Tag Archives: Paris-Brest-Paris 2023

Paris-Brest-Paris 2023

前回と同様にだいぶ雑に書いたので随時加筆修正すると思う。何か思い出したら追記したい。

PBP2023 – highriseの日記

Paris-Brest-Paris 2023: Prologue – highriseの日記

Paris-Brest-Paris 2023: 渡航・受付・お見送りなど – highriseの日記

Paris-Brest-Paris 2023: Rambouillet – Quedillac – highriseの日記

Paris-Brest-Paris 2023: Quedillac – Brest – Gouarec – highriseの日記

Paris-Brest-Paris 2023: Gouarec – Villaines-la-Juhel – highriseの日記

Paris-Brest-Paris 2023: Villaines-la-Juhel – Rambouillet – highriseの日記

Paris-Brest-Paris 2023: LRM総会・帰国など – highriseの日記

Paris-Brest-Paris 2023: Epilogue – highriseの日記

長すぎて読めない。

Paris-Brest-Paris 2023: Epilogue

今年はGWの事故でだいぶ予定が狂ったけど、まずはPBPを完走して無事に帰って来れてよかった。

84時間の良い点・悪い点

84時間組のいいところは、朝起きて夜寝るという規則正しいサイクルで走れることだろうか。また、ナイトライドの時間も必然的に短くなるので(特にフランスは日が暮れるのが遅いので)、前照灯(21700仕様のFenixのタクティカルライト)のバッテリーも交換の必要なし。予備のバッテリーは二本だけなので、最低限のもので足りる。

また、人数が少ないのでコントロールが混まない。一方、PBPのお祭り感というのは90時間に比べると物足りないかも。後ろから来るトレインの数も必然的に限られてしまう。あと、コントロールのクローズも90時間に比べるとちょっと厳しい。ただ、朝スタートだと日中の変なタイミングで寝て時間を使ったのでクローズタイムが!みたいなことになりにくいので、今回はクローズタイムを気にして走ることはなかった。

持っていったもの

今回は前回ほど寒くなかったので、ウェア類は半袖の薄手のウールジャージで、アームウォーマーもレッグウォーマーもなし。仮眠後の明け方に走っていても防寒対策はまったく必要がなかった。仮眠するには肌寒いけど、運動していればまったく問題ない程度までしか気温は下がらなかった。なので、日中は暑くてだるかったけど、全般的に見れば気候条件はよかった。長袖ジャージは全部宿に置いていった。背中のバックパックはレインウェアのような衣類やエマージェンシーヴィヴィで重くないし、仮眠所での枕代わりにしている。

また、緊急事態用に補給食(パワーバー?)を四つ(一日一本)持ったけど、国内ブルベでもコンビニでガツンと補給しちゃえば走ってる間は水を飲むだけで済むタイプだし、サプリや薬は普段から全然使っていないのでPBPでも特に準備せず。PBPだからと言って特別なものを用意する必要はまったくないと思う。特にPBPはプライベートエイドとかを考えると補給の心配はないわけだし。

前回は補給食を持ったり、防寒装備を持ったり、何より道中ずっと動画撮影をしていたのでバッテリーがめちゃくちゃ重かったのだけど、今回はそういったものは持たなかった。大体80時間以上の動画を撮影してきたって見返さないんですよ。PBP2019の動画は一度も見返されることなくHDDの肥やしになった。

費用

かかった費用は前回と同じぐらいだろうか。トランジットとはいえ航空券はちょっと高かった。が、宿は三人で割り勘したので10泊で4万円もかかっていない。民泊なので面倒なこともあるが、そういうのが気にならない人はこういうのもありだと思う。食事とかはまぁ円安もあるけど、そもそものインフレもあるので仕方ないかな。あまり気にしていても楽しめないので、四年に一度だからと思うしかない。

やはりPBPは特別

PBP以外のRMを走ると、「See you in Paris!」と言って別れるのだけど、それが本当に実現するのがPBPのすごいところ。Cascade 1200やPerth-Augusta-Perth 1200を走ったときに知り合った方々と一緒に走ることができてめちゃくちゃ楽しかった。これはPBPでしか実現しないことなので、また四年後も参加すると思う。コースが楽しいとかそういうのじゃないんだな。LRMを走るようなコミュニティは世界的に見てもとても小さいコミュニティだけど、そのいつもの面々が四年に一度同じところに集まって走るというのはそれだけで貴重な機会だし、都合をつけて自分もそこに参加したい。

Merci, France. See you in 2027!

