完走したという認定はもらったが、大変なやらかしをしてしまった回です。まぁいろいろありました。
Ride with GPS | Bike Route Planner and Cycling Navigation App
コースはこんな感じ。Jasonが四日に分割してくれました。
6月6日: Day 1 多くの参加者は6:00スタートを選んだようだが、我々は元々7:00スタートと決めていたので、6時過ぎにホテルを出てスタートへ向かう。
スタートに到着するとソンさんが出迎えてくれた。あと、オーストラリアのChrisがいた。2022年のPAP1200、2023年のPBPは同じ組、2024年は岡山1200でと毎年顔を合わせるやつである。まさか今年も顔を合わせることになるとは思わなかった。Chrisは6:30にスタートしていった。
いろいろとジェルやら補給食やらを貰って、7:00にスタート。Markと地元民であるJasonを先頭に、John、Dae、そして岡山1300を走ってすぐに韓国に移動してきたThaiのシアトル勢、Troy、Carmela、わたしの集団、そこに韓国在住のトルコ人だというDenizとBertanも加わってサイクリングロードを快調に進む。サイクリングロードは初見では難しいので先導してもらってありがたい。一日目の宿泊予定は380km地点のUljinのホテルである。
快調に進んでいたものの、50km過ぎの大きい橋を渡る手前でMarkがタイヤトラブルで一旦停止。他の面々は近くのコンビニへ移動して、水やら補給食を買い出し。思ってたより暑い。最初のメカトラなので時間を気にしていない。
エアロバーが付いていて逆さまにできないので人間自転車ラックとして活躍するThai (Photo by Bertan)
84kmあたりで最初のコントロールにも着かないうちにDaeがパンク。チューブレスだが結構ざっくりタイヤが切れていてシーラントでは塞ぎ切れないレベル。ガソリンスタンドに移動し、Johnが持っていた新しいタイヤに交換し、チューブを入れての復旧を目指す。が、Daeの持っていたTPUチューブはまさかのバルブ長が足らず。さらになかなかタイヤがリムにピッタリくっつかないとか、いろいろあって一時間ぐらい消費してしまった。とはいえまだこの段階では「だいぶ時間食ったなHaha!」ぐらいの空気。
そういうわけで96km地点の最初のコントロールに着いた時には他の面々はもう誰もいなかった。我々のグループだけである。ダントツの最後尾であろう。
飯を食ってリスタートしてしばらくすると少しだけ舗装されていない区間があり、そこでまたまたDaeがパンク。102km地点ぐらいだっただろうか。道路脇でチューブを入れ替えて再開するも、またまた時間を消費。106km地点の町で自転車屋を見つけたので飛び込みでチューブがないか聞いてみると、使えそうなチューブの在庫があった。二本購入。初っ端からメカトラ続きで先が思いやられる展開になってきた。
一山超えて136km地点の町で休憩。真夏の暑さではないが、それなりに暑く、自分としては珍しくアイスを食う。
Photo by Jason
172km地点のコントロールはトンネルの写真となっており、ここでシークレットが設置されていた。飲食物が提供されていたのでありがたくいただく。Jason、Carmela、Troy、自分の四人が先に登り切ってシアトル勢を待つものの、なかなか登ってこない。40〜50分ぐらい待っただろうか。結局、ここで一時間以上停止することになり、今日の予定のUljinまで行くのは無理やろなという空気が漂い始める。外国でホテルの予約を取り直すのは面倒なことになったなと思う(韓国は飛び込みでモーテルに行けばなんとかなるが)。
夕方になり寒くてジャケットを着るCarmela。さすがシンガポール在住である。自分なんかは1200kmを通して一度もジャケットを着ることはなかったのだが、Carmelaは20度ぐらいになるともう寒く感じるらしい。
208km地点のPyeongchangでオリンピックの名残を感じるモニュメントがあった。平昌オリンピックが開催された地域のようだ。
