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Paris-Brest-Paris 2019: フランスへ

前日までに仕事の都合をつけたので、8月15日は全日の休暇を取得。23時のフライトなので午後休暇でもいいのだが、もう仕事のことは考えない。

元住吉駅から横浜駅経由で羽田空港へ。

羽田空港駅で電車を下りたらいきなりこーへーくんに会った。ピース。あと、ヤハギさんが普通にレーパンで登場して笑った。ちょっとそこらへんまでの輪行スタイル。さすがだ。

カマノ夫妻やリュウさん、ばんばんさん、アッコさんが見送りにきてくださった。ありがたい。

出国前の腹ごしらえ。

PBP参加者が多い便でした。定番ですな。

エールフランス機内食にはパリブレスト

16日の早朝にCDG空港へ到着。イケダさんは羽田で荷物の入れ替えをさせられたらしい。

CDGで自転車を受け取ったところでじぇんさんの輪行ケースが開かないトラブル。うんともすんとも言わないので、ヤハギさんや林さん、こーへーくん、わたしなどなどが寄ってたかって力付くで開けようとしばらく格闘。

じぇんさん「これVegaさんのやつを借りてきてるんで、もう壊れてもいいんで、何とかして開けてください!」

というわけで、こじ開けました。

空港からホテルのあるSaint-Quentin-en-YvelinesまではUberでタクシーを呼んで移動。たまたま6人いたので、3人ずつバンに乗り込む。

じぇんさんはさらにもうちょっと先のホテルなので、ここからさらにUberを使って移動していった。

到着が早すぎてチェックインできず。しかしやることもないのでホテルの駐車場で自転車を組み立てる。

組み立ててしまうと早速うろうろするのが自転車乗りというものです。

Saint-Quentin-en-Yvelines駅近くのモールにあったパン屋へ。

スーパーマーケットにも寄って偵察した後、ホテルへ戻ってチェックイン。

しばし休憩の後、せっかく時間あるんだしということでまたまた走り出します。スタート地点のRambouilletへ行ってみることに。30kmぐらいあるはずなのでサイクリングにはいい距離。

Rambouilletの町へ入ったところで反対側の歩道を歩いている二人組とすれ違ったときに、「あっ!」と思ったので慌てて引き返す。やはり知った人だった。Seattle International Randonneursの代表のTheoくん(自分より若いのに大クラブの代表です)であった。Cascade 1200ではMazamaのオーバーナイトコントロールの運営キャプテンをやっていた。お世話になりました。80時間組だそうなのでまぁ道中で会うことはないでしょうな……

いよいよ会場入り。やって来ました。

けーこさんややましんさん、まるやまさんも一緒にピース。

ランチの後、来た道とは別のルートで帰ろうとした矢先、急にタイヤの空気が抜けたので、自分は駅へ戻って輪行で帰ることに。Rambouuilletへ来るまでに一度道路の穴に激しくタイヤと落としてしまったのがいけなかったんだろうなぁと。一応空気を入れれば走れるし、すぐに空気が抜けるわけでもなかったので、そのままにしておいたのだが、PBPの往路のCarhaix-Plouguerのコントロールで力尽きてしまった。スタート前にチューブ交換しとけよっていうツッコミは禁止。

一人でRambouillet駅へ戻って輪行。Saint-Quentin-en-Yvelines駅までは30分ぐらいだったか。この輪行スタイル超うらやましい。

Saint-Quentin-en-Yvelines駅に着き、ゆるゆるとホテルへ戻り、駅近くのカルフールへ徒歩で買い出し。

適当に買ってきたものを食べて寝た(気がする)。

Paris-Brest-Paris 2019: Prologue

PARIS-BREST-PARIS

よくよく思い返すとParis-Brest-Parisというものを知ったのは10年以上前のことだ。とあるPeerCastの自転車の配信者がよく口にしていた。2006年か2007年頃だと思う。その方はTour de PeerCastと称して、東京から九州までライブ配信をしながらサイクリングをしていた。当時の回線を考えるとなかなかすごいことだ。とても印象に残っているし、自分が自転車を買うきっかけになった人の一人でもある。

あれから10年以上経って自分がPBPに参加することになるとは思わなかった。2015年はSRを取得していたものの、さすがに経験がなかったのでPBPには参加しなかった。まぁ今になって思えば仕事の調整もできなかったと思う。この四年であちこち走り回ったし、PBPに参加するにあたって何が必要で何が不要か、みたいな判断もある程度自分で見通しをつけることができるようになったので、都合がつけば参加したいなーとは思っていた。

