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2022 Perth-Augusta-Perth 1200

長々と書いたのでまとめておく。

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: プロローグ – highriseの日記

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: パースへ – highriseの日記

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Bike Check & Pre-Ride Dinner – highriseの日記

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Day 1 Perth-Nannup – highriseの日記

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Day 2 Nannup-Augusta-Nannup – highriseの日記

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Day 3 Nannup-Collie – highriseの日記

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Day 4 Collie-Perth – highriseの日記

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Post Ride Breakfast & Lunch – highriseの日記

Perth-Augusta-Perth 2022: 帰国へ – highriseの日記

Perth-Augusta-Perth 2022: エピローグ – highriseの日記

途中で写真貼るの面倒くさくなったので枚数は少なめ(当社比)。Facebookにまとめてアップロードしてあるので、アカウント知ってる人はそちらもどうぞ。

Perth-Augusta-Perth 2022: エピローグ

ばたばたでの参加となったPAPであるが、終わってみれば特に大きなトラブルもなく、楽しい思い出となった。印象的なのはオージーの大雑把さ、良く言えばイージーゴーイングの精神である。結局ブルベというのはコンペティションではなく、単なる個人サイクリングの認定に過ぎないのだから公平性とか厳密性とかそういうのはあんまり気にしなくてもいいのだろう。これは自分も大いに同意するところである。見習いたい。

海外で走った1200+はこれで3本目。幸運にも今のところDNFにならずに済んでいるが、いずれもボランティアの人たちのコントロールでの食事や飲み物の提供にも随分と助けられた。また、そういう方々との交流が何よりも貴重だと思う。走力があるに越したことはないが、特にこういう小規模な開催だと英語の必要性を強く感じる(極論言ってしまえばPBPは語学力皆無でもなんとかなると思う)。三日も四日も走り続けるのだから誰かと会話をして気分転換をするというのも大事なことだ。

PAPはリピーターが多い1200kmだとも聞いた。これは主催のWayneの人柄によるところも大きそうだ。なんというか、ちゃらんぽらんな感じはあるが(ノンネイティブの自分が見てもスペルミスだらけやなというようなメールを平気で送ってくる)、実際に会って喋っているととても楽しい人だ。自分も機会があればまたPAPには参加したいと思う。そのときまでにたくましいオージー達についていけるように鍛えたい。

さて、次はどうしようかなと。来年はPBPがあるのでとりあえずは参加する方向で準備だけは進めておくか。

Perth-Augusta-Perth 2022: 帰国へ

チェックアウトは11時。それまでに散歩へ。

宿に戻り、10時45分頃にチェックアウト。お世話になりました。

10月8日に到着したときは空港からバスで来たけど、9日にパース駅からパース空港までの鉄道が開通したらしく、せっかくなので鉄道で空港へ向かう。18時にパース発の便なので少し時間は早いけど、お土産を買ったり飯を食ったりしていればいいだろう。

タイに帰るという人に撮ってもらった。

最後のオーストラリア的な飯。

荷物を預けてセキュリティーを通過した後はお土産を買ったり、日本入国用のmySOSアプリの登録をしたりして時間を潰していた。

帰りはパース18時発、シンガポールでのトランジットが2時間弱で9時前には成田に到着するという実にスムーズな接続となっている。シンガポールで19時間も滞在した往路とは大違いだ。飛行機の中で寝ていれば日曜日はフルに使える。理想的ではないか。

シンガポールでもアジア的な味が恋しくなっていたので、トランジットの合間に飯。

セキュリティのところで座っていると、日本に旅行に行くという女性に話しかけられたけど、どうもやはり日本の交通機関が複雑だという愚痴をこぼしておられた。

無事に成田到着。mySOSアプリは事前に登録しておいたので、検疫チェックをあっさりと通過した。

成田エクスプレス待ちの間に日本の味を懐かしむ。

そして12時半頃に帰宅。オーストラリアで散々牛を見て、牛丼食いてえなと思っていたので、吉野家へ駆け込んだ。

ちなみに、一応往路の成田で20000円分をAUDに両替していったが、現金を使ったのはパース空港からパース市内へのバスの支払い(約500円)の一度だけだった。シンガポールの空港内はすべてクレジットカードだし、オーストラリアでもどんなカントリーサイドでさえもクレジットカードのタッチ決済でOK。日本もこれぐらいキャッシュレスが整備されるといいんだが。

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Post Ride Breakfast & Lunch

事前にPost Ride Breakfastがあるとメールで案内されていたので、二つ返事で出席すると返しておいた。滞在しているホテルから徒歩で30分ぐらいのようなので、自転車ではなく徒歩で移動する。East PerthのToast Cafeというところ。

指定の9時半に着いたら数人が集まっていてすでに始まっているようだ。各自好きなものを適当に頼んで、適当な時間にやってきて、会の締めのようなものもなく各自勝手に好きな時間に帰っていくというスタイル。

Trans OzのオーガナイザーであるAndiと喋っていたが、「オーストラリア大陸は平坦が多いけど、タスマニアはアップダウンだらけで大変だぞ〜」という話だった。いつか行こう。

朝食の時間が終わったので、残っていたさらに数人で近くの店へ移動してPost Ride Lunchへ移行する。あそこがどうだった、あれがきつかったなどなど、ブルベの後の話の内容というのは万国共通である。

15時過ぎにこの会がお開きとなって散り散りに。明日の朝一の便で東海岸に帰るという方もいるし、すでに帰宅している人もいる。みんなと直接会うのはこれで最後だ。来年のパリで、四年後のパースで、もしくはまたどこかで、などと言って別れた。

ホテルに帰ってから時間もあるし一走りしておくかということでもう一度外へ出る。翌日の朝に最後のサイクリングをして帰る準備をしてもよかったけど、チェックアウト間際にバタバタするのもアレだなと思い、最後のサイクリングへ出かけた。

本当に美しい街です。

競馬脳なのでつい競馬場へ行ってしまう。Melbourne CupはThe race that stops the nationといって、国を止めるレースとして有名です。そんな注意書きがここパースにも。さすが国を止めるレース!