少し進んだ226kmの中心街と思われるところで飯にしようかという話になったが、適当な店が見つからず、結局セブンイレブンへ。ここで作戦会議が開催された。380kmのUljinまで行くと夜が明けてしまうため、手前に宿を取り直そうという結論になった。Daeが中心となって宿を検討し直し、270km地点のコントロール直後のところに宿泊することにした。Carmelaはいつもは23時ぐらいには寝るので、さっさと宿に入って朝早くから走りたいスタイルらしい。自分はどちらかというと深夜まで走って距離を稼ぎたいスタイルなのだが、特にこだわりもないのでみなさんの方針に合わせていく。初日から110kmショートというのはなかなか先が思いやられる展開ではあるが。
標高800mから一気に下って、朝鮮半島の東側の海岸線へ。多少のアップダウンをこなし、コントロール3でスタンプを押す。予定していたよりかなり大きなビハインドなので明日からが大変だと思いつつ、ホテルで就寝。三部屋を確保できたので、一つはCarmelaに割り当て、自分はDaeとJohnと同じ部屋となった。当初の予定より宿の滞在時間がだいぶ削られるが、睡眠時間は三時間ぐらい確保できたのでまぁよしといったところ。
6月7日: Day 2 4時頃にリスタート。元々の予定では二日目は700km地点のGeochangまで行く予定だったが、430km先になるのでちょっとしんどい。早々に計画は変更され、ドロップバッグ地点でもある600kmのSangjuに変更。ここもDaeがサクッと部屋を確保してくれたので、二日目は330km走ってSangjuを目指すことになった。
再開してしばらく進んだセブンイレブンで朝飯にし、終わり次第バラバラに各自再スタートということで、TroyとCarmelaが先に出ていく。それに続いて自分も再スタート。
しばらく一人旅となった。海岸沿いの街をいくつか通過していく。後日談として聞いたところによると、どうもこのあたりでパンクトラブルに見舞われたmomさんをパスしたのだと思われる。全然そんな姿は見かけなかったので、自転車屋へ移動している間にパスしてしまった可能性大。ちなみに日本人参加者は数名いたが、スタート時間が違ったというのと、我々がぶっちぎりで遅れていたので、結局日本人参加者には一人も会わなかった。
シアトル勢、なかなか調子が上がらないようで、特にMarkは体調もよくなさそうであった。Uljinのコントロール4に到着してTroyとCarmelaに合流し、そこにたまたまいたオーガナイザーのYoungsam(というか参加者と一緒に走っているのだが)にスタンプを押してもらう。
そういえばMarkとDaeはSpotwallaで位置を共有してたなと思い、現在地を確認すると15分から20分ぐらい後ろにいる様子。先に進んでコンビニで休憩していると、ようやくシアトル軍団とJasonがやってきた。合流してしばらく進み、キッチンカーが出ているところでYoungsamに呼び止められ、アイスコーヒーをおごってもらう。カムサハムニダ!Markはかなりきつそうで日陰に座り込んでなかなか動こうとしない。先に行ってくれというので、Jason、Troy、Carmelaと一緒に先行。
しばらくしてまたまたコース沿いの商店で休憩。とにかく暑い。水浴びなどをして待つ。しかし待てど暮らせどMarkだけがやってこない。そこにMarkからメッセージで一報があり、DNFすると。残念だけど全然いつものMarkではないので仕方ない。我々が出発しようとしたところにようやくMarkが到着したもののなかなかしんどそう。
Youngsamが415km地点の町から出ているバスを予約し、Markはそれに乗って離脱となった。
さてここからは二日目の一番の上りである。そこそこ斜度があって大変だった。各自のペースでとなったので、Carmelaと自分の二人が先行して登り切り、コントロール5で後続を待つ。売店には大したものはなかったけど、水やスナック菓子は置いてあったので助かった。
そろそろ夕方であるので、コントロール5から先にYoungsamとJasonの二人が先行して下っていき、470km地点の町で飯を食う場所を確保するということになった。地元民の助けがあって大変ありがたい。いろいろな韓国料理が出され、かなり満足した。まぁ結構時間も食うわけだが。