2018 Cascade 1200 – highriseの日記

去年Cascade 1200に参加したことで、自転車で10日間ほど休みをとるということの実績を作り、仕事関係の方々に自転車趣味を認識していただいたのはよかったが、さすがに繁忙期の8月に10日間休めるのか?という不安はあった。機を伺いながら関係する方々に話を通したのが4月上旬。ここで仕事の調整さえできれば休みを取ることは可能だなという感触を得たので、あとは仕事の調整をつけることに全力をあげるのみ。

エントリー要件のSRは正月のサンライズシリーズで満たしていたので、4月以降はいかに怪我などを避けるかということに気をつけた。とはいえ、石廊崎400の試走で不注意から落車してしまい、ヘルメットを割り、ホイールを前後輪ともダメにしてしまったのだが。BRM601の日立600以降はローラーばっかりで外で走るのを少なくして怪我のリスクを減らした。本当に外を走らなくて大丈夫かな?とは思ったが、去年もそんな感じだったし、特に問題なかった。

一年前に海外で1200kmを走るという経験があったため、準備に関して悩むことはまったくなかった。当時と同じようなものを持っていけばよい。むしろ去年は物を持ち過ぎだったなという反省もあるので結構軽量化した。7月までに必要なものをポチっておいたので、直前でドタバタすることもなく、パッキングもすんなり終わった。

走行計画、これはかなりざっくり。とりあえずスタートは18日の18:00スタートのI組。90時間組の一番前だと抜かれる一方だし、なるべく前で出たいけど抜かれる一方ではなくある程度前を拾えるところというので、17:30の先頭から30分、二組分後ろのスタートとした。また、参加人数が多いことでコントロールでどれぐらい時間がかかるかの感覚がないし、走行時の状況もいまいちよくわからない。ので、往路のLoudeacに19日19時着、復路のLoudeacに20日20時着で、ゴールは22日10時とし、88時間で完走するというざっくりとした想定だけしておいた。あまり細かい通過時間は設定せず。

なお、もう記憶がかなり薄れているので、PBP記事は積極的に加筆修正していきたい。思い出す度に追記するスタイルでいくぞ。

Paris-Brest-Paris 2019へ

Paris-Brest-Paris 2019

今朝、最後にちょろっとしたものを買い出しに行き、昼飯を済ませ、スネ毛を剃って(重要)、洗濯も終わったので、準備は整った。今夜の便でPBPへ行ってきます。四年に一度のブルベの祭典、存分に楽しみたい。そして無事に完走できますように。

2018 Cascade 1200

2018 Cascade 1200の記録。次回に向けた備忘録も兼ねて一通り書いておいた。他の海外ブルベに参加するときの参考にもなるかもしれない。ならないかもしれない。

Cascade 1200は二年ごとに開催されているようなので、またいつか参加したい。

2018 Cascade 1200 : Prologue – highriseの日記

2018 Cascade 1200 : シアトルへ – highriseの日記

2018 Cascade 1200 : 受付・車検・ライダーミーティング – highriseの日記

2018 Cascade 1200 Day 1 : Welcome to Seattle! – highriseの日記

2018 Cascade 1200 Day 2 : Terrible thunderstorm! – highriseの日記

2018 Cascade 1200 Day 3 : Windy! Windy! Windy! – highriseの日記

2018 Cascade 1200 Day 4 : What a fantastic view! – highriseの日記

2018 Cascade 1200 : Farewell – highriseの日記

2018 Cascade 1200 : シェアバイクでシアトル観光 – highriseの日記

2018 Cascade 1200 : Epilogue – highriseの日記

長すぎて読めない。

2018 Cascade 1200 : Epilogue

もう一ヶ月も経ってしまった。すでに思い出の一ページになりつつある。

Cascade 1200

いいブルベだった。景色は雄大、参加している人はフレンドリー、そして主催側のホスピタリティがすばらしかった。参加者が60人に対して、スタッフが54人だったそうだ。海外だからといって特に困るということはなく、日本のブルベを走っているのと変わらなかった。これはスタッフのみなさんのサポートに助けられている部分が大きい。感謝しかない。

Volunteers! Thank you! – 2018 Cascade 1200

Cascadeは大変だよ〜」、「Cascadeはキツいぜ〜」 といった話を各方面から事前に聞いたり読んだりしていたが*1、今回は天気に恵まれたということもあり、そんなに難易度の高いブルベだとは思わなかった。仮眠をちゃんと取って600kmを完走できる人なら問題なくクリアできると思う。もちろんそれなりに登るので登りが全然ダメだと厳しいかもしれないけど。