サイクリングから帰った後はセントラルロードのようなところへ。適当な店はないかなと思って歩き回る。さっと入れそうなところがペッパーランチだったが、さすがにパッペーランチはないだろうというのと、そろそろアジア的な味が恋しいと思っていたので、Chop Chop BBQという店へ。客はほとんどアジア系だろうか。

こういう味が恋しかった。

ホテルに戻った後は自転車のパッキングをして就寝。明日の朝は最後の散歩でもしよう。

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Day 4 Collie-Perth

いよいよ最終日。5時頃に起きて準備を始める。残り200km、リミットは23時。Collieからは一度下ってしまえば後はほぼ平坦。余程のことがない限りもう時間内の完走は大丈夫だろう。できれば日が暮れる前にゴールしてしまいたいところ。

ScottやSacha、Mudi、Andrewと一緒に朝食を食べる。この面々はいずれも速いのでダラダラしているが、先に出たところでどうせ追いついてくるだろう。ちなみにScottは前日Di2のバッテリー切れで難儀したらしい。

満場一致で「やっぱオダックスライドには機械式変速だよな〜」

連中を置いて先に出発。そして早速Andrewに抜かれる。このAndrewという方は他のオージー達と少し雰囲気が違ってスラっとしていて物静かな感じなのだが、めちゃくちゃパワフルで速い。あっという間に見えなくなった。Trans Oz 4000kmのオーガナイザーでもあるそうだ。

そして今度はMudiに抜かれ視界に入る範囲でがんばってついていく。Mudiはインドネシア出身のオーストラリア人で、ネイティブではないのでめっちゃ英語がわかりやすい。ただこの人もPBPは72時間とかでゴールしているらしい。Harveyの街に着いたときに警官と喋っていたので何事かと思ったら「シドニーで同じ仕事してるからちょっと立ち話してたんだ!」とのこと。警官なのか。

二回目のHarveyは1044km地点。Mudiと一緒にHarveyのベーカリーで朝飯にする。さすがに4日目ともなると要領を心得ているので、この街はコントロールだけどたぶんスタッフなんていうのはいないから、適当な店でレシートなりを取っておけばいいんだなとわかる(そもそもレシートも必要ないと思うが)。アッツアツのでかいパイ。大変うまかった。

トイレに行きたいのでMudiには先に行ってもらい、そしてまた一人で淡々と残り距離を減らしていく作業へ。もう残りは平坦なので時間は気にしない。遠目のところをカンガルーらしきものが横切ってテンションが上がった。ワラビーかもしれない。

Mandurahの街の手前で湖のほとりで一度軽量化休憩。車で回っているロードサイドカメラマンが声をかけてくれた(割腹のよいスタッフの方で至る所に出没して写真を撮っていたのだが、名前を覚えられなかったので、ヘイ!ロードサイドカメラマン!と呼んでいた。失礼。)。

思わず写真を撮ってしまった。ペニーワイズいそうじゃない?

1127kmのMandurahの町。Mandurahも一応コントロールなのでレシートなりを取っておこうと思い、ビーチサイドの商店街の適当な店でお昼ご飯。ラム肉のパイっぽいやつ。テラス席で食べていると先に行っているはずのMudiがやってきた。どうやらアキレス腱を痛めたらしく、残りはゆっくりいくと。

Mandurahの街中の信号。PAP、スタート直後からサイクリングロードだし、カントリーサイドに出れば信号なんていう文明は存在しないので、たぶん1000kmぶりぐらいの信号。そしてPAPで引っかかった信号はこれともう一つぐらい。たった二箇所のはず。これは快適である一方で海外ブルベの難しさの一つと言われる点で、自発的に止まらないと脚が休まらないというやつである。日本だと信号で強制的に脚が止まりますからね。

Mandurahを出るとついにサイクリングロードに入る。まだ60〜70kmほど残っているが、ここからフィニッシュまではサイクリングロードのみである。事故の可能性も下がるしぐっと完走の可能性が高まる。

後ろからScott一同、めちゃめちゃメリハリのある走りなので休憩は長いが走るペースは速く、あっという間に見えなくなった。そんなこんなで淡々と距離を減らしていくとScottが見えて来た。どうやら体調不良で集団から離脱してゆっくり行くと。なんじゃそりゃ。先に行ってくれとのことなのでまたフィニッシュで会おう!と声をかけて先へ。

いよいよPerthの街が見えて来た。

今回はトラッキングもされているし、そろそろ自分が到着するのも把握しているだろう、どのように迎えてくれるのだろうかと期待を膨らませてフィニッシュラインのBell Towerへ。時間は16時前。

と思ったら、誰もいない。本当にこれがBell Towerなんだっけ?隣のビルだろうか?そもそもRWGPSのルートはどうなってる?たしかにここがフィニッシュとなっているぞとかうろうろしているとScottもやってきた。Mudiもやってきた。ScottがWayneに電話をかけると近くのバーにいるという。先に到着した面々と一緒にスタッフ一同も移動してすでに飲んでいるではないか。三人でThe Lucky Shagというバーへ移動してようやくここで祝福を受ける。

Peteにブルベカードのチェックをしてもらい(Peteがスタンプ一個押し忘れてるけど)、メダルを受け取る。そしてそのままブルベカードもほいと渡された。ん?認定シールとか貼ってから返却するもんじゃないの?と思っていたが、そうでもない様子。このまま持ってけと。おおそういうのもあるのか。これがオージー流か。というか、日本もこれでいいのでは。