Paris-Brest-Paris 2023: LRM総会・帰国など

25日(金)

ゴール翌日の25日は、おーのさんは帰国へ、おかださんはとある落車事故の後処理のために自転車を回収すべくLoudeac方面へ旅立ち、自分はLRMの総会へ出席。

もう片付けが始まっている。祭りのあとである。

オーストラリアのPeteが「LRM総会の前に朝カフェしよう」とメッセージをくれたので、総会前にメルキュール近くのカフェへ。

LRM総会はPBPの書類を受け取ったところで行われた。AJ会長の古久保さんもこの為にフランスへ来られたので、AJからは二名で参加。LRMの会長、副会長の交代と、ルールに関するいくつかの改正、韓国からは新しい表彰の話があった。米国のMarkさんが会長から退任し、新会長はイスラエルのTalさん(これまでの副会長でLRMメダル番として何度もお世話になりました)、新副会長はフィリピンのCarmelaさん。財務担当はACPのFaburelさん(AJからは頻繁にリザルト訂正のお願いをしているので会って最初に詫びた)が留任。Carmelaさんは同じW組でスタートしてしばらくした後に第二集団で走っている時にずっと隣にいた方だ。

www.instagram.com

あと、ポルトガルの代表のPedroさんとは四年ぶりの再会となった。四年前、PBPのゴール後にこの場所でジャージを交換して以来だ。

総会の後はそのままランチへ。たまたまインドの代表と近くなったのでいろいろとインドの事情を聞いた。前回までのPBPはベジタリアンが多いインド人参加者にとっては、コントロールで提供される食事で選べるものが少なくなかなか厳しい環境であったらしい。また近年のRMの開催が多い背景なども話されていた。

解散した後は宿へ戻って帰国前の最後のサイクリングということでランブイエの街中をうろうろした。もう前日までのような賑やかさもない。自分の宿の前の郵便局でオーストラリアのSimonとSallyと再会。結局Sallyの体調不良でDNFにしたそうだ。またどこかでと言って別れた。

おかださんが自転車回収から帰ってきて任務を果たしたので一息ついて就寝。

26日(土)

いよいよ帰国の日。

宿の馬房の中。ここに自転車を置いてた。馬はいないので単なる蔵として使われているそう。おーのさんとおかださんは無造作に置かれている自転車のブランドを見て盛り上がっていた。さすが自転車大国!

ホストのご夫婦と別れ、自転車を担いでメルキュールホテルへ。Peteが一緒にタクシーでCDGまで行こうというので同乗することにした。タクシーを待っているとメルキュールホテルに泊まっている米国の方が「パッキングをしたいが、シャーマーズネックで満身創痍なのでペダルを外せない。手伝ってくれ」というのでおかださんがえいやと外していた。

CDGで時間を潰し、それぞれの帰途へ。自分は帰りもカタール航空

最後にターミナルのレストランでビールとフィッシュアンドチップス。Peteは「来年も日本に行くつもり」と言っていたのでまたそのうち会いそう(今年もGWに来日していたらしく、「都合どう?」と連絡が来たけど本州縦断に出かけていて都合合わず)。

カタール航空の受付のお姉さん、自転車を見るなり明らかに「面倒くせえな」という表情になったのを自分は見逃さなかった。すまんのう。

土曜の22時45分のパリ発ドーハ経由羽田行きで帰国である。パリ→ドーハは隣の席が空いていて三人分の席を使えたので大変快適だった。

写真ブレブレ。なぜかというとドーハではトランジットのためにダッシュをするハメになったからです。着いたゲートと羽田行きのゲートが離れていたので、羽田行きの人は道先案内人のスタッフに先導されて移動のはずが、ボーッとしていたら見失い、近くのスタッフに尋ねてターミナル内の電車みたいなのに飛び乗り、ダッシュでファイナルコールの最後の最後に滑り込んだ。危なかった。