また、今回のスタート地点はSeattle市内だったので、アクセスしやすいのもよかった。大都市からさらに国内線や他の公共交通機関を乗り継いで……みたいな場所がスタート地点だと、辿り着くまでに疲れてしまう。そういった点でも恵まれていた。

予算という現実的な話

ざっくり35万円ぐらいだろうか。

ANAの直行便で往復した。150000円弱。トランジットありの別会社も考慮に入れればもう少し削減できるかもしれない。ただ、姫井さんがAir Canadaのトランジットで自転車がロストバゲージになるという悲劇があったので、少し高くなっても直行便でリスク軽減というのはアリだと思った。

Cascade 1200が開催される6月後半はハイシーズンなので、宿泊費がとんでもなく高い。市内のスタート地点に近いホテルだと1泊25000円~30000円ぐらいからになってしまう。ホステルなんかを駆使する手もあるが、これは人によりけりだろう。中心部から少し離れたところに宿を取ると少し安くなるけど、やっぱり移動が面倒。イベント前の二泊は一泊30000円のホテルに泊まっているけど、事前に無駄な労力を使わないことを優先すると仕方ないかも。イベント後の二泊はダウンタウンのホステルでもいいかなと思っていたのだが、疲れているだろうしなぁと思い、個室を確保できて宿代が安いところというのを探した結果、空港近くになった。二泊で20000円強ぐらい。市内までLink Light Railで30分強ぐらいなので許容範囲だった。

大きな出費は、航空券、宿泊費の上記の二つ。Cascade 1200はエントリーフィーの475ドルにオーバーナイトコントロールでの宿泊費(エアマットレスや寝袋も用意してくれる)、食事代、ドロップバッグの費用などが含まれているので、ブルベ中に出費があるのは商業施設を使ったコントロールぐらい。特に2日目以降はそもそもお金を使えるような店自体がルート上にほとんどなかった。そう考えると、エントリーフィーが475ドルというのは安いと思う。

その他もろもろ

スマホ用のSIMはブルベ中は圏外ばかりでほとんど使えなかった。スマホを使ったのはイベント前後のSeattle市内の観光のときぐらい。Seattle市内は野良Wi-Fiもあるのでインターネットの接続には困らない。SIMは14日間、1GBの容量のものを購入していったが、結局使ったのは600MBぐらい。

あと何よりウェットティッシュが大活躍した。特にブルベ中に立ち寄った場所のトイレは惨憺たる有様なので、ウェットティッシュがなかったらQOLは大幅に低下していたことだと思う。海外に行くたびに思うが日本のトイレのきれいさは異常。

食べるものに関しては元々どこで何を食べてもお腹を壊したりしないタチなのであまり不自由しなかった。これは人それぞれかも。

現金を使う機会はほとんどなかった。クレジットカードを使うときでも、チップ込みで決済できてしまう。

最後に

もう一度Cascade 1200に参加したいかと言われれば迷うことなく「Yes」だ。それぐらい満足した。楽しかった。主催者、スタッフ、Seattle International Randonneursのみなさん、一緒に走ってくれた参加者のみなさんに感謝。

Cascade 1200 – Results 2018

さぁ次はどこに行こう。

*1:他には稲垣さんのレポートとかも。 CAN-AM Report

2018 Cascade 1200 : シェアバイクでシアトル観光

28日は観光のために一日フリーにしておいた日。28日の飛行機に乗っても金曜日の出社は不可能だし、それなら目一杯満喫してから帰ろうというプラン。帰りのフライトは29日の13時。

28日・Seattle観光の一日

ということで、28日は丸一日遊ぶ。

ホテルの朝食はまぁお値段なりのもので……

Seattle市内へ

Seatac/Airport StationからLink Light Railに乗ってSeattle市内方面へ。

Stadium Stationで降りる。ここからは近くに乗り捨てられているシェアバイクを探して、それで移動しようという計画。

とりあえずSAFECO FIELDへ行く。ミーハーだしな。平日の朝なので閑散としている。マリナーズは遠征に出ている。

ofo

球場の近くにあったofoというシェアバイクを使うことにした。アプリをDLしてQRコードスマホで読み取るとロックが解除される。GPSで移動距離を追尾して、乗った距離と時間を元に使用料金が決まるらしい。

Amtrakの駅。昨日のバスでもここを通ったような気がする。

Chinatownへ

Chinatownへやってきた。なぜかというと、アジア的な、そして願わくば和食的なものが食べたいのだ。Washington Passを日本人三人で登りながら、「そばを食べたい!つゆを一気飲みしたい!」とか言ってたしな。塩分チャージタブレッツの塩分では満足できない身体になっていたのだよ。

