• カランダガン

    スタート直後の落馬とゴール入線後の落馬でいろいろあったけど、いいレースだった。世界レーティング1位の馬が日本に遠征してきて、日本の人気馬とのマッチレースを制しての戴冠は非常に見応えがあった。そこそこのペースで流れた結果(さすがにハナに立ったセイウンハーデスは速すぎであるが)、実力馬が実力通りに上位に来たという印象で、マスカレードボールはやはり東京の長い直線で長い脚を使わせると強いなと思う。3着のダノンデサイルも変則的な臨戦過程ながらもよく追い込んできている。クロワデュノールも凱旋門賞からの臨戦で不安視されたけど、終わってみれば前で展開して上位に残ったのはこの馬だけであるし、負けたけど強い競馬をしたなと思う。クロワデュノールは切れ味勝負になるとやや分が悪そうなので、有馬記念なんか競馬しやすそうに思うけど、さすがにこの秋もう一走はないか。ジャスティンパレスはエンジンのかかりが遅くていつもの通り大勢決した後の追い込みになってしまったけど、伝統芸という感じでこれはこれで仕方ない。レース前に書いた通り、カランダガンに勝たれたらごめんなさいと言うしかないと書いたけど、本当にその通り。日本の競馬にここまで対応できるとは思わなかった。すまんかった。

    バルザローナ、アガカーンの専属になって一年目から文句なしの結果だなぁ。かつてのプールモアのゴール前ガッツポーズの印象が強すぎるけど、あのとき19歳だったからまだ34歳なんだな。若い。

  • ジャパンカップ

    あまり積極的に行きたい馬もいなさそうで、緩いペースからの上がり勝負になりそうなメンバー構成。前走の切れ味が素晴らしかったマスカレードボールとある程度前で展開できそうなダノンデサイルを本線に。末脚勝負なら出番がありそうなジャスティンパレスとディープモンスターのベテランディープ産駒二騎まで。

    ◎マスカレードボール

    ○ダノンデサイル

    ▲ジャスティンパレス

    △ディープモンスター

    クロノデュワールはこの面々での末脚勝負になるとちょっと分が悪いのではという印象。カランダガンが来たらごめんなさいと言うしかない。

  • 組合

    労働組合の解散における組合費の積立金の処分方法について学びがあった今日この頃であった。難しいもんだな。

  • 20251128

    朝起きて寝るまで仕事してるだけの一週間であった。残課題は週末にやればええやろというのは非常によくない。やるんだが。

  • ジェンティルドンナ

    ジェンティルドンナが死亡 JRA

    牡馬とがっぷり四つで渡り合った女傑であった。現役引退後はジェラルディーナを出したし文句なしの名牝だ。R.I.P.

  • 20251124

    三連休、土曜と日曜の午前中は自転車に乗ったが、他の時間は来週の自分を楽にするための作業をしていた。来週が終われば一段落するはずなのだが。

    マイルチャンピオンシップはジャンタルマンタルの完勝だった。日本のマイル路線では敵がいないな。

  • カンボジアの記録(後編)

    ゴール後の11月4日。ゴールしてホテルに戻って寝ていたら、7時頃にSadaからの電話で叩き起こされた。表彰式をやるのですぐにMinistry of Tourismまで来いとのこと。

    自転車で行くのは面倒なのでトゥクトゥクを捕まえて現地へ。

    観光省がバックアップしているらしく、大臣からメダルをもらった。

    Sadaやその他の参加者の方にも礼を言って表彰式から撤収。ホテルで自転車のパッキングをしていると、Ooiさんがひょっこり現れた。同じホテルに泊まっているので昼飯でも行こうぜと。

    Ooiさんの定宿なので全部お任せで近くのタイ料理屋へ行く。Ooiさんによると、カンボジアとタイの国境付近で紛争をやっていて死者も出ているので、カンボジア国民のタイに対する感情は決してよくないらしく、タイ料理屋は昼飯時なのにガラガラであった。そもそも今回の1000kmも元々はタイ国境すれすれまで行って国境沿いに北上するコースだったのだが、「日本の外務省が渡航警戒レベルを引き上げてるし今の状況やったらワシは行かんぞ」と言ったらコースが変更になって国境まで行かないことになったのである。Sadaによると他の参加者からも同様の懸念を伝えられたらしい。しばらくしてOoiさんのカンボジアの友人も合流した。