そのままThe Lucky Shagでビールとフィッシュ&チップスでMudiやScottと完走を祝う。ゴール即ビールは良い文化。直にSachaも到着した(既出だが、Sachaは翌日の金曜を一日空けた後、土曜日曜で860kmのレースを走って無事に完走していた。化け物だ。)。

後の面々は結構時間がぎりぎりになりそうということで、自分は日が暮れる頃に退出。ホテルは徒歩圏内だったので歩いて帰った。前泊と同じホテル。さっとシャワーを浴びて就寝しようと思ったが、残念なことにエアコンをつけるたびにブレーカーが落ちる部屋だったので、事情を説明して部屋を変えてもらった。帰ってきてシャワーを浴びたりで部屋を散らかしていたので、部屋の移動にえらい時間がかかったが、移動を終えて横になっているとそのまま寝落ちしていたようだ。19時ぐらいだろうか。

PAP自体は23時クローズ。15分前の到着など、ギリギリ隊もドラマがあったようだ。ギリギリ隊はオーバーナイトコントロールで20分寝ただけで走行続行とか、いろいろと大変だったらしい。Margaret Riverでは参加者がベンチで寝ているところにWayneがふざけてダンボールをかぶせ、Audax Hotelと書くInstagramでしか見たことのないような光景もあったらしい(ほんとうにわるいオーガナイザーだと思う)。

なにはともあれ、特にトラブルもなく、無事に完走したということで安心して寝た。

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Day 3 Nannup-Collie

起きて準備をする。Nannupは今日まで。この日の夜はCollieという町のナイトコントロールになるので、荷物をきちんとまとめておく。

5時半頃に準備をして出発しようとしたところに、Wayneがバンに乗って到着した。どうやらDNFした方を回収してきたようだ。そしてちょうど雨も降り出した。1日目、2日目に続いて3日目も雨である。

ワタシ「前夜祭で四日とも天気はいいって言ってたじゃないか」

Wayne「うぇっへっへー」

こういう実に微妙な笑いで誤魔化すの、ブルベ界では世界共通なのかもしれない。

この日も2日目に続いて結構タフなコースと予想される。Nannupから一つ大きな丘を超え、BridgetownやBoyup Brookを通過した後はKojonupまで延々とアップダウンが続くNothing Exists区間を行かねばならない。距離は300kmそこそこなので1日目、2日目より短いが、大変さはあまり変わらないだろう。

Bridgetownに到着するまでに後続勢にばんばん抜かれる。オーストラリア勢、結構お腹が出ていたりするのだけど、とにかくガタイがよくてパワフル。今回の参加者は19人でちょうど自分が真ん中ぐらいで、毎日日付が変わる頃に到着して5〜6時頃に出発するというスケジュール感で走っているライダーでは最後尾という感じだったけど、その中では自分は圧倒的に脚力で負ける感じ。同じ時間に出てもオーバーナイトコントロールに到着するのは自分が1時間ぐらい遅い。PBPも70時間台で完走している人ばかりのようで、いやーただただ強いなと思うしかない。もうちょっと鍛えなあかん。

Nannupを出て最初の町Bridgetown。さすがに補給を入れておかないとやばいだろうと思い、メインストリートのようなところを通過したのでこれ幸いとIGAへ入る。

そしてBoyup Brookへ。766km地点。いよいよやばいというのでビジターセンターのトイレに駆け込む。PAPではキューシートがない代わりに、ブルベカードにやや詳細な情報が載っており、通過する町にスーパーがあるかどうか、公衆トイレがあるかどうか、ぐらいの情報がある。情報としては微々たるものだが、これだけが頼りだし、これ以上の情報は望むべくもない。

トイレ休憩の後、通りに面したベンチに座って一休みしていると、昨日のシークレットコントロールにいたPhilとCarolが車で通りかかった。

「ヘイ!マサル!もう終わりか!タクシー呼ぶか!」

なんだとこのやろう。ということで、Kojonupに向かって走り出す。

前回までの行き先Albany。今回はコースが大きく変わっているのです。

直線のアップダウンしかない。途中で止まって補給食を食べたりする。ただ、Boyup Brookでフィルに声をかけられたときに「Kojonupまでにシークレットコントロールがあるぞ!」とも言っていたので、Kojonupまでがんばる必要はなさそうだ。たぶん道路脇の駐車場みたいなところに車を停めてシークレットをやっているのだろう。とはいえ、何もないのだが。

Pマークを見つけたときは本当にうれしかった。人と会話ができる!

だいぶやられ顔になっているけど、ハムチーズサンドに加え、スープを飲んで復活。このチキン味のスープがえらいうまかった。そしてKojonupへ。

850km地点のKojonup。Kojonupまで来ると今度は進行方向を北へ変える。この変化だけでも気分転換になる。ナイトコントロールのCollieへ向かうという実感が湧くからだ。とりあえず、Kojonupでまたトイレへ行き、Darkanへ向かって走り出す。久々に掴んだ電波でSpotwallaを確認するも、前後は1時間以上離れているようで、まぁ今日はもう誰とも会わんなという状況であった。

日が暮れる。これこれ。こういう景色がいいんだよ。こういうオダックスライドがしたい。こういうのでいいんだよ。などと一人でぶつぶつ。

で、急に現れたのが羊の群れ。なんだよこれ。ちょっと圧倒されてしまった。迂回路はないんだぞ。どうしろというのだ。しかし私はPAPで学びました。ここまで散々、牛、馬、羊をコース沿いで見てきたのです。牛は人が来るとじっとこっちを見て目で追いかける、馬は人を無視して草を食べ続ける、羊は写真を撮ろうと柵に寄っていくと一目散に逃げていく、という傾向があることを実体験として学んでいたので、これは真ん中に突撃すればモーセのように群れが割れるだろうと。ということで、ライトを全開にして羊の群れに突っ込みます。メー!メー!と好戦的なやつもいたけど、そんなのはごく一部なので逃げ惑う羊の群れの真ん中を無事突破。