店の前に適当に停めておく。ドックのようなものがないので使う側としてはとても便利。

サンドウィッチとか食べ飽きたので、こういうのが恋しくなってたわけ。うめぇうめぇ。

Smith Tower

SeattleではSmith Towerというのが有名らしい。

しかし、どうもこれはSmith Towerではないらしい。

これがSmith Towerらしい。

こういうスタイルです。

Pioneer Square

Seattleは坂が多い。そして結構な斜度がある。小径車では登れないので押して歩く。

Starbucks Reserve Roastery

焙煎工場併設でテイスティングができる形態らしい。

どこにピント合わせとんねん。というか、店の中でパシャパシャ写真ばっかり撮ってて完全にお登りさんである。

Waterfrontへ

Gum Wall

汚い上に臭い。なぜこれが観光スポットなのだ。

スタバ1号店でお土産を買おうと思ったが、混んでるからまた後で。

平日なのに人が多い

こういうところで一日ダラダラしたい。

Kerry Parkへ

2018 Cascade 1200 – June 23 – 26, 2018

Cascade 1200のサイトのトップページに使われている画像はKerry Parkからの眺めのようなので、見にいってみることにした。高台にあるのだろうなという見当はつくが……

伝わるだろうか。登れるかボケ!またまた押して歩く羽目に。Cascade 1200を含めた中でも一番凶悪な登りだった。

眺めはいい。近くにいたおじさんに自分の写真を撮ってもらったが、完全に顔が死んでいるのでここには載せない。

Pike Place Marketへ

Kerry Parkからは下るのも結構大変。ブレーキがギャン鳴き。

Space Needleも見納め。また来るよ。

ofoを使うのもここまで。お世話になりました。

お土産調達

スタバ1号店で両親へお土産を調達。ベタすぎるが。

武田久美子だ。ヒュ〜。

Rocky Mountain Chocolate Factoryというお店で会社の同じグループの方々にもお土産を購入。こういうときチョコレートは鉄板である。

夕飯

お土産を調達したので、夕飯を食って帰ろう。

19時ぐらいだが、どのお店ももう閉店準備をしている様子。20時までオープンのアジアンキッチンに駆け込んで米を食う。もうアメリカンなものは十分だ。缶の飲み物は梅コブ茶とか書いてあったように記憶しているが、びっくりするぐらいすっぱくて死ぬかと思った。全部飲むのに一苦労。米国人はこれがヘルシーだと思っているのか。何か勘違いしていないか。

ホテルへ

初日にSeattleにやってきたとき、Pioneer Square Stationで電車を降りて、この出口から地上に出てきたのだ。この出口に始まり、この出口に終わる。

あー、楽しかった。

Rodeway Inn Seatac

Seatac/Airport Stationから歩いて5分ぐらい。空港まで近いので便利。

29日・米国最終日

自動パンケーキ作成マシーン。ボタンを押すと右側から焼き上がったパンケーキが出てくる。さすが合理主義の国だ。

お世話になりました。

空港へ

たけさんも同じ便だった。この日の空港は出国する人で激込みの一日だった。珍しいことらしい。

Good Bye Seattle!

さようなら。また来ます。

30日・帰国

成田着は日付が変わった30日。

飛行機から福島方面を見ると、もんのすごい雲が発達していて思わず笑った。この日はR宮城の奥只見600の日だ。やはりこう日に限って天気が荒れるものである。

飛行機からボーディングブリッジに出た途端ムッとする湿気がまとわりついてきて、あぁ日本に帰ってきたなぁと思った。

たけさんは京成線で帰るそうなので空港でお別れ。成田エクスプレスで武蔵小杉まで。そして東急で元住吉まで。

自転車を抱えて汗だくになりながら最寄り駅に戻ってきた。

本当に楽しい旅だった。いい思い出になった。

2018 Cascade 1200 : Farewell

何時だか覚えていないが、目が覚めた。もう走らなくてもいいと思うとちょっと寂しい。すでに帰途についている人もいるし、帰る準備を始めている人もいる。

朝食を食べて周囲をうろうろした後、片付けを始める。自転車をそのままの状態でトレーラーに載せてもよさそうだが、もう飛行機輪行の状態にしてしまう。

いかにもアメリカって感じのトレーラー。バスでSeattle市内、空港へ行く方々の荷物はこのトレーラーで運んでくれる。すごい。

手前にいるのがカナダの鉄人Ken Bonner。自転車から下りると手が震えて自分の足元の荷物も持ち上げられないぐらいの老人……なのだが、今回で8回目のCascade完走のようだ。1日目は同じようなところを走っていたのだが、自分が2日目の夜中にQuincyに着いた頃にはすでにQuincyを出発していてさすがだなと驚いたものだ。最終的なゴールは自分の15分ぐらい前。どこかで大休憩でもしていたのだろうか。

1日目に一緒に走ったHectorさんやThomasさんもSnohomishまで来ていた。またどこかで会いたいですね。Seattle市内を経て空港まで行くバスに乗る人達は帰宅の準備が終わってまったり。

Snohomishを出発。Susanさんとはここでお別れ。Thank you, great organizer!

