• 20230919

    SR600京都はインナーローで身体をよじってなんとか登れるってレベルの坂も結構あったので、PBPでも無縁だった筋肉痛が酷い。脚がバキバキ。

  • 20230918

    三連休はSR600京都を走ってきた。連日クソ暑くて汗ダルマになっていた。SR600はなるべく日が長い季節に走りたいけど、こんだけ暑いと厳しい。あと、京都は登ったところで800mぐらい。登ることによる気温低下の恩恵もほとんどなし。二年前の8月に走った富士の方が標高の恩恵があってマシやったな。

  • 20230914

    昨晩はA近畿のすがのさんが出張で東京に来られているのでお誘いいただいてビールをガブガブ飲んでいた。帰宅してそのまま寝てたようだ。今日は某理事会が早めに終わったので良い日だった。

    Zwift用の自転車の前輪の空気抜けを直したので久々にZwiftをした。

  • GWの事故の件

    先週、免責証書を送り返し、昨日傷害・物損の賠償金が振り込まれた。PBPの前に終わらせたかったけど、相手方の保険会社のレスポンスが悪く四ヶ月もかかった(前職で相手方の保険会社に勤めていた会社の後輩曰く「四ヶ月はかかりすぎ」だそうだ)。ただ、これでようやく終わり。いろいろ勉強になった。そのうちまとめておこう。

  • 20230912

    先月説明した内容をもう一度説明せよと打ち合わせをリクエストされたので、それ先月懇切丁寧に説明したやんと日本側から返信したものの、インドネシア側からもう一度頼むと押し切られ、時間をかけて同じ説明をするという空虚な打ち合わせがあった。インドネシアとの打ち合わせはまだ英語が聞き取りやすいということが救いで、これがインドとの打ち合わせになるとめちゃくちゃ集中して前後の文脈から類推するのも駆使しないと聞き取れないことも多い。インドとは来週予定されている。つらい。

  • 20230911

    メールの打ち返しばかりしていたな。疲れる一日だった。

  • 20230910

    山伏峠600のゴール受付の手伝いから帰ってくるとPrix Nielの発走であった。Fantastic Moonがファンタスティックやった。

  • Paris-Brest-Paris 2023: Epilogue

    今年はGWの事故でだいぶ予定が狂ったけど、まずはPBPを完走して無事に帰って来れてよかった。

    84時間の良い点・悪い点

    84時間組のいいところは、朝起きて夜寝るという規則正しいサイクルで走れることだろうか。また、ナイトライドの時間も必然的に短くなるので(特にフランスは日が暮れるのが遅いので)、前照灯(21700仕様のFenixのタクティカルライト)のバッテリーも交換の必要なし。予備のバッテリーは二本だけなので、最低限のもので足りる。

    また、人数が少ないのでコントロールが混まない。一方、PBPのお祭り感というのは90時間に比べると物足りないかも。後ろから来るトレインの数も必然的に限られてしまう。あと、コントロールのクローズも90時間に比べるとちょっと厳しい。ただ、朝スタートだと日中の変なタイミングで寝て時間を使ったのでクローズタイムが!みたいなことになりにくいので、今回はクローズタイムを気にして走ることはなかった。

    持っていったもの

    今回は前回ほど寒くなかったので、ウェア類は半袖の薄手のウールジャージで、アームウォーマーもレッグウォーマーもなし。仮眠後の明け方に走っていても防寒対策はまったく必要がなかった。仮眠するには肌寒いけど、運動していればまったく問題ない程度までしか気温は下がらなかった。なので、日中は暑くてだるかったけど、全般的に見れば気候条件はよかった。長袖ジャージは全部宿に置いていった。背中のバックパックはレインウェアのような衣類やエマージェンシーヴィヴィで重くないし、仮眠所での枕代わりにしている。

    また、緊急事態用に補給食(パワーバー?)を四つ(一日一本)持ったけど、国内ブルベでもコンビニでガツンと補給しちゃえば走ってる間は水を飲むだけで済むタイプだし、サプリや薬は普段から全然使っていないのでPBPでも特に準備せず。PBPだからと言って特別なものを用意する必要はまったくないと思う。特にPBPはプライベートエイドとかを考えると補給の心配はないわけだし。

    前回は補給食を持ったり、防寒装備を持ったり、何より道中ずっと動画撮影をしていたのでバッテリーがめちゃくちゃ重かったのだけど、今回はそういったものは持たなかった。大体80時間以上の動画を撮影してきたって見返さないんですよ。PBP2019の動画は一度も見返されることなくHDDの肥やしになった。

    費用

    かかった費用は前回と同じぐらいだろうか。トランジットとはいえ航空券はちょっと高かった。が、宿は三人で割り勘したので10泊で4万円もかかっていない。民泊なので面倒なこともあるが、そういうのが気にならない人はこういうのもありだと思う。食事とかはまぁ円安もあるけど、そもそものインフレもあるので仕方ないかな。あまり気にしていても楽しめないので、四年に一度だからと思うしかない。

    やはりPBPは特別

    PBP以外のRMを走ると、「See you in Paris!」と言って別れるのだけど、それが本当に実現するのがPBPのすごいところ。Cascade 1200やPerth-Augusta-Perth 1200を走ったときに知り合った方々と一緒に走ることができてめちゃくちゃ楽しかった。これはPBPでしか実現しないことなので、また四年後も参加すると思う。コースが楽しいとかそういうのじゃないんだな。LRMを走るようなコミュニティは世界的に見てもとても小さいコミュニティだけど、そのいつもの面々が四年に一度同じところに集まって走るというのはそれだけで貴重な機会だし、都合をつけて自分もそこに参加したい。

    Merci, France. See you in 2027!