その先にシークレットコントロールで今度はPhilとCarolがいた。親離れさせられた羊の子の群れが親の群れのいる放牧地の前に集合しているのだと(親子が逆だったかもしれない)。また、ここまで読んでいると地名に「〜up」というものが多いなということに気づくと思うけど、Phil曰くアボリジニの言葉で「水のあるところ」という意味らしい。なるほど。のんびりと二人と喋っていると随分時間を使ってしまったので、すっかり日も暮れた。次のDarkanへ真っ暗な中を淡々と。

Darkanは932km地点。ここにはWayneとAdrianoがいた。元々指定されていた街のホテルは当然のように閉まっているので、さてどうしたものかと思っていたら、「こっちこっちー!」と呼ぶ声がする。

いろいろと補給できて助かった。自分の到着時は寒さがそれほどでもなかったので屋外で休憩していたけど、元々冷える地域らしく、後続組は、バスの中で休憩、そしてヒーターをつけ、最後には近くにあった完全に屋根と壁で防御されている公衆トイレの中で補給をしたそうだ。そこは数時間前にわしがPeeをしたとこやで。

DarkanからCollieへ向けては多少アップダウンがあるけど、そんなにひどいものではないよという(オージーの言葉がアテにならないことは学んでいるが)。残り64km、日付が変わるまでに到着するといいなーと出発。たしかにそんなにアップダウンはひどくない。ただ路面があんまりよくない。日本の雪国のようだ。Collieは鉱業の町らしく、大きいトラックがばんばん通っている。そういう影響かもしれない。あと、単調過ぎて眠くなってだいぶペースダウンした。

それにしてもこの区間を走っている時の満天の星空はすばらしかった。3日目にして夜にすかっと晴れているのは初。こんなにも星空がきれいだとは。思わず前照灯を消して星空を見上げていた。この景色は到底写真には収められないが、生涯忘れることはないだろうという美しさだった。Sachaがあれはstunningだったと言っていたけど、そう、beautifulどころではなかった。

そんなこんなで996km地点のCollieへは0019に到着。310kmぐらいに19時間近くかかっているので3日目が一番大変だったかも。ここは地元のサッカークラブのクラブハウスのようなところがコントロールになっている。

シャワーを浴び、飯を食う。4日目は200kmしかないし、5〜6時ぐらいに出れば日が暮れる前にフィニッシュに到着するだろうということで、ライトの充電はなし。Garmin Edgeも拡張バッテリーと合わせれば余裕で200kmは持ちそうなので、そういった電源の補充は一切やらず、自分の身なりだけを整えてさっさと寝た。

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Day 2 Nannup-Augusta-Nannup

2日目。Nannupを出発し、タイトルにもなっているAugustaへ向かい、そしてNannupへ戻ってくる。ナイトコントロールの場所が二日続けて同じというのはありがたい。荷物の片付けも適当に済ましておくので十分。

朝飯を食って、SachaやMudiに続いて5時頃に出発。いよいよ何もない区間の本領発揮ということで、2日目は街が出てくる度にちゃんと食うか買うかしておかないと本当に何もない。そういうこともあって、クッキーやマフィンなどをジップロックに詰めたものやバナナをバックパックに入れて走り出す。こいつらは緊急時の命綱である。また、サドルバッグは小さめ。アップダウンの連続かつ三日ともナイトコントロールに荷物を輸送してもらえるということを聞いてでかいサドルバッグを使わなかった。リアの三角形のところにぐるぐる巻きにしているのが予備のタイヤである。

Nannupはちょっと小高い丘に四方を囲まれているので、どちらへ行くにもまずはアップダウンを越えなければならない。

雨が降ったり止んだりしつつ、アップダウンをこなして最初の町Manjimupへ。カフェで温かいコーヒーを。結構寒くて朝方は一桁台、日中は上がっても20度台前半ぐらい、そして乾燥しているので空気がひんやりしている。

で、また雨が降り出す。うんざりしながら走っていると2kmほどミスコース。ハイウェイから脇道に入るところをスルーしてしまった。雨の中ミスコースして戻るのは辛い。

そして脇道に入るとこういうのが続いてしまう。

アップダウンを繰り返して辿り着いたのは次の町Pemberton。448km地点。ここにはコントロールがあるはずだが、Audax Australiaのフラッグも見当たらないし、町は一瞬で通過してしまうし、とりあえず最後の目立つカフェの前で写真だけ撮っておいた。どうやらこのカフェの中に一時的にスタッフがいた時間帯があるらしい。なんじゃそりゃ。

さて、ここからAugustaに向けて西へ進む。アップダウンは幾分マイルドになるものの、今度はドストレートの道になり、それはそれで厳しい。雨が降ったり止んだりでいよいよチェーンからキュルキュル音がするようになったので、道端でオイルを挿す。

こういったところが延々と続く。単調……。しかしこの景色には電線という文明がある。

Stewart Rest Areaというところにシークレットコントロールがあった。いろいろと補給できるのでありがたい。オレンジジュースとハムチーズサンド。ここにいるPhilというおっさんはかなり軽いジョークを連発してくるので注意が必要である。オージー流のオヤジギャグだろうか。Carolは三浦半島の三崎に住んでいたことがあるらしい。

ついにShire of Augustaへ。ちなみにRICOH GR2をいつものように持っていっていたけど、この後、レンズが開かなくなり今回の旅での役目を終えました。ブルベではいつもデジカメを持っていたけど、雨や埃に弱いので取り扱いには気を使うし、まぁもうスマホ二台体制に移行した方がいいんだろうなとは思う。GRクラスのデジカメももう気軽にブルベに持っていけるような値段ではなくなってきているし。走っていても景色は同じなので、今後どういう機材体制にするかを考えながら走ってた。考える時間だけはめちゃくちゃあるので結論は出た。というわけで、ここからはiPhoneのみです。

570km、Augusta。久々に電波をキャッチ。Augustaのコントロールは行って来いになっているのでスライドが発生するのだが、自分が次のコントロールへ向かう際には誰ともスライドしなかった。後続とは結構離れているようだ。一方で前も随分離れてしまっているのも確認済み。今日はもう誰とも会わないだろうなという状況。

日が暮れていく。ブルベの醍醐味である。

Margaret River、613km。やっぱり夜になるととても寒い。コントロールでスタッフが待機してくれていた。ケバブショップの前がコントロールでどうやらWayneが参加者分のケバブ代を持ってくれるらしく、店で注文するだけで支払いが発生しなかった。ありがとう!