Seattleに戻ってきた。市内にホテルを取ってあった方々はSpace Needleのところで下車。おつかれさまでした!

1日目に走ってるときは天気が悪くて見えなかったMount Rainierも見える。

自分は空港近くにホテルを取ってあったのでここでみなさんと解散。

さようなら!また世界のどこかの路上で会いましょう!

ホテルは空港のすぐ近くなので歩いて移動。歩いて10分もかからないぐらい。何か食べたいんだけど、空港の周辺にはあまり店がないようだったのでもう一度空港へ。

猛烈にカップ麺を食べたい気分になり、ロビーで一心不乱に食う。

ホテルに戻ってそのまま就寝。翌28日は丸一日空けているので、Seattle市内を観光するつもり。

2018 Cascade 1200 Day 4 : What a fantastic view!

快適なベッドで目が覚めたのは6時前。やってしまった。また寝坊である。Mazamaのオーバーナイトコントロールのクローズは5:30。またクローズ時間を過ぎてからの起床である。ワーと慌てて食事をしに一階へ下りたら、まだ吉岡さんが食事中であった。

4日目のルートは以下の通り。

朝からWashington Passまで30km登るのだが、全体を通して大きな登りはこれが最後。70kmぐらい下った後はゴールのSnohomishに向かって平坦基調の道を走るだけ。ゴールクローズは23:52で距離は250kmぐらい。途中のDarringtonにコントロールがあるが時間制限はない。そんなに慌てることもない。

しかしまぁ結局三日とも寝坊してしまった。600kmブルベでホテルの個室を使う場合は気兼ねなくスマホのアラームを鳴らせるので寝坊したことはないのだが、こういった大広間や共同使用の部屋で寝る場合、どうやってみなさん起きているのだろう。今後の課題だ。ただ、睡眠時間は十分に取っているので大変元気である。ちなみに、ゴール後にひめいさんに聞いたところによると、毎日寝坊して大慌てで準備していたので、スタッフの方々に寝坊の人と覚えられたみたいだ。恥ずかしい。

吉岡さんに同席させてもらって朝食を食べていると、たけさんが準備を終えてやってきた。みなさんゆっくりだ。部屋に戻って出発の準備をして、スタートしたのが7時頃。250kmを17時間で行けばよいのだから、相当なメカトラでもない限り完走は問題ないだろう。吉岡さんとたけさんはすでに出発してしまったようだ。

晴れのWashington Pass

Washington Passのサミットまでは30km弱あるので、あまり頑張り過ぎないように登っていく。景色が雄大で「ホエー」、「ワーオ」とか、知能が低下した言葉が口から出てくる。というか、それしかない。

あまり斜度がきつい峠ではないので景色を楽しむ余裕がある。

峠の後半に差し掛かったぐらいだろうか。前に吉岡さんとたけさんが見えてきた。喋りながらゆっくりペースで登っているようなので、そこに合流して三人でサミットを目指す。Seattleをスタートしてからバラバラに走ってきたけど、ここで日本勢が合流して戯れながら登る。また、2012年のWashington Passは天気が悪くて氷点下になるほどだったと聞いていたので恐れ戦いていたが、今年は天気がいいし気温も一桁台とはいえ普通の冬用装備があれば十分対処できるレベル。景色は雄大だし、文句のつけようがない。た・の・し・い!

What a fantastic view!!!!!

メインディッシュいただきました。大満足!

撮っていただきました。

Washington Passのサミットで温かいコーヒーのサポート。ありがたい。本当にホスピタリティがすばらしいブルベだ。

少し下って登り返すとRainy Passに到着。某さとうさんがRainy Passの写真を上げておられたが、今年とは全然状況が違って申し訳ない。我々には晴れのMount Rainierと雨のWashington Passの人生経験が足りない。

Rainy Passからはずっと下り。途中、いくつか登り返しはあるが、すぐに終わるのでヒルクライムというのはもう終わりだ。延々と下っていくのだが、各自ペースが違うので、キューシートに記載されている麓のNewhalemというところのSkagit General Storeで何か食べましょうぐらいのことを言ってバラバラに。