    ホテルに戻ってチェックアウトの準備。いいホテルだった。

    そしてそのカンボジアの方の車で空港まで送ってもらった。ありがたい。

    彼は不動産ディベロッパーをされているそうで、最近のプノンペンの開発事情を話してくれた。自分が泊まっていたようなエリアは最近どんどん開発が進み、日本円で億レベルの物件も増えてきているそうだ。この10年ぐらいでガラリと街の景色が変わったとのことであった。仕事柄、経済指標などはよく見る方だけど、カンボジアといえば国の平均的な所得は東南アジアで最低レベルである。プノンペンだけではそうは思えないが、プノンペンと地方部の格差が大きく、地方はまだ電気も十分に使えない状況だそうだ。空港に迎えにきてもらたった際にSadaから聞いたが、「プノンペンでは最近はBYDのEVも増えてきているが、地方ではEVなんて使えないと思う」とのことであったし。その他の生活水準もプノンペンと地方ではまったく異なる。それは走ってみて実感した。

    一仕事終えたOoiさんも空港へ到着し、しばしカフェで雑談。Ooiさんはマレーシアには戻らず、そのままタイへ移動して仕事だそうな。カンボジアの前は日本に出張していたというし、忙しい人だな。自分は香港経由で帰国へ。

    翌5日の6時半頃に成田へ到着。大急ぎで成田エクスプレスに飛び乗り、9時過ぎに武蔵小杉へ到着。タクシーで自宅に戻ってすぐに仕事を開始した。

  • Audax Cambodia Tour the Tonle Sap 1000km

    ភ្នំពេញ-បាត់ដំបង-បន្ទាយមានជ័យ-សៀមរាប-កំពង់ចាម-ស្វាយរៀង-ព្រៃវែង-ភ្នំពេញ 1012គម · Ride with GPS

    見ての通りド平坦である。ケツが死ぬであろう。Tonle Sapというのは湖であり、東南アジア最大らしい。

    トンレサップ – Wikipedia

    4時スタートなので2時半頃には起きて、買っておいた飯を食べ、ホテルをチェックアウト。スタートまでは10分もかからない程度の距離。まだ代表のSadaは来ていない。

    Day 1: Phnom Penh – Sisophon 359km

    スタートが近づくにつれわらわらと集まってくる自転車乗り。1000kmの参加者自体は20人もいないはずだが、カンボジアでの初の1000kmということもあり(Audax Cambodiaができたのが2023年)、大勢の方が見送りに来られていた。警察の方もいたがとても友好的で、話を通してあるんでしょうな。ラウンドアバウトの真ん中で自転車乗りが道路にはみ出してたむろしているが、警察の方も特に怒る様子はなし。ゆるい。

    定刻の4時にスタート。プノンペンの街中を抜けて郊外へ。塩梅がまったくわからんが先頭集団がとにかく速い。SadaとかMTBだけどそんなペースで行くの?と戸惑った。35km〜40kmでPBPの最初みたいやな〜と思っていたら、しばらく集団の後ろについてきていたフランスの方(二ヶ月ほどカンボジアに滞在して600kmに参加したらしいが翌日帰国するので1000kmは不参加)が、「彼らは600km以上の経験がないから長距離を走るペースを知らんのだよ」と言っていた。彼は50kmぐらいのところで折り返してプノンペンへ戻っていった。ACPのCoppin会長やFaburelさんと知り合いらしい。またPBPで会いましょう。

    自分は早々に集団から離脱したのと、途中でガソリンスタンド併設のコンビニで休憩していたので遅れてしまったが、メイン集団は約100km地点のPC1まで三時間かからずに到着したらしい。マジかよ。自分はそこから一時間ほど遅れて到着。もう後ろには一人しかいないとのこと。これがカンボジアブルベのペースなのだという。さすがに最後までこのペースで行くわけではないと思うけど。

    PC1を出ても誰もおらず。パンクしたり、休憩したり、昼飯食ったりでもう誰も会わんかもなという状況で、一人でゆるりとPC2へ到着。ここも有人チェック。ようやく他の方にも遭遇した。

    PC2を出ると昼飯を食ってたっぽい面々がいて、近くにまだ誰かいそうだと判明した。ダントツの最後尾ではなさそうだ。

    前方に不穏な雲。

    そして豪雨。これはちょっとやべえなというレベル(恐怖で心拍が上がるタイプの豪雨)なので思わず近くのカフェの軒下に避難。お店の方もそこらへんで座っててええぞという様子だったのでありがたく使わせてもらった。全然雨足が弱くならないので一時間ぐらい足止めを食らった。そんな中、代表のSadaが果敢に前進していったが、この雨の中走るのはこの国では通常営業なのだろうか。足止めを食らっている間に、今日はSisophonまでは行けるだろうと思い、適当に見繕っておいたSisophonの宿を予約しておいた。