350ml缶と比較するとわかるが、ステーキのケバブがとにかくでかい。これだけで大盛りの定食分ぐらい。

ワタシ「あのケバブはbigでしたな」

Wayne「あれはhugeというんだ」

とのこと。そんなもんを用意するな!

満腹になりました。こちらはロードサイドカメラマンの方。

Margaret Riverの後はNannupへ戻る単調な道を75km。アップダウンもあるし、夜なのに雨は断続的に降るし、気温は3〜4度ぐらいまで下がっちゃうしでなかなか大変であった。日本でこんな気温で雨が降れば「さむいしぬ」という状況になると思うけど、不思議とそういう感じはなかった。雨が止めば乾くというのが影響しているのだろうか。いつものウールジャージにウインドブレーカーを一枚着ただけで、グローブも特に防水のものではないやや厚めのものだけで乗り切った。まぁ寒いといえば寒いし、テンションが上がってただけかもしれない。

そして688km地点のNannup(二回目)に到着。2350なので昨日と大体同じ。同じ場所で勝手はわかっているので昨日と同じようにシャワーを浴びて食事へ。

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Day 1 Perth-Nannup

3時半頃に起きて買っておいた朝食を放り込み、4時半にスタート地点に着くようにホテルを出る。24時間フロントの対応があるホテルでありがたかった。「また木曜日に戻ってくる」と一言言ってチェックアウト。

スタート地点に到着すると、PeteがこのSPOTを使えと言って自分のサドルバッグに機器を括り付けてくれた。

SpotはCascade 1200のときもオフィシャルで貸し出されたが、要は衛星通信による位置追跡サービスである。自分もSpotwallaのアカウントは持っていて、スマホでも位置情報を飛ばせるアプリがあるので、それで十分だろうと思って専用端末の貸し出しはお願いしていなかった。しかし、これは借りて正解であった。後に気づくことになるが、オーストラリアのカントリーサイドに出てしまうと、携帯電話の圏外になることも多く(今回買っていった自分のSIMカードのせいかもしれないが)、スマホアプリではまったく役に立たない。専用端末で衛星経由でデータを飛ばさないと意味がない。他のライダーも貸し出された機材を使っていたり、自分の端末を持っていたり。アメリカやオーストラリアで長距離ブルベの際にこういう機材が使われるのは、電波の入らないエリアへ行くこともあるからだろう。そしてそういうところでは本当に何もないので、DNFをしたところで自分ではどうしようもない状況になる。日本でブルベを走っていると自己責任での撤退が基本だが、案外海外ではそうでもなく、もちろん自分でサポートしてというのは最低限のこととして求められるが回収車は出ていたりする。まぁ回収車以外に手段がないので本当に死にますからね……

ちなみにPeteは日本でもLRMブルベを走ったことがあるのでお馴染みの方でもあると思う。おじいちゃんという感じで喋り方は優しく、歩き方もよろよろしているように見えてこちらが不安になるぐらいなのだが、このPAPも事前認定でいつものリカンベントに乗り、83時間ぐらいでフィニッシュしている。このアップダウンが連続するコースをリカンベントでというのは大変そうだ。ちなみに今回が30本目の1200+の完走だったそうだ。PAPではボランティアとしてあちこちに現れた。

出走のサインボードにサインをしてスタートを待つ。今回は20人程度しか参加者がいない。国外組はアメリカのHamidさん、ドイツのWolfgangさん、いわゆるLRMイベントの常連。そして日本からワタシの三人。日本の国旗は描きやすいのか名前の横に日の丸が描かれていた。

カウントダウンで5時ちょうどにライダーたちがスタート。スタートしてすぐにサイクリングロードに入ってしまい、そのまま30kmぐらい行くので、前方はかなりのペースで行っているようだ。しばらくするとペースごとに集団が分かれてきたので、あまり速いペースに着いていってももたないだろうと思い、離脱して自分のペースへ。あっさりと2〜3人のグループにまで散り散りになった。

そして早速の雨である。空を見てもしばらくは降り続きそうと思い、ハイウェイの高架下で一旦止まってレインウェアを着込む。

サイクリングロードを出ると一気に景色は変わってカントリーサイドへ。パースに戻ってくるまではずっとこれである。最初の内は牛や馬が放牧されているのにテンションが上がって写真を撮りまくっていたが、すぐにこれは変わりのない景色の一部だと認識した。一時間もすれば牛や馬などに新規性はなくなり、極々日常の景色の一部として受け入れ、写真を撮ることは減った。

まずは56km地点のMundijongという町のコントロールへ。水の補給とそばにIGAというスーパーマーケットがあるので、何か必要ならそこでという感じ。IGAに限らず他のカフェでもそうだが、オーストラリアの食べ物はいちいちでかい。IGAでもファミリーサイズな上にパンやサンドウィッチがどう考えても自分には大きすぎるので、店の中で一番小さなものを探すというのが今後の方針となった。自分はどちらかというと燃費のいいランドヌールで、普段ブルベでも走ってる最中にこまめに補給を取ることはないし、コントロールのコンビニでパンやおにぎりを一つ二つ食べれば次の50kmぐらいは十分というタイプである。