下りの途中でアクションカムに給電してたバッテリーが切れたので、4日目の動画も終了。スマホ用のバッテリーがあるのでゴール直前だけ撮ることにする。

HANABIでのトークにて。

ぴかさん「月夜見山の駐車場だ」

わたし「たしかに」

随分下ってきたはずなのにまだまだ雄大な景色が広がる。

たけさんと一緒にNewhalemのストアに到着。ホットドッグが死ぬほどうまい。帰国したらホットドッグをいつでも食べることができるように食材を冷蔵庫に常備するんだ……と思うぐらいうまかった。ライダートラッキングを見ながら吉岡さん遅いですねぇと言っていたところに、ようやく吉岡さんが到着。アクシデントがあったらしく、リアタイヤがバースト寸前になっていた。

Newhalemからゴールまではほぼ平坦みたいなもの。各自のペースで!ということにしてゴールを目指す。吉岡さんが眠くて離脱していき、自分も冬用装備を脱いだりしてたので概ね一人旅。もう完走も大丈夫だというところに来ているので、あー楽しかったなー、終わってほしくないなーという気持ちになる。

止まって写真撮ってたら後ろから吉岡さんが凄い勢いで飛んでいった。「強度を上げれば眠くない走法」らしい。びっくりするぐらい元気になってて笑った。

最後のコントロールはDarrigntonのお店。もうゴールまで持ちそうなので、菓子パン一個だけ食べてスタバのエナジードリンクをグイッと一飲みして出発。

印象に残っているのがArlingtonの町に入る前に信号で停止したこと。本日初の信号で4日目に信号に引っ掛かったのはこの一回だけ。250kmで信号が一回だけというのも関東近辺ではありえない話だ。

Snohomishへ

最後の40kmぐらいはサイクリングロードのようなところを通ることになっていて快適だった。22時前ぐらいまで明るいので街灯がなくても大丈夫。

いよいよSnohomishのゴールである。スマホ用のバッテリーでアクションカムに給電。ゴールシーンぐらい動画に残しておきたい。

あぁ、終わってしまう……

Snohomish Soccer Domeの角を曲がる。

「Yeeeeaaaaahhh!!! Omedeto—–!!!」

ラッキングのおかげで次に誰が帰ってくるかわかるので、日本語で声援をいただいた。やっと終わった。いろいろあったけど楽しいブルベだった。終わってしまった……。少し切ない。

ゴール受付へ移動。

この受付の雰囲気、癒しふれあい館みたいなもんですな。受付をしていると「なんだそのジャージ、写真撮らせてくれよ」っていう事案もあったけど、たまちゃん柄を説明して通じるものなのだろうか。ゴール後はピザとビールで乾杯。室内サッカー場に移動して先にゴールしたたけさんや姫井さんとあーだこーだ喋っていると、吉岡さんも到着。タイヤはバーストせずに最後までもったようだ。よかった。

一番最後に帰ってきたのはEvanさんと(3日目に千切られた)Micheleさん。Micheleさん、走ると強いのにコントロールでの休憩が長いから一番最後のフィニッシャーである。

シャワーで人権を回復し、室内サッカー場にエアマットレスと寝袋というこれまでと同じスタイルで就寝。充実の四日間だった。

2018 Cascade 1200 Day 3 : Windy! Windy! Windy!

目が覚めてスマホで時計を見ると8:20。やってしまった。また寝坊である。二日連続だ。6:30ぐらいに起きるつもりだったのに。そもそもQuincyのオーバナイトコントロールのクローズ時間は8:04なので、クローズ時間を過ぎている。超焦った。前日に引き続き、慌てて寝袋を片付け、慌てて朝食を食べる。Thomasさんや平野さんがおられたが、二人ともすでにDNFされているのでのんびり談笑している。その横で慌てて準備をする。

準備が整ったのは9:00。借金1時間で3日目がスタートである。左に写っているのはEvanさん。片方のアームカバーを忘れている。疲れてたらしい。

3日目のコースは以下の通り。

Quincyを出て、農場エリアを東の方へ行く。次に見えてくるのはEphrataという町。この町を抜けると長い長い無補給区間になる。途中Farmerというところで有人コントロールが設定されているが、商業施設は約100km先のBridgeportまでない。Bridgeportまで辿り着くとOkanogan River沿いに走ってMallotのコントロールへ。そして30km近く登ってLoup Loup Passを越えるとTwispの町に出て、緩やかな登り基調の道を行くとMazamaのオーバーナイトコントロール。約250km。