    雨が上がってようやく再開。少し走るともう路面は濡れていなかった。局所的な豪雨というやつなんでしょうな。これは翌日以降も遭遇することになる。適当なところで休憩を入れつつ進むが、本当にど平坦かつ景色の変化もないのでなかなか退屈ではある。大平原、たまに町、大平原、たまに町の繰り返し。

    Battambangという街でPC3を通過。すぐそばにスターバックスがあったので入った。閉店準備をしていたが最後の客ということでOKしてもらい、ホットコーヒーとパンを二つ。

    ここからはナイトライド。そしてひたすら平坦。Sisophonへ向かう。

    22時に到着してセブンイレブンへ。夜食を買って昼間に予約したホテルへ向かう。しかしここでトラブル発生。地図の場所へ行ってもホテルらしきものが見当たらない。何度も行ったり来たりしたり、近くにいた地元民を捕まえてこのホテルはないかと聞いたり、近くの民家にお邪魔してこのホテルはないかと聞いても、誰もそんなホテルはないという。困った。このまま探していてもダメそうなので代表のSadaに電話すると、「Sisophonならここへいってみるといい」というアドバイスをくれた。他のカンボジア人の参加者が泊まっているらしい。ホテルの方に聞くとまだ一部屋空いているというので滑り込みで入れてもらった。ダメだったらその辺の軒先で野宿にするかと思い始めていたので助かった。

    存在しないホテルのキャンセル処理をし、とはいえ当日キャンセルなのでキャンセル料がかかると表示されるので、Booking.comに「これは存在しないホテルである。詐欺である。キャンセル料を払うつもりはない」と苦情を入れておいた。DisputeがOpenしたが(たしかアリエクとかでもこの表現だと思うが紛争を開始したっていう仰々しい感じで好き)、相手方のホテルからの反応はなく、今のところキャンセル料は請求されていない。

    Day 2: Sisophon – Chamkar Leu 674km

    4時半にリスタート。まずはSisophonのPC4を通過したいが、ここはQRコードチェックである。TelegramでQRコードの周辺の写真が共有されていたが、全然見つからず。他の参加者もいろいろと投稿しているが、ボイスメッセージなのでまったくわからん。クメール語は書き言葉だと長くなるとかタイプが面倒だとかそんな理由ではなかろうか。このブルベの参加者だけではなく、プノンペンでもボイスメッセージでやり取りしているシーンをよく見かけた。

    行ったり来たりしていたが、もう見つからんなと思い、Sadaとその息子さん(今回スタッフとして車で巡回している)に「PC4のQRコード見つけられんわ!でもここにはいたからよろしくな!」と写真だけ送って出発した。

    と走っていると、後ろからSadaとSreyがやってきた。そして集団でピャーと行ってしまった。しばらく進んだ先の街でSadaが朝飯で止まっていたのでそこに混じって朝飯。米、肉、野菜、スープで日本人の口にはよく合う味付けである。補給としても最適。この後、自分はSiem ReapでAngkor Watに行きたいとSadaに言ったら、「コース通りじゃなくていいから最短ルートでこう行って、Siem ReapのPCへはこう行け」と教えてくれたのでありがたく従う。ブルベ原理主義者には怒られそうだが。

    暑いので水分補給を随時入れつつシェムリアップ方面へ。

    そしてAngkor Watへ。入場には公式アプリをダウンロードして37ドルのチケットを買えとか言われたので、前を通って何枚か写真撮りたいだけなのになと思って係員に交渉したらフリーで通してくれた。すまんの。ここは外国人観光客だらけで日本語も普通に聞こえてきた。

    Angkor Watの後はジャンクなものが食いてえなとSiem Reapならマクドナルドとかないんかと地図を見てみたが、どうもなさそうであったので、通りすがりに見つけた露店で昼飯。

    Siem ReapのPC5でフィリピンのGiovanniさんと遭遇。今回国外から参加しているのは我々二人である。QRコードはこういうのが貼ってあるだけで、ここからGoogleフォームにアクセスして通過のチェックをする。しかし、貼ってある場所の周辺の景色は事前に共有されていないし、ブルベカードに記載されている距離も1km刻み(小数点以下はない)かつ全然距離が一致していないし、そもそもキューシートも存在しないので一人で見つけるのは無理ではという感じ。