また、この後シークレットコントロールというのがいくつか出てくるが、シークレットというのも名ばかりで、「ヘイ!マサル!よく聞け!この先にシークレットコントロールがあるけど、この情報はトップシークレットだから内緒だぞ!」とか平気で言ってくる。こういう大雑把なオージー流、とてもよい。

内陸のコントロールをいくつかこなしていく。Pinjarraという町ではオーストラリアで初めてPBPに出た方がいるのだという。このおじいさんだろうか。近くのベーカリーで食事をしていると、横殴りの雨が。Woo! Hoo!と言いながら出ていく参加者達。テンション高いな。Wayneが言ってたいい天気はどこへ行ったんだ。しかし救いがあるとすれば、何時間も降り続く雨というわけではなく、15分程度降っては止み、降っては止みという雨であることだ。乾燥した気候なので雨が止めばすぐに乾く。そして気温もあまり高くなく、長袖ウールジャージでちょうどいいぐらい。とはいえ、乾燥しているので日陰は寒い。

途中で出会ったチャリティーサイクリングの集団。

146km、Yarloopのシークレットコントロール。次のHarveyの街のコントロールまで10数キロなのにこういうところでシークレットをやっていたりする。こういうところも大雑把よね。そして本当に親切で「他にもいるものはあるか?」といつも聞いてくれる。コーラとハムチーズサンドに生かされる。

Harveyではメインストリートの最初のカフェにSachaの自転車が止まっていてそこに入ってみるとPeteがいた。フラッグが出てるわけでもなし、普通は気がつかないよな。こういう場合はその街の適当な店で何か買い物をしておけば証跡になるようだけど、特に証跡がなくても自己申告でOKらしい。それはこの日の夜、身を以て体験することになる。とにかく大雑把なのだというのを理解しつつある。なんせそもそもキューシートないし、車検のときにブルベカード渡されてやっとそうかコントロールはこれだけあるのか、というのを理解したぐらいなのだ。日本人気質で細かいことを気にしていてはいけない(とはいっても自分は日本人の中ではかなり緩い感覚の方だと思うけど)。

Harveyを出るとBunburyという街へ向かって南西方面に進むことになる。しかしこの日は生憎南西の風。もろに向かい風を受けることになり、他の参加者も「とにかくheadwindがやべえ」という話をしていた。全然進まない。Bunburyへの道中はとにかく我慢の連続で、南西の風なので、ナビが東へ行けと示すとhappy、西へ行けと示すとbooooooという感じ。やることがないので牛にも積極的に声をかけていく!「こんにちは!」

あとそういえばMagpie Swoopingというのも体験した。オーストラリアでは日常のことらしく、繁殖期のカササギが巣を守るためにアタックしてくるのだ。Davidさんに前夜祭で気を付けろと言われたのだが、まさか本当に遭遇するとは思わなかった。ヘルメットにカツーンカツーンと何かが当たる音がするので何事かと思えばカササギが何度もヘルメット目掛けて急降下してアタックしてきた。ヘルメットだからよかったけど、首筋とかに突っ込んでこられたら怪我すると思う。

子どもを何度も襲う一匹の鳥。オーストラリアで春先に起きるマグパイ・アタックがこれだ【動画】 | ハフポスト WORLD

まさにこんな感じ。事前に聞いていたから冷静だったけど、知らんかったら恐怖よな。

NZ出身でPerth在住だというSacha。がっちりしているようには見えないけどめっちゃパワフル。向かい風の中、自分は彼女についていけなかった。PAP1200を木曜日にゴールして土曜日から800km超えのイベントに出て日曜日にゴールしちゃったらしい。ヤバいやつだ。

海です。

ようやくBunburyへ到着。217km地点。ここはオーガナイザーのWayneがカフェで待機。何か食べようと思ったらWayneが払ってくれた。めちゃくちゃ親切。Bunburyまで来ると1日目のナイトコントロールであるNannupが視界に入ってくるが、Nannupまでは補給するような場所も何もないので補給面がやや心配である。まだ140kmぐらいあるしな〜と思っていると、Wayneから「本日のNannupまでの道のりでLowdenにシークレットコントロール、あとKirupでも補給を用意してるから」という説明を受けたので(やはりシークレットの意味がないぞ)、補給面での不安が解消。安心して進める。

ちなみに隣でSteveとMarkがなんだそのデカさはというような巨大なステーキハンバーガーを食ってた。何だそのデカさは。

Bunburyを離れるとようやく海から陸へと東へ向かう時間が増えてくるので、追い風の恩恵を受けることになる。しかしここからはアップダウン区間。PAPは1200kmで10000m程度しか登らないので一見楽チンそうに見えるけど、最高標高はせいぜい300m。しかもアップダウンのほとんどは1日目の夕方から2日目、3日目に集中しているので、この真ん中に当たる区間はただひたすらにアップダウンを繰り返すという仕様になっていて、結構タフなコースである。

SteveとMarkがやって来て、パスしていったので、視界に入るようになるべくがんばってついていく。日も暮れつつあってそもそも一人だと怖いし。

Gnomesvilleでいくつか写真撮るといいよーとブルベカードに書いてあったが、おそらくこれだろう。なんだこれ。

270km地点のLowden。周りには何もない。こんなところでシークレットコントロールを設置するのも大変なことだ。もう日も暮れているし。この先も何もないから何か持っていく?と聞かれたのでハムチーズサンドを焼いて包んでもらう。基本的にハムチーズサンドである。あと、「Audax Fuelくれ」って言ったらコーラを出してくれた。わかってるじゃないか。

