた。

    無事に成田到着。mySOSアプリは事前に登録しておいたので、検疫チェックをあっさりと通過した。

    成田エクスプレス待ちの間に日本の味を懐かしむ。

    そして12時半頃に帰宅。オーストラリアで散々牛を見て、牛丼食いてえなと思っていたので、吉野家へ駆け込んだ。

    ちなみに、一応往路の成田で20000円分をAUDに両替していったが、現金を使ったのはパース空港からパース市内へのバスの支払い(約500円)の一度だけだった。シンガポールの空港内はすべてクレジットカードだし、オーストラリアでもどんなカントリーサイドでさえもクレジットカードのタッチ決済でOK。日本もこれぐらいキャッシュレスが整備されるといいんだが。

  • 2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Post Ride Breakfast & Lunch

    事前にPost Ride Breakfastがあるとメールで案内されていたので、二つ返事で出席すると返しておいた。滞在しているホテルから徒歩で30分ぐらいのようなので、自転車ではなく徒歩で移動する。East PerthのToast Cafeというところ。

    指定の9時半に着いたら数人が集まっていてすでに始まっているようだ。各自好きなものを適当に頼んで、適当な時間にやってきて、会の締めのようなものもなく各自勝手に好きな時間に帰っていくというスタイル。

    Trans OzのオーガナイザーであるAndiと喋っていたが、「オーストラリア大陸は平坦が多いけど、タスマニアはアップダウンだらけで大変だぞ〜」という話だった。いつか行こう。

    朝食の時間が終わったので、残っていたさらに数人で近くの店へ移動してPost Ride Lunchへ移行する。あそこがどうだった、あれがきつかったなどなど、ブルベの後の話の内容というのは万国共通である。

    15時過ぎにこの会がお開きとなって散り散りに。明日の朝一の便で東海岸に帰るという方もいるし、すでに帰宅している人もいる。みんなと直接会うのはこれで最後だ。来年のパリで、四年後のパースで、もしくはまたどこかで、などと言って別れた。

    ホテルに帰ってから時間もあるし一走りしておくかということでもう一度外へ出る。翌日の朝に最後のサイクリングをして帰る準備をしてもよかったけど、チェックアウト間際にバタバタするのもアレだなと思い、最後のサイクリングへ出かけた。

    本当に美しい街です。

    競馬脳なのでつい競馬場へ行ってしまう。Melbourne CupはThe race that stops the nationといって、国を止めるレースとして有名です。そんな注意書きがここパースにも。さすが国を止めるレース!

    サイクリングから帰った後はセントラルロードのようなところへ。適当な店はないかなと思って歩き回る。さっと入れそうなところがペッパーランチだったが、さすがにパッペーランチはないだろうというのと、そろそろアジア的な味が恋しいと思っていたので、Chop Chop BBQという店へ。客はほとんどアジア系だろうか。

    こういう味が恋しかった。

    ホテルに戻った後は自転車のパッキングをして就寝。明日の朝は最後の散歩でもしよう。

  • 2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Day 4 Collie-Perth

    いよいよ最終日。5時頃に起きて準備を始める。残り200km、リミットは23時。Collieからは一度下ってしまえば後はほぼ平坦。余程のことがない限りもう時間内の完走は大丈夫だろう。できれば日が暮れる前にゴールしてしまいたいところ。

    ScottやSacha、Mudi、Andrewと一緒に朝食を食べる。この面々はいずれも速いのでダラダラしているが、先に出たところでどうせ追いついてくるだろう。ちなみにScottは前日Di2のバッテリー切れで難儀したらしい。

    満場一致で「やっぱオダックスライドには機械式変速だよな〜」

    連中を置いて先に出発。そして早速Andrewに抜かれる。このAndrewという方は他のオージー達と少し雰囲気が違ってスラっとしていて物静かな感じなのだが、めちゃくちゃパワフルで速い。あっという間に見えなくなった。Trans Oz 4000kmのオーガナイザーでもあるそうだ。

    そして今度はMudiに抜かれ視界に入る範囲でがんばってついていく。Mudiはインドネシア出身のオーストラリア人で、ネイティブではないのでめっちゃ英語がわかりやすい。ただこの人もPBPは72時間とかでゴールしているらしい。Harveyの街に着いたときに警官と喋っていたので何事かと思ったら「シドニーで同じ仕事してるからちょっと立ち話してたんだ!」とのこと。警官なのか。

    二回目のHarveyは1044km地点。Mudiと一緒にHarveyのベーカリーで朝飯にする。さすがに4日目ともなると要領を心得ているので、この街はコントロールだけどたぶんスタッフなんていうのはいないから、適当な店でレシートなりを取っておけばいいんだなとわかる(そもそもレシートも必要ないと思うが)。アッツアツのでかいパイ。大変うまかった。