Quincyには他にもまだスタートしていない参加者の方がいたが、あんまりグズグズしていても仕方がないので一人でスタート。600kmを超えて制限時間は緩くなっているし、距離も250kmぐらいだし、大きな登りはLoup Loup Passだけなので、そんなに大変な一日にはならないだろうと甘く見ていた。が、思ったほどペースが上がらず、200kmの通過に13時間20分ぐらいかかるという、普段のブルベならギリギリ隊のペースであった。

スタートしてしばらくは農場の中を行く。スプリンクラーがグルグル回っていて、飛んでくる水が気持ちよい。

アクションカムのバッテリー切れ

そしてここで痛恨のミスが判明。アクションカム用のバッテリーが死んでた。今回は一日につき一本の外部給電のバッテリーを用意してドロップバッグに入れてあったのだが、1日目、2日目用のものは新しく購入したものなので特に問題なし。ただ、3日目と4日目のは以前から使っていたもので、九州のヘブンウィークで水没したときにダメになっていたらしい。なので、3日目と4日目の動画は途切れ途切れになってしまった。残念。切り出す動画がないので、ここから一気に写真が減ります。

Ephrataの町を通過して、100kmほどのアップダウンアップダウンアップダン……の区間に入る。

余談だが、帰国してから英会話教室ワシントン州出身の講師の方と、

「Seattleに行ってきました。1200km走ったんですけど、カスケード山脈の東側の荒野の地域も走ってきました」

「自分はまさにその地域の出身だ」

「Quincyっていう町に泊まって……」

「オー、私はMoses Lakeという町がホームタウンなのだがその近くの町だ。Quincyは農場しかない町でboringだけどな。でも、土地代が安いのでMicrosoftとかのデータセンターがあるぞ」

「ほんで、Ephrataっていう町を通過して……」

「オー、Moses Lakeにいた頃、しょっちゅう飲みに行ってた町だ。っていうか、何年も英会話の講師をやっていて、何千人という生徒を見てきたが、Ephrataに行ったという日本人は初めて見た」

「そりゃ自分だってブルベじゃなかったらこんな町行かねーわ」

というやりとりがあった。

そしてQuincyに着く前に酷いサンダーストームに遭ったという話をしたら、Washington州は落雷によるwildfireが多い地域なんだと言っていた。なるほど~。

ちなみにMoses Lakeは通過していないのでどれぐらいの町なのかわからないが、昔はJAL、今はMRJ関連で日本人が結構いるそうな。

トイレがない問題

Ephrataを後にするとまた昨日と同じようなダイナミックな景色になる。暑さと疲労で知能が低下していたので、景色に圧倒されて「ワーオ」って言うだけの人間だった。「おーすげえ」じゃなくて、なぜか「ワーオ」って言ってた。だいぶ知能が低下している。

で、Ephrataを通過するとBridgeportまでの約100kmの間、トイレがないのが問題である。途中のFarmerというところにコミュニティホールを使ったコントロールはあるが、コミュニティホールにはトイレがないとキューシートに書いてある。単独で走っていて前後に誰もいないと、「地平線の先まで見渡す限り人間は自分しかいない」というような場所なので、大きい方を催してしまったときにどうするのか覚悟を決める必要がある。ちょっとでもいいから道路からの視界を遮る茂みがないかなぁと探しながら走る。いざとなったらやらねばなるまい。

そして「こんな雄大な景色の中で数字なんて気にして走るもんじゃない。もっと自然を感じて走ろう!」と思って心拍計を外した(ただ乳バンドが鬱陶しくなってきただけである)。また、GARMIN eTrexとは別に速度、心拍とケイデンスを表示させてたサイコンの電源が切れてしまったのだが、これもまた数字なんて気にして走るもんじゃないと思って電源は切れたままにしておいた(電池を交換するのが面倒臭いだけである)。とりあえずルートさえわかればなんとかなるやろ精神だ。

速度も心拍もケイデンスも、そんなものはどうでもいいんだ(アメリカの大自然の中で悟りを開いた)。

少し登ってしまえばずっと下りでFarmerのコミュニティホールに着くものだと思っていたが、アップ、ダウン、ダウン、アップ、ダウン、ダウンで下っていくので、全然ありがたみがない。そして絶賛向かい風である。

めっちゃわかる。

FarmerのコントロールのスタッフはSusanさんとTomocoさん(スタッフとして参加)だった。Tomocoさんにブルベカードにサインしていただいたので、Cascade 1200のコントロールのサインに日本語が!貴重!