Lowdenから先のKirupにはWayneが待機しているというのも聞いていたので、またまた真っ暗なアップダウンを我慢してこなしてKirupへ。SteveとMarkが出発するところだったので、コーヒーでお菓子を流し込み、自分もそれについていく。やはり一人だと心細いし。

あとはBalingupという街のコントロールをクリアしてNannupへ向かうだけだ。三人で順調に走り、ようやくBalingupの街へ。さてどこにコントロールがあるのかなと見渡しながら進むも何もないままついに街を通過してしまった。この先にはもう何もないだろう。え?このまま行っちゃっていいの?と思ったので、自分は一旦停止して地図などを確認するも、二人はノリノリのテンションで行ってしまった。こういうときはやはり日本人気質が出てしまって、そうは言ってもこの街の証跡がいるやろと、街へ引き返して適当な建物の前で写真を撮ったのだが(もちろんレシートをもらえるような店は一切開いてない)、Nannupに着いてから事情を話すと、「気にするなよ。何時頃に通過したんだ?時間書いてマサルのサイン書いといてくれよ」とのことだった。なるほどそういうのでいいのか。なるほど。なるほど。

ちなみにBalingupからNannupへ向かう道中はまた雨が降っていた。気温も一桁台なのでなかなかに厳しい状況である。Wayneのあれは一体何だったんだ。

353kmのNannupには2340に到着。向かい風や雨があったけど、そこそこいいペースで来れた。Nannupはコミュニティセンターのようなところがオーバーナイトコントロールになっており、シャワーも使えるし、食事も提供される。まずはシャワーを浴び、さっぱりしてから食事へ。「マサル!これも食え!他に何がいる!?」と熱心に聞いてくるので腹一杯になり、最後はスウィーツを流し込んで終了。体育館のようなところにエアマットが並べられていてそこで寝る。事前のメールで各自スリーピングバッグを持ってくるようにという案内があり、自分もAmazonでポチった安いのを持っていったのだが、なるほどたしかに寒い。Nannupの夜は一桁台まで気温が下がるので、寝袋なしではあんながらんとしたところで寝ることはできない。

自分の買っていったSIMではNannupでは電波を掴まなかったので、翌日のコースをRWGPSで確認することもできず、スマホが使い物にならないのでさっさと寝た。

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: Bike Check & Pre-Ride Dinner

10月9日、車検とPre-Ride Dinnerの一日である。

早めに目が覚めたのでホテルの周りをうろうろしてみるが、日曜日の早朝ということもありガラガラ。

ホテルに戻って準備をする。車検の際にドロップバッグも預けてしまうので、翌日のスタート時の装備になるものだけを残してバックパックに詰め込んでしまう。OS-500はどうしようかなと思っていたけれど、PAP後の滞在のホテルを同じホテルにしていたということもあり、フロントで交渉してみるとスペースに余裕があるので帰ってくるまで預かってくれるとのこと。ありがたい。ホテルがダメならRadicalStorage*1で近くのスポットに預けておくかというつもりであったが、そのまま置いておけるならそれが一番いい。

でかいバックパックを背負って前日受付会場かつスタート地点となるSouth Perthへ。ここへ向かう途中で会ったのがDavidさんとMudiさん。いずれもでかいバックパックとそれっぽい自転車の装備なのですぐにわかった。Davidさんに導かれて会場へ。

前日受付、車検といっても特にしっかりしたものがあるわけではない。みんなBBQとトークに夢中でオーガナイザーのWayneもせっせとBBQでソーセージを焼いている。ブルベカードを受け取って、車検の欄に自分でサインをし(特に装備を確認することもない)、ジャージを受け取り、バッグを預ける。ブリーフィングのようなこともなければ、全員が指定された10時に来ているわけでもない。なんとなく集まってなんとなく喋ってなんとなくBBQをしているだけの面々。オーストラリア流という感じがする。その後はなんとなくみんな解散していく。

キューシートというのも事前に公開されていたわけではないし、そもそもキューシートというものが存在しないようなので、ブルベカードのコントロールの町の名前を見て、「なるほどこの地点にコントロールがあるのだな」と初めて知ることになる。日本だとブルベは予習が大事!コースも自分でキューシートから起こす!みたいな流儀もあろうが、ここではGPSを辿って走ってくれればいいからという感じ。RWGPSでデータを渡されて終わりである。これは以前参加したCascade 1200も同じであった。気楽でよい。

受付の後、当日夜にPre-Ride Dinnerがあるというので、それまでは自転車で走ってみようということになり、一路Fremantleへ向かった。Perthの外港となる港町で、ブルベ的にはTrans Ozのスタート地点という方が通りがいいかもしれない。まだあまりオーストラリアでの公道走行の要領を把握しているわけではないので、信号の変わり方なんかを注視する。といってもPAPでは1200km走って信号は片手で足りるぐらいしか出てこないのだけど。

Fremantleというのは監獄でも有名なようだ。ジョジョストーンオーシャンの舞台みたいなものだろうか(たぶん違う)。

Perth近郊のすごいところはサイクリングロードが完備されているところである。完全に自動車道から分離されたところに交互通行できるレーンがあって、こういうのがあちこちに繋がっている。郊外からの自転車通勤などにも使われているらしい。実際、PAPもスタートから郊外に出る(郊外からフィニッシュへ帰ってくる)ところはサイクリングロードであったし、自転車に乗る環境はすばらしいと思う。サイクリストも多かった。

Perthへ帰ってきて自転車ショップへ向かう。FacebookのPAPのグループにオーガナイザーのWayneが事前認定で走った時の様子が投稿されていたが、サドルバッグに死んだタイヤ二本とフロアポンプが縛り付けられていた。これは相当路面が悪いのでは?今回日本から予備のタイヤは持参していなかったが、不安になったのでタイヤを購入しておくことにした。折りたたまれてるタイヤならフレームにグルグル巻きにしておけば持ち運べるだろう。