    Siem ReapはAngkor Watを擁する観光都市なのでなかなか活気があった。

    途中の町にて。お祭りだろうか。ノリノリであった。大渋滞だったが。

    ガソリンスタンド併設のコンビニやカフェが補給地点となる。Sadaからは「特に外国からの参加者は露店の水や氷には気をつけろよ」と言われているので、なるべくちゃんとしたところで水を買う。

    そろそろ日が暮れそうだったので軽く飯を食う。プノンペンスタイル!

    PC6に向かう途中で突然のグラベル。この国は幹線道路を外れると未舗装になるんだな。

    そしてPC6まで1kmもないというところで突然の豪雨。これまたかなわんと思って、近くの自動車修理工場の軒先に逃げ込んでしばらく休憩させてもらった。親切な一家で方で水をくれた。雨が止んで少し走ると路面はまったく濡れていなかった。やはり局所的な通り雨であった。突破してもよかったな。

    PC6もQRコードチェックなのだが、例によってどこにあるかがわからない。たまたま巡回中の息子くんがすぐ隣のガソリンスタンドに滞在中で、「ここ!」って声をかけてくれたので発見できたが。

    この町のリゾートホテルみたいなのを見繕っていたのだが、まだ全然寝る時間じゃないので先へ進むことにした。この先のChamkar LeuというPC7のある町でいくつかゲストハウスがあってたぶん泊まれるだろうとアドバイスをいただいたので、そこで宿を探すことにする。

    この先は多少アップダウンがあるが、それでも標高100mにも行かない程度である。そしてなんとここまで600km以上走っているが、獲得標高は600mにも満たない程度。とにかく平坦なのだ。足を止めても進むような下りはないので、ペダルを回し続けないと進まないのはなかなかキツい。ようやく多少上りが出てくるので気分が変わるかなと言うところだが、全然斜度はないゆるゆるの上り(アウターで普通に行けるレベル)なので気分転換にもならず。そしてまたまた強い雨が降ってきたのでガソリンスタンドへ避難したり。

    夜は道路に出てきている犬が多くて困った。そして途中で犬を一頭轢いた。道路の真ん中でぼーっとしていたので、目の前に見えた時に「わん!」て言ったら驚いてこっちに突っ込んできた。仕方なかった。「キャン!」と言う鳴き声と踏んだ感触はあったが、暗くてよくわからずであった。すまんかった。時々ファイティングポーズを取る犬がいたのでそういうときはダッシュで逃げる。

    PC7の町に到着。ここもQRコードチェックなのだが当然見つけられるわけもなく、翌朝探すことにしてまずはゲストハウスを探す。一軒目はどこから入っていいのかよくわからなかったので、二軒目へチャレンジ。ゲートが閉まっていて何度も叩いて「エクスキューズミー!」と騒いでいても特に反応がなかったのでここもダメかと諦めかけたところで中の人が出てきた。一人なら入れてやるとのことだった。助かった。

    Day 3: Chamkar Leu – Phnom Penh 1011km

    お世話になりました。

    PC7があるはずのところへ行くと他の参加者の方がいたのであっさり発見できた。助かった。これもまた一人だと分かりづらいよなぁ。

    しばらく走って朝飯休憩。1.25USD。やはり麺より米である。

    メコン川を渡る。

    休憩を入れつつ東へ進み、ようやく南方面へ進行方向が変わる。ずっと南東方向へ走ってきていたので、まっすぐ南へ行くだけでだいぶ気分が変わる。そしてまた雨。

    国道っぽいところから一本外れたところへ入ってあまり路面がいい感じではなくなったので、これ以上悪くならんでくれよと祈る気持ちで進む。

    あまーいアイスコーヒーで休憩。電波の圏外でQRコード決済が使えんなと困っていたらようじょが彼女のスマホのテザリングを使わせてくれた。親切。

    とかやっていると激しい通り雨。そして例によってPC8がまったく見つからない。ブルベカードに記載されている距離と余分に走った距離を考えてもどこかにあるはずなのだが、先行している参加者がTelegramのグループに投稿しているPC8の景色も出てこない。そしてグラベルにもなり、路面がボッコボコになり始めたのでこっちに意識が取られる。