しばらく休憩。そこらへんにあるものをバクバク食う。カップヌードルの塩分が染み渡る。

と「今日も寝坊したらしいですね。スタッフの間で寝坊の人だと話題になってましたよ」

おおう、恥ずかしい。

コミュニティホールの周りにはマジでなんもない。ここに来るまで向かい風、ここからは横風……ウゥ……

RAAMに出るような人についていけるわけがない

そしてコントロールで一緒になったMicheleさんとChrisさんが一緒に行こうと声をかけてくださったので、一緒にスタートするわけだが……

あっという間に千切れてしまい、一人旅に戻った。しばらく一緒に走っていた間に話を聞いた限りでは、MicheleさんはどうもRAAMにソロ部門で出たことがあるらしい。そら強いわ。そしてMicheleさん曰く「ChrisはStrong man」(Crazy manだったかもしれない)とか言う。横風に耐えながら二人になんとかついていこうとするものの、どんどん小さくなっていくので、束の間のDay 3 Partnersだった。

一人で横風に辟易しながらアップダウンをこなしていく。途中8kmぐらい東へ向かって走る区間があるのだが、そこだけが追い風で天国だった。が、眠くて眠くて。ボーッとしていたので左折することをちょっと行き過ぎた。そしてまた北上なので、基本的に常に横から風を受けている状況。しんどい。眠い。うんこしたい。QOLが下がってきている。

Bridgeportの手前のChief Joseph Damが見えてきて、展望台はこちら!みたいな看板が目に入ったのでそちらへピットイン。たぶんトイレあるだろ!と思ったらその通りだった。助かった。

水洗化されていないし、もちろんトイレットペーパーもないが、一応トイレである。ウェットティッシュを持っているので問題ない。

Bridgeportの町にFoodがあるよーとキューシートに書いてあったので、たまたま通り掛かったEvanさんに「どうする?寄ってく?」と声をかけられたが、Farmerで十分食べたので自分は先に行きます。

ずっと風が強いのでスプリンクラーみたいなやつの水も横へ横へと飛んでいく。

Mallotまでは川沿いを行くのだから平坦だろうと思っていたが、それなりにアップダウンがあるし、そして眠さも出てきたので、Mallot到着時はヘロヘロ。自分の到着と入れ替わりでSan Francisco Randonneurs御一行が出ていくところだった。コントロールには自分だけになったので、スタッフの方が「サンドウィッチを作ってやろう!何を挟む?」と言ってくれたので、チーズやらハムやらを頼む。一時間近く休憩していたのではなかろうか。あんまりダラダラしているものだから、

「みんなさっさと出発していったけど、そんなに休んでていいのかい」

と言われた。「アッ、ハイ……」と準備をして出発。19:00ちょうどぐらい。Loup Loup Passのサミットまで30km弱あるので到着は22:00ぐらいになるなぁ。

世界が変わる

せっせと登る。何もないのでただひたすら登る。だんだん気温が下がって寒くなってくる。冬用の装備にチェンジだ。メリノウールのインナーやウインドブレーカーまで登場。ついさっきまでジャージの前を全開で走ってたのに。

やっとサミットに到着。想定通り22:00ちょうど。Twispまで下ってMazamaに向かうだけ。冬用装備なのにグローブだけ指切りグローブのままだったので(油断してた)、下りで指が千切れるかと思った。Loup Loup Passを越えると世界が変わる。トンネルを抜けると雪国だった!みたいな峠とかトンネルがあるが、そういう類の峠だ。

Twispのガソリンスタンドで一旦止まって休憩していると二人組がやってきた。一人は夏用レーパンのままだったので、さすがアメリカンは寒さに強いんだなぁと関心した。

「寒くないの?」

「寒いに決まってるだろ!」

やっぱり寒いらしい。3日目は暑いと思って冬用装備をドロップバッグに入れておくと死ぬパターン。

TwispからオーバーナイトコントロールがあるMazamaまでは35kmぐらいなのだが、ゆるーく登っているのでなんかいまいちペースが上がらないし、真っ暗で景色も楽しめないので、残り距離が減っていくのだけが心の支えであった。

Mazama到着は1:00頃。先に到着していた吉岡さんが食事中だった。毎晩オーバーナイトコントロールで人権のある温かい食事が提供されているので本当にありがたい。これがなかったら……?というのは想像したくない。3日目もかなり疲弊していたので、ドクターペッパーとかグビグビ飲んでた。

また、このオーバーナイトコントロールはロッジを借り切っていたので、仮眠を取る環境としても非常に快適だった。自分は二階のベッド二つの四人部屋が割り当てられた。到着しているのは自分だけだったので部屋のシャワーで人権を回復し、後から来た人の邪魔にならないよう、ベッドの一番端で寝ることにした。

とりあえず5:30のクローズと同時に出発するぐらいでいいかな……というつもりで就寝。