その後はcoffeeneuringということで一杯のコーヒーを飲んでホテルへ。一段落して出走の準備を整えてからSouth Perthの前夜祭の会場へ向かう。

これもまた特に明確な仕切りがあって会が始まるわけではなく、わらわらと思い思いの時間にやってきて、ワーワーと喋って飲んで、思い思いの時間に勝手に帰っていく。こういう大雑把でイージーゴーイングなところがオーストラリア流なのだろうと心得た。隣に座っていたDavidさんやMudiさんにいろいろとオーストラリアのブルベの事情を聞いたり、前にいた参加者の奥さんと日本のことについて話していた。今回完走してきたことも一つの成果ではあるが、こういう場に参加して「キミは普通に英語でコミュニケーションできるな。何も問題ないな」と言ってもらえた方がうれしかったかもしれない(お世辞かもしれない)。

なんとなく解散して宿へ戻り、明日の朝飯をコンビニで買ってきて就寝。前夜祭でWayneが「喜べ!明日からの四日間の天気はいいみたいだ!」と言っていたが、そういったものは大体裏切られるのがブルベの世界である。それはオーストラリアも例外ではなかった。

最後にコースを確認しよう。

1200kmで獲得標高は10000m。トンネルなどというものは一つもないので、ほぼそのままこの数字になる。一番高いところでも300m程度なのでPBPとよく似たコースとも言える。200km過ぎからアップダウンが始まり、1050km地点までそれが続く。この850kmはごく稀に町を通過する以外は何もない地域で延々と登りと下りを繰り返す区間で、とにかく平坦で快調に走れる区間が全然ない。PBPと違って私設エイドや町があるわけでもないのでPBPより補給には気を使うが、コントロールとシークレットコントロールで食事が提供されることがあるのでそれが頼みである。また、PAPに何度も参加している方が「今回のコースはとにかくhillyで大変だぞ」と言っていたが、実際にはそれに雨と向かい風が加わってしまった。という条件の悪さもあり、自分の見込みが甘めだったということもあるけど、毎日想定より一時間程度余分に時間がかかることになった。

*1:PBPで使ったときはBagbnbという名前だったがサービス名が変わっている。

2022 Perth-Augusta-Perth 1200: パースへ

いよいよ移動開始である。

10月6日、仕事が終わった後、ダッシュで荷物を抱えて成田エクスプレスに飛び乗った。飛行機は10月7日の成田10時発シンガポール行きであるが、成田10時発となると自宅からでは始発に乗らないとギリギリになりそう。危ない橋を渡りたくないので、成田空港のナインアワーズというカプセルホテルで前泊することにした。ちょうどAJ理事会のミーティングがあったが、私語控えてねというカプセルホテルなのでミーティングにはチャットで参加した。

10月7日、前日にターミナル1で預けておいた自転車を受け取り、さっさとScootのカウンターでチェックインを済ませる。時間が早いというのもあってガラガラで一瞬で終わった。成田の大型手荷物検査場へ自転車を持っていき、特に何事もなく預け入れが完了。両替などを済ませてセキュリティーを通過したものの、目ぼしい店が開いておらず、結局セブンイレブンの弁当を食べた。

シンガポールには夕方16時30分に到着。このままさくっとパースへ行きたいところだが、なんとシンガポールからパースへ向かうのは翌日の12時の便である。19時間ほどシンガポールで滞在しないといけない。入国してうろうろするかということも考えたけど、残念ながら雨が降っているし制限が緩和されてきたとはいえ、一度入国してしまったら再出国の際に面倒なことになるかもしれないなとかいろいろ考えた結果、空港内でじっとしていることにした。

ターミナルを行ったり来たり。フードコートで夕食にする。チャンギはさすがに広く、仮眠用の席もたくさんある。しかしやはりこれで一晩は辛いなと思い、トランジットホテルというのをチェックしてみるも空きはないようだ。一応身体を伸ばして休める席を見つけたのでそこで一晩がんばることにした。

目覚めてまたまたフードコートで朝食。それでもまだ12時までは時間がある。

別のターミナルのスタバでコーヒーとスナックを調達して時間を潰す。

やっとパース行きの便の搭乗が始まる。AirTagを輪行バッグに入れているので、ちゃんと飛行機に積まれたことも確認できる。パースに着いて自転車がないのでは何のために遠征したのかわからない。無事に自分と同じ飛行機に自転車も乗っていることがわかって一安心。

パースに到着したのが17時。シンガポールとパースは時差なし。これはありがたい。オーストラリアの入管は非常に効率的ですべて機械化されている。パスポートを読ませて、顔を認証させて終わり。あっという間に終わった。荷物も問題なく出てきたので、早速パース市内へ移動する。

バスかタクシーか。鉄道もあるのだけど、残念ながら翌日9日から稼働開始と主催者から案内があった。タクシーはさすがに高いので、バスの時刻を調べる。しばらくするとパース市内行きが来そうだし、あまり人が待っている様子もないので、自転車のバッグを持ち込んでも問題ないだろうと判断してバス乗り場へ。現金で5AUD。乗った後はGoogle Mapsで自分の位置を確認し、ホテルに一番近いバス停の前で降車ボタンを押す。

パース中心街のCriterion Hotel Perthというホテルへ。19時に到着。改装中だろうか。寝るだけなのであまりこだわらないが、薄暗くてやや不安になる。

早速自転車を組み立てて夜のパースへ。特に問題なさそうで安心した。

宿に戻り、近所を歩き周るが、当然ながら店はほとんど閉まっているのでセブンイレブンで食べるものを買ってもう一度宿へ。セブンイレブンに並んでいるものを見て、オーストラリアの物価の高さを実感する。体感的に日本の約2倍といったところか。サンドウィッチからパンからペットボトルまででかいので、実質的にはそんなに高いわけではないかもしれないが。