  • Paris-Brest-Paris 2023: LRM総会・帰国など

    25日(金)

    ゴール翌日の25日は、おーのさんは帰国へ、おかださんはとある落車事故の後処理のために自転車を回収すべくLoudeac方面へ旅立ち、自分はLRMの総会へ出席。

    もう片付けが始まっている。祭りのあとである。

    オーストラリアのPeteが「LRM総会の前に朝カフェしよう」とメッセージをくれたので、総会前にメルキュール近くのカフェへ。

    LRM総会はPBPの書類を受け取ったところで行われた。AJ会長の古久保さんもこの為にフランスへ来られたので、AJからは二名で参加。LRMの会長、副会長の交代と、ルールに関するいくつかの改正、韓国からは新しい表彰の話があった。米国のMarkさんが会長から退任し、新会長はイスラエルのTalさん(これまでの副会長でLRMメダル番として何度もお世話になりました)、新副会長はフィリピンのCarmelaさん。財務担当はACPのFaburelさん(AJからは頻繁にリザルト訂正のお願いをしているので会って最初に詫びた)が留任。Carmelaさんは同じW組でスタートしてしばらくした後に第二集団で走っている時にずっと隣にいた方だ。

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    あと、ポルトガルの代表のPedroさんとは四年ぶりの再会となった。四年前、PBPのゴール後にこの場所でジャージを交換して以来だ。

    総会の後はそのままランチへ。たまたまインドの代表と近くなったのでいろいろとインドの事情を聞いた。前回までのPBPはベジタリアンが多いインド人参加者にとっては、コントロールで提供される食事で選べるものが少なくなかなか厳しい環境であったらしい。また近年のRMの開催が多い背景なども話されていた。

    解散した後は宿へ戻って帰国前の最後のサイクリングということでランブイエの街中をうろうろした。もう前日までのような賑やかさもない。自分の宿の前の郵便局でオーストラリアのSimonとSallyと再会。結局Sallyの体調不良でDNFにしたそうだ。またどこかでと言って別れた。

    おかださんが自転車回収から帰ってきて任務を果たしたので一息ついて就寝。

    26日(土)

    いよいよ帰国の日。

    宿の馬房の中。ここに自転車を置いてた。馬はいないので単なる蔵として使われているそう。おーのさんとおかださんは無造作に置かれている自転車のブランドを見て盛り上がっていた。さすが自転車大国!

    ホストのご夫婦と別れ、自転車を担いでメルキュールホテルへ。Peteが一緒にタクシーでCDGまで行こうというので同乗することにした。タクシーを待っているとメルキュールホテルに泊まっている米国の方が「パッキングをしたいが、シャーマーズネックで満身創痍なのでペダルを外せない。手伝ってくれ」というのでおかださんがえいやと外していた。

    CDGで時間を潰し、それぞれの帰途へ。自分は帰りもカタール航空

    最後にターミナルのレストランでビールとフィッシュアンドチップス。Peteは「来年も日本に行くつもり」と言っていたのでまたそのうち会いそう(今年もGWに来日していたらしく、「都合どう?」と連絡が来たけど本州縦断に出かけていて都合合わず)。

    カタール航空の受付のお姉さん、自転車を見るなり明らかに「面倒くせえな」という表情になったのを自分は見逃さなかった。すまんのう。

    土曜の22時45分のパリ発ドーハ経由羽田行きで帰国である。パリ→ドーハは隣の席が空いていて三人分の席を使えたので大変快適だった。

    写真ブレブレ。なぜかというとドーハではトランジットのためにダッシュをするハメになったからです。着いたゲートと羽田行きのゲートが離れていたので、羽田行きの人は道先案内人のスタッフに先導されて移動のはずが、ボーッとしていたら見失い、近くのスタッフに尋ねてターミナル内の電車みたいなのに飛び乗り、ダッシュでファイナルコールの最後の最後に滑り込んだ。危なかった。

    ともあれ、無事に人間も自転車も日本に戻ってきた。日曜23時過ぎに羽田着。

    しかし問題はここから。荷物を受け取る頃にはもう終電は終わっているので、タクシー待ちは長蛇の列。もう一人エミレーツ航空で同じタイミングで帰ってきた方と一緒に延々とタクシー待ちをした。月曜午前1時半頃に自宅に到着。月曜は朝から通常通り仕事なのでさっさと寝た。