    トイレに行きたいのでMudiには先に行ってもらい、そしてまた一人で淡々と残り距離を減らしていく作業へ。もう残りは平坦なので時間は気にしない。遠目のところをカンガルーらしきものが横切ってテンションが上がった。ワラビーかもしれない。

    Mandurahの街の手前で湖のほとりで一度軽量化休憩。車で回っているロードサイドカメラマンが声をかけてくれた(割腹のよいスタッフの方で至る所に出没して写真を撮っていたのだが、名前を覚えられなかったので、ヘイ!ロードサイドカメラマン!と呼んでいた。失礼。)。

    思わず写真を撮ってしまった。ペニーワイズいそうじゃない?

    1127kmのMandurahの町。Mandurahも一応コントロールなのでレシートなりを取っておこうと思い、ビーチサイドの商店街の適当な店でお昼ご飯。ラム肉のパイっぽいやつ。テラス席で食べていると先に行っているはずのMudiがやってきた。どうやらアキレス腱を痛めたらしく、残りはゆっくりいくと。

    Mandurahの街中の信号。PAP、スタート直後からサイクリングロードだし、カントリーサイドに出れば信号なんていう文明は存在しないので、たぶん1000kmぶりぐらいの信号。そしてPAPで引っかかった信号はこれともう一つぐらい。たった二箇所のはず。これは快適である一方で海外ブルベの難しさの一つと言われる点で、自発的に止まらないと脚が休まらないというやつである。日本だと信号で強制的に脚が止まりますからね。

    Mandurahを出るとついにサイクリングロードに入る。まだ60〜70kmほど残っているが、ここからフィニッシュまではサイクリングロードのみである。事故の可能性も下がるしぐっと完走の可能性が高まる。

    後ろからScott一同、めちゃめちゃメリハリのある走りなので休憩は長いが走るペースは速く、あっという間に見えなくなった。そんなこんなで淡々と距離を減らしていくとScottが見えて来た。どうやら体調不良で集団から離脱してゆっくり行くと。なんじゃそりゃ。先に行ってくれとのことなのでまたフィニッシュで会おう!と声をかけて先へ。

    いよいよPerthの街が見えて来た。

    今回はトラッキングもされているし、そろそろ自分が到着するのも把握しているだろう、どのように迎えてくれるのだろうかと期待を膨らませてフィニッシュラインのBell Towerへ。時間は16時前。

    と思ったら、誰もいない。本当にこれがBell Towerなんだっけ?隣のビルだろうか?そもそもRWGPSのルートはどうなってる?たしかにここがフィニッシュとなっているぞとかうろうろしているとScottもやってきた。Mudiもやってきた。ScottがWayneに電話をかけると近くのバーにいるという。先に到着した面々と一緒にスタッフ一同も移動してすでに飲んでいるではないか。三人でThe Lucky Shagというバーへ移動してようやくここで祝福を受ける。

    Peteにブルベカードのチェックをしてもらい(Peteがスタンプ一個押し忘れてるけど)、メダルを受け取る。そしてそのままブルベカードもほいと渡された。ん?認定シールとか貼ってから返却するもんじゃないの?と思っていたが、そうでもない様子。このまま持ってけと。おおそういうのもあるのか。これがオージー流か。というか、日本もこれでいいのでは。

    そのままThe Lucky Shagでビールとフィッシュ&チップスでMudiやScottと完走を祝う。ゴール即ビールは良い文化。直にSachaも到着した(既出だが、Sachaは翌日の金曜を一日空けた後、土曜日曜で860kmのレースを走って無事に完走していた。化け物だ。)。

    後の面々は結構時間がぎりぎりになりそうということで、自分は日が暮れる頃に退出。ホテルは徒歩圏内だったので歩いて帰った。前泊と同じホテル。さっとシャワーを浴びて就寝しようと思ったが、残念なことにエアコンをつけるたびにブレーカーが落ちる部屋だったので、事情を説明して部屋を変えてもらった。帰ってきてシャワーを浴びたりで部屋を散らかしていたので、部屋の移動にえらい時間がかかったが、移動を終えて横になっているとそのまま寝落ちしていたようだ。19時ぐらいだろうか。

    PAP自体は23時クローズ。15分前の到着など、ギリギリ隊もドラマがあったようだ。ギリギリ隊はオーバーナイトコントロールで20分寝ただけで走行続行とか、いろいろと大変だったらしい。Margaret Riverでは参加者がベンチで寝ているところにWayneがふざけてダンボールをかぶせ、Audax Hotelと書くInstagramでしか見たことのないような光景もあったらしい(ほんとうにわるいオーガナイザーだと思う)。

    なにはともあれ、特にトラブルもなく、無事に完走したということで安心して寝た。