ともあれ、無事に人間も自転車も日本に戻ってきた。日曜23時過ぎに羽田着。

しかし問題はここから。荷物を受け取る頃にはもう終電は終わっているので、タクシー待ちは長蛇の列。もう一人エミレーツ航空で同じタイミングで帰ってきた方と一緒に延々とタクシー待ちをした。月曜午前1時半頃に自宅に到着。月曜は朝から通常通り仕事なのでさっさと寝た。

Paris-Brest-Paris 2023: Villaines-la-Juhel – Rambouillet

最終日は200kmちょっと。

少し早いが24時頃に再スタートするつもりで起床して飯を食う。

ぜっとさんが同じVillaines-la-Juhelにいるようだし、最後はぜっとさんと一緒に走って完走を見届けようと思って飯を食べて走り出すことにする。のんびり食べていたというのもあり、ぜっとさんが先に出発したのではと思って飛ばして行ったが一向に追い付かず。これは自分が先に出発した可能性大だな。

そうこうしているとAlençonでパンク。チューブを交換して空気を入れてもタイヤは膨らまない。ちょっと焦り気味に携帯ポンプでポンピングをしていたらネジが緩んで壊れてしまった(後でちゃんと修復した)。と言うわけで、続々と通り過ぎる後続にヘルプを求める。90時間組はギリギリ隊になっている方も多く、なかなか止まってくれないが、親切なランドヌールが止まってフレームポンプを貸してくれた。どうも交換した新品のチューブにも穴が空いているようだ。やれやれ。もう一つ予備のチューブを持っていたのでそちらに入れ替え。親切なランドヌールもさすがに時間に余裕ないわと言うことでCO2を置いて走り去った。なんとありがたい。名前を聞くのを忘れたのが悔やまれる。

修理を終えて再スタートすると、っきいさんが現れたので雑談をしながら一緒に行く(長年の疑問、なぜ「っきい」なのかも聞いた)。っきいさんがマジのギリギリ隊なのでなんとか間に合わせるために結構いいペース。Villaines-la-Juhel以降の200kmを12時間と聞くとまぁサラ脚なら余裕だなと思ってしまうが、睡眠不足になりながら1000km走ってきた後だと思うとなかなか際どいところだろうか。

そしてMortagne-au-Percheに到着。っきいさんはここで残り距離と残り時間からもう時間内は無理と判断され、仮眠してから行くそうだ。

自分は飯を食って続行。とりあえずチューブを一本調達しておくかと思ったが、売ってるチューブは28cまでのものばかり。32cはまだまだ一般的ではないのかも。

Mortagne-au-Percheの後は明け方で眠気もあったが、シアトルのNarayanと一緒になったのでちょうどいい喋り相手ができた。途中でランドヌールが吸い込まれているカフェで朝コーヒーで目覚まし、Narayanとダベっているとシャーマーズネックになったキルハさんが登場した。すでにDNFを決断されている様子。ここまで辿り着いているのにシャーマーズネックでのDNFは辛い。

この後、タカトリさんや亀太郎のいっちも合流。大きなアップダウンもなくなってきたし、自分はもう84時間の制限時間に対しても余裕十分。タカトリさんやいっちはN組なのでギリギリ隊ではあるが、それでもこの後は大した登りはないのでまぁ間に合うでしょうという安堵感が漂う。

と言うことで、Dreuxではみんなで一服というか、N組基準で15分の余裕を持って出れば急ぐ必要もないでしょうということでゆっくり食事をした。Narayanと「なぜゴール直前のDreuxでパリブレストを食べるんだ?ゴールしてからの方がいいじゃないか?」というパリブレストいつ食べるか問題について議論をしていると、他にオカモトさんやEQ乗りのすぎうらさん、亀太郎のすがやさん、N組の日本人の若者など、わらわらと日本人が集まってきた。最後は日本人の大所帯となってみんなでまとまっていきましょうということになったので、DreuxからRambouilletまではチームジャパンウイニングランという感じ。

ちなみにジャージはここまでずっとシアトルとRUSAのCima Coppiの薄手のウールジャージだったけど、上にAJのPBP2023ジャージを羽織った。ゴール後の交換を見据えたもので、前回もDreuxでたまがわジャージを羽織った。最後だけ正装である。