日も暮れてナイトライドに突入。JasonとYoungsam、私で先行し、連続するアップダウンをやっつけていく。520km過ぎの町でコンビニが営業していたので吸い込まれて後続を待つ。Bertanも合流。しかし、ここでも待てど暮らせど後続が来ない。JohnとDaeがこんなに遅いわけがないよなと心配していたら、Johnから一報があり、Daeのホイールのスポークが折れたのでゆっくり走ってるが、どうにもならんので一緒にDNFにすると。残念だが仕方ない。
コンビニを出て峠を越え、556kmのコントロール6では簡単な補給だけで済ませた。CarmelaやTroyはもうちょい休憩してからということで、我々が先行。特にシンガポール在住であるCarmelaはかなり寒く感じているようで、レインコートを買って着込んでいた。自分を含め他の面々は半袖である。JasonとBertanと一緒にSangjuへ向けて走り出す。さらにYoungsamも追い付いてきて四人で快調に飛ばす。そこにThaiもひょっこり現れた。まぁThaiはPBPを50時間台で走るような人なので直前に岡山1300を走ってきたといってもなんだかんだで集団の先頭を引いているし、登りも飛んでいってしまう。昼過ぎから先行していたけど、どこかで大休憩していたらしい。五人でSangjuに到着。
Sangjuのコントロール7ではKorea Randonneursの代表であるJanさんに出迎えてもらった。PBP2023の翌日にRambouilletで開催されたLRM総会で会って以来。
ドロップバッグを受け取って、Daeが確保してくれたモーテルへ。Daeの奥さんの名前で予約していたので、チェックインで押し問答があった。Daeの奥さんのファーストネームってなんだっけ?ということで、必死でファーストネームの記憶を呼び起こし、フルネームを伝えてなんとかチェックインすることができた
あと、DaeはSangjuでホテルを二つ確保してくれていて、Troyと自分、それとCarmelaで二つの部屋に分かれればよかったのだが、我らがリーダーのJasonからの情報伝達ミスで、自分が先に到着して寝かかっていたところにTroyもCarmelaも来てしまった。米国人男性Troy(しかも今回初めて会った)とフィリピン人女性Carmelaと三人でモーテルの一部屋に泊まることになった。よくわからん流れだ。自分が先にベッドに寝転がってしまっていたので、Melaさんが横のソファで、Troyは冷房が寒いと言ってバスルームのベッド(いかがわしい行為をするところ)で寝た。二人の到着後もバタバタしていたので一時間半ぐらいしか睡眠時間を確保できなかった。普段のブルベではこんな短い睡眠時間では走らないので、これが後々響いてくる。
6月8日: Day 3 Photo by Bas
出発前の集合写真。左から、Troy、Bertan、Jason、Thai、わたし、Carmela。(Photo by Bas)
8時にコントロール7に集合としていたので、7時過ぎに起きて準備をする。三人が一部屋に押し込まれていると大変である。ドロップバッグを戻しにいくとA Damがいた。こちらもKorea Randonneursの方で先述のLRM総会に参加されていたので、久々の再会となった。ちょっと前にKorea RandonneursとAudax Japanでメダルの融通をした際に窓口だった方なのでAudax Japanとしても交流がある方である。
が、我々はギリギリ隊なのであまり時間の余裕もない。とりあえず朝飯を食うぞということでベーカリーに入る。Jason、Youngsam、Bertanの地元勢、Thai、Troy、Carmela、わたくしの七人のパックで三日目スタート。
そして早々にまたメカトラ。まずはJasonのタイヤ。ちょっと空気が抜けているだけのようだったので空気を追加するだけで続行。しばらく走ると今度はTroyの革サドルのビスがなくなっていて、サドルの前側が浮き上がってしまって上手くサドルに座ることができない。645km地点の街に自転車屋を発見したようなので、そこで対応することに。自分は眠気もあっていまいち元気が出ないので集団からちょっと遅れてマイペースで進む。さらに途中でコンビニに立ち寄ったりしたので一人旅に。