    で、追い討ちを描けるようにiPhoneがロック。雨が降って誤動作でもしたのだろうか、三時間は使えないとのこと。これはまいった。予備のスマホはあるけどpovoを差してあるだけで海外用の設定はしてないし、そもそもWi-Fiを掴まないと海外ローミングのトッピングの購入もできんしなぁ。ということで、PC8を見つけるのは諦めた。サイコンのログでこれで許してもらおう。

    この先はまったく舗装されていない道が100km近く続きそうな雰囲気である。コース沿いの店で休憩しているDeepakさんを発見。プノンペン在住のインド人ということで英語も問題なく通じるしで、この方と一緒に行くことにする。二人ともリムブレーキなのでドロドロボコボコのグラベルに大苦戦。進むには進むけど、この先の距離を考えるとだいぶ時間がかかるな。ずっと舗装路の想定で日付が変わる前にはプノンペンに辿り着くなと思っていたのだが。

    地面がどうなっているかわからんのでここは押し歩きで突破。こういう場所が何箇所かあった。Deepakさんはヒャッホーのノリで乗車したまま突破していた。

    少し先行したDeepakさんが「RWGPSで指定されたルートを進むと道路が水没して道路がなくなっている」と引き返してきたので、迂回を検討せざるをえない。さらに我々のやり取りに入ってきた道端の民家の方が「この先へ行くのはやめた方がいい」と言うので、Deepakさんと相談してかなり遠回りになるけど引き返して国道へ戻ろうということに。

    国道に出るまでもグラベルでなかなか大変であった。国道に合流するところで民家の方にお願いして水浴びをさせていただいた。日本人が珍しいのか、娘さんと腕を組んで写真を撮った。ついでにビールもくれた。感謝。

    国道に戻ればそこそこ快調に進む。自分が飯で離脱したのでDeepakさんとはお別れ。閉店間際のところで余り物の肉をかき集めてもらった。

    そしてPC10のSvay Riengに到着。当然のことながらQRコードを発見できない。この辺だろうという景色を取って、Sadaとその息子くんに「いまPC10!PC8、PC9、PC10は発見できんかったぞ!」とメッセージを送っておいた。

    PC10を通過すると、あとは国道1号でプノンペンに戻るだけ。

    Leuk Daekというところにあるツバサ橋。本ブルベの最大斜度はこの橋の登りだったのではという気もする。

    Neak Loeung Bridge – Wikipedia

    コーラ休憩。

    淡々と残り距離を減らしていって、プノンペンの中心部に戻ってきた。

    日付が変わった2時前にようやくフィニッシュ地点のWat Phnomに到着。RWGPSでは1010kmのコースだったが、走行距離は1046kmになっていた。ホテルが見つからなくて行ったり来たりしたのとか、PCが見つからずにウロウロしてたのとか、迂回とかでだいぶ余分に走ってしまった。先にゴールしていたChenさんと写真を取って解散。

    日本人なのでこういうのがいいです。

    ちなみに、Finishを含めるとチェックは11箇所。最初の3箇所は有人チェックで道路沿いに車が泊まっていたのですぐに分かったが、その後の8箇所で自分でちゃんとQRコードを見つけられたのは2箇所である。他はQRコードの場所を発見できなかった。帰ってから分かったことだが、Sadaから共有されたRide With GPSのルートがそもそもPC4やPC8の場所を通っていないというもので、こりゃぁあかんわと言う感じ。公式のRWGPSがPCを通っていないとか、どういった景色のところにPCがあるのかわからんとか、運営も改善する点がありそうなので、これは日本の知見を伝えた方がいいのではと思い、RWGPSやキューシートの例を共有しておいた。

  • カンボジアの記録(前編)

    今年は1000kmを走ってないなというのと、Audax Cambodiaの代表であるSadaさんから直接メッセージをもらったというのもあって、カンボジアの1000kmへ遠征してきた。夏に北海道から帰ってくる際に自転車が破損したのでどうしようかとぐずぐずと悩んでいたが、10月半ばに「やっぱ行くわ」と連絡して(この一言でエントリーが済んだ)、航空券を押さえ、ビザを取得して準備は完了。TelegramのAudax Cambodiaのグループであれこれ発言しているとマレーシアのOoiさんが「自分がいつもプノンペンで定宿にしているホテルに泊まれ」と紹介してくれた。彼は2017年のイザベラヘブンの不老ふ死温泉で同部屋になった方である。そして1000kmには参加できないけど、同じタイミングでプノンペンにいるのでぜひ会おう、同じホテルに泊まれということであった。