自分も概ね計画した通りの時間にゴールとなった。

渡航前から「AJのジャージいいな!交換しようぜ!」「一応2枚持ってるからもしゴールした時に交換する相手が見つからなかったら連絡して!」とPatrickに言ってあったが、ゴールで待ち構えていた。80時間組なので一日前にゴールしているはずなのにと思ったが、そうかトラッキングで大体のゴール時間がわかるか。今回はRUSAのPBP2023ジャージと交換になった。

オーストラリアのChrisと再会。スタート直後に会話して以来。

後続の方々のゴールを見届けてから自分も退出。いろいろと事故や怪我の話を聞いたけど(Dreux以降の区間で救急車が出ているのも見たし)、自分自身は大きなトラブルなく終えることができた。めでたしめでたし。

Equilibriumのバイクも調子よかった。

宿に戻って何を食うかというとカップ麺であった。フランスまで来てカップ麺はないやろ!とスタート前は一度もスーパーで手に取らなかったけど、走り終わった今一番沁みるのは何かと自分に問うた時にそれはカップ麺であろうという結論になった。

沁みた。

Paris-Brest-Paris 2023: Quedillac – Brest – Gouarec

二日目はBrestで折り返してGouarecまでの350kmの予定。

Quedillacで軽く飯を食ってから出発。まだ暗いし、集団とかは全然いない。視界に入るのも二、三人。一人だとロータリーの出口を間違えてあらぬ方向に行ってしまうので注意しないといけない。というか、何度かあらぬ方向へ行った。Loudeacまではただただ暗闇の中を行くという感じ。

Loudeacに到着。食堂に行くとタカトリさんとつかぽんさんが寝てた。二人は90時間組なのでこの時間にここで寝ているのはかなりヤバそうだがどうだろうか。隣で飯を食って一言言って先に出発。

Loudeacを出てしばらくするとあおきさんに追い付いた。こちらも90時間組なのでこれはかなり借金がありそうだがと思って話を聞くと、スマホを落として探し回っていたとのこと。同行していたくりたさん(Project Kの店長)と連絡が取れず、先に行ってしまってはぐれたと。一緒に走ってくださいということなのであおきさんのスマホ紛失の顛末やここまでの調子を聞きながら進む。しかし、どうも食べ物も合わないようで、パンを食べることができず、持参したお粥を食べながら走るという厳しい道中になっているようだ。途中、道端でお粥を食べるというので待っていたが、待っていても手持ち無沙汰なのでくりたさんにFBのメッセンジャーで電話をかけてみる。と、どうもすでにCarhaixに到達しているとのこと。しかし「St Nicolasの手前にシークレットみたいなのがあってスルーしちゃったんだけどあれはシークレットなのかな?」と仰る。そこに到着したらまた連絡しますと電話を切り、お粥休憩を終えたあおきさんとCanihuelへ。

「やっぱりシークレットです!」

「マジで!」

「どうせこのまま行ってもサインなしで認定されないんだし、くりたさん!戻ってきましょう!戻ってきてあおきさんと再合流しましょう!(ニコニコ)」

「きみも酷いことを言うねぇ〜」

みたいなやり取りをした。戻ってきてくれるそうだ。

Saint-Nicolas-du-Pelemに到着。Davidさんがいた。もうDNFを決めたらしい。7月に事故ったとかで本調子じゃないとのこと。軽く補給をした後、くりたさんも戻ってくることだしとりあえず前に進みましょうとあおきさんと出発。が、やはりどうも登りであおきさんが遅れ気味。こちらにも制限時間はあるしな〜と思いつつ、そろそろくりたさんが戻ってきてスライドするやろと思っていたらその通り。スライドの際にあおきさんが少し後ろにいることを伝え、「そのうち後ろからくりたさんが戻ってくるからな!すまん!」と思い、ちょっと踏みました。本当にすまん。

しばらくすると後ろからタカトリさんが現れたが妻の方がいませんでした。大借金を返済するために女房を捨てた漢の背中である(酷い言い方)。

そしてCarhaix-Plouguerに到着。ここは食事の選択肢がいまいちだよなぁ。タカトリさんはコントロールを出てしばらく行ったところでスーパー?に消えていった。