645kmの街を通過し、しばらくすると自転車屋でのメカトラ対応を終えたTroyやJasonが合流してきたが、暑さもあって自分のペースがなかなか上がらず。とはいえ、Carmela御一行も後ろから現れたりで、もう各自暑さ対応のために休憩を挟みつつなのでそんなに離れてるわけではない感じ。
そして当初二日目の宿泊地としていたGeochangに着いたのは昼過ぎ。コントロール8ではちょうど自分の到着と入れ替わりに先行集団の面々が補給を終えて出ていくぐらいの感じ。
自分的にはここからが大変であった。完全に一人になっちゃったし暑いし眠いしで、バス停でのショート仮眠を何度も繰り返していく。Youngsamが全体のケツ持ちのような感じで、ガーっと走っていって大休憩という走り方をしており、彼が常に自分の前後にいたが、かといって常時一緒に走るというわけでもないので、喋り相手もおらず。何度止まって仮眠したか数え切れない。
Namwonのコントロール9でも状況はGeochangと概ね同じで、自分が到着するのと入れ替わりでみなさんが出ていく。とはいえ、これだけ仮眠を重ねての到着なので、集団もあんまりペースはよくないのであろう。Jasonが軽量化のために集団から少し遅れて出発したので、補給してた自分もそそくさと準備して、軽量化を済ませ、そんなに離れてないであろうJasonを追う。
しかし、やはり眠い。追いつかない。Namwonからガツンと一発登るのであるが、その道中もバス停を見つけるたびに吸い込まれて仮眠を重ねた。普段の四桁のブルベではちゃんと寝てるので眠気を感じて走るということはほとんどないけど、今回は集団で走ることにした結果、メカトラにも付き合って睡眠時間もあまり確保できずでかなり眠い。眠さの全盛期には5kmに一回程度のスパンで仮眠した。
ただ、登りが続くと自分の方が分がよいらしく、862kmのMujuに向けて続くアップダウンの途中でJason、Carmela、Bertan、Yougnsamのグループに追い付いた。コンビニで休憩していたようだ。集団に追い付いて喋り相手がいるのといないのではだいぶ違う。ここはドロップしないようにがんばる。
と思っていると、今度はJasonとCarmela、Youngsamがバス停ストップ。自分は眠気が飛んでいたタイミングなので、先にMujuのコントロールに行くことにし、すぐに追い付いてきたYougnsamと一緒にMujuのコントロール10へ向かう。
どうもMujuの正規のコントロールのセブンイレブンが深夜なので閉まっているらしく、手前のCUでもいいということになった。オーガナイザーのYoungsamがそう言うなら問題ない。
Mujuが862km、元々我々が宿泊予定としていたのは994kmのGoesan。Mujuの到着が午前2時なのでさすがにGoesanまで行くのはもう無理だろう。YougnsamやBertanはMujuで宿を取っているようなので、ここでお別れ。JasonとCarmelaは全然追い付いてくる気配がないのでバス停仮眠が長引いているのだろうか。無駄に待っていても仕方ないので一人で先に進むことにする。Mujuのルート沿いの適当なモーテルに入ってみたが、部屋は空いてなさそうだ。この先の900km地点に街があると言うことは把握していたし、いくつかモーテルがあることも把握している。とりあえず一人で先に進み、飛び込みでモーテルで寝ることにする。どこかでちゃんと寝ないと最後まで持たない。
と言うことで、4時過ぎにYeongdongという街に到着し、検索して適当なモーテルへ行き、窓口のおっさんを叩き起こし、翻訳アプリで部屋はないかと問う。一件目で部屋はないダメだと言われ、しゃーないなと思って次へ行こうとしたら窓口のおっさんが追いかけてきて「お前自転車乗りか。5万ウォン(5千円ちょい)でどうだ」と言うので、即決して部屋に入れてもらう。助かった。