    10月29日に仕事を切り上げて成田へ。カンボジアへは直行便がないので、キャセイパシフィックで香港でのトランジット便である。香港、あまり縁がないが、10年以上前に南アフリカ出張に行った際に香港で乗り換えをした時以来だろうか。

    翌30日の午前中にテチョ国際空港へ到着。テチョ国際空港は今年の9月に開港したばかりの新空港である。プノンペン市内の国際空港が手狭になったため、郊外へ新空港を建設し、国際空港機能を移転させたとのことであった。入国もスムーズで顔認証だけであっさり通過。空港からの移動については代表のSadaが迎えにきてくれるというので申し出に甘えることにした。

    ホテルまで運んでもらい、ついでにジャージやブルベカード、ゼッケンプレートなどを受け取った。とりあえず自転車を組み立てて走りに出る。

    プノンペンはカフェがたくさんあるそうで、ブラブラと走り回った後、テキトーなカフェに入った。

    そして宿に戻って夕飯へ。宿から歩いて行ける範囲で見つけたカンボジア料理の店へ。現金しか使えず、ドルで払ったらお釣りはリエルで返ってきた。これがスタンダードらしい。

    31日は一日空いているので自転車でプノンペン周辺をウロウロする予定である。その前にBakong Tourists AppをインストールしてQRコード決済の準備である。今回は自宅にあったドル紙幣を100ドル分ほど持ってきているだけである。カンボジアのリエルは持ってきていない。このアプリがあれば十分らしいのだ。

    入金はRevolutのデビットカードで。近年、クレジットカードの為替手数料が値上げされているのでなかなかバカにならない感じになってきている。一回の決済だけで見ると大した額ではないが、積み重なるとそこそこの額になる。そこで、以前に登録だけして使っていなかったRevolutで外貨を調達した。同様にWiseも登録するだけして使ってないので、今後はこういったサービスを活用したい。

    というか、為替の予測は難しいものであるが、今の円ユーロのトレンドを見ていると、PBP2027に向けて今の段階でRevolutでユーロを調達しておいてもいいのではという気もしている。

    閑話休題。

    よみがえるカンボジア通貨リエル デジタルで拓く小国の生きる道 – 日本経済新聞

    Bakong Tourists Appは国内で使われている複数のQRコード決済に対応したアプリで、カンボジア中銀が開発したものだという。普及率はすごいもので、1000kmも走れば田舎にも行くわけだが、一度も現金を使う必要はなかった。カンボジア滞在の間でも現金を使ったのは上記のレストランと他にもう一回だけで、たった二回だけであった。あとはすべてBakongでのQRコード決済かRevolutのVISAタッチ決済であった。ただ、カンボジア国内は商品の値段をドル表記しているところと、リエル表記しているところ、両方併記しているところがあってなかなかややこしい。リエル表記しているところで「ドルで払いたい」といえば、1ドル=4000リエルで計算してドルで払えることもあった。その逆も然り。

    決済準備をしたので、まずは自転車でトゥール・スレン虐殺犯罪博物館へ。クメール・ルージュの時代の政治犯の収容所だった場所である。日本語の音声ガイドを聞きながら二時間ほどかけて見学。音声ガイドも「ここからは凄惨な内容なので気分が悪くなった方は一度外へ出て休憩してください」と何度も言っていたが、目を背けたくなるような写真が展示されていて、とても気持ちは重かった。ちょっとこれはメンタルに来るなという展示物もあり、自分も外で休憩したりしつつ一通り見学した。

    S21 (トゥール・スレン) – Wikipedia

    そしてプノンペンの郊外にあるキリング・フィールドへ。これはトゥール・スレンの収容所に収監されていた方々が最後に送還された処刑場である。ここも音声ガイドがあったので借りたが、博物館以上にメンタルに来る内容で、見学順路沿いにあるベンチで休憩しつつの見学であった。

    キリング・フィールド – Wikipedia

    その後はプノンペン市街地を適当に走り回り、宿に戻った。結構暑かったので塩分チャージタブレッツ持ってくればよかったなと思って近くのコンビニへ行ったがそんなものはなかった。

    宿から歩いて行ける範囲にあったイオンモールへ行って夕飯にした。日本と変わらないイオンモールであった。

    スーパーのフロアに行くと品揃えもほぼ日本と同じ。塩分チャージタブレッツもあった。翌日以降の補給食もいくつか買っておいた。