Carhaix-PlouguerからBrestって90kmもあるし、チマコッピまで登るのでだるいところ。ちょうど脚の合う面々で集団になったので5〜6人のグループで黙々と登る。が、英語が通じないグループだったので、特に会話なし。後ろでイタリアのおじさんがイタリア語で何か言ってたけど、全くわからん。とりあえずチマコッピの電波塔のところまで集団で行って下りで解散。外国人の速い下りにはついていけぬ。ゆるりと下っていたら元気いっぱいのタカトリ号がぶっ飛んでいった。妻を切り離したから軽快なのか(酷い言い方)。

Landerneauを過ぎたところから始まるBrestの手前のアップダウンが大変だるい。前回とコースは違うがだるいものはだるい。なんとかBrestに到着。

Brestではひめい夫妻やタカトリ夫妻と一緒になった。シアトルのMarkも大体同じぐらいのペースなのでよく会う。とりあえずレストランでちゃんと飯を食う。

あと、トイレのドア開けたら中に女性が入っていてキャーという悲鳴とともにバタンと閉められました。すまんかった。しかし鍵ぐらいかけやがれ。

定番スポット。SimonとSallyがいたので一緒に写真を撮った。

Brestを出るとビンテージもののバイクで参加されている日本人の方に遭遇。PBPを走るためにあるような自転車のようだ。シングルギアは大変そうだった。

また、coffeeneuringを主宰しているMaryにも会った。Cascade 1200に参加した時にcoffeeneuringを知ってからは毎年地道にやってきたけど、ついに教祖様にお会いした。一日目のスタート直後にもちょろっと会話を交わしていたが、集団で追い越したシーンだったのでろくに会話できずだった。タンデムの後ろにいるとリズムができていい感じ。そして下りで置いていかれる。

chasingmailboxes.com

Maryのブログ。

Playbenのシークレットではちびっこ達がサインしていた。児童労働の闇だ。

彼らはきっとPee Time。

Carhaix-Plouguerに到着。いよいよ90時間の方も増えてきてレストランでちょっと並んだ。そもそもCarhaix-Plouguerだというのもあるだろうし、PBP全体からすると後ろの方だというのもあって飯が悲惨。パスタにかけるソースは全部売り切れになっていた。これは辛いなと思っていたら、レジの横にケチャップの小袋があったのでこれをもらっていく。でもまぁ食事としては厳しいな。今回のワースト飯はこの時のものだと思う。また、亀太郎御一行とも再会した。

ちょうど0時にGouarecに到着。計画とピタリ一致なので本日はここまでにして寝ましょう。ここの仮眠所はテントを立ててその中に簡易ベッドを並べただけのもの。暖房はないし、テントは隙間だらけで寝るには寒かった。途中でエマージェンシーヴィヴィを出してくるまった。食堂の隅っこで寝た方がナンボかマシだったな。失敗だった。

Zzz…

二日目になると景色にも完全に飽きてきており、コントロールとコントロールの間の走行中の写真が一枚もないところもあるな。夜は仕方ないけど一枚ぐらいは撮るというのを意識してもよかったかもしれん。

Paris-Brest-Paris 2023: Rambouillet – Quedillac

今回は84時間組の最初の枠のWでスタート。前の方に並んだ。初日はQuedillacまでの378kmの予定。

5時はまだ暗く、スタート直後は大集団のまま暗闇の中を行く。かなりのペースで進んでいるが集団の中にいるので楽チンだ。スタートしてしばらくしてだったと思うけど、オーストラリアジャージの方に「久しぶり!」と声をかけられた。昨年のPerth-Augusta-Perth 1200で一緒だったChrisだ。PAPをゴールしてすぐ近くのバーでビールを飲んで解散して以来の再会。また、この組にはPAP1200で一緒だったScottやAndrew(Trans OZのオーガナイザー。PAPのオーバーナイトコントロールでは毎晩隣で寝てた(誤解を招く表現))の他にシアトルのMarkもいる。Wには日本からのエントリーは自分一人だけのようだが、何なりと知り合いがいるし世界は狭い。