時刻は4時半。そろそろ最後のタイムリミットを気にしつつ走らないといけない。今回は7時スタートを選んだので90時間のリミットは午前1時。残り300km強なので20時間あれば多少トラブルがあっても大丈夫だろうとは思うが、寝る時間もちゃんと確保したい。7時に走り出せば1時まで18時間あるので、まぁなんとかなるのではないかと思って、6時まで寝ることにした。言うても宿に入っていろいろやっていたら5時になっていたので睡眠時間は一時間しか取れなかった。大変厳しい。
6月9日: Day 4 6時半頃にモーテルを出て、近くのコンビニで朝飯を食べ、7時前に走り出す。18時間で300km強。最後の区間がサイクリングロードなのでそこでの辻褄合わせに期待である。とりあえずグループチャットに「rolled out at 6:50」と一報入れておく。
概ね緩やかに登っていく感じだが、そのピークの954km地点、Gal-ryeongのコントロール11直前の登りが思っていた以上にキツかった。とはいえ、ここからはピークの高さは下がっていく一方。少し気分が楽になった。いくつか登りはあるけど、これより大変なものはもうない。Gal-ryeongの到着は10:15。あと250km。14時間45分。ギリギリ隊である。が、これまで会ったことのない他の参加者もいたので自分一人というわけでもなさそうだ。
994km、Goesanのコントロール12には13時に到着。あと210kmで12時間。この日はかなり暑く、そこに眠さも加わっているのでかなり微妙な感じ。最後にサイクリングロードが100km近くあるので、どれだけ巻き返せるか。
Goesanを出たもののなかなかに暑く、加えて眠さで集中力も散漫になっているので何度もミスコースを繰り返し、焦りだけが増幅する。そんな中、1030km過ぎでJasonとBertanに追い付いた。コンビニ休憩していたのだろう。ちょっと安心。自分もそのままついていく。とはいえすぐにドロップしてしまう。
1085kmのYeojuのコントロール13の手前では韓国のRaphaの男女二人組コンビに追い付いた。到着は18:15。残り120kmを6時間45分、サイクリングロードだということを考えればなんとかなりそうだ。JasonやTroy、Thai、Bertanが出発するところだったので、サクッと補給を済ませてグループに復帰。信号で前とは離れてしまったけど、Bertanと一緒に走ることになり、二人でサイクリングロードに突入。
Photo by Bertan
広くて平坦で快適なサイクリングロードなのでスピードは出る。Bertanもいるので話し相手にも困らない。が、途中でBertanがちょっと休憩していくということで停車。自分が先行する。一人になるとサイクリングロードの分岐がなかなか難しく、ミスコースを繰り返す。焦る。
Photo by Bertan
しばらくするとBertanが追い付いてきたので、サイクリングロードの先導はBertanにお任せしてしまう。こういうのは地元民に頼るしかない。韓国Raphaの二人組やYoungsamも追い付いてきたので五人で残り距離を減らしていく。このままのペースでいけば0:30ぐらいには到着しそうだという雰囲気。残り50kmぐらいを切ったところで、またまたBertanが休憩のために停車、Raphaの二人組やYoungsamも小休止するということだったが、自分はそのまま一人で先行する。どうせすぐに追い付いてくるだろう。自分は一人なのでミスコースを繰り返すはずなのだ。そしてその通り、Seoul圏に入ってもサイクリングロードは初見のものにはなかなか難しく、ミスコースを繰り返す。そうこうしていると他の面々が追い付いてくる。
そしてサイコンの距離カウンターは1200kmを超え(コースは1202kmだったけどいろいろあって8kmほど余分に走っている)、あと10kmもないし1時のクローズにも十分間に合いそうという状況になった。BertanとYoungsam、Rapha勢もいるのでこのまま一緒に進めばOKだというときに、ちょっとバンプが続いた箇所で前から少し遅れ、そのタイミングで進行方向を見失った。
サイコンのカウンターは1208km、おそらく時間は0:30ぐらい。ゴールまであと1kmちょっとのところ。ちょっと落ち着こうと思い、近くにあった階段に腰を下ろしたのがよくなかった。クローズの午前1時までの記憶はここで途切れている。
あれ?