前の方でスタートしたので先導のバイクが見えるけど、84時間組の先頭なのでもちろんタイム狙いの人もいるだろうしかなりのペースで進んでいるので、ずっとついていくとあっさりと終わるやつやなと思い、一時間ぐらい経ったところで集団の後ろに下がって付かず離れずでヒラヒラしていたが、集団が割れて第二集団ができたところでそちらに移動。こちらは無理なく脚が合う感じの集団なのでここに陣取る。ずっと隣にいたフィリピンの女性(写真左)、PBPゴール後の翌日のLRM総会でフィリピンの代表であることが判明(そして総会でLRMの新副会長に選ばれました)。強い。第二集団には他にもフィリピンやマレーシアの方が多く、アジアのグループという感じであった。

そして仲良く千切れました。

Martagne-au-Percheのコントロールはガラガラ。第一集団は行ってしまった後だし、そもそも人数もそんなに多くないのでレジ待ちの必要なし。とりあえずパンオショコラとシャンボンだけ食べた。

Villaines-la-Juhelまでも脚の合う人たちと集団を作りつつの走行であった。Villaines-la-Juhelに到着して最初の200kmが7時間半。貯金も十分。一方でこんなペースで走り続けても自爆するだけだなということで、ここからはマイペースで行くことにした。新車にはパワメをつけたので、PWRで2倍ぐらいをキープするようにして、踏み過ぎないように意識した。暑いのであんまりがんばりすぎてもよくなさそうだし。本当は心拍計もつけるつもりだったけど、用意だけして宿の椅子にかけたまま忘れてきてしまった。普段つける習慣がないとこういうときにミスをやらかす。

賑やかスポット。

プライベートエイドにいた悪党ども。「水をくれ」というランドヌールを容赦なく水鉄砲で撃っていた。カメラが曇るからやめたまえ。防水じゃないコンデジやったらおっちゃんブチ切れるとこやで。

例の橋のある町のプライベートエイド。レモネードをいただいた。休憩しているとPEKOさんが通過していった。

Fougeres。300km弱走ってきて腹も減ったのでここでガツンと食いたいところ。あと、AJ長崎のてれすけさんに会った。残念ながらタイムオーバーでもう止めるらしい。

というわけで、レストランに移動してガツンと食べておきました。こんだけ食べればこの後も安心。

Fougeresを出てすぐだったと思うけど、目の前にエンジンから火が出ている車が!運転手のマダムがおろおろしているし、これは消火しないとあかんやつやなということで、後ろにいたシンガポールのランドヌールと一緒に水をドバドバかける。そもそも水をかけていいのかもよくわからないけど、とりあえず水をかけることしかできないのでドバドバかける。通りがかりの車からも「マダム〜水〜」と水の差し入れがあったので、それも全部投入して消火した。そしてこれ以上は何もできないのでその場を後にした。とりあえず爆発せんでよかったな。エンジンから火が出ているの、初めて見たかもしれん。

Tinteniac。仮眠の予定は次のQuedillacなのでTinteniacからは25kmほど。補給はオランジーナ二本で軽く済ませる。AJたまがわの某嫁さんに会った。90時間の最終組とはいえ、この段階で84時間組に追いつかれて大丈夫なのだろうか……という余計な心配をした。が、作戦があるのだろう。

22時にQuedillacに到着。スタート直後の高速集団のおかげで予定してたより早く到着した。すーさんをはじめとした亀太郎御一行と入れ替わりとなった。ジュースだけ飲んで仮眠所へ。

ここの仮眠所は当たりの仮眠所だそうで、まったくその通りであった。ジャージの上を脱いでレーパンとインナーシャツで寝転がっても全然寒くない。空調も効いていて最高。

Zzz…

それにしても今回は道中の風景の写真がほとんどないな。似たような景色ばかりで飽きてくるので仕方ないが。

Paris-Brest-Paris 2023: 渡航・受付・お見送りなど

17日(木)

17日午前1時の羽田発カタール航空ドーハ経由のフライトだったので、16日に仕事を終えてからすぐに羽田へ移動。早めに着いたので同じような時間帯のシンガポール航空組のぜっとさんやエールフランス組の方と時間を潰した。

ドーハのトランジットは一時間ちょっと。出発ゲートに移動するだけです。

CDGに到着して自転車が出てくるまでに空港のATMでキャッシングで現金調達。前回の残りの60ユーロに150ユーロ分を足しておいた。コントロールでちゃんとクレジットカードが使えれば現金はほとんどいらないはずだが。

自転車をピックアップした後はUberでタクシーを呼んでランブイエまで。前回は同行の方々と三人でVanを借りたけど、一人なら小型車で十分。とはいえ結構なお値段になる。乗り換えの手間とかを金で解決である。実際に来たのはTOYOTA CH-Rなので小型SUV。後部座席にそのまま乗せて自分は助手席に座っていた。

今回はランブイエのフランス人のお宅の一角を借りた。次の日以降フレッシュで同じチームだったおかださんやおーのさんも到着の予定。

とりあえずまずはランブイエのセンター通りへ。久々だなーと思ってぶらぶら歩いていると、RUSAのPatrickに声をかけられた。第一村人からいきなりの知り合い。世界中からランドヌールが集まってきているとはいえ世界は狭い。メルキュールホテル前のテラス席にいたシアトル御一行などに挨拶をした。スーパーが閉まっちゃう前に食料を調達し、部屋に戻って自転車を組み立て、試走がてらスタート地点近辺をうろうろ。

自転車は輪行バッグを引き摺られたのだろうと思うが、底が破れてシートクランプに傷が入っていた。まぁ走行には支障ない。

18日(金)

丸一日フリーで空いているのはこの日だけなので、朝からパリ方面へサイクリングへ。

ルートを決めていたわけではないので、ヤマカンでランブイエからサンカンタン方面へ行こうとするも、ランブイエの森のグラベルのようなところに突っ込んでしまって迷子に。そしてクリートを止めているネジも紛失。行ったり来たりをして何とかサンカンタンに着くも、ぜっとさんは諸事情あってまだホテルに未着。待っていてもいつになるかわからんので一人でパリ方面へ向かった。地元民がバゲットを片手に自転車に乗っているのを見るとフランスに来たな!!!という気持ちになりますな。

ちょっと雨がぱらついたけど気にしない。本降りになったらどこかで雨宿りしよう(レインウェアは持っていない)。

かつてエルコンドルパサーサンクルー大賞 (Grand Prix de Saint-Cloud) を制したサンクルー競馬場。日本調教馬の欧州の2400m(英ダービー凱旋門賞が行われるクラシックディスタンスである)のG1制覇はいまだにこの一勝のみである。

こちらはロンシャン競馬場の2400mのスタート地点裏。つまり凱旋門賞のスタート地点で映るあそこである。ちなみにパリのサイクリストはロンシャン競馬場の周りをトレーニングで走るそうで、結構な人数のサイクリストが周回していた。競馬ファンにはお馴染みであるが、ロンシャン競馬場は高低差の大きいコースであり、競馬場をぐるっと取り囲む道路を走るとそのアップダウンを感じることができる(言うてまぁ自転車にしてみれば大した斜度ではない)。

こちらはオートゥイユ競馬場の正門。あまり馴染みはないが障害競走の競馬場である。

他にヴァンセンヌ競馬場(繋駕速歩競走が行われる)などもパリにあるがちょっと遠いのでパス。というか、8月は日本と同じように夏競馬シーズンなので、主な開催はドーヴィルであり、パリの競馬場での開催はない。

ヴェルサイユからサンクルー、ロンシャン、オートゥイユと競馬場を巡ったところでぜっとさんにキャッチされた。

定番のスポットを巡って、モンパルナスから電車で帰宅。おーのさんやおかださんも到着し、賑やかになった。

19日(土)

AJの集合写真を撮る役目を仰せつかったので、その時間に合わせて行動。といってもどうせ暇なので、メルキュールホテルのエントランスに陣取って道ゆく人に声をかけていた。知り合いが通るので楽しい。

オージーズ。みんな去年のPerth以来。

AJの集合写真を撮った後、前日に紛失したクリートのネジを調達するためにランブイエの自転車屋へ向かった。

そしてあっという間に直してくれた。修理代もいらないという。申し訳ない。

戻ってAJたまがわの集合写真。自分の受付は翌日の予定だったけど、時間もあるのでたまがわ御一行と一緒に受付へ。

途中、久々にEricに会った。コロナ禍でZoomを使ったAJとRUSAの懇親会をしようという話があったけど実現しなかったので本当に久しぶり。右のChrisさんは自分で作ったフレームで走るらしい。それ、いつかやってみたい。

書類の受け取りはあっさり終わった。自転車で行ったので駐輪場から出る時にリストバンドをつけろとかナンバープレートをつけろとかうるさく言われたが、うるせえ月曜スタートなのにこんな拘束具を今から付けられるかと思い、担当のおっさんと押し問答を繰り返した後、そのまま出てよいという権利を勝ち取った。

戻った後はフレッシュを一緒に走った台湾のジェイソンと夕飯。ジェイソンはPBPには参加しないけど、Transcontinentalに出ていてヨーロッパに滞在していたのでわざわざランブイエまでやってきた。自分は21日スタートまでまだ時間があるのでビールも飲みます。

20日(日)

財布を紛失したおーのさんのために自分のキャッシングで現金を調達するべくランブイエの銀行へ。これからは高利貸しとして生きていきたい。ちなみにおかださんもすでにスリ被害に遭っているので、同宿の三人のうち二人がやられているという危機的状況(その後おーのさんのものは無事に戻ってきた)。自分も気をつけねば。

ランブイエの通りを歩いていると呼び止められた。去年のPAP1200で一緒にゴールしたScottであった。奇遇〜。

その後、80時間、90時間のスタートを見届けるべく、午後はずっとスタート地点でウロウロしていた。

最後に90時間の21時発のおーのさんを見送ってから宿に戻った。Audax JapanのFacebookグループに大量に写真を投稿しておいたので気になる人はそちらをご確認いただければ。写真を投稿していたら日付が変わってしまった。3時半起きなのでさっさと寝なければ。

Paris-Brest-Paris 2023: Prologue

PARIS-BREST-PARIS

さっさと書いておかないと忘れちゃうので、ぼちぼち記録しておきたい。雑感は先日書いた通り。

PBPなんて一回走れば十分というのもわかるけど、自分は2019年に続いて今年も参加した。前回は割とギリギリまでどうしようか悩んでいたけど(最終的に参加しようと決めたのは4月ぐらいだったと思う)、今回は昨年から行く気満々であった。年初にエントリーをして、カタール航空のドーハ経由の航空券とAirbnbでランブイエの民泊を4月に予約した。

今回は84時間組。前回のPBPの後、岡山1200、飛梅1200、Perth-Augusta-Perth 1200を走ったけど、いずれも84時間かかってないのと、前回のPBPで何よりしんどかったのは夕方スタートによる初日オーバーナイト走行とその後の皺寄せみたいなところだったので、朝5時スタートの方が都合がいいと考えた。この中でコース的に一番似ているのはPAP1200で、一つ一つの登りの斜度はPBPよりきついけど、延々とアップダウンが続く同じようなコースプロフィールかつオーバーナイトコントロールで食事やシャワー、仮眠に十分な時間をかけた上で83時間だったので、PBPでもコントロールで余計な時間がかからなければ84時間で余裕があると想定。

本来8月は繁忙期でめちゃくちゃ仕事が立て込んでいるのだが、これは四年前と同じようにかなり前から根回し。社内もそうだし、クライアントにも事情を説明していろいろな打ち合わせの日程を調整してもらった。ただ、そういった打ち合わせはPBPの前後にうまく分散すればいいなと思っていたが、「そういうことなら出発前にやりましょう!」というものばかりで出発前に仕事が立て込んで7月後半からはローラーする時間もろくに取れないし、準備もぎりぎりという状況になったのは誤算だった。まぁ無事に出発できたのだから問題なかったとも言える。

あと、前回と違ったのはGWの本州縦断で車にはねられて以降、6月に新車が納車されるまでかなりモチベーションが低下していて、ローラーもたらたら乗っているだけみたいな状況だったことだろうか。そもそも外で乗る自転車がなくなったのだから仕方ないといえば仕方ないが。四年前は6月頭の600kmを走った後、外を走らずに精力的にインターバルとか強度高めのローラーをやっていた記憶がある。今年はそういうのもやらず、事故のときに打った肩の違和感も解消せず、太腿内側の内部のズキズキとする痛みも解消せずで、84時間でエントリーしたものの果たして……?と、時間内に間に合うかどうかはちょっとわからんなという気もしていた。722の100周年記念400kmを走ってこれなら十分という感触を得て(体調と新車ともに)、何とかなるかと楽観的に出発することになった。